告白
十八
あまりの出来事に、俺もちとせも驚いていた。開きっぱなしになった教室のドアは、ちかげが去って行った余韻を、これでもかというくらいに残している。
俺はどうしたらいいか、わからなかった。
考える暇もなかった。どう考えたらいいか、わからなかった。
悩みが頭の上で渦を巻き、思考能力もまったく追いつきやしない。
そんな時、ずっと近くにいた美少女は、唐突に俺に口を開いた。
「たける、行ってあげて」
え? 今なんて?
その美少女は、冗談を感じさせないような真剣な顔つきで、また答えた。
「ちかげさんの所に、行ってあげて」
俺が立っている横で、助言をしてくれているちとせに、そう言われた。
何も策が思いつかない俺は、それを聞いてちとせに理由を問おうとしたが、問うことはなかった。
いや、そこに理由などなかった。
ただ、瞳に涙を浮かべたちかげが、とても悲しそうな顔をしていた。
いつも明るくて元気印のちかげが、とても悲しそうな顔をしていた。
ただそれだけのことで、思考がうまく回っていない俺は決意をしたのだ。
「ちとせ、俺ちょっと行ってくる。午後の授業は、先生には体調が悪いとでも言っておいてくれないか?」
ちとせは、どこか切ない表情が混じった笑顔で、
「うん、いいよ。いってらっしゃい」
と間髪入れず、了承してくれた。
さぁ準備完了だ。絶対に見つけ出してやる。
あいつが今どこへ行くかなんてわからない。俺はただ本能だけで、走り始めていた。
俺は駆け出す。ちかげが通った教室のドアへと。
俺は駆け出す。ちかげの向かった方向へと。
5分くらい走り回っただろうか。しばらくすると、体育館が見えてきた。
昼休みも終わりに近い体育館は、午後の授業で生徒が来ているかもしれない。
無論、入口に入ったところで、ちかげはいないだろう。
そう考えた俺は、体育館の裏のカニ歩きしないと入れないような、ちいさな隙間に潜り込んだ。
15mくらい進んだだろうか、段々と、小さな声で誰かが泣いている声が聞こえてきた。
それは、とても聞きなれた声のような気がした。
それは、いつも聞いている声のような気がした。
それは、いつか聞いた、悲しみの声と似ていた。
―見つけた!
19
全速力でここまで来た俺は、息を荒げながら、ちかげに近づいていった。
あと5mと言ったところか。
ここは日の当たらない隙間だから、ちかげを目視で確認することは少しだけ困難である。
ぼんやりと姿が見えた時から、ちかげは、顔を伏せ、うずくまった状態だった。それでも、ちかげは泣いているように見えた。
いや泣いていたのだろう。
教室を出て行った時のちかげの顔は、今まで見たこともないような、悲しみに溢れていた。
俺は幼馴染なのに、なんであいつの気持ち一つわからないんだろうな。
そう、なんで泣いていたか、明確な答えは、まだ分からず仕舞いだ。
ひとまず俺は、ちかげに話しかけることにした。
「ちかげ、一体どうしたんだよ。急に教室飛び出して。」
と、質問をしたのだが、ちかげからは一切、言葉が返ってこなかった。
それに、ずっと下を向いたままだ。
しばらく同じようなことを言い続けたのだが、何をやっても変わらず、ちかげは無言のまま、少しも反応を示してはくれなかった。
午後の授業開始のチャイムが鳴り響いた。10分くらい経ったろうか。
それでもちかげはまだ無言のままで通している。そんな時に俺の脳裏に不安がよぎった。
『どうしてこんなに不安になるのだろう』
『なぜ俺は、彼女を悲しませているのだろう』
俺は思い出した。ちとせから好意を受けているかもしれないと、マサトから言われたとき、頭が混乱して、解決になど程遠く、あれこれ考えても、無限ループしていたことを。
今まさにその状況と一緒だ。どうすればちかげは口を開いてくれるのか、考えれば考えるほど、答えが出てこなくなってくる。
これ以上なんて言えばいいのか、幼馴染としてできることは、実はあまりなかったんじゃないかとさえ、思えてくる。
自分の不器用さに頭を掻き毟りたいくらいに、ほとほと呆れていた。
半ばあきらめかけていたその時、終始無言だったちかげが、なんと、おもむろに口を開いた。
「たける」
とても悲しそうな声でちかげはつぶやいた。
「たける」
今にも消え入りそうな声でちかげはまたつぶやいた。
「来て・・・くれたんだね」
そう言うと、ずっと下を向いていたちかげが、ようやく顔をこちらに向けてくれた。
これで少しは話せそうだ、と俺はホッとした。
「来て・・・くれるなんて思ってなかった」
蚊の鳴くような小さな声でちかげは続けた。
「わたしって」
ちかげは、また泣きそうだ。
「たけるに、嫌われてるのかな?」
ちかげは瞳に涙を浮かべながら、そう答えた。
俺は悲しそうな顔するちかげを見て、胸が苦しくなる。
それにしたって俺がちかげを嫌うわけがない。
うざいと言ったり、他愛ない話をスルーしたりすることはあるが、そういう風にしたとしても、ちかげを嫌うなんてことは絶対にない。絶対に。
俺は、ちかげにその思いを伝える。
「何言ってんだよ。俺がちかげを嫌いになるわけがないだろ」
と俺は強く答えた。するとちかげは予想外に、俺の意思とは裏腹な言葉を返してきた。
「ううん、ちがうの。そうじゃないの。」
ちかげはさっきより泣きそうな声で、
「私ね、自分で思っている以上に」
ちかげの瞳からは、涙が溢れてきていた。
「自分で思っている以上に、たけるの事が大好きなの」
え? 今なんて・・・。
茫然と立ち尽くす俺は、ちかげの話を真剣に聞く。
「小さいころに、いつも一緒に遊んでくれたたける、中学生になっても、一緒に私と過ごしてくれたたける、高校生になって少し会話するの減っちゃったけど、今のたけるも大好きなの」
笑顔で涙を浮かべてるちかげの話は続く。
「私さ、昔、とっても体が弱くて、外に遊びに行っても、砂場でお城作って遊ぶくらいしかできなかった。みんなみたいに鬼ごっこや、かくれんぼなんて、できなかった」
少し表情が曇ったちかげは続けた。
「それが何日も続いてた。私、外で遊ぶの嫌いだった」
さらに表情を曇らせながら、ちかげは続ける。
「でもね、その時一人の男の子が声をかけてくれたの。あたしの手を引っ張って」
少し動揺しながらも、そういえば、そんなことあったなと思う俺。
「その時、男の子は言ったの。かくれんぼなら、俺のとっておきの場所があるから、そこに隠れろよって。一緒にかくれんぼやろうって」
そうだな。俺はあの時、砂場で仲間外れになっていた女の子を見て、咄嗟に仲間に入れようと思ったからな。
「私、それがすごく嬉しかったの。それでね、私、その男の子みたいになりたいって思ったの。こんな風にいつも元気で、明るくて、友達もいて、新しい友達もすぐできる、そんな男の子の姿に」
ちかげは再び笑顔を取り戻し、話を続けた。
「でもやっぱ、ダメ・・・。すぐボロでちゃって」
ちかげはまた泣き出しそうだ。
「やっぱり、憧れだけじゃすぐに変わることなんてできないよね。私不器用だから」
ちかげはまた下を向いて泣いていた。
「だから、たけるに近づくなんて、おこがましいっていつもいつも思っていたの。思っていたのに」
ちかげはさらに顔を隠すようにして話す。
「いつも、ごめんね。私、すごく邪魔者さんだったでしょ?」
ちかげは頬に涙を流しながら、笑顔でこっちを向いた。
「だからね、これからはたけるの邪魔しない。たけるの嫌なことしない。もうたけるに、迷惑かけない」
ちかげは大粒の涙を流し、続けた。
「たけるは、たけるの思うように進んでいいんだよ。たけるの好きなように進んでいいんだよ」
俺は、なんてバカだったのだろう。
そんな風にちかげが思っていたなんて知らなかった。
軽い気持ちで受け取っていた。
俺は自分の頭の悪さ加減に頭にきていた。
いますぐにでも、誰かに、この頭を全て砕いてもらいたいくらいだ。
俺の今までしてきたことは、すべて罪じゃないか。
こんなに、自分のことを思ってくれている女の子が、すぐ傍にいたのに。
こんなに、自分のことに憧れている女の子が、すぐ傍にいたのに。
(どうして俺はッ、俺はァァッ)
泣いているちかげを前に、拳を見せることなんてできない。
俺は心の奥深くで、長い時間ずっと佇んでいた。
まわりの時間はさほど進んでいない。
にもかかわらず、俺には何時間分もの時が、流れたかのように思えた。
しかしながら、時間は俺を待ってくれない。
ちかげはハンカチで涙を拭きながら、この場を去る体勢に移っていた。
このままだと、ちかげが、ちかげがここからいなくなる。そんなの嫌だ。嫌だ。
俺は咄嗟に、ちかげの制服のすそを、ガッシリと掴んでいた。もう無意識だ。
俺は力強く言葉を発した。
「ちかげーッ!」




