爆発させる魔法の扱いについて
近年のなろう系作品では、現代科学の知識を異世界へ持ち込み、魔法を効率的に運用するという設定が非常に多く見られる。主人公が科学知識を武器に既存の魔法体系を改良し、周囲を驚かせるという展開は定番となっており、読者にも人気が高い。
しかし、その一方で、実際には科学的整合性が失われている作品も少なくない。
ある作品では、「魔法で直接爆発を起こすよりも、水素爆発を利用した方が精度が良い」と説明されていた。
一見すると科学を応用した高度な魔法のように見えるが、実際にその内容を考えてみると非効率になっていると言わざるを得ない。
まず、その魔法の工程を整理してみよう。
第一に、魔力を使って水を分解する。
第二に、分解によって酸素と水素を生成する。
第三に、それらを適切な割合で混合する。
第四に、魔力で着火して爆発を起こす。
つまり、現実世界でいう電気分解を魔力で再現し、その後の着火まで魔力で行っているのである。
ここで疑問になるのは、「そこまで魔力を自由自在に制御できるのであれば、なぜ直接爆発を起こさないのか」という点である。
爆発とは、短時間に大量のエネルギーを放出する現象に過ぎない。
もし魔力で水分子を一つ一つ分解できるほど精密なエネルギー制御が可能であり、さらに水素と酸素を生成し、混合し、最後に着火までできるのであれば、その魔力を直接爆発現象へ変換した方がはるかに合理的である。
魔力から爆発を起こせない理由が存在するのであれば話は別だが、そのような制約が作品内で説明されていない以上、「遠回りをしているだけ」という印象になってしまう。
しかも、水を分解するという工程自体が莫大なエネルギーを必要とする。
現実世界では、水は非常に安定した化合物であり、電気分解には継続的なエネルギー供給が不可欠である。
水素が燃焼すると大きなエネルギーを放出するが、それは水を分解する際に投入したエネルギーを取り戻しているだけであり、エネルギーが新たに生み出されているわけではない。
エネルギー保存則を考えれば当然である。
実際には電気分解にも燃焼にも損失が存在するため、
「魔力→水を分解→水素を燃焼→爆発」
という工程は、
「魔力→爆発」
より効率が良くなることはない。
むしろ途中工程が増える分だけ、理論上は損失が増える。
精度を重視しながら、効率は悪くなっているのである。
さらに気になったのは、その作品では雨が降っている状況で魔法を使用していたことである。
つまり、降っている雨水を分解して水素を取り出しているという設定になる。
しかし、これも科学的に考えると問題がある。
確かに雨が降っていれば、空気中の水蒸気を利用する場合と比べて利用できる水の量は格段に多い。
とはいえ、一瞬で莫大な量の水素を得られるわけではない。
例えば大雨であっても、一平方メートル当たりに降る雨量は一時間で数十ミリ程度であり、それを質量に換算しても数十キログラム程度の水に過ぎない。
さらに、水は質量の約89%が酸素であり、水素は約11%しか含まれていない。
つまり、仮に降っている雨水をすべて瞬時に電気分解できたとしても、得られる水素の量は水の質量の約11%に限られる。
作品中では巨大な爆発が描写されていたが、それほどの爆発を引き起こすだけの水素を、降っている雨だけから瞬時に取り出すには極めて広い範囲の雨を同時に集めて分解しなければならない。
しかも、そのためには膨大なエネルギーを電気分解に投入する必要があり、結局は「雨から水素を取り出して爆発させる」よりも、最初からそのエネルギーを直接爆発や熱エネルギーとして放出した方が、はるかに効率的であると言わざるを得ない。
もし本当に大量の水分を集めているのであれば、それだけでも周囲の空気が急激に乾燥するような描写が必要になるだろう。
もちろん、「魔法だから大量に集められる」という設定にすることは可能である。
しかし、それならば結局のところ魔法が万能なのであって、科学を説明に持ち出す意味はほとんどなくなる。
また、水素爆発そのものについても誤解されがちな点がある。
水素は酸素と適切な割合で混合され、さらに火花や高温などの着火源があって初めて急激な燃焼反応が起こる。
つまり、生成した水素と酸素を適切な濃度で混ぜ、その状態を維持し、最後に着火するという複数の工程が必要になる。
この時点で、魔法は分子レベルの精密な制御を行っていることになる。
そこまで細かな制御能力を持つ魔法ならば、なおさら直接爆発を起こす方が自然ではないかという疑問が生じる。
結局、このような設定の問題点は、「科学的」という言葉だけが独り歩きしていることにある。
科学用語を並べれば科学的になるわけではない。
科学とは、原因と結果が論理的につながり、一貫した法則に従うことで初めて成立する。
一部分だけ現実世界の物理法則を引用し、都合の悪い部分だけ魔法で片付けてしまえば、それは科学ではなく「科学っぽい演出」に過ぎない。
もちろん、ファンタジー作品に現実の科学を完全に適用する必要はない。
魔法が存在する世界なのだから、現実とは異なる法則があってもよい。
例えば、「魔法では物質を直接生成できない」「爆発という現象そのものは作れないが、化学反応を促進することはできる」といった独自ルールを設定すれば、それはその世界の法則として受け入れられる。
しかし、その制約を示さずに「科学的だから精度が高い」とだけ説明すると、かえって読者は現実の科学と比較してしまう。
その結果、「そこまで高度な魔法が使えるなら、もっと簡単な方法があるのではないか」という疑問が生まれてしまうのである。
科学と魔法を組み合わせるという発想自体は非常に魅力的であり、うまく描けば作品の大きな個性になる。
しかし、科学を取り入れるのであれば、その論理は最後まで一貫していなければならない。中途半端に現実の科学を引用するくらいなら、「魔法だから可能である」と割り切った方が、むしろ世界観としての説得力は高まる場合も多い。
科学と魔法は対立する概念ではない。しかし両者を融合させるのであれば、科学を飾りとして使うのではなく、その理屈まで含めて丁寧に構築することが重要なのである。




