第2話:米を縛れ、面子を立てろ
座敷の空気は、湿った布みたいに重かった。
武士が一人座っているだけで、畳が軋む気がする。
俺――与吉は、膝の上で指を絡めた。
丁稚の分際で口を挟んだ。今さら引けない。
武士の頭上には、相変わらず冷たい数字が浮いている。
『信用値:9』
理由:『返済不能/虚勢/期限が迫っている』
番頭は正座のまま、顔色ひとつ変えない。
ただ、目だけがいつもより細い。
「……担保を、米にしましょう、だと?」
武士の声に棘が混じる。
刀の柄に置かれた指が、わずかに動いた。
番頭が、ゆっくり言った。
「丁稚の戯言に聞こえましょうが。
与吉、言うたからには筋を通せ。詳しく申せ」
背中に汗が流れた。
六助が端で息を殺しているのが分かる。
俺は一度だけ深く頭を下げて、言った。
「米を縛るんやありません。順番を決めます」
武士が鼻で笑う。
「町人の口は回るな。順番だと?」
「はい。御用金の返しは、口約束やと薄い。
でも米の流れは、口じゃなくて形で縛れる」
番頭の目が僅かに動く。
話を聞く目だ。
俺は続けた。
「廻米を先に押さえます」
(廻米:藩の年貢米を大坂へ回して売り、現金に換える仕組み)
武士の眉が吊り上がる。
「廻米だと? 藩の米に手を出す気か」
「藩の米に手は出しません。藩のために、順番を整えるだけです」
俺は畳の目を見ながら、言葉を噛み砕いた。
「米が大坂に入ったら、まず常盤屋へ回す。
うちで両替して、元と利を引く。残りは藩へ渡す。
これなら、藩は借りた金を返した上で、仕送りもできる」
武士が睨む。
「そんな都合のいい話があるか。誰がそんな順番を守る」
そこで俺は、次の札を出した。
「蔵屋敷に筋を通します」
(蔵屋敷:藩が大坂に置く拠点で、米や金の出入りを取り仕切る場所)
番頭が小さく息を吸った。
その音が、座敷の静けさに刺さる。
武士の信用値が、ほんの少し揺れた。
『信用値:9 → 11』
理由:『怒り/しかし興味』
「……蔵屋敷に話を持っていくと言うのか」
「はい。蔵屋敷が頷けば、順番は守られます。
守られなければ、噂になります。
藩の名前は、米より軽うなります」
武士の目が細くなる。
図星を突かれた目だ。
番頭が、低い声で補った。
「与吉の言う通り。大坂は噂が先に走る。
藩が困っていると立て札されれば、次から借りにくうなる」
武士は歯を食いしばった。
面子が削られている。でも、削られる場所を選べるなら――選ぶ。
俺は最後の一押しをした。
「それと、誓紙を一枚いただきます」
(誓紙:破れば恥になる誓いの書付。商いでは“逃げ道を塞ぐ紙”になる)
武士が怒鳴りかけて、喉で止まった。
「誓紙……」
「藩に恥をかかせるんやありません。
むしろ、藩がきちんと返す気だと示す紙です。
大坂の商人は、そういう形に弱い」
番頭が頷いた。
武士は黙ったまま、畳を睨んだ。
長い沈黙。
外から聞こえるのは、遠くの掛け声と、川の水音だけ。
やがて武士が言った。
「……分かった。
蔵屋敷の留守居に話を通す。誓紙も書く。
だが、利を吹っかけるなよ」
番頭が、初めて僅かに表情を緩めた。
「承りました。利は筋で決めます」
俺の胸の奥が、少しだけ軽くなった。
通った。形ができた。
でも、それは同時に首輪でもある。
この仕組みが動かなかったら、常盤屋は一発で終わる。
武士が立ち上がる直前、番頭が静かに言った。
「与吉。お前、今日はよう喋ったな」
褒めている声じゃない。
“覚えたぞ”という声だ。
六助が俺を見た。
目の奥に、何か言いたいものが揺れている。
けど言えない。
『信用値:28』
理由:『借金/焦り/家の事情』
俺は目を逸らさなかった。
守ると決めたからだ。店も、六助も。
武士が襖に手をかける。
その時――
障子の向こうで、誰かが一度だけ咳をした。
乾いた咳。聞き覚えのない咳。
背中が冷える。
俺の視界の端に、数字が浮かぶ。
『信用値:100』
理由:『見えない』
武士は何も気づかない顔で去っていく。
番頭も、咳の方を見ない。
見ないふりをしている。
俺だけが、その場の空気の形が変わったのを感じた。
(……この話、もう誰かに回ってる)
番頭が帳場へ戻る途中、俺にだけ聞こえる声で言った。
「与吉。
明日からが本番や。米が動けば、欲が動く。
欲が動けば、必ず誰かが抜く」
俺は頷いた。
そして思った。
御用金は、入口にすぎない。
米が大坂に流れ込む時、
常盤屋の帳場に、もっと厄介なものが流れ込む。




