第11話 観測者からの通知
《金曜日・深夜》
「……ただいま」
日付が変わる頃、ボロボロの状態で家に帰り着いた。
玄関を開けると、階段の途中に人影があった。
弟の、奏太だ。
ゲーム機を持ったまま、私を見下ろしている。
「……何してんの、こんな時間に」
私は、できるだけ平静を装って尋ねた。
「姉ちゃんを待ってた」
奏太の声は、いつもより低かった。
彼は階段を降りてきて、私の目の前で立ち止まった。
そして——私の目を、真っ直ぐに見た。
「最近、おかしいよ」
「……え?」
「夜中に出かけて、ボロボロになって帰ってくる」
奏太は、私の服を見た。
「今日も、ジャージ汚れてるし。……なんか、焦げ臭い」
心臓が、跳ねた。
——バレた?
変身中は「認識阻害」が働く。
一般人には、魔法少女の姿は見えない。
戦闘中の記憶も、曖昧になるらしい。
けれど——ルミエは言っていた。
『認識阻害は「変身中の姿」と「戦闘の記憶」にのみ適用されます。戦闘
後の物理的な痕跡——衣服の汚れ、疲労、匂い——は、阻害の対象外です』
つまり、私が戦闘で汚れた服、疲れ切った顔、焦げ臭い匂いは——
そのまま、周囲に見えている。
「……気のせいだよ。ちょっと遅くなっただけ」
「気のせいじゃない」
奏太の声が、さらに低くなる。
「俺、バカじゃないから」
「姉ちゃんが何かを隠してるのは、分かってる」
彼は、一歩近づいた。
「親には誤魔化せても、俺には無理だ」
私は、視線を逸らした。
何も言えない。
嘘をつくことも、本当のことを言うこともできない。
「……でも」
奏太が、小さく息を吐いた。
「言いたくないなら、無理に聞かない」
「……奏太?」
「ただ、一つだけ言わせて」
彼は、私の肩に手を置いた。
「無理すんな」
その声は、いつもの軽い調子ではなかった。
真剣で、心配で、そして——優しかった。
「お前が壊れたら、俺が悲しいから」
その言葉は、どんな魔法よりも深く——
心に染みた。
ぶっきらぼうで、不器用な優しさ。
私は、泣きそうになるのを堪えた。
「……うん」
声が、震える。
「ありがと」
それだけしか、言えなかった。
奏太は何も言わず、「おやすみ」とだけ言って、自分の部屋に戻っていった。
私は、玄関に立ち尽くしたまま——
しばらく、動けなかった。
部屋に戻り、ベッドに倒れ込む。
体は、限界だ。
心も、限界だ。
優等生の私。
裏垢の私。
魔法少女の私。
三つの顔を使い分けるジャグリングは、もう破綻寸前だった。
制服も脱がず、そのままベッドに横たわる。
天井を、ぼんやりと見つめる。
このまま、眠ってしまいたい。
目を覚まさずに、ずっと——
《ピロン♪》
スマホが、振動した。
通知音。
私は、重い腕を持ち上げて、スマホを手に取った。
画面を見ると——
息が、止まった。
《@truth_seeker からのDM》
あの、謎のアカウント。
震える指で、メッセージを開く。
「君は、灰色の価値に気づき始めた。 けれど、灰色には代償がある。
白でも黒でもない場所に立つ者は、 両方から攻撃される。
君は今、限界に近づいている。 フォロワー数の減少、 心身の疲労、
そして——君自身の矛盾の増大。このままでは、君は——」
メッセージは、そこで途切れていた。
「君は」の後が、表示されない。
ローディングアイコンが、回り続けている。
「……なに?」
私は、画面を凝視した。
「私は、どうなるの?」
問いかけても、返信はない。
ただ、不吉な予感だけが——
重く、のしかかっていた。
スマホを握りしめたまま、私は目を閉じた。
眠らなければ。
明日も、学校がある。
「桜庭凪」を演じなければならない。
でも——
眠れない。
@truth_seekerの言葉が、頭の中をぐるぐると回り続けている。
「このままでは、君は——」
私は、どうなる?
魔法少女として、死ぬのか。
「桜庭凪」として、壊れるのか。
それとも——
答えは、出なかった。
《土曜日・昼》
翌日の昼。
私は、買い物のために駅前の商店街に出かけていた。
生徒会の文化祭準備で必要な文房具を買うため——というのは建前で、本
当はただ、家にいたくなかっただけだ。
昨夜の戦闘の疲労がまだ残っている。
けれど、部屋に閉じこもっていると、余計なことばかり考えてしまう。
商店街を歩いていると——
見覚えのある後ろ姿が目に入った。
水瀬優莉だ。
彼女は、カフェの前でスマホを両手で握りしめていた。
壁にもたれかかり、俯いている。
その表情を見て、私は足を止めた。
いつもの「完璧な笑顔」ではない。
能面のように、無表情。
けれど、瞳の奥には——
叫び出しそうなほどの、絶望と焦燥が渦巻いている。
張り詰めた糸が、今にもプツンと切れそうな——痛々しい顔。
そして——
私の視界の端に、赤いアラートが点滅した。
『凪殿、感情値の乱れを感知。ソースは——』
——まさか。
『水瀬優莉。初期段階のメンタルモンスター、幼体が形成されつつありま
す』
心臓が、凍りついた。
優莉の中に——モンスターが?
「優莉ちゃん……?」
私は、恐る恐る声をかけた。
優莉は、ビクリと肩を震わせた。
そして——顔を上げた。
その瞬間——
瞬きするよりも速く、「完璧な笑顔」に切り替わった。
「あ、凪ちゃん! どうしたの?」
その切り替わりの速さが、逆に不自然で——恐ろしかった。
まるで、精巧なCGのように。 機械的に。
「その……大丈夫? 顔色、悪かったけど」
「大丈夫大丈夫!」
優莉は、明るく笑い飛ばした。
「ちょっと昨日、夜更かししちゃってさ!」
「そう、なんだ……」
「うん! 全然平気!」
優莉は、いつも通りのテンションで喋り続けた。
けれど——
その目は、笑っていなかった。
虚ろで、冷たくて、どこか——壊れかけているように見えた。
私と、同じだ。
彼女もまた、何かを必死に隠し、演じている。
そして——その限界が、近づいている。
「……うん、無理しないでね」
私は、それだけ言った。
優莉は「ありがとう!」と手を振って、商店街の人混みの中へ去っていった。
私は、その背中を見送った。
ルミエの警告が、まだ点滅している。
『優莉殿の感情値は、不安定な状態です。このまま放置すれば、モンス
ターは成長します』
「分かってる」
私は、小さく呟いた。
「分かってる、けど……」
今の私に、何ができる?
自分のことで精一杯なのに。
——どうすればいい?
答えは、出なかった。
その夜。
私は、部屋のベッドに座り、スマホを見つめていた。
裏垢アプリを開く。
《現在のフォロワー:95,247人》
10万人から、約5,000人減った。
まだ「通常域」の範囲内だ。
今すぐ危険というわけじゃない。
けれど——
このペースで減り続けて、戦闘で消費し続けたら?
いつか、「警戒域」に突入する。
そうなったら——戦闘に制限がかかる。
そして、優莉の中で育ち始めているモンスターが活性化した時——
私は、彼女を救えるのか?
優莉の、あの表情が脳裏に焼き付いて離れない。
能面のような無表情。
瞳の奥の、絶望。
そして——彼女の中で育ち始めている、黒い種。
彼女も、私も、そして佐々木さんも。
みんな、ギリギリの場所で立っている。
いつ、誰が壊れてもおかしくない。
《ピロン♪》
通知音。
また、@truth_seekerからだ。
タップすると——
途切れていたメッセージの、続きが表示されていた。
「——次に壊れるのは、君か。 それとも、君の『鏡』か。
彼女は、君と同じ道を歩いている。 仮面を被り、数字に支配され、本音を押し殺している。
君が救わなければ、彼女は—— 君が最も恐れるものに、なる」
私は、スマホを握りしめた。
「君の鏡」
それは——優莉のこと。
彼女は、私の鏡だ。
インフルエンサーとして、フォロワー数に支配され、完璧な笑顔を演じ続けている。
私と、同じ。
「君が最も恐れるもの」
それは——
モンスターか。
それとも——
私自身か。
窓の外を見る。
夜空には、星が瞬いていた。
遠くて、冷たくて、けれど確かにそこにある光。
——私は、優莉を救えるのか。
——私自身を、救えるのか。
その問いに、答えは出なかった。
ただ確かなのは——
次なる危機が、すぐそこまで迫っているということだけだった。
スマホの画面を閉じる。
そして、布団を頭まで被った。
明日も、また——
「桜庭凪」を演じなければならない。
優等生として。
魔法少女として。
裏垢の毒舌家として。
三つの顔を、使い分けながら。
——いつまで、持つかな。
その答えは、誰にも分からなかった。




