4 笠原建造
午後三時。
ターキーの姿は無い。私は煙草を吸いに行く事にした。
煙草を吸うのは許可されていたが、1日一箱までという制限つきであった。
私はヘビースモーカーで1日三箱近く吸うため、これは実に厳しい試練だ。きちんと計画を立てて吸わないと1日が持たないと思った。
喫煙所は食堂の脇にあり、ちょっとしたテラスのようになっている。先客が一人居た。同じ部屋の高山という大人しい感じの若者だ。『こんにちは』
私が話しかけると高山君は少し笑って『こんにちは』と返す。
高山君は半分ほど吸った煙草を灰皿にちょんちょんと擦って消し、それをポケットに入れ喫煙所を出ていった。何故かここの患者達はこれが多い。
まあ私の場合は1日二十本制限なのだが十本制限の患者もいるし、これも計画的に吸うためのすべなのだろう。
高山君と入れ替わりに一人の男が入ってきた。彼は今朝食堂でいろいろ皆を仕切っていたようにみえた。
『こんにちは、僕は笠原、笠原建造といいます、どうぞよろしく。』
『あ、進藤です。よろしく』
その男は60代くらいで少々どもったような喋り方をする。
『僕はね、ここは長いから、何でも聞いてください。かれこれ30年近くいるから、ここの事は隅から隅まで分かるんです。へへへ』
私は驚いた、30年!? おそらく人生の半分はここで過ごしてたに違いない。馬鹿げている、見た感じ多少どもるだけであとは普通の人間となんら変わりなく見える…
『30年ですか、笠原さんは何でここに?』
『僕はね、精神分裂…まあ統合失調症なの、それと糖尿でね。嫁に入れられたのさ、一時は向こうの三号棟に入ってた時もあったが、ここに戻ってこれた。あそこは地獄だよ、こことは天と地の差がある、だいたいあそこに行くともう戻ってはこれんのだが僕は奇跡的に戻ってこれたんだよ。進藤さんだっけ、あなたは何でここに来たんです?』
『私は…その、自分でもよく分からないんです。自分が病気なのか、おかしくなったのか…』
『そうですか、だが僕には分かるよ、あなたはこんなとこに来るような人間じゃない。僕はね、目を見れば分かるんですよ。あなたはまともだよ。早く退院したほうがいい。』
『そうですかね…』
よく喋る人だと思った。隣のテーブルの上にターキーが居た。
ニヤニヤしながら私達のやり取りを見物している。
『あなたは僕が見る限りね、僕と同レベルですよ、会社でも重要なポジションに居るんじゃないの?僕はここの患者の中じゃ一番頭がいいし、別格なんですよ。いろんな本とか読んでるしね。』
『へぇ、凄いですね』
『火曜日、木曜日はね、レクリエーション室でカラオケ大会があるから来るといいですよ、楽しいですよ。』
『ええ、行ってみます。笠原さんは歌うんですか?』
『僕はムード歌謡が好きだね、みんないろいろ歌うけどやはり僕が一番上手いですよ、頭二つくらいは違うね。ヘへへ』
『なるほど、是非聞いてみたいですね』
ターキーがゲラゲラ笑っていた。私もなんだかおかしくなってきて笑いを堪えるのに必死だった。
『進藤さんね、ひとつ教えといてあげます。ここではモノのやり取りはあまりしない方がいいですよ。』
『やり取りといいますと?』
『例えば煙草を一本恵んでくれとか、後で返すから一本わけてくれとか言ってくる人間がいてもやっちゃ駄目ですよ、そういうのは癖になるしトラブルの元なんです。食べものなんかもそう、後で喧嘩の原因になったりもする。
だからそういう誘いに乗っちゃ駄目ですよ。』
『はあ、気をつけます。』
なるほど、こういう所でも暗黙のルールや人間同士のしがらみ、駆け引きなどが存在する。そしてそれを管理する病院のスタッフ連中もいろいろと大変なんだろうなと思う。
『実は僕もその煙草が原因でね、喧嘩しちゃったんですよ、もう10年前かな。相手は肋骨が折れたみたいでね、おかげで僕は保護室行き。
3ヶ月出てこれなかったね。』
『保護室ですか?』
『うん、閉鎖病棟ね。狭い部屋に小さな備え付けのベッドと自分じゃ水も流せないトイレがあるだけ。上にはカメラがついていてウンコしてるのも見られてるんです。最悪ですよ、あそこは。』
見ていると石田さんはだいたい常に口が半開きで目の焦点も時折おかしな感じがした。
一時間ほど話していたと思う。
あれほど人と話すのが面倒くさく、そして怖かった自分だったのによくこんなに会話が出来たと思った。
おそらく心の奥では誰かと話すことを望んでいたのだ。
喫煙所を出てベッドに戻った。
隣の石田さんがテレビを見ている。
長く入院している患者は自分専用のテレビを持ち込んでいる者が多い。
『退屈だろう、あんちゃん』
『まあ、そうですね。さっきまで喫煙所で笠原さんって人とずっと話してたんですよ。』
『ああ、わしはあまりあいつは好かねえな、調子いいんだよ』
『そうなんですか、聞いた話だと30年近くここにいるとか…』
『ここにいるしかねえのさ、死ぬまでな。他に行くとこなんてねえんだから。あいつだけじゃない、ここしか無いって奴はたくさんいるよ。』
『そうなんですか…』
笠原さんは62才だと言っていた。30年ここにいるのなら病院に来た時は32才、まだまだ働き盛りであり、人生を楽しむには最高の年代とも言える。何があったのかは知らないがそれから30年?…そして死ぬまでここで暮らす、それが笠原さんの人生なのか、人生の半分以上をここで…私は少し考えさせられた。そして自分のこれからの人生を想像し不安に襲われた。
私は夕食の時間まで外のベンチでぼんやりとしていた。
ターキーも私の隣でぼんやりと座っていた。