第12話 観察者の視線
《日曜日・昼》
土曜日の夜、商店街で優莉と偶然出会ってから、一日が経った。
私は自室のベッドに横たわり、天井を見つめていた。
昨日、ルミエが感知した警告が頭から離れない。
『水瀬優莉。初期段階のメンタルモンスター、幼体が形成されつつあります』
優莉の中に、モンスターの種が芽吹き始めている。
そして、@truth_seekerの予言。
「次に壊れるのは、君か。それとも、君の『鏡』か」
「君が最も恐れるものに、なる」
——優莉が、モンスターになる?
あの完璧な笑顔の裏で、彼女は何を抱えているのか。
スマホを手に取る。
《現在のフォロワー:94,800人》
昨日から約450人減。
自然減だ。
更新頻度が落ちているから、仕方ない。
けれど、今はそれどころじゃない。
《ピロン♪》
DMの通知。
送信者は——水瀬優莉。
「凪ちゃん、昨日はごめんね。なんか変な顔してたでしょ、私」
「今度ちゃんと話したいな。来週、時間ある?」
私は画面を見つめた。
彼女は、何かを話したがっている。
昨日の商店街で見た、あの表情。
能面のような無表情の奥にあった、絶望と焦燥。
あれは、限界寸前の人間の顔だった。
私は、返信を打った。
「大丈夫だよ。私こそ、声かけてごめんね」
「来週、放課後とかどう?」
「ありがとう! じゃあ月曜の放課後、教室で待ってるね」
月曜日。
明日だ。
私は、スマホを枕元に置いた。
優莉と、何を話せばいいのか。
彼女を救う方法なんて、分からない。
自分のことで精一杯なのに。
——でも、放っておけない。
彼女の目が、私と同じだったから。
《月曜日・放課後》
放課後の教室には、私と優莉だけが残っていた。
西日が斜めに差し込み、机や椅子の影を長く伸ばしている。
私は生徒会の日誌を書いていた。
今日の委員会報告、備品の確認事項、来週の予定。
退屈な作業だけど、こういう「やるべきこと」があると落ち着く。
優莉は窓際の席で、スマホの画面を見つめていた。
いつもなら自撮りの編集をしているはずだ。
光の加減を調整したり、肌の色味を微調整したり。
けれど、今日の彼女は——ただ画面を見つめているだけ。何も操作していない。
「ねえ、凪ちゃん」
不意に、優莉が口を開いた。スマホの画面から目を離さないまま。
「最近、何か変わったことない?」
「……変わったこと?」
「うん。なんか、疲れてるように見えるから」
優莉が、私を見た。
いつもの完璧な笑顔——ではなく、どこか探るような目。
「凪ちゃん、最近スマホよく見てるよね」
心臓が、一瞬跳ねた。
「……生徒会の連絡が多くて」
「ふーん」
優莉は椅子から立ち上がり、私の方に歩いてきた。
「私ね、気になってることがあるの」
「何が?」
優莉は私の机の前で立ち止まった。
逆光で表情が読み取りにくい。西日が彼女の輪郭を金色に縁取っている。
「水曜日、カフェで話したでしょ? 私が『変なアカウントから通知が来る』って言った時」
——あの時だ。
私は「フォロワー0で、投稿も0のやつ?」と聞いてしまった。
口が滑った。
「凪ちゃん、あの時すごく動揺してた」
「……そう、かな」
「うん。『SNSでそういうアカウントがいるって聞いた』って言ってたけど——」
優莉が、一歩近づいた。
「本当は、凪ちゃんのところにも来てるんじゃない?」
心臓が、握り潰されるように痛んだ。
「同じアカウント。フォロワー0、投稿0。でも、私たちの投稿を全部見てる」
優莉の目が、私を捉える。
「私たち、同じ存在に監視されてるんだよ」
——バレてる。
完全にではないかもしれない。
けれど、優莉は何かを確信し始めている。
「……なんで、そう思うの?」
「勘、かな」
優莉はふわりと笑った。
けれど、その目は笑っていない。
「私ね、凪ちゃんのこと、ずっと見てたの」
「……見てた?」
「うん。クラスで一番真面目で、優等生で、誰にも嫌われない凪ちゃん。でも、時々すごく疲れた顔してる」
優莉は、私の目を真っ直ぐに見た。
「私と、同じ顔」
その言葉が、胸に刺さった。
「表では笑って、裏では壊れそうになってる顔。私、毎日鏡で見てるから分かるの」
優莉は椅子を引いて、私の隣に座った。
「ねえ、凪ちゃん。私たち、似てるよね」
「……」
「だから、聞きたいの。凪ちゃんは、どうやって耐えてるの?」
その問いかけに、私は何も答えられなかった。
どうやって耐えてるか?
裏垢で毒を吐いて、フォロワーの承認で自分を保って、魔法少女として戦って——
そんなこと、言えるわけがない。
「……私も、分からないよ」
それだけ答えた。
嘘ではない。
本当に、分からないのだから。
優莉は、少しだけ寂しそうに微笑んだ。
「そっか。……ごめんね、変なこと聞いて」
「ううん」
「じゃあ、私行くね。また明日」
優莉は立ち上がり、鞄を肩にかけた。
教室を出ていく彼女の背中を、私は見送った。
——彼女は、何かを探っている。
——私の秘密を。
けれど同時に——
——彼女自身も、限界に近づいている。
ルミエの警告が、頭の中で響いた。
『初期段階のメンタルモンスター、幼体が形成されつつあります』
優莉の中で、黒い種が育ち始めている。
私は、何をすればいいのか。
答えは、出なかった。
《月曜日・夜》
帰宅後、私は自室でスマホを開いた。
裏垢のタイムラインではなく、匿名掲示板の検索結果。
数日前から気になっていたスレッドがある。
【特定】@midnight_venom の正体を暴くスレ Part.8
1 名前:名無しさん 前スレ落ちたから建て直し。 有力情報まとめ↓
・都内近郊の高校生(ほぼ確定) ・進学校っぽい(言葉遣いと知識
量から) ・女子(文体分析で99%確定) ・生徒会関係者?(「仕事
押し付けられた」発言) ・来週文化祭がある学校(投稿内容から)
胃が重くなる。
第2章で危惧していた通り、特定班の分析は着実に精度を上げている。
スレッドをスクロールする。
28 名前:名無しさん 文体分析の続き ・「〜じゃん」の多用 ・句読
点の打ち方が丁寧 ・皮肉の切れ味が鋭い ・たまに古典の知識がチラ
つく → 文系、国語得意そう
35 名前:名無しさん 投稿時間のデータ更新 ・平日は主に21時〜24
時 ・休日は昼過ぎと深夜 ・最近、投稿頻度が不安定 → 何かあっ
た?
42 名前:名無しさん 都内近郊で来週文化祭、進学校、生徒会 これ
で絞れる学校、何校ある?
43 名前:名無しさん >>42 調べた。候補は5校くらい
——5校まで絞られている。
私の学校は、その候補に入っているはずだ。
このペースで調査が進めば、遅かれ早かれ——
画面を閉じた。
これ以上見ていると、気が狂いそうだ。
スマホを握りしめる。
特定班、優莉の接近、減り続けるフォロワー、優莉のモンスター化兆候——
問題が多すぎる。
一つずつ対処するしかない。
けれど、どれから手をつければいいのか。
《ピロン♪》
ルミエからの通知。
『凪殿。メンタルモンスターの反応を感知しました。距離約1.2キロ、駅前
方向です』
——また、か。
私は立ち上がり、窓に向かった。
「行くしかないか」
『お気をつけて。今回の反応は、かなり強力です』
「強力?」
『これまでのモンスターとは、レベルが違います』
私は黒いパーカーを羽織り、窓から外へ出た。
《月曜日・夜 21:30》
駅前の大通り。
仕事帰りのサラリーマン、買い物袋を提げた主婦、塾帰りの学生たち。
人波が絶えない繁華街のど真ん中。
ズン、と地面が揺れた。
『凪殿! 直上反応! 極大レベルです!』
見上げる。
駅ビルの屋上。
そこに、巨大な影があった。
コンクリートと鉄骨を無理やり継ぎ合わせたような、無骨で巨大なゴーレム。
全長は10メートルを優に超えている。
——これは、ヤバい。
これまでのモンスターとは、明らかに格が違う。
ゴーレムの体表から、黒い靄が噴き出していた。
それが街路に降り注ぐ。
『……期待……シテル……ゾ……』
声が、脳に直接流れ込んでくる。
『……失敗……スルナ……』
『……ガンバレ……ガンバレ……ガンバレ……』
『……オ前ナラ……デキル……ハズダ……』
重い。
音にならない叫びが、物理的な圧力となって降り注ぐ。
周囲の人々が、突然その場にしゃがみ込んだ。頭を抱える者、膝から崩れ
落ちる者。
「何……これ……」
「頭が……痛い……」
「やめて……もう無理……」
精神感応攻撃。
「期待」という名の善意が、「重圧」という名の暴力に変わっている。
『プレッシャー・ゴーレム。人々の「過度な期待」が実体化したメンタルモンスターです』
——過度な期待。
——知ってる。私も、ずっとこれに押し潰されてきた。
「人通りが多すぎる……!」
私はビルの裏手に回り込み、人目のない路地に駆け込んだ。
裏垢アプリを起動する。
《現在のフォロワー:94,200人》
自然減で少し削られている。
けれど、まだ通常域だ。
戦える。
「変身!」
光が私を包む。
黒髪が銀色に染まり、瞳がデジタルパープルに変わる。
手の中に、ソウルフォンが現れた。
私はビルの外壁を駆け上がり、屋上へ飛び出した。




