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一歩ずつ

臨んだ世界は

作者: 希夜

体を撫でる風が暖かく、春の訪れを感じる三月。

まだ見ぬ新しい世界に、憧れと焦燥

その先の不安と、怖さを勝手に感じる季節。

新しい未来を臨んでみたりするけど

楽しさとは別に怖さを感じる自分がいる。

今が幸せならば、未来がそうだとは限らないし

幸せでないなら、未来でもそれは同じかもしれない。


人は変化を恐れながら、変化を求めるものなんだ、と

そう思った自分がいる。

変化というものは、生きていく上で避けられないし

ほとんどの場合望んで得られるものでもない

私たちができることはただ、

変化を待つだけなのかもしれない。

それでも、変わろうともがくことが無意味ではない。

結果がどうあろうと

それは必ず経験になるはずだから。


きっと、明日になれば今日と比べて

多くのことが変わっているはず。

明日の次の日や、ましてや未来だなんて

今日の自分からしたら別世界だろう。

だから、自分は未来が怖くて仕方がない。


自分は生きているか

大切な人は健康で生きているか

大切な場所はまだあるか 

大切だと思える人は、大切なままか

少なからず希望を抱ける、そんな世の中であるか

考えるとキリがない。

とにかく、明日や未来というのは、

当たり前だけれど不確定なんだ。

でもだからこそ、私たちはそんな未来に希望を抱ける

もしかしたら、夢は叶って、望んだものがあるかも

もしかしたら、生きる事が楽しくて、笑えているかも

これも、考えればキリがない。


けど、やっぱり、未来の事について考えるのは

本当に疲れることだと感じる  

楽観的な展望と、そうでない展望があれば

ほとんどの人は後者を選ぶだろうから。

残念ながら後者に至ることの方が多いし

その方がダメージが少なくて済むだろうから


この時期、未来について考えることなら疲れたのなら

今日やごく近い明日について考えるのはどうだろうか

結局は、今日生きてて楽しいと思えるかとうかで

未来に至るまでには数多の今日と、明日があるから

別に、未来のことを考えなくとも

今日なら生きていけるはずだから


詩の一部が私のミスで抜けておりましたこと、誠に申し訳ございません。

「体を撫でる風が」から「自分は未来が怖くて仕方がない」までの詩が抜けていたことをお詫び申し上げます。

すでに一度お読みいただいた方には、再度ご一読いただけますと幸いです。

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