~喧騒~
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数週間後の朝。相変わらずナナシの用意した朝食を摂る二人。
「ナナシ。アンタ今日ちょっと付き合いなさい」
「何かあるのか?」
「思い出したか覚えたのかはわかんないけど、アンタも大体のことはここ数週間で理解したでしょ」
「まぁ、それなりに」
「もう下手なこと口走んないでしょうし、そろそろ町に連れてってあげる」
「やっとか。長かったな」
そう。ナナシはこの家に世話になってからというものの、外出をしたことがない。記憶がなく、下手なことを口走って奇異な目で見られることを避ける為とトゥリアーナが禁止していた。
「まだ勁の訓練はしてないんだし、途中で魔獣に会ったらアタシが対処するから」
「頼むよ」
「さっさと食っちゃって。今日自警団から仕事の依頼受けてんのよ」
「わかった」
自警団というのは街に配備された勁士の集団で、主に街の治安維持や魔獣討伐を行っている組織のことだ。小さな街は自警団の規模も比例して小さく、自分たちの手が回らない時にはフリーの勁士へ仕事の依頼を出すことがある。
朝食後、二人はホルメスに乗り街へ向かった。これから向かう街は不毛地帯の終の地で唯一の町、モトという町らしい。ナナシは時間を見つけてはホルメスに乗る練習をしていたが、まだまだトゥリアーナ程上手くは扱えず、恥ずかしながらトゥリアーナの後ろに乗ることになった。
二人が出発してからおよそ半日。道中魔獣に遭遇することもなく、途中で休憩を挟みながらモトの町に到着した頃には夕暮れ時になっていた。
「ここがモトの町よ」
「へぇ。そんなに大きくはないんだな」
「まぁ、場所が場所だからね。好き好んで移住する奴なんていないわよ」
「それもそうか。これからの予定は?直ぐに仕事に入るのか?」
「仕事は明日自警団に顔出してから。今日は宿取って休むわ」
「わかった。宿の場所は?」
「こっちよ」
トゥリアーナの案内でモトの町を歩くナナシ。この町ではトゥリアーナは有名人なのか、そこかしこで声をかけられている。「この間は助かった」だの「これよかったら持って行け」だの感謝の言葉が大半だったが、中には男連れが珍しいのか「ついにトゥリアーナちゃんにも彼氏が!」と囃し立てる男もいた。その男はトゥリアーナの無言の鉄拳を食らい、頭を抱えながら蹲っていた。
そうしてたどり着いた宿はログハウス調の落ち着いた雰囲気の宿だった。入り口の脇にぶら下がる形で「砂楼亭」と書かれている。中からは賑やかな声が聞こえていた。
「ここよ」
「へぇ。割ときれいな感じの宿だな」
「アタシがいつも使ってる宿なんだから汚いはずないでしょ。食事もこの町では一番美味しいわよ」
「楽しみだな」
「言っとくけど旅行じゃないのよ。あんまり浮かれないで」
「わかってるって」
扉を開けた途端に食事のとてもいい香りと、酒が入っているのだろう、主に男たちの騒がしい声がより一層激しく聞こえてきた。入って正面に階段。右側にカウンターがあり、左を見ると食堂スペースだろうか、ざっと10人程度の客が食事を楽しんでいた。
「いらっしゃいませ! あら! トゥリアーナちゃん! 町に来てたの?」
この宿の女将だろうか。ミルクティー色の髪を後ろで一本にまとめた40を少し過ぎた程度の女性が笑顔で声をかけてきた。
「こんばんは、ミシェルさん。ついさっき着いたとこ」
「あらそうなのー。あれ? 珍しいわね。今日はお連れ様がいるの?」
「はじめまして。ナナシです」
「ナナシさん?」
「そ。アタシが付けたの。砂漠でぶっ倒れてたとこを拾ったんだけど、一時的なショックか記憶が曖昧なのよ。名前も思い出せないもんだから、とりあえず」
「そうなのー……大変ねぇ。まぁいいわ。部屋はどうするの? 泊まっていくんでしょ?」
「そうね。2部屋空いてる?」
「ええ。空いてるわ。台帳に2人分名前書いておいてね」
「わかった。あと軽くでいいから食事も」
「任せておいて! じゃあ荷物おいたら降りていらっしゃい」
「うん」
そう言ってミシェルは食堂に、トゥリアーナとナナシはカウンターに向かう。カウンターには短髪にヒゲの大柄で日焼けした男が立っていた。
「おう! トゥリアーナ! 仕事か?」
「そ。明日自警団に顔出しに行ってくるわ」
「毎度のことながら、あそこから通うのは大変じゃねぇのか?」
「いいのよ。好きであそこに住んでるんだから」
「まぁ、無理に町に住めとは言わねぇけどな。で? そっちの色男は彼氏か?」
「んなわけないでしょ。ただの居候よ」
「どうも。居候のナナシです」
「ダグラスだ。よろしくな!」
人当たりのいい笑顔で手を差し伸べてきたダグラスの手は大きく、握力も半端ではなかった。見た目といい、力といい完全に熊が擬人化したような人だとナナシは思う。
「で? 部屋は?」
「おう。201と202が空いてっからそこ使え」
「ありがと。荷物置いたら直ぐ降りてくるから。ミシェルさんにも伝えたけど、軽く食事も用意してもらえる?」
「わかった」
「さ、行くわよ」
台帳に2人分の名前を記入したトゥリアーナに急かされナナシは後を着いていく。用意された部屋は簡素だがベッドの作りは案外しっかりしており、掃除も行き渡っていた。机の上に埃一つない。
荷物を置き、ローブを脱いだナナシはふと窓の外を眺めた。町の灯りがあり、人々で賑わっている。自分もどこかの町でこんな風に生活していたのかと少し感傷に浸ったが、直ぐに食事だと言っていたことを思い出し部屋を出る。食堂では既にトゥリアーナがエールを飲んでいた。
「なにやってんのよ。遅いから先に始めちゃったわよ」
「悪い」
「ナナシ君も飲み物は? お酒はイケる?」
ミシェルが酒を勧めてきた。そういえばトゥリアーナの家では酒を飲んだことがない。
「イケるなら飲めば? 別にいいわよ。明日に差し支えなければ」
「なら俺も同じものを」
「はーい。ちょっと待っててね」
直ぐに運ばれてきた琥珀色のエールを一口飲んでみる。すっきりとした喉越しの中にしっかりとしたコクも感じる。スイッチが入ったのかナナシはジョッキを一気に空けた。
「へぇ。中々イケる口だったのねアンタ。やっぱりあの時は酔っ払って砂漠に迷い込んだんじゃないの?」
「自分でもそう思えてきたよ。……美味いなこれ。ミシェルさん、もう一杯貰えますか?」
「あらあら。無理しないでね。トゥリアーナちゃんに付き合ってたら体壊すわよ。この子、すごい酒豪なんだから」
「周りがだらしなさすぎなのよ。なんならナナシ、あたしと飲み比べしてみる?」
「今後砂漠に迷い込まないように自分の限界を知っておくいい機会だしな。受けて立つよ」
ナナシが飲み比べ勝負を受けて立った途端、周りの男たちがナナシを一斉に見る。
「やめとけ兄ちゃん! トゥリアーナには勝てねぇって!」
「そうだよ! 俺も勝ったら付き合ってやるってーから勝負したけどありゃ尋常じゃねぇよ!」
周りの男たちが一斉に止めに入り、ナナシは今更ながら勝負を受けたことを後悔し始めた。
「飲み比べでアタシに勝ったら付き合ってあげるなんて言うもんだから、この町の男みんなが挑んだんだけどね。誰一人勝てなかったのよ。ねぇ? ダグラス?」
ミシェルが余計な情報を与えてくれる。ダグラスは気まずそうにそっぽを向いていた。どうやら彼もその一人らしい。
「男に二言はないわよね? ナナシ。なんだったらアンタもアタシに勝ったら恋人になってあげるわよ」
トゥリアーナは口は悪いがどこからどうみても美人だ。少しつり上がった目に知的なシルバーフレームの眼鏡。すらりとした体型であるにも関わらず、出るところはしっかり出ており、無駄な贅肉などない。恋人にはできなくとも、せめて一晩だけでも共にしたいとどの男も思うだろう。そしてナナシもその一人だった。
「女にも二言はないんだろ?」
「上等」
――――こうしてこの物語初のバトルは魔獣との戦闘ではなく、男女の飲み比べ対決になってしまった。