第1話:大坂の丁稚、信用が見える
「起きろ丁稚。寝坊は罪だ」
頭をはたかれて、俺は跳ね起きた。
畳。木の天井。味噌と炭と、汗の匂い。
現代のはずの俺の朝が、ここにはない。
目の前の男は髷を結い、袖をまくっている。顔が怖い。声が低い。
その頭上に、あり得ないものが浮かんでいた。
『信用値:72』
理由:『約束は守る/怒りっぽいが筋は通す』
……夢じゃない。数字が見える。
「お、おはようございます」
声が妙に若い。手も小さい。
俺は子どもの体になっていた。丁稚。奉公人。
そしてなぜか、人の信用が数値で見える。
外に出ると、大坂の朝が押し寄せた。
川の匂い。荷車の軋み。掛け声。濡れた木と土。
人が密で、情報が速い。金が流れる音がする。
「走れ。常盤屋は遅れを嫌う」
男に背中を押され、俺は駆けた。
道修町寄りの通りに、店の札が見える。
常盤屋。
大坂では名が通るが、超大店ではない。準大店の中でも背伸びしている店だ。
奉公人は十数人。帳場はいつも忙しい。番頭が目を光らせ、店主も現場に顔を出す。
つまり、余裕はない。貸し倒れ一発で傾く。
店の札には「両替」とある。
(両替商:金銀の交換だけじゃなく、送金や貸し借りまで扱う、町の金融屋)
店に入った瞬間、空気が変わる。
笑い声が少ない。紙の擦れる音が多い。
帳場の奥で算盤が弾け、控えの手形が束になっている。
「与吉!」
呼ばれて振り向くと、六助がいた。俺と同じ丁稚。
小柄で、目の下が暗い。どこか焦っている。
六助の頭上に数字が浮かぶ。
『信用値:28』
理由:『借金/焦り/家の事情』
「朝から番頭さんの機嫌が悪い。……気ぃつけや」
六助はそう言って笑おうとしたが、口元が引きつった。
俺は頷いた。理由を聞く前に、もう分かってしまう。
この手の焦りは、金が絡む。
番頭の声が飛んだ。
「丁稚ども、口より手を動かせ。水! 乾布! 帳場を清めろ!」
番頭が座っているだけで、背筋が伸びる。
その頭上の数字は高い。
『信用値:89』
理由:『帳尻が合わないと眠れない/嘘を見抜く』
俺は水を運び、床を拭き、言われるままに走った。
その間も数字は見え続ける。
客の商人:『信用値:55(見栄の支出)』
手代:『信用値:66(口が堅い)』
出入りの者:『信用値:41(その場しのぎ)』
便利だ。便利すぎる。
数字が見えると、人間が薄くなる。
昼過ぎ。帳場の奥から番頭が低い声で呼んだ。
「与吉。こっち来い」
奥の座敷。
畳が新しい。襖が厚い。ここは客の“格”が上がる場所だ。
そこにいたのは武士だった。
裃は整っているが、目の下が青い。口元だけが偉い。
頭上の数字を見た瞬間、胃が冷えた。
『信用値:9』
理由:『返済不能/虚勢/期限が迫っている』
武士は咳払いして言った。
「藩のためだ。用立てよ。利は……後で考える」
番頭が、ゆっくり息を吸った。
表情は崩さない。だが空気が固くなる。
「ご用向きは御用金、ということにございましょう」
(御用金:名目は公のため、実態は藩や幕府が商人に迫る資金調達)
武士が顎を上げる。
「そうだ。急ぎだ」
番頭の信用値は揺れない。89のまま。
しかし理由が変わる。
『信用値:89』
理由:『帳尻が合わない予感/胃が痛い』
俺は丁稚だから、口を挟む立場じゃない。
でも、頭の中では計算が始まっていた。
返せない。返す気も薄い。期限が迫ってる。
貸したら焦げる。
断ったら店が危ない。準大店の小さめは、こういう一発に弱い。
武士が睨む。
「何を黙っている。常盤屋は藩に顔が利くと聞いたが?」
番頭が頭を下げる。
「承りました。ですが——条件がございます」
武士の眉が吊り上がる。
「条件だと?」
その瞬間、俺の口が勝手に動いた。
自分でも止められなかった。
「……担保を、米にしましょう」
座敷が静まり返る。
番頭の視線が刺さる。
六助の息が止まる音がした気がした。
武士の信用値は動かない。9のまま。
だが理由が一瞬だけ変わる。
『信用値:9』
理由:『怒り/しかし興味』
番頭が俺を見た。
叱責じゃない。値踏みの目だ。
怖い。
でも不思議と、心臓が落ち着いていた。
この世界は金じゃない。信用だ。
そして俺には、その信用が見える。
番頭が、ゆっくり言った。
「……丁稚の戯言に聞こえましょうが。
米を担保にする策、詳しく申せ」
武士が鼻で笑う。
「丁稚が口を利くとは、常盤屋も落ちたものだな」
俺は頭を下げた。深く。
下げながら、言った。
「落ちてません。落ちたら、借りる側が困ります」
番頭の目が細くなる。
武士の口角が歪む。
俺は続けた。
「藩の面子も、店の明日の現金も、両方守るやり方があります。
帳簿の上で、です」
言ってしまった。
もう戻れない。
外では大坂の川が流れている。
何事もない顔で、金の匂いを運んでいる。
そして俺は思った。
常盤屋は大きくない。
だからこそ、ここで勝たなきゃ沈む。
沈ませない。俺が。
信用が見えるなら、信用のない相手にも返させる形を作れる。
そう確信した瞬間、障子の向こうで、誰かが一度だけ咳をした。
聞き覚えのない咳。
俺の視界の端に、数字が浮かぶ。
『信用値:100』
理由:『見えない』
——見えない?
背中がぞわりとした。
(誰だよ。……この店を、どこまで見てる)




