第2話[香る村の奇病]
駅舎を背に、ツクヨは霧に沈む山道を歩いていた。
道端には細く伸びたハーブのような草が群れを成し、ほのかに甘い香りを放っている。
「なるほど、これが“フォスの香草”ってやつね。いい匂いだけど、ちょっと頭がぼんやりするな……」
独り言を呟きながらポーチから透明の液体が入った小瓶を取り出すと、それを布に数滴垂らし口を覆う。
提灯型魔道具はまだ点けない。朝霧のなか、足元を頼りに慎重に歩みを進める。
十数分ほど進むと、木造の柵に囲まれた村落が現れた。入口には「歓迎」と刻まれた板がかけられているが、どこか埃をかぶっていた。
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村に入ってすぐ、ツクヨは違和感を覚えた。
人の声がしない。洗濯物も干されていない。井戸のそばにいた老婆も、ツクヨの姿を見るなり、そっと家の中へと姿を消す。
(相当荒れてるな……病気が流行ってるって話、どうやら本当のようだ)
と、そこに声がかかった。
「お前……旅人か?」
声の主は中年の男性。農民らしい質素な服装。
だが腰には短剣が下がっており、眼光は鋭い。
「ただの商人だよ、おたくの村に香草があるって聞いて、病気の話も耳にしたから何か手伝えることがあればと思って。」
「商人? 物を売りに来たのか、それとも……祓い屋か?」
「祓い屋ってのは柄じゃないけど、干し薬と相談ごとはいくらか看られるよ。アタシはツクヨ、よろしく。」
男はしばしツクヨを見据えたが、やがてふっと息を吐いた。
「……村長のとこに案内する。無用心な旅人がふらつくには、この村は少々厄介だ。」
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村長の家は、他の家よりやや大きく、香草を干すための棚が軒先に並んでいた。
中に通されると、痩せた老人が小さな椅子に腰を下ろしていた。目元に疲れの色が濃い。
「ようこそ、フォスの村へ……あいにく、こんな有様でね……」
村長によれば、村の人々は最近、悪夢と発熱に悩まされているのだという。
原因はわからず、祈祷師も薬師も役に立たず、病の匂いに釣られて魔獣までうろついているという。
今では村外れの畑まで誰も近づかなくなっていた。
「香草の収穫期だというのに、これでは……」
「その畑、案内してくれる人は?」
「……残念だが、皆怖がってな。私自身も、あの場所に近づくと頭痛がする……」
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話を聞き終えたツクヨは、すっと立ち上がる。
「じゃあ、あたしがちょいと覗いてこようか。」
「えっ、だが危険が……」
「大丈夫、大丈夫。戦うのは苦手だけど、逃げるのは得意だから。」
そう言ってツクヨは、リュックの片隅から小さな布袋を取り出す。
中には香草のサンプルと、古びた鑑定用のレンズが収まっていた。
「旅商人ってのはね、こういうときの鼻と勘が命なんだよ。」
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夕暮れ、ツクヨは村の裏手にある香草畑へと足を踏み入れた。
草の匂いは確かに強いが、それだけではなさそうだった。
──風が、ない。
全体に空気が重い。どこか不自然な静けさ。そして畑の中心には、黒ずんだ香草がまとまって生えていた。
「ふむ……見た目は似てるけど……」
香草に混じって繁殖した似た異種。精油にすれば睡眠と幻覚作用を起こすとれている品種。
ツクヨはその場で布袋を取り出し、いくつかの株をひょいと採取する。
そこに──
森の奥から、獣のような足音が近づいてきた。
「……っと。来た、かな?」
ツクヨは提灯を灯しながら、マントの下に隠した煙玉へと指を伸ばした。