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ヒロインを排除したら、断罪ルートが消えました

作者: 彩戸ゆめ
掲載日:2026/02/17

 目を開けた瞬間、天蓋付きのベッドが視界を埋めた。


 絹のカーテン越しに差し込む朝日。肌に触れるシーツは、前世で買った一番高いタオルケットより遥かに上等で、鼻先をくすぐる花の香りは間違いなく生花だ。


 ――これ、夢じゃないな。


 私は三十一歳、広告代理店勤務の社畜だった。終電が友達、始発が恋人、仮眠室が実家より居心地がいいと感じ始めた時点で人生の何かが壊れていたのだと思う。

 最後の記憶は、七十二時間ぶりの帰宅途中に見た、やけに近い地面の映像。おそらく過労で倒れたのだろう。


 そして目が覚めたら――乙女ゲーム『聖なる花の誓い(フルール・サクレ)』の悪役令嬢、ユリアーナ・ヴァイスフェルトになっていた。


 記憶が二重に流れ込んできたのは目覚めてすぐのことだった。公爵令嬢として生まれ、王太子マクシミリアンの婚約者として育てられた十五年間の記憶と、社畜として擦り減った三十一年間の記憶。

 二つが混ざり合って頭が割れそうだった。


 ベッドの上で膝を抱え、私は状況を整理した。


 『聖なる花の誓い』略称『フルサク』。同期の子が激推ししていて、タクシー待ちの暇つぶしに一周だけプレイした乙女ゲームだ。


 でも社畜の記憶力を舐めないでほしい。プレゼンの前日に百ページの企画書を暗記する生活を五年続ければ、一周分のシナリオくらい脳に刻まれる。


 ゲームの舞台は王立ローゼンハイム学園。聖属性を持つ平民の少女ミリアが入学し、五人の攻略対象と恋に落ちる王道ストーリーだ。


 そして悪役令嬢ユリアーナは、攻略対象の筆頭である王太子マクシミリアンの婚約者として、ヒロインに嫉妬し、嫌がらせを重ね、最後は卒業パーティーで公開断罪される。


 ルートによって処分は異なるが、最も重いもので家から除名されて国外追放。軽くても婚約破棄されて社交界追放。どのルートでも、ユリアーナに未来はない。


「……冗談じゃないわ」


 声に出すと、鈴を転がすような少女の声が返ってきた。


 鏡を見れば、プラチナブロンドの髪に紫水晶の瞳の美少女がいる。完璧に整った顔立ちは、ゲームのスチルそのままだ。


 かつての自分からは想像できないほど、文句なしの美少女だ。だが美少女であることと断罪されないことは別問題である。


 私は前世の癖で、指先で空中にリストを書いた。


 悪役令嬢が断罪される理由は、だいたい三つだ。


 一、ヒロインへの嫌がらせ。

 二、権力の濫用。

 三、悪評の捏造――噂好きの令嬢たちが尾ひれをつけて広める。


 この三つが重なって、卒業パーティーでの断罪に至る。逆に言えば、三つを潰せば断罪は発生しない。


 ヒロインへの嫌がらせ?

 するわけがない。前世で散々パワハラ上司に苦しめられた私が、無関係の少女をいじめるはずがない。


 権力の濫用?

 少し工夫がいるが、公爵令嬢の権力を「私利私欲」ではなく「国益」にすり替えればいい。


 悪評の捏造?

 これが一番厄介だ。ゲームでは、ユリアーナが何もしていなくても、取り巻きの令嬢たちが勝手に噂を広め、それが既成事実化される。つまり噂の発生源そのものを潰す必要がある。


 そして何より、断罪を回避する最も確実な方法がある。

 ヒロインとの接触機会そのものをなくしてしまえばいい。


 殺す?

 論外だ。平民とはいえ聖属性の持ち主を殺せば、断罪どころでは済まない。

 だが「学園から合法的にいなくなってもらう」なら話は別だ。


 私は枕元の羽根ペンを取り、いらなくなった紙の裏に書き殴った。


【作戦名:ヒロイン円満退場計画】


 社畜時代に叩き込まれた段取り力が、異世界で火を噴く。

 見てなさい。絶対に断罪なんてされないんだから。




 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇




 着々と準備を進めているうちに、学園入学まで残り三ヶ月となった。


 まず私が手をつけたのは「王立魔導研究院」の特待生制度だ。


 この世界において、聖属性は極めて希少な魔力属性である。攻撃魔法には向かないが、治癒・浄化・結界の三分野で替えの利かない力を持つ。


 ゲームではその設定はヒロインの「特別感」を演出するための舞台装置に過ぎなかったが、現実として考えれば、聖属性の持ち主を恋愛の花園に放り込むのは国家的損失だ。


 王立魔導研究院は学園とは別の機関で、実践的な魔導研究を行う最高学府。ここに「聖属性特別研究枠」を新設させる。それが私の第一手だった。


 とはいえ、十五歳の令嬢が「研究枠を作ってください」と言って通るほど、この国の官僚機構は甘くない。だから私は父を使った。


「お父様、少しお時間をいただけますか」


 書斎を訪ねると、父、ヴァイスフェルト公爵ヴィルヘルムは書類の山から顔を上げた。


 ゲームではただ「厳格な父」としか描写されなかったが、実際に話してみると、この人は根っからの政治家なので、論理で話せば論理で返してくれる。


「珍しいな、ユリアーナ。何の用だ」

「聖属性の研究体制について、提案があります」


 父の眉がぴくりと動いた。


 私は準備しておいた資料を並べた。過去五十年間の聖属性保有者の出現率、現在の研究体制の不備、近隣諸国との比較データ。

 全て公爵家の書庫から引っ張り出したものだ。


 社畜時代、クライアントを説得するために徹夜でデータを集めた経験が、まさかこんなところで役に立つとは。


「現在、聖属性の保有者が確認された場合、特別な研究教育の枠組みが存在しません。学園の一般課程に組み込まれるのみです。ですが、隣国アルテシアでは十年前に聖属性専門の研究機関を設立し早期に専門教育を実施した結果、治癒魔法の効率が三割向上したと報告されています」


 父は資料を一枚一枚読み、時折頷いた。


「……続けなさい」


 よし。つかみはオッケー。畳み込むわよ。


「わが国も王立魔導研究院に聖属性特別研究枠を設置し、該当者を特待生として迎え入れる制度を提案します。研究成果は国に還元され、人材を戦略的に育成できます。費用対効果の試算はこちらです」


 王立魔導研究院は身分を問わず活躍できる場だが、学園の卒業資格がないと入れない。いわば前世で言う大学院のようなものだ。


 だが聖属性のような専門性が高い魔力を持つものが、一般の生徒たちと同じような勉強を必要とするだろうか。


 平民出身の生徒の中には、学業についていけず退学し、その専門性への道を閉ざされた者もいるだろう。


 もちろん一般常識は必要だが、女生徒に課される授業の一環としてお茶の淹れ方を覚えて、何に活かせというのか。


 私が資料の最後の一枚を差し出すと、父はしばらく沈黙した。そして、口元に微かな笑みを浮かべた。


「ユリアーナ。よく考えたな」

「お父様の教育の賜物です」


 嘘である。社畜十年の賜物だ。


 仕事の早い父は、さっそく宰相に書簡を送った。


 そして一ヶ月後、宰相から「検討に値する」との返答があった。

 さらに入学一ヶ月前には、王立魔導研究院に「聖属性特別研究枠」の設置が正式に承認された。


 これで第一関門、突破。


 しかし制度を作っただけでは意味がない。

 ヒロインのミリア・レーヴェンが自らの意思でそちらを選ぶように誘導しなければならない。


 無理やり送り込めば「権力の濫用」になるから、あくまで本人が望む形で。


 ゲームの記憶を辿る。


 ミリアは聖属性に誇りを持っているが、学園では「平民」という出自のせいで居心地の悪い思いをしていた。


 恋愛イベントの大半は、攻略対象がミリアを庇う場面から始まる。つまりミリアにとって、学園は「恋愛の場」であると同時に「身分差に苦しむ場」でもある。


 ならば、もし学園より前に、聖属性を正当に評価し、身分に関係なく研究に打ち込める環境を提示したら?


 少なくとも、選択肢として真剣に検討するはずだ。


 そこで私は父に頼んでしっかりと根回しをした上で、入学式の二週間前に王太子マクシミリアンに手紙を書いた。


「聖属性保有者の入学が確認されたと伺いました。つきましては、先日設立された研究院の特別研究枠について、該当者にご案内いただけないでしょうか。王太子殿下からのご推薦があれば、本人も安心されるかと存じます」


 ここがポイントだ。私が直接ミリアに接触すれば、「悪役令嬢がヒロインに何かした」という構図が生まれる。


 だがマクシミリアンを経由すれば、それは「王太子の英断」になる。


 どちらにとってもWin-Winでいう事なしだ。


 マクシミリアンからの返信は三日後に届いた。


『聖属性の人材を適切に育成することは王家の責務でもある。さっそく手配しよう。研究院の特別研究枠については、ユリアーナの提案だと聞いた。とても素晴らしい』


 ……褒められた。

 ゲームでは冷淡な態度しか見せなかったマクシミリアンに、褒められた。


 少しだけ頬が熱くなった。

 いや、これは作戦の一環だ。感情を挟むな。社畜は感情で仕事をしない。


 入学式の一週間前、ミリア・レーヴェンの元に王太子名義の書簡が届いた。「聖属性特別研究枠」の案内と、特待生としての待遇説明。


 学費全額免除、研究費支給、専用の実験設備、そして身分に関係なく実力で評価される環境。


 ミリアの返答は入学式の三日前に届いた。


「謹んでお受けいたします」


 やったわ! これでヒロインは、学園ルートから離脱した!

 私は自室で小さくガッツポーズをした。




 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇




 だが、ヒロインが学園にいなくなっただけでは、まだ安心できない。

 ゲームの恋愛イベントは学園内で発生するが、攻略対象が暇であれば、研究院に「偶然」足を運ぶ展開もあり得る。


 この世界はゲームの延長であると同時に、ゲームを超えた現実でもある。想定外の接触は、想定外のフラグを立てかねない。


 だから次の手は「攻略対象たちの放課後を潰す」ことだった。


 攻略対象は五人。


 王太子マクシミリアン。

 宰相の息子リヒャルト。

 騎士団長の息子バルトロウ。

 天才魔導師ユリウス。

 平民出身の奨学生セバスティアン。


 この五人の放課後を、恋愛イベントが入る隙もないほど公務と改革プロジェクトで埋め尽くせばいい。


 幸い、この国には改革すべき課題が山積みだった。

 ゲームでは華やかな学園生活の背景に過ぎなかった社会問題が、現実として目の前にある。


 そこで私は、入学式の翌日に、生徒会室でマクシミリアンに提案した。


「殿下。学園在学中に実施可能な改革案を五つまとめました」


 テーブルに広げた資料を、マクシミリアンは目を丸くして見た。


「五つ? 入学二日目でか?」

「入学前から準備しておりました。将来の王妃として、殿下のお力になりたいと考えておりますので」


 これも嘘ではない。断罪を回避するためにはマクシミリアンとの関係を良好に保つ必要があり、そのためには「有能な婚約者」であり続けるのが最善だ。


 提案の内容はこうだ。

 平民向け初等教育の拡充をセバスティアンに。

 騎士団の訓練制度改革をバルトロウに。

 魔導研究の民間応用推進をユリウスに。

 外交政策の見直し提言書作成をリヒャルトに。

 そして上記四案の統括と王への上奏をマクシミリアンに。


 各攻略対象の得意分野に合わせて、彼らが「やりがいを感じる」プロジェクトを割り振った。


 広告代理店でクライアントの課題を分析し、最適なチーム編成を組む仕事を何百回とやってきた。人を動かすには、命令ではなく「本人がやりたいと思う仕事」を与えるのが鉄則だ。


 マクシミリアンは資料を読み終えると、深く息を吐いた。


「……正直に言おう、ユリアーナ。君がここまで有能だとは思わなかった」

「まあ。それはひどいですわ」


「すまない。だが、この提案は素晴らしい。特に平民教育の拡充は、私が即位したら真っ先にやりたいと思っていたことだ」


 マクシミリアンの青い目が真剣な光を帯びた。ゲームでは見たことのない表情だった。


「協力してくれるか、ユリアーナ」

「もちろんです。それが私の役目ですから」


 こうして「王太子主導の学園改革プロジェクト」が始動した。


 攻略対象五人は放課後のほぼ全てをプロジェクトに費やすことになり、恋愛イベントが発生する「放課後の中庭」「図書館の隠し部屋」「月光の噴水前」といったスポットに出没する暇は消滅した。


 しかもこの改革は実際に国のためになる。権力の濫用ではなく国益のための行動だ。


 断罪理由の二番目も、これで潰せる。


 ただ、一つだけ想定外のことがあった。プロジェクトを進めるうちに、攻略対象たちとの距離が近くなりすぎたのだ。


 リヒャルトが銀髪をかき上げながら「ユリアーナ、この統計の解釈なんだが、お前の見解を聞きたい」と資料を差し出してくる。宰相の息子らしい鋭い分析力を持つ彼とデータの読み方について議論する時間は、正直に言って楽しかった。


 バルトロウは目を輝かせて「ユリアーナ殿! この訓練メニュー、予想以上に効果があった!」と毎日のように報告に来る。


 ユリウスは眼鏡の奥で穏やかに微笑みながら「面白い論文を見つけたんですが……よければお茶でも飲みながら」と誘ってくる。


 セバスティアンは少し緊張した面持ちで「平民の子どもたちへの教材、完成しました。見ていただけますか」と差し出す。


 そしてマクシミリアン。プロジェクトの中間報告を終えた夜、生徒会室に二人きりになった時、彼はいつになく静かな声で言った。


「ユリアーナ。私は、君と婚約できてよかったと、心から思っている」


 これは、まずい。


 関係が良好なのはいいことだ。断罪回避のためには必要なことだ。

 だがこの胸の奥がじわりと温かくなる感覚は、作戦には含まれていない。社畜は感情で仕事をしない。しないったらしない。


「……ありがとうございます、殿下。私も、殿下のお役に立てて光栄です」


 事務的に返した言葉に、マクシミリアンは少しだけ寂しそうに笑った。




   ◇ ◇ ◇ ◇ ◇




 ヒロインの排除と攻略対象の公務埋めは順調だ。


 だが断罪理由の三番目――悪評の捏造がまだ片付いていない。


 ゲームでは、ユリアーナの取り巻きである令嬢たちがヒロインに対する嫌がらせの噂を広め、それがユリアーナの評判を決定的に悪化させる。


 ヒロインが学園にいない今、嫌がらせの噂は立ちようがないが、噂好きの令嬢たちは別の種を見つけるかもしれない。


「ユリアーナ様が攻略対象を独り占めしている」

「王太子の権力で好き勝手している」

「裏で何か企んでいる」


 こういった噂は、真実であろうとなかろうと、一度広まれば止められない。前世で「炎上案件」を何度も処理した経験から、私はそれを痛いほど知っている。


 対策は二つ。


 一つ目は透明性の確保。プロジェクトの進捗を学園全体に公開し、密室で何かをしているという印象を与えない。


 マクシミリアンの名前で「改革プロジェクト通信」という週報を発行し、学園の掲示板に毎週貼り出す。内容は私が書き、マクシミリアンが監修する。


 二つ目は噂の発生源の無力化。


 ゲームにおけるユリアーナの取り巻きは三人いる。マルガレーテ、エリーゼ、フリーデリケ。この三人が噂の製造工場だった。


 だが彼女たちを排除すれば、それ自体が新たな噂の種になる。だから私が選んだ方法は「巻き込む」ことだった。


「マルガレーテさん、エリーゼさん、フリーデリケさん。皆様にお願いしたいことがあるの」


 お茶会に招いた三人は、きょとんとした顔をした。ゲームの「ユリアーナ」は彼女たちを便利な駒として扱っていた。だが私は違う。


「改革プロジェクトの広報を手伝っていただけないかしら。皆様の社交力は学園随一ですもの。情報を正確に、魅力的に伝える能力に長けた方々にこそ、お力をお借りしたいの」


 噂を広める才能は、裏を返せば情報伝達の才能だ。それをネガティブな方向ではなくポジティブな方向に活用すればいい。


 マルガレーテが最初に反応した。


「ユリアーナ様……私たちを、頼ってくださるの?」


 その声には、喜んでいるような響きがあった。


 ゲームのユリアーナは彼女たちを取り巻きとしか見ておらず、利用するだけ利用して、断罪の時には真っ先に切り捨てられる存在としか思っていなかった。

 でも実際は、彼女たちだって、本当は対等に頼られたかったのかもしれない。


「もちろん。むしろ、三人の協力がなければ成り立たないわ」


 三人の目が輝いた。それからマルガレーテたちは驚くほど優秀な広報チームになった。

 各派閥の令嬢たちに的確に情報を届け、ネガティブな噂が立つ前に正確な情報を先に流す。


 前世の用語で言えば「先手を打つPR戦略」だ。噂は、正確な情報の流通速度に勝てない。


 入学から二ヶ月が経って、学園内でのユリアーナ・ヴァイスフェルトの評判は、ゲームとは正反対のものになっていた。


「さすがは公爵令嬢、王太子殿下の婚約者に相応しい方だ」

「改革プロジェクトのおかげで魔導設備が新しくなるらしいぞ」

「ユリアーナ様って、思っていたより気さくな方なのね」


 など、悪評ではなく称賛の声が聞こえてくる。


 これで、断罪理由の三番目も潰した。


 これですべての断罪要素を潰した。

 私は安堵した。このまま卒業式まで何事もなく終わればいい。


 だが、まだ最後にして最大の難関が待ち構えていた。


 それは完全にルートを潰したと思っていた、ヒロインと悪役令嬢()の直接対峙だ。




 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇




 入学から三ヶ月目の午後。生徒会室で書類を整理していると、ノックの音がした。


「失礼します。ユリアーナ様……でいらっしゃいますか」


 扉の向こうに立っていたのは、亜麻色の髪に琥珀色の瞳の少女だった。質素だが清潔な服装。胸元に輝く研究院の徽章。


 ミリア・レーヴェン。ヒロインが、目の前にいた。


 心臓が跳ねた。なぜここに。研究院にいるはずでは。いや、落ち着け。研究院と学園は同じ王都にある。来ようと思えば来られる距離だ。


「ミリアさん、でしたわね。研究院の特待生の。どうなさいましたの?」


 平静を装って問いかけると、ミリアは少し緊張した様子で、だがまっすぐに私を見た。


「お礼を申し上げたくて参りました」

「お礼?」


「聖属性特別研究枠を作ってくださったのは、ユリアーナ様だと伺いました。研究院のヴェーバー教授がおっしゃっていました。公爵家のご令嬢が、素晴らしい提案をされたのだと」


 情報が漏れていた。いや、隠していたわけではない。公爵家が提案したこと自体は公文書に残っている。だがミリアに直接知られるとは思っていなかった。


「大したことではありませんわ。国の人材を適切に育成するのは、貴族の務めですから」

「いいえ」


 ミリアは首を横に振った。その目には、ゲームのスチルでは見たことのない、深い感謝と、それ以上の何かが宿っていた。


「私……正直に申しますと、学園に入学することが怖かったんです。平民の私が、貴族の方々の中で一緒に学ぶのは、不安で仕方がなかった。でも研究院の話をいただいて、実力主義のここなら私の力を正しく使えると思いました。今、毎日が楽しいんです。聖属性の研究がこんなに奥深いものだったなんて知りませんでした」


 ミリアの頬が紅潮していた。研究の楽しさを語る顔は、恋する少女のそれとは違う。

 いや、もしかしたらこれも一種の恋なのかもしれない。知識への恋という意味合いで。


「ヴェーバー教授は、私の聖属性は百年に一度の素質だとおっしゃってくださいました。治癒魔法だけでなく、浄化の応用で水質改善や土壌回復にも使えるのではないかと。もし研究が進めば、飢饉に苦しむ地域を救えるかもしれないのです」


 その言葉に、私は驚きを隠せなかった。

 ゲームでは語られなかったそんな可能性があったなんて。


 恋愛の花園に閉じ込められていたら見えなかったであろう、聖属性の真の価値を初めて知った。


「素晴らしいですわ、ミリアさん」


 本当に素晴らしい。

 断罪を避けるためのアイデアだったけれど、それがこんな実を結ぶとは嬉しい誤算だわ。


「あの、それでですね」


 ミリアはもじもじと手を組んだ。


「研究院で一つ問題が起きていまして……予算が足りないんです。特に浄化魔法の大規模実験には特殊な魔導炉が必要で。もしユリアーナ様にお力添えいただけたらと、思いまして……」


 なるほど。

 研究に行き詰ってやっぱり学園へ通えば良かったと思わないように研究院へは多額の寄付をしているけれど、それでも足りなかったから直接頼みに来たというわけね。


 知らせをくれればすぐに返事をしたのに、その短い時間ですら待てなかったのでしょう。


 ゲームのヒロインも、猪突猛進で思い立ったらすぐ行動する子だったわ。それでよくトラブルに巻き込まれていた。


 まあ、そうでないとゲームの盛り上がりに欠けるからなんでしょうけれど。


「では具体的な金額と必要設備のリストを出してくださいな。来週までに公爵家の予算から捻出できるか検討しますわ」


 反射的に答えていた。社畜の条件反射だ。クライアントが困っていたら、まず見積もりを取る。


 ミリアは目を見開き、そして花のように笑った。


「ありがとうございます! ユリアーナ様、本当に……噂通りの方ですね」

「噂?」


「学園の改革プロジェクトのこと、研究院でも話題なんです。王太子殿下の婚約者が素晴らしい方だって。私、ユリアーナ様のこと……尊敬します」


 ヒロインに尊敬された。

 悪役令嬢が、ヒロインに尊敬された。

 これは、完全に想定外だった。


 ミリアが帰った後、私はしばらく椅子に座ったまま動けなかった。ゲームでは、ユリアーナとミリアは敵対する運命だった。

 でもシナリオを壊した先にあったのは、意外にも協力しあう関係だった。


 この世界はゲームの世界だとずっと思っていたけど……。

 ここは現実で、人は運命に縛られない。

 未来は自分の手で変えることができる。




 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇




 入学から十ヶ月。ゲームでいえば、そろそろ断罪イベントのフラグが立ち始める時期だ。

 だが私の計算では、断罪の三条件は全て潰してある。


 ヒロインへの嫌がらせはゼロ。

 権力の使用は全て国益目的で記録済み。

 悪評の捏造は透明性のある広報で封殺済み。


 それでも油断はできない。ゲームにはない隠しイベントが発生する可能性もある。

 何しろ、ここは現実なのだから。


 そして案の定、波乱が訪れた。


 それは王太子主催の中間発表パーティーでの出来事だった。

 そのパーティーは、改革プロジェクトの成果を学園と王宮の関係者に披露する場として、学園の大講堂で開かれた。


 もちろんマクシミリアン本人だけでなく、婚約者の私や生徒会メンバー、そして広報担当の友人たちにも協力してもらって、パーティーの準備は完璧だった。


 マルガレーテたちの広報のおかげで事前の期待値は高く、プロジェクトの成果も申し分ない。

 セバスティアンの教材は実際に平民の子どもたちに使用され好評を得ている。

 バルトロウの騎士団改革は次期訓練計画に正式採用された。

 ユリウスの魔導研究は三件の特許を生み、リヒャルトの外交提言書は宰相が「十年に一度の秀作」と評した。


 全てが順調だった。そう、全てが順調すぎたのだ。


 パーティーの中盤、ワインが行き渡り場が和んだ頃、一人の令嬢が立ち上がった。


 マリアンヌ・ヘルムシュタット。伯爵家の令嬢で、ゲームには登場しないキャラクターだ。つまり、私の記憶にないイレギュラー。


「皆様、少しよろしいかしら」


 マリアンヌの声は甘く、しかしどこか刃のような響きがあった。


「改革プロジェクトの成果は素晴らしいものですわ。でも、一つだけ気になることがございますの」


 会場がざわめいた。私の背筋に冷たいものが走る。


「ユリアーナ・ヴァイスフェルト様。あなたは入学前から、聖属性の平民少女を学園から遠ざける工作をなさっていたのではなくて?」


 来た。

 誰かに何かを言われるとしたら、この一点だろうと予想はしていた。

 だって他に難癖をつけられるような瑕疵は、私には一つもないので。


「研究院の特別枠は、表向きは国益のためですけれど……本当は、聖属性の少女が王太子殿下に近づくのが怖かったからではないかしら? かつて王家では、平民とはいえ高度な聖属性を持ち聖女と呼ばれた女性が、王家へ嫁いだ前例があります。それを阻止するために排除しただけではないでしょうか」


 空気が凍った。

 来賓の貴族たちがざわめくのが聞こえる。

 視界の端にマクシミリアンが椅子から腰を浮かしかけるのが見えた。マルガレーテたちの顔も青ざめている。


 これはゲームにはなかったイベントだ。

 だがゲームを超えた現実なら、こういう人間が出てくることは想定していた。


 動機は何だろう。ヴァイスフェルト公爵家への政治的対抗か、個人的な嫉妬か、誰かに唆されたのか。

 いや、動機なんてどうでもいい。重要なのは、この場で完璧に反論することだけ。


 私は深呼吸して、立ち上がった。


 社畜時代、プレッシャーの中で数々のプレゼンを成功させた経験を思い出せばいい。

 あの時と同じだ。焦りも油断も禁物。冷静に事実を語ればいい。


「マリアンヌ様、ご質問ありがとうございます」


 まず感謝する。敵意を見せた瞬間に負けだ。


「ご懸念はごもっともです。ですので、事実関係を整理させていただきますわね」


 私は会場を見渡し、全員に聞こえるように声を張った。


「第一に、聖属性特別研究枠の設置は、私ユリアーナ・ヴァイスフェルトからではなく、正式に公爵家当主ヴィルヘルム・ヴァイスフェルトより提案されていると、公文書として王宮に記録が残っております。提案の動機、審議の経緯、承認の過程、全てが閲覧可能です。密室の工作ではありません」


 マリアンヌの表情が微かに揺らいだ。


「第二に、ミリア・レーヴェンさんの研究院への移籍は、王太子殿下のご推薦を経て、ミリアさんご本人が自由意志で選択されたものです。強制や誘導は一切ございません。この点については、殿下ご自身に証言をお願いできますか?」


 マクシミリアンが立ち上がった。


「私が証言する。ミリア・レーヴェンへの研究枠の案内は、私の判断で行った。ユリアーナの提案を受けてのことだが、最終判断は私自身がした。そしてミリアは自分の意思で研究院を選んだ。彼女自身がそう言っていた」


 マクシミリアンの援護を受けて私は続ける。


「そもそもの話ですが――私がミリアさんに嫉妬する理由がございません」


 会場がしんと静まった。

 静かになった会場を見渡しながら、私は一人一人と視線を合わせる。


 プレゼンにおいてアイコンタクトするのは、「信頼感の構築」と「情報の定着率」を最大化させるための戦略的スキルだ。社畜のノウハウは有効に使わなくては。


「ミリアさんは聖属性の持ち主であり、その才能は国の宝です。彼女が研究院で力を発揮してくださることは、この国の未来にとってかけがえのないことです。事実、彼女の研究は既に浄化魔法の農業応用という画期的な成果を上げつつあります」


 ここで私は少しだけ声のトーンを下げた。


「マリアンヌ様。貴族の務めとは、才ある者を正しい場所に導くことだと、私は考えております。それを『排除』と呼ぶか『適材適所』と呼ぶかは、見る人の心映えによるのではないでしょうか」


 沈黙が広がった。やがて、ぱちぱちと拍手が聞こえた。

 最初に手を叩いたのは来賓席にいた宰相だった。それに続いてぽつぽつと、やがて大きな拍手が会場を包んだ。


 マリアンヌは唇を噛み、黙って席に戻った。


 勝った。いや、私が勝ったというよりも、「事実」が勝ったのだ。


 パーティーが終わって、私は一人、誰もいなくなった会場を見渡す。


 ああ、これでやっと断罪ルートから外れることができたのだ。


「ユリアーナ」


 感慨にふけっていると、マクシミリアンがやって来た。彼の顔には怒りと感嘆と、どこか切なさが入り混じった複雑な表情が浮かんでいた。


「君がここまで先を読んで動いていたとは思わなかった。公文書を残していたことも、私を証人として使えるように根回ししていたことも」

「殿下を利用したとお怒りですか?」


 マクシミリアンは首を横に振った。


「いいや、怒ってなどいない。ただ……少し寂しくなった」

「寂しい?」

「君は、いつも完璧に先回りする。私が君を守る隙がない」


 その言葉に、私は目を瞬いた。


 守る隙がない……。

 ゲームのヒロインは攻略対象に守られることで恋が始まる。でも私は誰にも守られる隙を与えなかった。自分で自分を守るために。断罪されないために。


「……殿下」

「マクシミリアンでいい。二人きりの時くらい、名前で呼んでくれ」

「マクシミリアン様」

「『様』もいらない」


 青い目が、真剣に私を見ていた。


「私は君の有能さに惹かれたんじゃない。いや、そこも惹かれる要因ではあったけれど、それだけじゃない。何かを必死に守ろうとしている。その姿に惹かれたんだ」


 心臓がうるさい。


「何を守っているのかは分からない。でも、私にも守らせてくれ。君の隣で、一緒に」


 ああ、だめだ。社畜は感情で仕事をしない。そう自分に言い聞かせてきた。

 でもこの温かさは何だ。この胸の震えは何だ。


 涙が一筋、頬を伝った。自分でも驚いた。泣くなんて、前世でも滅多になかったのに。


「……ずるいですわ、マクシミリアン」


 初めて、「様」なしで彼の名前を呼んだ。

 初めて、愛する人の温もりに包まれる幸せを知った。




 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇




 あの夜から数ヶ月が過ぎた頃、ミリアが再び学園を訪ねてきた。

 それを許可したのは、研究院への追加予算の打ち合わせもあったが、彼女の研究成果がどれほど大きくなっているのか確かめたかった、というのが本音だ。


「浄化魔法の農業応用、第一期の実験結果が出ました」


 ミリアは興奮を抑えきれない様子で資料を広げた。


「塩害で放棄された農地、十アールを浄化したところ、三ヶ月で作物が育つまでに回復しました。従来の土壌改良魔法では三年かかる工程です」

「三ヶ月……それは革命的ですわね」


「はい! でも私一人の魔力では対応できる面積に限界があるんです。聖属性の魔力を効率的に増幅する魔導具の開発が必要で……」


 あら、これはまた研究費のおねだりかしら、と思ったが、いつもホイホイお金を出すと思われてはいけない。

 となると代替案を出すべきだけれど……ああ、そうね。これならいいわ。


「では、ユリウスさんの研究チームと連携できるかもしれません。魔導具の効率化は彼の専門分野ですし」

「本当ですか!? よろしくお願いします!」


 ミリアの顔が輝いた。

 そしてふと真剣な表情になった。


「ユリアーナ様。一つ、お聞きしてもいいですか」

「何でしょう」

「私が学園に入学していたら……どうなっていたと思いますか?」


 思いがけない質問に、心臓が跳ねた。少し考えて、正直に――だが全てを明かさずに答えた。


「きっと、学園でも人気者になっていたと思いますわ。聖属性は珍しいですし、ミリアさんは人を惹きつける力がありますもの。でも……身分の壁に苦労されたかもしれません。学園は実力より家柄が物を言う世界ですから。それに、恋愛沙汰に巻き込まれて、研究どころではなくなっていたかもしれません」


 笑い話の一つのようにゲームでの彼女の姿を言うと、ミリアは少し黙って、それから小さく笑った。


「実は私……研究院に来て初めて気づいたことがあるんです」

「何を?」

「私、恋愛にそんなに興味がないんです」


 予想外の告白だった。

 え、あなた、乙女ゲームのヒロインよね? 恋愛に興味がないなんて、そんなことあるの?


「学園に入学したら素敵な殿方との出会いがあるかも、なんてお母さんが言っていたんですけど、正直、今の私にとって一番ときめくのは実験が成功した瞬間なんです。お母さんは、研究もいいけど、いい加減にしないと行き遅れるって言ってて。結婚より研究したいなんて、おかしいですよね」


 自嘲するような言葉を、慌てて私は否定する。


 確かにこの国ではまだまだ女性は家庭に入るものという意識が強いけれど、最近では色んな分野で活躍し始めている。

 結婚が女の幸せ、というだけではないのだ。


「おかしくなんてありませんわ。自分の道を見つけた人は、誰よりも美しいものです。それに、好きな方を見つけたなら、結婚も研究も両方すればいいじゃないですか」

「そんなこと……できますかね」

「私はユリアーナ・ヴァイスハルトですのよ。いつまでにとは申せませんが、必ずその道を切り開いてあげますわ」


 才能がある人がその道に進むのを手助けする。

 それこそが私がこの世界に転生した意味かもしれない。


 ……社畜にはならない程度にね。


 ミリアの目が潤んだ。


「ユリアーナ様……ありがとうございます。研究院を紹介してくださって。あの場所がなかったら、私はきっと自分が本当にやりたいことを見つけられなかった」


 ゲームのヒロインは恋に生きる少女だった。五人の攻略対象のうち一人を選び、その愛に守られることがハッピーエンドだった。


 でも現実のミリアは違った。恋ではなく研究を選んだ。誰かに守られるのではなく、自分の力で世界を変える道を選んだ。


 それはゲームのどのルートにも存在しない、ミリア自身のエンディングだった。


「ミリアさん。これからもよろしくお願いしますわね」

「はい! こちらこそ、よろしくお願いします、ユリアーナ様!」


 差し出された手を握った。小さくて温かくて、魔力の光が微かに宿る手。

 悪役令嬢とヒロインの手が、敵対ではなく協力のために結ばれた瞬間だった。




 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇




 月日は流れ、断罪もなく私は卒業とともにマクシミリアンと結婚した。


 私はマクシミリアンの妃として王宮で働いている。「働いている」というのは比喩ではない。文字通り、朝から晩まで政務をこなしている。


 社畜の血は異世界に来ても薄まらなかったようだ。


 だがあの頃と決定的に違うのは、隣に人がいること。そして自分の仕事が、人の役に立っているという実感があること。


 ミリアは浄化魔法の農業応用によって三つの地方の飢饉を救い、研究院の主任研究者になった。

 聖属性の農業応用は国の基幹技術として認定され、彼女の名は「聖女」ではなく「天才研究者」として歴史に刻まれつつある。


 マルガレーテは社交界の情報通として外交の裏方で活躍し、エリーゼは教育改革の現場責任者に、フリーデリケは王宮の広報官になった。

 噂を広める才能を、国を支える才能に変えた三人だ。


 五人の攻略対象は誰一人としてヒロインと恋に落ちなかった。その代わり、それぞれの分野で国を支える柱になった。


 リヒャルトの外交提言は隣国との通商条約改定に繋がり外務卿補佐になった。


 バルトロウは訓練改革によって騎士団の実力を大幅に向上させた功績により近衛騎士団の副団長。


 ユリウスは魔導研究で産業革命の端緒を開き魔導研究院の院長に。


 セバスティアンの作った教材は全国の初等教育機関に導入され、今では教育省の次官になっている。


 そしてマリアンヌ・ヘルムシュタット。あのパーティーで私に異議を唱えた令嬢は、今は私の部下として監察部門で不正を暴く仕事をしている。

 権力への鋭い嗅覚は、正しい方向に使えば素晴らしい武器になる。


「ユリアーナ様は敵すら味方に変えますからね。怖い方です」


 そう言って笑うマリアンヌに、私は苦笑するしかなかった。


 夕暮れの執務室。書類を一通り片付けた私は、窓辺に立って王都を見下ろした。


 ゲームのシナリオは完全に崩壊した。

 断罪ルートは消え、婚約破棄は起こらず、国外追放の未来は霧散した。


 その代わりに残ったのは、合理と根回しで作り上げた「もう一つの物語」。


 恋愛ゲームの悪役令嬢が、恋愛を排除することで恋を手に入れ、ヒロインに恋ではなく夢を与え、攻略対象を恋のライバルから国の柱に変えた物語。


 背後で扉が開く音がした。


「まだ仕事をしているのか」


 マクシミリアンが呆れた顔で入ってきた。


「もう日が暮れているぞ。夕食は一緒に取ると約束しただろう」

「あと少しだけ。この法案の修正が――」

「没収」


 私の手から書類を取り上げ、マクシミリアンはそれを机の上に置いた。


「前世とやらでは過労で倒れたんだろう。同じ轍は踏ませない」


 前世の話をしたのは結婚してすぐのことだった。


 信じてもらえるとは思わなかったが、マクシミリアンは全てを聞いた上で「だから十五歳にしてはやけに世慣れしていたのか」と納得しただけだった。


 器が大きいのか、感覚がずれているのか。


 いえ、器が大きいのです。

 なんといっても私の愛する旦那様ですから。


「仕事は明日もできる。でも君との夕食は今日しかない」

「毎日あるでしょう、夕食くらい」

「毎日が特別なんだ」


 真顔で言うから困る。この人は不意打ちの名手だ。


「……分かりましたわ。行きましょう」


 差し出された手を取る。もう何百回と繰り返した動作が、まだ少しだけ胸をときめかせる。


 窓の外では夕日が王都を橙色に染めていた。かつて社畜だった私は、この世界で悪役令嬢として目覚め、断罪という運命を突きつけられた。


 でも私は知っている。運命は書き換えられる。段取りと根回しと、少しの勇気があれば。


 そしてもう一つ、知ったことがある。


 社畜スキルは、異世界でも最強だ。


「何を笑っている」

「なんでもありませんわ。ふふ」


 手を繋いで、夕暮れの回廊を歩く。断罪ルートは消えた。代わりに開いたのは――誰のシナリオにもなかった、私だけのハッピーエンド。




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いつも誤字報告をしてくださってありがとうございます。

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