~出会い~
『じゃ、あなたの希望は叶えたから。後は好きにしてー。じゃーねー』
知らない女の声で夢は終わった。
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生きている。薄く目を開け、知らない天井を見たときにまず男の頭に浮かんだのがそれだった。どうやらベッドに寝かされているらしい。誰かの家だろうか。ほんの少し頭を横に向けるとベッドサイドには小さなテーブルがあり、水差しとグラスが置いてあった。あの砂漠ほど暑くはないが、まだ十分に暑い。直射日光を受けないだけマシな程度。
ゆっくりと体を起こし、水差しからグラスに水を注ぐ。まだ体に力が入らない。半分ほどしか注いでいないグラスがやけに重たく感じる。落とさないように両手でグラスを持ち、一気に水を飲み干す。生き返った気がした。いや、本当に生きているのだと実感した。
改めて部屋の中を見回してみる。驚くほどシンプルだ。自分が寝かされている無駄に大きいベッドとサイドテーブル。それにタンスと丸椅子のみ。窓が一つあるが小さく、余り日光は入らない。むしろ温度が上がらないよう日光が入るのを防いでいるのだろう。これだけ乾燥しているのだ。日の光が入らずともカビることはないのかもしれないと男は思う。
いつの間にか着替えさせられていることにも気付く。麻のような素材でできた下着のようなものだった。半袖にしては袖が短いシャツと膝丈よりも短いズボン。腰は紐で結ばれており、これがベルトのようなものなのだろう。
まだこの状況に頭がついていかないが、とにかく自分は生きていてここが家である以上、誰かがいるはず。まずはお礼をしようとベッドから降りる。立ちくらみがしたが頭を振りなんとか歩く。ドアを開けようとしたところで先に向こう側から開けられた。
「あ、起きたの」
ドアの向こうにいたのはオレンジ色の髪をショートカットにした30手前ほどの眼鏡の女性だった。
「アンタ、なに考えてんの?終の地をあんな格好でうろつくなんて自殺願望でもあんの?」
「ついのち?」
「アンタ、もしかしてここが終の地だって知らずに歩いてたワケ?頭オカシイんじゃない?」
死の淵から生還したての人間に対して酷い言い様である
「いや、そう言われても俺も何がなんだがわかっていなくて……」
「はぁ?酒でも飲みすぎたの?」
「もしかしたら随分飲んだのかもしれません……」
「はぁ……まぁ、いいわ。とりあえず動けんならもう帰んなさい」
「帰れといわれても……」
「……まさか自分の家までわかんないとか言わないわよね?」
「そのまさかで……」
「もしかして記憶喪失なの……?」
「みたいなんです」
「みたいなんですって……ちょっとアンタ座んなさい」
そういって女は男をベッドに追いやり座らせた後、自分も丸椅子に腰掛けた
「名前は?」
「……わかりません」
「家族は?」
「それもわかりません……」
「歳は?どっから来たのかは?」
「……すいません」
「アンタの中で一番古い記憶は?」
「気付いたら一面砂漠でした」
そこまで聞いて神妙な顔で考え込む女。知らない女とベッドルームに二人きり。気まずい沈黙に耐え切れなくなった男はとにかく話題を探し、自分の目的を思い出す。
「あの」
女は依然難しい顔で考え事をしたまま。
「あの!」
少し大きな声をかけられて我に返ったのか、女は少し驚いたような顔で「なによ」とだけ返す
「助けてくれてありがとうございました」
「あぁ、別にいいわよ。どうせ依頼のついでだったし。アタシの目の前で食われても後味悪いしね」
「食われる……?そうだ!あのミミズ!あれはどうなったんですか?」
「ミミズ?サンドワームのこと?」
「サンドワームっていうんですか。あのデカいミミズ」
「そうよ。やっぱり魔獣のことも知らないか」
「魔獣?」
「そう。魔獣。アンタが食われそうになったサンドワームはこの終の地にしかいない大型魔獣よ。アイツの皮膚はここの砂嵐にも耐えられるようかなり硬くて、自警団の連中の防具に加工されんのよ。その材料集めに討伐依頼を受けたアタシがようやく獲物を見つけたと思ったら、アンタがまさに食われそうだったってワケ」
「自警団……ですか」
「あー、もう。一から説明すんのも面倒くさいわね。もういいわ。アンタ、しばらくここに住みなさい」
「え?」
「しばらくの間は置いてやるって言ってんのよ。どうせ何も覚えてないなら街への行き方も知らないでしょ。家族のことも覚えてないんだし、他に誰かに迎えを頼むことできんの?できないでしょ。それともまた野垂れ死にたい?」
「いや、でも……」
「でももへったくれもないのよ。人の厚意は素直に受け取っときなさい」
「あ……ありがとうございます」
「ただし。アンタがまともに知識をつけて一人でやっていけるようになるか、記憶が戻るまでよ」
「それでも助かります」
「それと敬語禁止。堅っ苦しいのは苦手なの」
「は……わかった」
「よろしい。とりあえずアタシは町に行くわ。あんたの着替えなんかも必要だし。あんたが着てるソレ、アタシの寝巻きなんだから。アンタはもうしばらく寝てなさい。何か食えそうならウチにあるものは好きに食っていいから」
そういって椅子から立ち上がる女
「あ、ちょっ……」
「なによ。寝てなさいって言ったでしょ」
「名前……」
「あぁ、そういえば自己紹介がまだだったわね。アタシはトゥリアーナ。トゥリアーナ・アルベニスよ」
「よろしく頼むよ、トゥリアーナ」
「頼まれてあげるわよ。ナナシ」
そう言って彼女、トゥリアーナは部屋を出て行った。
「ナナシって俺の名前か……? にしても、これ女物だったのか。どうりで小さいワケだ」
こうして記憶喪失の男、ナナシは辺境の地に住む女、トゥリアーナの家で居候生活を送ることになる。