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白崎直人と黄金井圭②

 下校時間になり、直人は一年生の頃と変わらず一人で帰路に着いた。校門を通り過ぎて、ワイヤレスイヤホンを耳に着ける。


 一年生の頃、校内でワイヤレスイヤホンを耳につけて帰ろうとすると、男子に人気の若い女性教師に叱られたことがあった。勉学に不必要なものを校内で使っていることを指摘されるのかと思ったが、女性教師が言ったのは単純に、人が多い所で耳が塞がるのは危ない、ということだった。

 

 叱られて以来、直人は校門を抜けてからイヤホンを耳に着けるようにしていた。だが、今日は早く校内の環境音を遮りたくて、廊下でイヤホンを着けた。その折、まるで待ち構えていたかのように、同じ教師に叱られた。直人は、顔では不機嫌を装ってイヤホンを外し、俯きがちで女性教師の横を抜けて行った。


 一年生の前半は、帰り道にも面倒が転がっていることが多かった。他校の女子生徒に急に声をかけられたり、同じ学校の女子生徒が隠れて後ろから付いてきていたり。たまに、男子からいちゃもんをつけられて殴られそうになることもあった。


 逃げたり無視を繰り返すことで諦める人が増えたのか、最近はほとんど声をかけられることもなくなった。自分の力で勝ち取った平穏な帰り道は、直人を意味もなく誇らし気な気持ちにさせてくれる。


 しかしながら。


 河川敷に差し掛かったところで、SUPERBEAVERの曲を大音量で流しながら、黄昏る。


 これからもまた、一年生の頃と同じ苦痛に耐えなければいけないのは、あまりに気が滅入る。席が隣になった金髪のあの男子なら「贅沢な悩みだ!」なんて喚きそうだ、と思った。自動的に女子が寄ってくる日々が訪れたら、彼の場合涙を流して歓喜してしまうんじゃないだろうか。


 想像すれば、少し笑えた。微笑を零して、すぐさま取り繕う。自分と彼の関係は、ただ席が隣同士、というだけのものだ。友達でもないし、ましてや、知り合い、の域にも達してはいない。


 互いに、外見以外の何も知らないのだから。


 直人は、何の気なしに川の方へ視線を移した。陽の光に照らされた水面がきらきらと輝きを放っていて、どこまで光が広がっているのか無意識に追いかける。


 数メートルほど視線を動かした先。そこで、異変に気が付いた。ゆらゆらと煌めいていた水面が、一部乱れていて、ばしゃばしゃと音を立てて飛沫を上げている。


(なんだ?)


 目を凝らして見てみるが、飛沫の中心に何か黒い物体があるのが分かるくらいにしか見えない。坂を下って物理的な距離を縮め、得体の知れないそれがなんであるのか見えるところまで近寄った。


 果たして、飛沫の中心にいたのは、川の中でもがき暴れる一匹の黒猫だった。小さな身体で懸命に水を掻いているが上手く進まず、その場でひたすら飛沫をあげているだけになっている。


 溺れる子猫を見つけた直人は、慌てて辺りを見回した。


(誰か、誰か!)


 河川敷を歩く人の姿は見えるが、全員、こちらへ顔を向けるようなことはしない。一瞥してすぐに前方を向き、我関せずを貫く。何かが起こっていることは理解しているだろうに……。


「おーい! 子猫が溺れてるんだ、誰か一緒に助けてくれないか!」


 叫んでみたが、足を止める者はいなかった。聞こえているし、見えてもいる。それでもなお、誰も直人のもとにやっては来ない。


 前へ前へと進む人の足が、こんなにも気味悪く思えたのは初めてだった。


「――誰も来てくれないなら……」


 鞄を放り投げ、上着を脱ぎ、上半身を肌着一枚にして、直人は川に飛び込んだ。穏やかな春の気候だが、川の水はまだ冷たい。しかし、そんなことに怯んで場合でもなく、足のつかない川の中を泳ぎ進んだ。


 子猫のもとへ辿り着き、勢いよく子猫の身体を両腕で抱き寄せる。溺れている者に触れると引きずり込まれてしまい、救助がかえって悲劇を起こしてしまうこともあるものだが、相手が子猫ならば問題はなかった。


 直人の腕の中で暴れ回るが、子猫の力では男子高校生の力を凌駕することは出来ない。足をばたつかせて川岸に向かう直人の腕の中で、子猫の動きが徐々に小さくなっていった。


「――はあはあっ。安心しろ、助かったぞ。はあ、はあ……? おい、おい! どうした!?」


 子猫が暴れなくなったのは、落ち着きを取り戻したからだと思っていた。だが、現実は非情。ぐったりと力が抜けてしまっている子猫は見る限り、体力を使い果たしたようで、今まさに命の灯が消えかねない容態だった。


 直人は子猫の身体を抱えたまま、放り投げた鞄を拾おうとした。鞄に手が届く前に足がもつれて、地面に倒れそうになる。子猫に圧力がかからないようにと、咄嗟に両腕でしっかりと抱え、緩衝材もない地面に直人の身体は右肩から落ちた。そのまま背中を着け、腹筋と足の力を使って身体を起こす。顔や頭も地面に擦れてしまったが、そんなことはどうでもいい。


 転んだ痛みに一言文句を言った後、子猫を片腕で抱えたまま鞄の中のスマホを取り出した。急ぎ通話の履歴画面を開き、ある場所へと繋ぐ。


 直人がたまに利用する、タクシー会社である。


 コールが二回鳴った後に人の声が聞こえて、直人は自分が通う桜ヶ丘(さくらがおか)高校に来てほしい、と伝えた。


「大丈夫、大丈夫だからな」


 子猫に言い聞かせながら、脱いであったカッターシャツで子猫の身体を覆う。微かな息しか漏れない子猫の冷えた身体を暖めながら、直人は泥にまみれた身体にズボンと肌着を一枚身につけた姿で、学校へと戻って行った。

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