第10話 数字の奴隷
翌日からの数日間は、綱渡りのような日々だった。
《火曜日・昼休み》
《現在のフォロワー:96,500人》
減っている。
戦闘もしていないのに、フォロワーが減っている。
これは「自然減」だ。
更新頻度が落ちたことによる、フォロワー離れ。
裏垢のタイムラインを開くと、容赦ないコメントが並んでいた。
「ミッドナイト・ヴェノム、最近つまんない」
「更新遅くね? もう飽きた」
「前みたいに毒吐いてよ。丸くなったら存在価値ないじゃん」
「ネタ切れ? オワコン乙」
スマホの画面をスクロールする指が、震える。
——お前らが求めているのは、私じゃない。
「毒を吐く私」だ。
誰かを傷つけ、こき下ろし、嘲笑う私だけが、ここでは承認される。
私の本質なんてどうでもいい。
私が提供する「娯楽としての悪意」だけが、消費されている。
私は、ただの——
コンテンツ。
商品。
消費財。
「凪ちゃん、お弁当食べないの?」
山田さんが、心配そうに声をかけてきた。
「……うん、ちょっと食欲なくて」
笑顔で答える。
完璧な、優等生の笑顔。
山田さんは「そっか、無理しないでね」と優しく言って、自分の弁当を食
べ始めた。
私は、スマホを握りしめた。
——分かってるよ。
吐けばいいんでしょ、毒を。
《水曜日・放課後》
約束通り、優莉とカフェで会った。
駅前の、オシャレなカフェ。
優莉はいつも通りの完璧なメイクで、いつも通りの完璧な笑顔を浮かべていた。
けれど——
目の下のクマは、さらに濃くなっていた。
「凪ちゃん、来てくれてありがとう!」
「ううん、私も話したかったし」
二人でアイスラテを注文し、窓際の席に座った。
「最近、どう?」
私が尋ねると、優莉は少しだけ表情を曇らせた。
「うーん……正直、ちょっと疲れてるかな」
「何かあった?」
優莉は、スマホを取り出した。
「これ、見て」
画面には、彼女のインスタグラムが表示されていた。
フォロワー数:52,847人
「減ってるの。毎日、少しずつ」
「……そうなんだ」
「新しい子がどんどん出てきて、私なんてもう古いって感じ。『オワコ
ン』とか言われてる」
オワコン。
その言葉は、私の裏垢にも投げつけられていた。
「それに」
優莉は、声を潜めた。
「例の、変なアカウント。まだ来てるの」
「……変なアカウント? フォロワー0で、投稿も0のやつ?」
優莉が、目を見開いた。
「え、凪ちゃんも知ってるの?」
しまった——口が滑った。
「い、いや、SNSでそういうアカウントがいるって話は聞いたことあるか
ら……」
「そうなんだ……」
優莉は、少しだけホッとしたような、けれどどこか寂しそうな表情を浮か
べた。
「私だけじゃないんだね。でも、私の投稿を全部見てるの。全部いいねし
てくる。気持ち悪くて」
優莉の手が、微かに震えていた。
「なんか、監視されてる感じがして。眠れない日もあるの」
私は、何も言えなかった。
私にも、同じことが起きているから。
「でもさ」
優莉は、無理に笑顔を作った。
「こんなこと、誰にも言えなくて。凪ちゃんだけだよ、話せるの」
その言葉が、胸に刺さった。
優莉は——私を信頼している。
けれど、私は彼女に嘘をついている。
私にも同じアカウントが来ていること。
私が裏垢の主であること。
私が魔法少女であること。
全部、隠している。
「……優莉ちゃん」
私は、言葉を選んだ。
「無理しないで。辛かったら、いつでも話して」
それだけしか、言えなかった。
優莉は、「ありがとう」と微笑んだ。
その笑顔は——少しだけ、本物に近い気がした。
《水曜日・深夜》
《現在のフォロワー:95,800人》
さらに減った。
私は、ベッドの上でスマホを握りしめていた。
タイムラインを眺める。
何か、バズりそうなネタはないか。
確実に賛否両論を巻き起こし、フォロワーを一気に稼げる「燃料」を——
探す。
まるで、ハイエナのように。
そして——見つけた。
ある有名インフルエンサーの投稿。
「貧困支援プロジェクト始めました!」
そう宣言する彼女の自撮り写真。
ハイブランドの服に身を包み、オシャレなカフェのテラス席で、募金箱を
持ってポーズを取っている。
背景には、青空とラテアート。
キャプションには、ハートマークと「みんなの温かい気持ちが、誰かの未来を作ります」という文章。
吐き気がした。
本物の、生理的な吐き気。
——これだ。
この偽善だ。
昼間、優莉と話した。
彼女は「フォロワーが減ってる」「オワコンと言われてる」と苦しんでいた。
私も同じだ。
フォロワー数に支配され、数字のために毒を吐く。
そんな私が——他人の偽善を批判する資格があるのか?
分からない。
けれど——
これをやらなければ、フォロワーは減り続ける。
今すぐ危険というわけじゃない。
95,000人なら、まだ「通常域」の範囲内だ。
けれど——このペースで減り続けて、戦闘で消費し続けたら?
いずれ、7万を切る。
「警戒域」に入る。
変身時間に制限がかかる。
そうなったら——戦えなくなる。
守れなくなる。
だから——
私の指が、熱くなる。
脳内で渦巻く黒い感情が、言語中枢を刺激し、指先へと伝わる。
私は、躊躇なく、フリック入力を叩きつけた。
インフルエンサーが「貧困支援」とか言って、オシャレなカフェで
募金活動の写真撮ってるの見ると、マジで吐き気がする。
お前がやりたいのは「支援」じゃなくて、「支援してる私」のア
ピールでしょ?
募金の金額より、自分の服とメイクに金かけてそうなのが透けて見
えるんだよ。
本当に困ってる人のこと考えてたら、そんなオシャレな場所で自撮
りなんてしない。
偽善するなら、もっと上手くやれよ。
#偽善 #インフルエンサー #本音
[送信]
指を離した瞬間、胃の腑が少しだけ軽くなった。
そして——
通知が、始まった。
《ピロン、ピロン、ピロン……!》
1秒に1件のペースで、通知が鳴り響く。
「それな! 言いたかったこと全部言ってくれた」
「ヴェノム節炸裂www さすが」
「これは正論。偽善者は黙ってろ」
「でもこれ、言い過ぎじゃね?」
「ただの僻み乙。お前が貧乏なだけだろ」
「誹謗中傷で訴えられろ」
賛同と批判。
罵倒と称賛。
それらが入り混じるカオス。
炎上だ。
大炎上。
けれど、炎上こそが——私の求めるものだった。
フォロワーカウンターが、激しく回転し始める。
96,000…… 98,000…… 100,000…… 103,000……
《現在のフォロワー:105,328人》
回復した。
それどころか、10万人を大きく超えた。
これで、当分は「最適域」を維持できる。
「……はは」
暗い部屋で、私は笑った。
勝利の笑い?
違う。
これは——
自嘲の笑いだ。
私は、人の善意(たとえそれが偽善でも)を踏みにじって、自分の力を維持した。
昨日、優莉に「無理しないで」と言った。
けれど、無理しているのは私だ。
人を救うために、人を傷つけている。
正義のために、悪になっている。
それが、たまらなく——虚しかった。
《木曜日・昼休み》
「ねえ、凪ちゃん」
水瀬優莉が、私の机に近づいてきた。
彼女の手には、スマホが握られている。
「この投稿、見た?」
画面を、私に見せてくる。
そこに表示されていたのは——
昨夜の私の投稿。
あのインフルエンサー批判のツイート。
心臓が、一瞬止まった。
けれど、表情は動かさない。
「……うん、見たよ。すごい炎上してるね」
平然を装う。 ポーカーフェイス。 優等生の仮面を、必死に支える。
「どう思う?」
優莉の声は、いつもより低かった。
いつもの「きゃぴきゃぴした」明るいトーンじゃない。
試すような—— 探るような—— 冷徹な響き。
「その……」
私は、慎重に言葉を選んだ。
「ちょっと言い過ぎかな、とは思うけど」
無難な回答。
誰も傷つけない、当たり障りのない意見。
すると優莉は、「だよね」と頷いた。
「私もそう思う」
けれど——
彼女の目は、笑っていなかった。
「……でもさ」
優莉が、一歩私に近づいた。
パーソナルスペースに、踏み込んでくる。
彼女の完璧なメイクの奥にある瞳が、私の網膜を突き刺すように見つめて
くる。
「この投稿、すごく『刺さる』んだよね」
「え……?」
「痛いくらいに」
優莉の声が、さらに低くなる。
「まるで、私のこと言われてるみたいで」
「……優莉ちゃん?」
「あ」
優莉は、ハッとしたように表情を変えた。
そして——
パッと、いつもの明るい笑顔に切り替わる。
その切り替わりの速さが、不自然だった。
まるで、スイッチを入れ替えたかのように。
「なんでもない! 凪ちゃんみたいな優しい子には、こういうドロドロした
話、分かんないよね!」
「あはは、そうだね……」
私も、笑顔で返した。
優等生の笑顔。 嘘の笑顔。
優莉は、「じゃあね!」と手を振って、自分の席に戻っていった。
けれど——
さっきの彼女の表情が、脳裏に焼き付いて離れない。
あの目。
あの声。
「まるで、私のこと言われてるみたい」
——優莉も、インフルエンサーだ。
彼女も、「映え」のために自撮りを撮り、フォロワーに承認を求め、数字に支配されている。
私の投稿は——
彼女を、傷つけたのかもしれない。
背筋に、冷たいものが走った。
《金曜日・夜》
その夜、最悪の事態が起きた。
メンタルモンスターの——連戦。
『凪殿、緊急です! 駅前に反応!』
夕食を終え、自室で宿題をしていた私に、ルミエの警告が飛んできた。
「……マジで? 今日は勘弁してよ」
文句を言いながらも、私は窓から飛び出した。
変身し、駅前へと向かう。
1体目は、「アングリー・ドッグ(憤怒の犬)」。
全身が赤黒く燃え上がる、狼のような怪物。
『——ムカツク……ムカツク……ナンデ、ワタシバッカリ……』
怪物の咆哮が、夜空に響く。
「浄化する……!」
光弾を連射し、浄化プロセスを開始。
20分後、なんとか浄化に成功。
《現在のフォロワー:103,200人》
約2,100人の消費。
——まだ、大丈夫。
変身を解こうとした、その時——
《ピロン!ピロン!ピロン!》
ルミエの警告音が、激しく鳴り響いた。
『連戦です! 近くで新たな反応!』
「は!? ちょっと待って、今浄化したばっかなんだけど!」
『公園方向です! 急いでください!』
「クソッ……!」
私は、再び走り出した。
息が上がる。 疲労が、全身に溜まっている。
公園に辿り着くと、そこには——
灰色の、霧のような怪物が浮かんでいた。
『——モドレナイ……モドレナイ……アノトキニ……』
後悔の声。
「リグレット・ゴースト(後悔の亡霊)」だ。
「浄化……!」
光弾を放つ。
けれど——
威力が、落ちている。
明らかに、さっきより弱い。
『連続戦闘による疲労で、出力が低下しています』
「分かってる!」
光弾は、霧の体をすり抜けていく。
物理攻撃が、効かない。
「『バイラル・レゾナンス』!」
大技を放つ。
不協和音が、亡霊を飲み込む。
浄化——成功。
けれど——
「はぁ……はぁ……はぁ……」
変身が、強制解除される。
私は、公園のベンチに倒れ込んだ。
指一本、動かせない。
全身の筋肉が、悲鳴を上げている。
スマホを、震える手で確認する。
《現在のフォロワー:95,100人》
2体連続で浄化したことで、約10,200人ものフォロワーを消費した。
せっかく炎上で稼いだ分が、一夜で吹き飛んだ。
「……ハードすぎるだろ」
声が、掠れる。
まだ「通常域」の範囲内ではある。
けれど——
このペースで戦い続けたら?
週に2〜3回の戦闘があるとして、毎回2,000〜3,000人消費。
それを炎上で補填し続けるのは、無理がある。
いつか、追いつかなくなる。
そして——「警戒域」に突入したら、戦闘時間に制限がかかる。
「危険域」に入れば、緊急変身しかできなくなる。
そうなったら——
守れなくなる。
社会的に死ぬか。
物理的に死ぬか。
どちらかは分からない。
けれど、このままでは——いずれ、破綻する。
「……帰らなきゃ」
立ち上がろうとする。 けれど、足が震えて立てない。
何度も試して、やっとの思いで立ち上がる。
壁に手をつきながら、ふらふらと歩き出した。
深夜の路地裏。 誰もいない。 助けを呼ぶこともできない。
私は、ただ—— 一人で、歩き続けた。




