第五話 魍魅褊(其ノ一) 山谷堀の子河童
家康入府以前のこの地は渠等にとっては天国のような所であった。渠等・・・河童である。
広大な関東平野と入り組んだ河川はまさに渠等の楽園であった。入間川、荒川、利根川、更に石神井川、小石川、平川と大小数多くの河川が江戸湊、日比谷入江に注ぎ込む。人もはるかに少ない、河童たちは誰に気兼ねする事なくこの世の春を謳歌していた。人間に見られても辺り一面の葦の原がその姿を隠してくれた。しかし遥か昔からの営みが未来まで続くと思っていたところへ突然の民族大移動が押し寄せた。
北条氏が滅びた後の新たな領主の居城は日比谷入江の波打ち際、辺りは葦の生い茂る湿地帯である。このままでは家臣たちの寝る所さえ無い。武士だけではない、町人、商人、後に魚河岸問屋の祖となる漁師の一族、これらが大挙して押し寄せた。急ぎ城下町の形成をしなければならない。その為に河川改修と湿地帯の埋め立てが急ピッチで進められた。それが怖ろしいほどの速さで浸食されていったのだ。
河童たちは住み慣れた土地を放棄せざるを得なかった。だが中には人間の浸食に対して頑なに自分の棲み処を守ろうとする者もいた。------な~~に、人間なんかチョット脅してやれば怯えて逃げて行くさ、俺たち、物の怪の姿を見れば直ぐに腰を抜かして逃げて行くだろう。-----
渠等は高を括っていた。人間の恐ろしさを知らなかった。まだ戦国の殺伐とした空気が多分に残っていた時期である。入植した徳川家臣団だけでなく、北条の残党や改易で職にあぶれた浪人たちもこの新たな地に数多く入り込んでいるのだ。
渠等は刀を持っている。人間相手の辻斬りも横行していた時代だ。腰を抜かして逃げるどころか、物の怪相手に逃げ出す侍がいるはずもなく、人間を脅かそうとした河童たちは次々と殺されていった。 最早、ここに居場所はない。渠等は寂寞の思いを抱えたまま楽園を捨て、さらに奥の土地へ行くことを余儀なくされた。
-----なんでこうなったかなぁ、・・・人間があんな怖ろしい生き物だなんて知らなかったよ。
人間は俺達物の怪よりよっぽど怖ろしい、絶対に近づくなと子や孫へ固く語り継いでいった。
そののち、天下政道の中心地となった江戸城下はさらに拡大を続けて百万を超える世界最大の人口密集地となった。ここに魔物、物の怪の棲みつく余地は無くなった、はずであった。
しかし禁を破ってそこへ迷い込んだ河童たちがいる。迷い込んだというより、怖いもの見たさの好奇心を抑えきれなかった河童の子供たちだ。三人の子河童たちは山谷堀りの水陰に隠れ日本堤の上を行く人の流れを見ていた。もう夜の帳も落ちきったというのに、人の往来は益々盛ん。その先にあるのは、不夜城吉原、別の意味でこの子河童たちは恐ろしい場所へ迷い込んだかもしれない。
ほんの一刻程前、大人の目を盗んでやって来た彼らは王子権現に迷い込んでいた。荒川の上流から隅田川へ、そのまま下ればいいものを、どこでどう間違ったか、飛鳥山の麓、音無川(石神井川)に迷い込んでいた。夜の帳が落ち始めている。一刻足らずで辺りは闇に包まれるだろう。
「どこだここ・・・?」 「わかんない・・・」
「このあたり、周りの建物から旨そうな匂いが流れてくるよ。」
大名、旗本の乗物(籠)もお忍びで立ち寄る音無川周辺の華美壮麗な料理屋から流れてくる匂いは河童を誘惑するのに十分な魅力を秘めている。ともすればそこへ引き込まれるのを必死で我慢して先を急いだ。
「あぁ、旨そうな匂いだったなぁ、・・・人間って美味しいもの毎日食べてんのかなぁ・・・」
「たぶん、あれが料理屋って所じゃないかな。・・・それより江戸の町(中心部)はまだ先だぞ。ここまで来たら絶対人間の生活くらしを見てみたいよな。町にはあちこちに堀をめぐらしているから、そこからたぶん覗けるぞ。」
「しかしどこをどう行けば・・・」
子河童たちがさらに足を延ばした所は岩屋弁天だった。そこで酒盛りをしていた奇妙な一団と出会った。洞窟内で酒盛りをしていたのは数匹の狐と老人であった。狐と酒盛りをする人間などいるのだろうか、だがこの老人は雰囲気が違う、どうも人間ではないらしい、ということを感じ取った。一人が恐る恐る狐に話しかけた。
「あの、狐さん、そのお爺さんは人間なの?・・・」
「おや珍しい、近頃とんと見なくなった河童がこんなとこまで出てくるとは、しかも子供だけ三人とは、親の目を盗んで遊びに来たのかね。」「河童のお上のぼりさんとは珍しい。」
「うん、大人に黙って来ちゃった。」
「怪我をせんうちにとっとと帰れ。人間に捕まったら見世物小屋行きじゃ、一生出られんぞ。」
ヤケ酒?、を煽っている老人が河童に見向きもせず言い放った。
「いや、狐と酒盛りをしている人間なんて見たことないから・・・」
「あぁ、この人かい?、お前さんたちが感じ取ったように、このお人は普通の人間じゃないよ。無徳さん、っていう天狗様さ。つい先日長年大事にしてきた法具をお前さんたちみたいな子供たちに奪われてね。今ここでヤケ酒を飲んでる。」
「むとく・・・?」
「徳無し、才無し、無徳短才の天狗様ってことさ。」
「バカヤロ、ワシの名は杉山僧正じゃ、・・・まったく誰もその名で呼ばん。徳無し僧正なんて変な通り名付けやがって。」
「だって、あんたが徳や善行を積むような行いをしてるのを見たことないんだけど。」
「ご新造さんの行水覗いたり、怪しげな薬を売ったり、博打場に出入してたり・・・」
「それは、あれじゃ、・・・天狗として人を導くため、人の人情、生活風俗を知らんと、・・・
それに、奪われたんじゃなくて、法具のほうが、風神雷神が勝手に、ワシのいう事聞かずに、子供たちについて行った。」
「つまり愛想つかされたんだな。」「人を導くとはよくいったもんだ。」
「これこそまさに徳無し僧正。」
これを聞いて子河童たちも頷くところがあったようだ。
「わかったよ。河童でも人間でも徳を積まないとお宝に愛想つかされるってことだね。」
「よくわかってるじゃないか、坊やたち・・・さ、いつまでもこんな所にいないで親の所へ帰りな。それともまだ江戸見物がしたいかね?。」
「う~~ん、せっかくここまで来たのに・・・」
三人は顔を見合わせた。だがこの無責任天狗はこの子たちを煽るような一言を言ってしまった。
「な~~に、もう日も落ちている、川端から覗くだけなら見つからんじゃろ。陸に上がらなければ問題ない。あ、それより酒が切れたぞ。おい狐、もう一回女中に化けて料理屋から酒持って来い、料理も忘れんな。」
「それだから法具が愛想つかすんだって・・・わかんねぇのか、このバカは。」
「あれが人間か・・・」
「おそろし生き物には見えないけど、角も生えてないし、牙もないよ。」
子河童三人は狐たちに諭されて一旦は帰ろうとしたが方向を誤って飛鳥山の北側を流れる川に迷い込んだ。ここを下って行くと箕輪に出る。宗対馬守の下屋敷を直角に折れると山谷堀りに直結だ。その先が不夜城吉原だ。このまま隅田川へ出ればいいのだが、・・・その目に入ってきたのが日本堤の土手の賑やかさだ。三人は堀の水面からちょこっと顔を覗かせて、人間を観察していた。
「でも刀を持っている人間も大勢歩いているな。あれがたぶん侍ってやつなんだろう。」
一人が長老が語った昔話を思い出した。 たまたま河原で甲羅干しをしていた河童が人間(地元の百姓だろう)と出くわしたら双方驚いて取っ組み合いになった。しかし以外にも河童の方が力が強かった。人間はそのまま逃げてしまった。人間なんてこんなものか、と高を括って再び甲羅干しをしていたところへ、先程の百姓が二三の侍を連れて戻ってきた。彼らは河童を見つけるや否や、問答無用で切り付けてきた。命からがら河童は川の中へ逃れて事無きを得たという。
「やっぱり恐ろしいや、人間ってのは問答無用で切り付けてくるのかい。」
「今日はもう帰ろうや。河童の里じゃ騒ぎになってるかもね。竜丸(子河童の一人)の親父さんは怒ると物凄く怖いから。」
「あの親父はもう河童じゃなくてもうみだからな。」
「この堀を下れば隅田川に出るらしいから、あとはそれを遡れば里へ帰れるよ。また来よう。」
子河童たちの冒険は今日はここまで、大急ぎで帰ろうとするところへ、この子達の度肝を抜く出来事が襲い掛かった。高速船で名高い猪牙船ちょきぶねが彼らに突っ込んできたのだ。猪牙船は船首が尖り細長く揺れやすい、基本一人乗りである。それに二人で乗ったバカがいる。船頭が喚きながら、揺れながら、もの凄い勢いで・・・どこかで、見た顔だ。
柳橋の船宿から上機嫌で猪牙船に乗り込んだのは甚五郎と長吉である。この日日本橋新材木町にある中堅所の材木問屋が手狭になっていた屋敷見世の大改築を行った。
二度の大火災に見舞われた江戸の町に木材需要の高騰を見越してのことだったが・・・主はこの機に中堅から一気に大店へと駆け上がる野望を抱いていた。当然大工の甚五郎も棟上げの手伝いで呼ばれていたのだ。大工たちに配られたその日の手間賃も相当なものになったが、その後で餅と一緒に蒔かれた金(祝儀)までちゃっかり拾っていた。
「伊勢屋の旦那は御大尽、蔵の棟上げ手間賃弾んでご祝儀蒔いて、ついでに紅白餅を蒔く、とくらぁ、今日はいい事ありそうだ。」
「上棟式に蒔かれた銭を拾ったか、幾ら包んであった?、どうせ団子一串分だろ。」
「い~~や、そういうのがほとんどだけどな、懐紙に包まれ落ちてきたのは二朱銀二枚。」
「ゲッ~~、伊勢屋も弾んだな、俺も行けばよかった。」
「薬研堀の色薬師に願掛けして半年だ。全然ご利益よこさねぇからいい加減ぶち切れそうになってたけど、やっと俺の願いを聞き入れたってとこだな。・・・ツンツン連れ立つ商い上手、侠おい肌なる薬研堀、不動、金毘羅、歓喜天とくらぁ、やっぱり俺の日頃の心掛けが良いんだな。」
「な~~にを呑気な、それよりな、まとまった金が入ったんなら先ずは溜まった店賃を払ったほうがいいんじゃねぇの?。」
「あーー、バカなこと言うな、そんなことに使ったら厄払いができねぇだろ。」
「厄払い?。」
「いい事があった時は大抵、厄も一緒にくっついてきやがんのよ。だから先にそいつを払わなきゃいけねぇ。」
「そういやそうだ。で・・厄払いは何をする?。」
「観音様を拝みに行くに決まってんじゃねぇか。」
「浅草寺へお布施を納めるか、おめぇにしちゃ殊勝なことでなによりだ。」
「はぁ?・・・バッカじゃねぇの、そっちの観音様拝んでどうすんだってことだよ。」
「はっ?そっちじゃない・・・って、あ、あっちの観音様・・。」
「そういうこったぁーー、な~~に店賃なんて次にデッカイ仕事が入ったらドーンとまとめて払えばいいんだよ。さ~~て、日本堤を粋に流して歩こうぜ。」
徳八が聞いたらまた嘆くだろう。今度は何本抜けるだろうか、いやもう抜ける毛も残ってないはずだ。そんな差配の悩みなどこのバカ二人は知る由もない。浮かれ気分で柳橋から猪牙船に乗り込もうとした時、船頭から怒声が飛んだ。
「あほかー!おめぇら、田舎のおのぼりか、こいつに二人で乗るバカ見たことねぇぞ。猪牙船乗るにも作法があるぜ。後ろへ肘かけ、首を項垂れ、胡坐ひっかいて乗るにゃぁ一人分しか乗るとこねぇぞ。相方が肩車でもするかぁ。」
そんな乗り方をしたら一発で転覆するのは目に見えている。
「な~~にをべらぼうな、俺たちが田舎者に見えるのか。昼日中の浅葱裏(参勤交代の江戸詰めの田舎武士)と一緒にすんない。それよりここは船頭の腕の見せ所だぜ、二人乗ろうが三人乗ろうが、平気の平左で俺にまかしとけぃ、ぐらい言えねぇか。」
「持ち上げたって変わらねぇぞ、ひっくり返って大川に放り出されても文句はねぇな。・・あ、ひっくり返る前に先に船賃払え、一人百四十八文だから・・・二人で、え~~と、俺は掛け算ができねぇから、二人で大負けにまけといて、四百文だ。」
「ん・・・計算があわねぇんじゃねぇか、多くなってねぇか。」
「ごちゃごちゃ言うな、文句があるなら浅草寺の脇から馬道通って歩ってけ。」
「あぁ~~、もう大川に出ちまったじゃねぇか。フラフラ揺れてるけど大丈夫か?。」
「な~~に、大丈夫だろうぜ。この程度の波にビビッてたら観音様は拝めねぇ、それ行け、やれ行け、ドンと行けやぁ、おいらの姉さんが待ってるぜーー!」
「何がおいらの姉さんだ。花魁がてめぇ等なんざ相手にするか、てめぇ等、どうせ一切れ百文、割り床が関の山だろうがーー!」
とまぁ、こんな感じで猪牙船は揺れて振られて山谷堀まで転覆せずに行ければ御の字だったのだが、・・・こいつらがこの後の大騒動を引き起こす引き金になるとは誰も予想していなかった。
同じ頃、吉原仲之町にある妓楼の一郭に姉川黒有理の姿があった。湯島聖堂に勤める教授方の儒学者たちとの会合を持つ為であった。呼ばれた儒学者たちは辺りを憚る事なく普通に楼の中へ入って行った。
「あれまぁ、学者さんたちでもこんなところに来るんだねぇ。・・・」
「太夫たちへの講義かな、? あれも教養が必要らしいから。」
「だったら昼間来るんじゃねぇの。今時分やって来るのは・・・まぁ俺たちと然程中身は変わらねぇってことだろうぜ。」
遠巻きに見ていた客たちは何処かで吹聴するための噂のタネとしてこれを仕入れた。
妓楼扇屋の二階に花魁の座敷がある。黒有理はその部屋の主、玉露に嫉妬と憎しみを込めた強い力でしがみつかれていた。
「あぁ、やっと来てくれた。もう三月も放っておいて、私のことはとうに忘れた女の一人でありんすか・・。」
「お前の方こそ、俺はその他大勢の客の一人ではなかったのか・・・それに、こっちも暫く出歩ける状態ではなかったのでな・・」
「そんなことはありませぬ、・・・私の真実の男は三千世界にただ一人、私の真実はこれ・・・ここに。」
そう言って脚布を捲った足の付け根に彫られていたのは、------黒様命------
「これは誰にも見せませぬ。あなただけの・・・」
「まったく馬鹿なことをするものよ。消すのは大変だぞ、禿がうろたえて目を背けておるわ。」
「これは消さない、消すものか。取り巻きたちを下がらせてすぐにもあなたと二人きりになりたいのに・・・余計な部外者を連れてくるなんて・・・」
視線の先にいたのは白石平間であった。
「俺はお前の顔を見に来たわけではない。此処(妓楼)の主に頼まれたからだ。それに他にもまだ連れは来る。お前にとやかく言われる筋合いはない。」
杯を傾けながら黒有理はぶっきらぼうに応えた。
玉露花魁に付き従うのは年端も行かぬ禿二人と振袖新造、そして遊女の年季明けで娑婆に戻ったものの、行く当てなくまた妓楼に戻ってきた出戻りの番頭新造、略して番新・・・この番新を相手にして白石平馬が部屋の片隅で酒を飲んでいた。
「傾城の手練手管はよく見るが、ありゃぁ玉露太夫の方が本気だよ。けどあいつ女の扱いが分かってないね。あんまり女を邪険にすると夜叉になっちまうよ。」
「・・・・・知らぬわ、それより夜叉に食い殺されるというなら、人間のそういう死に様をこの目で見てみたいな。」
平馬は一瞬、最強の陰陽師が女に無様に殺される姿を想像してほくそ笑んだ。
(やつの死に様は案外そんなものかもしれん。虎ゃ蛇と対決して、格好よく死ぬなどそれは俺の願望ではないな。どうせなら思いっきり無様な死に様を見せてほしいものだ。)
やがて若い者に案内されて黒有理の表の仕事仲間、聖堂教授方の儒学者たち五六人が入って来た。
「ご苦労だった、こんなところへ呼び出して済まなかったな。」
「済まぬことがあるか、たまにはこんなところでの会合も乙なものだ。いつ呼び出してくれても構わん。」
「それより姉川、暫く聖堂の方に出仕していなかったが、・・・なにか怪我をしたとか、聞いたが、大丈夫なのか・・・」
「いや大したことはない、猫にひっかかれた程度だ。見栄えが悪いので出仕を遠慮しておいた。
それよりここを使ったのは、主に頼まれてな、会合をやるなら料理屋ばかりでなくウチも使ってくれと泣きつかれた。」
「然もあらん、大名の出入りが絶えてからここ(吉原)を接待で使うのはとんとおらん。今では深川や飛鳥山に客を取られているからな。」
「深川のつっ伏し茶屋の如きは此処の花魁たちを凌駕すると聞くぞ。」
「むこうでも芸者が内密に客を取るのはざらにあるからな、おまけに美人が多いらしい。」
「そのうち吉原も寂れていくのではないか・・・」
かつての栄華を誇った吉原もその勢いは薄れつつある。吉原の楼主たちは度々吉原以外の私娼の取り締まりを幕府に願い出て、深川芸者(深川七場所)の取り締まりを強化したがそれでも吉原の衰退を止めることはできなかったようだ。嘉永の頃には吉原の見世、百軒近くに売家の貼り紙が出たという。
「さて、楽しみは後にして、先に話を済まそうか。ところで姉川・・・そっちの男はおぬしの連れか・・・?」 儒学者の一人が黒有理に尋ねた。
「その男は俺の別の仕事仲間でな、先日、詰まらぬいざこざで仲違いをしたのでな、その和解をかねてここへ招待したまでよ。心配いらぬ。ここでのことを外に洩らす男ではない。」
「しかし・・・」
「別に構わんよ。気になるなら俺は座をはずすさ、お前さんたちの会合に俺は興味がない。心配するな。そっちの商売を表沙汰にする気はない。」
「むっ・・・」 儒学者たちが不快の表情を示した。
「商売とは・・・・人聞きが悪いな。」「我らがやっているのは人助けよ。」
「ものは言いようだな、大体の察しはついているさ。さて、隣で女たちの相手でもしていようか。」
平間は黒有理に言われる前に花魁と禿たちを奥の部屋へ移した。
「さてと・・・姉川、今年は何人だ?。」 「例年通りか・・・?」
「十人・・・かな。」
「なんと!。」 儒学者たちが驚きの声を上げた。
「馬鹿が増えたな・・・」呆れた声を上げた者もいた。
「そう言うな、その分こっちの実入りになる。」
「それはそうだが、世話をするこっちも大変だぞ。何はともあれ、合格してくれれば何も問題ないが・・・。」
「こんな所で仕事の話しなんて野暮だねぇ、ここは浮世を忘れて騒ぐとこなのに、学者さんたちってそんなに仕事熱心なのかい?。」 番新が平間に尋ねた。
「仕事じゃない、小遣い稼ぎさ。学者だから聖人君子というわけではない。」
「小遣い稼ぎ?。」
「ここでのことは口を噤んでいることだ。外に洩らすなよ。黒有理というやつは・・・結構危険だぞ。命を落とすことになるかもしれん。」
幕府学問所の湯島聖堂、ここに春秋二回の試験あり・・・素読吟味と学問吟味・・・
元禄四年、五代綱吉が忍ヶ丘の上野境内から湯島へ遷座した孔子廟だが設立当初は受講生はかなり少なかったようだ。毎朝四ツ頃より勝手次第に講義を聴くことは出来たのだが、文を疎かにする武士たちも多かったようだ。たいして面白くもない講義を聴いても退屈なだけという風潮も蔓延していた。これを憂いたのがその時の大学頭、林信充で寺社奉行松平玄蕃へ上書した。
それによると・・・・心無き者文学は御廃止と申すようあい心得候間、学問所出席人も追々減少仕り、御座敷定日など有名無実の姿で嘆かわしき次第に存じ奉り候・・・・とその頃の風潮を嘆いている。既に世が固まり政治は武士という名の官僚が動かしている。文を疎かにして如何に政まつりごとができようか。儒学は治国済民の方である。政治学であり、法律であり、経済学である。武士として生まれたる者は武を購ずると共に文を修める義務がある。
「馬鹿を官僚の役職につける気か!。」 「役に付ける人物を選ぶなら学問所で勤勉に励んだ者を途用すべきである。」
かくして聖堂春秋二度の大試験の一つ素読吟味は十一月、十二歳の男子は聖堂において居並ぶ監督官(儒者)の前で四書五経の素読をおこなう。これに合格しなければたとえ名門の家に生まれても親の跡目は継げなかった。落第すれば次の年に再試験をうけることは出来た。しかし三度おちれば受験資格は失う。 学問吟味は筆記試験である。これは三年に一度、五日間に渡り執り行われる。四書五経、歴史和解、さらに兵学にまで及ぶ。それぞれ出された問題に筆記で答えなければならない。最終日は文章(論文)である。論文は文体より分かりやすさを求められた。優秀な成績を納めたからといって直ぐに役に付けるわけではないが人材登用の基準になる。この試験問題の作成は受講生への漏洩を避けるため秘密厳守とされた。
素読吟味に合格しなければ息子は跡を継げない、学問吟味で答案をまともに書けない、・・・
倅は出来が悪い・・・成績は老中、若年寄に報告が上がる。一門の恥を回避するには、親はどうするだろうか・・
手立ては一つ、試験問題が前もって分かればいいのだ。試験で手心を加えてもらえばいいのだ。素読吟味で、ここを読ませるから覚えておけ、学問吟味でこういう問題を出すから、その答えはこうであるから今から頭に叩きこんでおけ、と前もって時間をかけて覚えさせればなんとか格好はつくだろう。 何時ぞやの湯島天神での旗本による黒有理への接待は、・・・まさにこれであった。黒有理はこの試験問題の作成に深く関わっていた。試験当日は責任者の奥儒者の他、監督役の教授方も居並ぶ。当然黒有理一人ではなしえない。仲間が必要だ。この謀議に組していない者も多数いる。この夜の会合はその事前準備であった。
「しかしまだ先の話しだろう。」 「十人、今から覚えさせねばならんからだよ。」
「まったく、子供用に書かれた蒙求でさえ二三年もしたら忘れているくらいだからな。」
「・・・雀より劣るか・・」(観学院の雀は蒙求を囀えずる)
「徳川の世も長くはないか・・・」
会合を終えてそれぞれに遊女たちの部屋へ下がろうとした時であった。何やら外が騒がしいことになっている。見世の客たちは-----また喧嘩騒ぎか-----と思っていたが、騒ぎは廓の外だ。二階から覗くと表にいた客たちが一斉に大門を出て外へ向かっているのが見える。
「何があった?・・・」 「客同士のケンカだろう。」
黒有理、平間も最初ただの喧嘩騒ぎと気にも止めずにいたが、そこに微かに妖気が流れてくるのを感じ取った。(弱いが、人の気配ではない・・・) 「衣紋坂の方からだな。」
二人も野次馬に混じって行ってみることにした。
まさにこの直前、水面から顔を出していた河童たちに甚五郎と長吉が乗った猪牙船が制御不能の体で突っ込み激突したのだ。
「うわぁぁぁぁ!、竜丸ーー。」「竜丸が吹っ飛んだーー!。」
甚五郎と長吉、船頭も堀に投げ出された。
「あわわわーーぁー!、」「何が起きた~~~。」
猪牙船は転覆、船頭がアップアップで溺れかかっている。土手の上の通行人たちにもこの事故は直ぐに目に飛び込んできた。
「何だ、何だァ、猪牙船がひっくり返ってるぜ、こいつに二人で乗りこんだやつがいるのか ?、ひっくり返ってあたりめぇだ。」 「とにかく溺れてるやつ助けろ。」
救助活動をしていた者たちが見たのは船の傍で蠢いている謎の生物?、を見つけた-----河童だ。それも小さい。
「あ、あれは・・・河童だぁ!、」「捕まえろ、逃がすな。」「船を出せ。竹竿持って来い。」
日本堤の土手の上は騒然となった。
男たちは引っ張り上げた甚五郎と長吉をまた放り投げて一斉に河童の確保に向かった。
「あ、・・・あぁ、バカ、やめて、こっちを先に助けて・・・。」
三人(船頭も)はまた川に放り込まれた。
「お、俺の財布がぁ~~、川の中へ落ちたーー、長さ~~ん、探してくれ~~。」
「バカ・・・言う・な・・・それどころ・・・じゃない・・・溺れる。」
子河童の一人竜丸は頭から血を流し、気絶している。残り二人(鯉丸、瓜助という)は竜丸を抱えてその場を脱出しようとしたが、船まで出されて周りを囲まれ、水面を棒で叩かれ、逃げ場を失った。さらに投網を持ち出してきた者もいた。遂に三人は捉えられ、土手の上に上げられた。
竜丸が引きずり出され、人間の手がかかろうかとしたその時、瓜助が反撃に出た。網を破って人間に襲いかかった。以外にも子供ながらに力が強い。鯉丸も人間に向かっていった。
河童に手首を掴まれた人間は骨が折れてしまった。これは逆効果だった。人間を逆上させてしまった。「棒でぶっ叩け、動けねぇようにするんだ。」
既に気を失った竜丸は人の手に落ちた。この時、袋叩きにされた子河童たちを対岸から援護した者がいた。岩屋弁天にいた狐たちだ。狐たちは妖術を使い、葉っぱを鋭い刃に変えて飛ばしたのだ。刃は河童の周りにいる人間たちを次々と倒していった。
「今のうちに逃げろ。」「だからサッサと帰れって言ったんだ。」
しかし鯉丸も瓜助も竜丸をそのままにして逃げ出すわけにはいかなかった。オロオロするばかりだった。 「俺たちが援護するから、とにかく一旦逃げろ。」
狐の援護射撃が人間に向かったその瞬間、狐刃が全て弾かれて人間たちを守った、と同時に多数の小さい三日月の刃が狐たちに向かって飛んで来た。辛うじて躱したものもいたが二匹が絶命した。残った狐たちがその男を見て顔が蒼ざめた。
「ゲッ!、あ、あれ・・・あの男・・・」
「・・・江戸城の大蛇の、手下、・・・この近くにいたのか。」
「ヤ、ヤバい・・・こっちが殺られる。」 急ぎ子河童二人にそいつから離れろ!、逃げろと声をかけた。竜丸は既に黒有理に首を掴まれて項垂れていたが、まだ息はあるようだ。鯉丸、瓜助は友達を助けられずに逃げなければならなくなったことに涙を流しながらその場を逃れた。
(王子の狐どもか・・・大した妖力を使う)「さて、こいつをどうするか・・・。」
黒有理は虫の息の竜丸(子河童)を掲げて儒学者たちに聞いた。
「使い道は一つだろう。見世物小屋行きだ。」
「これは高く売れるだろうな。作り物の木乃伊じゃない生身の河童だ。」
「これはくれてやる。お前たちの小遣いのたしになる、好きに使え。」
黒有理と平間は子河童を儒学者たちに預けてその場を後にした。土手の上に魂が抜けたような姿で甚五郎と長吉がへたり込んでいた。後には二人のすすり泣きしか聞こえなかった。
鯉丸と瓜助は難を逃れ、辺りが田地になった所で狐たちと合流した。
「びっくりしたなぁ、アイツがあそこにいるなんて。」
狐は命拾いをした、という感じで話した。
「それでもお前さんたちだけでも助かって良かったよ。」
「・・・・・よくない。」鯉丸が小声でポツリと言った。「こんなことになるなんて・・・。」
「俺たちのせいで竜丸が大変な目にあってしまった。死んじゃうかもしれない。」
「嫌がるのを無理やり連れてきたから・・・。」
とうとう二人で大声を上げて泣き出した。
「死んだわけじゃない、まだ無事だろう。人間は珍しいものは見世物小屋にかけるから、多分奪い返す機会は・・・ある。」
「狐さん、手伝ってくれるの?。」
「う~~ん、アイツがいない時を見計らえば・・なんとかな・・・。」
「こんなことが竜丸の親父さんに知れたら、大変なことになる。」
「俺たちすんげぇ怒られる・・・。」
「それだけじゃない、関わった人間を皆殺しにするぞ。町一つぶっ壊すかもしれない。」
狐が目を丸くして聞き返した。
「ハッ?・・な、なんだそれ・・・いくら河童でもそんな奴いないだろう。」
「あいつの親父さんはもうみだ。とんでもない化け物だ。」
「もうみ・・・魍魅か!、・・・水辺に棲む怪物・・・水虎だな・・。」
「しかし、黙ってる訳にはいかないだろ。やはり里には知らせないと・・・。」
瓜助は覚悟を決めて言葉を発した。
「鯉丸・・・お前、里に戻ってこれを知らせてくれ。俺はここに残って竜丸が捕まっている所を捜す。・・・見世物小屋ならたぶんすぐ見つかるよ。」
「あの男は君たちの仲間を売り払ったらあとは関知しないだろう。助け出す機会は必ず出来る。
まぁ、無理はしないことだ。その親父さんが出て来る前に方かたを付けたほうがいいな。」
「うん、そうする、必ず竜丸を見つける。じゃあ鯉丸、頼んだぞ。」
「うん、なんとか上手くごまかせるように計らってみる。瓜助も無理すんなよ。」
二人は互いに念を押すようにそこで別れた。
一番近い見世物小屋がある所は浅草寺の奥山だ、瓜助は狐に案内されてそこへ向かった。
「狐さんは大丈夫?、キツネのままで歩いてたら人間に見つかるんじゃないの。」
「な~~に、途中で角付けにでも化けるさ。それよりお前は川から顔を出すなよ。」
狐たちと瓜助は暗闇の中を江戸の中心部へ向かって歩きだした。
第五話 魍魅編 其ノ一 完
参考文献 徳川制度(下) 岩波文庫
江戸吉原図聚 三谷一馬 中央文庫
次回 魍魅編(其二)




