第3話[毒草と傭兵]
日が暮れかけ、山の端がわずかに朱を残す頃。
ツクヨは畑の中心で膝をつき、異形の香草を布袋へと詰めていた。
肩の提灯が、かすかに光を揺らしている。周囲はすでに霧に包まれ、視界が白く霞んでいた。
──その時、空気が変わった。
風もないのに、木々がざわりと鳴ったような音。
続いて、重たい足音。人のものではない──太く、爪がある。
「……っと。来た、かな?」
ツクヨはすっと立ち上がる。
霧の中に、何かがこちらを見ている気配がある。
指先が、袖の内側に仕込んだ煙玉へと自然に伸びた。
「……あのねぇ、あたし戦うの苦手なんだよ? せめて名乗ってから出てきてよぉ!逃げる準備くらいはさせてほしいんだけど……」
返事はない。
霧の奥、ガサ、と葉が揺れ──
──それは、“獣”だった。
体格は熊並み、しかし体躯は異様に細く、牙が露出した頭部からよだれを垂らしている。
病魔に取り憑かれたかのような魔物──それが畑の毒草を掻き分け、ツクヨに向かって吠えた。
「っ、わっ……ちょ、待った! アタシを食べてもおいしくもなんともないってば!」
叫びと同時に煙玉を放る。灰色の霧に紛れて、ツクヨは畑の脇に転がるように退避した。
そのとき──
ドスッ……!
霧の奥、低く、重たい衝撃音が響いた。
直後に、二発目──グシャっ
肉を引き裂くような。まるで何かが何かを“貫いた”音。
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霧の中から現れたのは、一体のケモノの男だった。
灰色の毛並み、身の丈は2メートルを超える。
手には巨大なクロスボウを持ち黒革のベルト、腰には2本のダガー。
魔物の脇腹には、さきほどの一撃で撃ち込まれた巨大なボルトが突き刺さっていた。
ツクヨは身を低くして木の根元に隠れながら、思わず呟く。
「……誰? なんだか頼もしそうだけど、こわ〜……」
男は返事もせず、クロスボウを背に収めると、素早くダガーを引き抜いた。
魔物はまだ動いていたが、男は冷静に、呼吸すら乱さず、喉元へ刃を突き立てた。
──まるで、それが日常のように。
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その一部始終を、ツクヨは黙って見ていた。
そして魔物が動かなくなったのを見届けると、ぽつりと声をかける。
「……あの、助けてくれてありがと。ちょっと、怖い顔だけど。」
男はちらりとこちらを見るが、何も言わない。
そのまま、何事もなかったかのように立ち去ろうとする。
ツクヨは慌てて立ち上がり、声をかけた。
「ねぇねぇ! あたしツクヨっていうの。旅商人でね、今この村でちょっと調査中なんだけど……名前くらい教えてもバチ当たらないでしょ?」
男は数歩先で立ち止まり、振り向かずに答えた。
「……ヴァルツ。」
低く、重たい声だった。
「ヴァルツさんね、うん、覚えた。じゃあお礼に──干しリンゴ、食べる?」
沈黙のあと、男の背がかすかに揺れた。
「……いらん。」
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