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夏とサンダル

作者: 勝燬 星桜

 蝉のうるさい声に目を覚まして、時計を見た。すでに針は11時を回っていて遅刻かと身構えたけれど、自分がしばらく学校に行っていないことと、今日から夏休みだったことを思い出す。冷蔵庫の麦茶に直接口をつけて煽った。


 夏休みは嫌いだ。嫌なことを思い出すし、暑いし、ついでに子供達が駆け回っているから。


 走るのは嫌いだ。昔みたいに走れないから。


 俺は自分が嫌いだった。人より頭は悪いし、身長もないし、顔も良くない。何か特別な経験があるわけでもなければ、特に大切な人がいるわけでもない。唯一人より足が速かったけれど、もう今ではそれも無くしてしまった。


「ほんと不公平な世界だよなぁ……」


 自分で言って、なんだか歌に出てくるような十代の少年を見ているようで嫌になる。気の利いた慰め文句すら自分にかけてやれないのだ。


 家は静まり返っていて、そのせいか水滴がシンクを叩く音がやけに耳についた。唯一の理解者である犬のフータすら俺を見放したのだろうか。


 玄関脇のトイレに入るときに、姉貴の靴がないのを見て、どうやらフータを散歩に連れて行ったのだと気がついた。


「夏休みくらい散歩してみるか……」


 どこからどう見ても寝起きです、と世間に宣言するようなルームウェア……もといTシャツ短パンのまま、サンダルを履いて家を出た。スニーカーを履くのはやめておいた。


 やはり太陽がジリジリと皮膚を焼いてきて、嫌でも夏休みを意識させる。ため息をついたタイミングでそれはそれは楽しそうにはしゃいで駆け抜けてゆく子供達に、再び大きなため息をついた。


「何やってんだろうな俺」


 怪我はもう治っている。違和感もないし、友人たちも戻るように言ってくれるけれど、決して前より速くなることはない。壁の向こうが見えたはずなのに、それが絵だったような、蜃気楼だったような、捉えどころのないものに変わってしまう絶望感からは逃げられない。


 つらい。


 どうにもうまくいかない。


 どうしようもない。


 そんな言葉が頭の中をぐるぐる回って、内臓の奥の方がぐるりとした時。


 後ろから何かがぶつかってきて、思わず膝をつく。サンダルを咥えて駆けていく後ろ姿に、見覚えのある毛並みを見た。


「フータ!?」


 姉貴と散歩に出掛けているはずのフータがサンダルを奪って一目散に走り出す。青の横断歩道を駆け抜けて、公園の方向に向けて全力疾走、ふさふさの毛並みが夏の太陽に輝いて、まるで向日葵のような……


「あ、あぶねぇよフータ!」


 咄嗟に駆け出して、フータの後を追う。道路脇の白線の内側の細い部分、昨日の雨でできた小さな水たまりを蹴散らして駆けた。フータは時折道路を横切って公園の方に一目散に走っていく。


「戻ってこい!」


 犬って思ったより速いのな。


 そんなことを思いながら、足の裏でコンクリートが寄越す力の反動を感じる。土とコンクリートと何かの花の匂い。ふっと力の抜けた刹那に耳に飛び込んでくる鳥の囀りと車の走る音。


 フータは公園には目もくれず、そのまま川の方を目指す。大好きな公園をスルーするなんて、夏に雪でも降るんじゃないかと疑いながら、走るフータの首輪に手を伸ばした。


 突然ぐるっと世界が回って、水たまりに足を滑らせたことに気がついた。片足だけ履いていたサンダルがあらぬ方向に飛んでいって、背中から地面に倒れ込む。


「はぁ、はぁ、はぁーー」


 ふと目の前に影が落ちて、眩しい太陽が遮られた。目に入った水を鬱陶しげに瞬いて退かすと、見覚えのある顔がひとつ。


「やぁ、弟くん」


「あ、姉貴?」


 弟の俺から見ても整った顔でニヤリと不敵な笑みを浮かべた姉貴が、『ほら、いつまでも寝っ転がってないでさ』と手を引いて引っ張り上げてきた。


「で、どうよ?」


「はぁ? なにが」


 姉貴を見れば、右手で俺のサンダルをくるくる回している。足元には楽しそうに走り回るフータ。


「まさか姉貴が?」


「そうですけど」


 嘘だろ。どんな芸当だよ。


 ふと足に鈍い痛みを感じて目を落とす。擦りむいた足の裏は血が滲んで、なんだか俺みたいだななんてくだらないことを思って突っついてみた。


「いってぇ!」


「ふふっ、今痛いって初めて思ったんじゃないの?」


 姉貴が何を言いたいのか、なんとなく……いや、ちゃんと分かる。分からないふりをしたいけれど、これはそうもいかないらしかった。


「で? どうだった?」


「……よかったよ」


「えー? もっとちゃんと言ってよ。楽しかったんじゃないの?」


「あーあー、楽しかったよ。楽しかった」


 足を出せば、それに応じて地面が応えてくる。答えてくる。踏み込んだ分だけ、前に進んで、力を込めた分だけ、視界が開ける。目の前が広くなって、何でもできるんじゃないか、なんてくだらない考えが現実のもののように思えてきて。


「走れよ少年。あんたにならできるでしょ?」


 なんて姉貴なんだ。とんでもないやつだ。なんでもできる秀才で、失敗した人の心情までわかるなんて、本当にこの世界は不公平なんじゃないだろうか。


「まあ、楽しかったならよかったよ。フータをけしかけた甲斐があったわ。ねー、フータ」


 吠えるでもなく楽しそうに尻尾を振るフータに思わず顔の筋肉が反応してしまった。


「けしかけたとか……姉貴は魔法使いかよ」


「ふっ、ふふ」


「はっはっは」


 あー、本当に馬鹿馬鹿しい。走ったせいじゃなくて、笑いすぎて腹の筋肉が痛くなる。笑いすぎて地面に倒れ込んで、しばらく笑った。そんな俺を見て姉貴も腹を抱えて笑っている。


「はっ、はっはーー」


 息が苦しい。朝までの息苦しさじゃなくて、きっと綺麗な方の息苦しさ。


「やっぱ俺、俺が嫌いだわ」


「ほんっとにちょろい弟だよ」


 こんなことで、また走れるなんて思ってしまう俺が嫌いだ。くだらないことで悩んでいた俺が嫌いだ。世界をどうこう言っていた俺が嫌いだ。


 走っていない俺が嫌いだ。


「だぁぁぁあ!」


「ちょっと、外であんまり叫ばないでよ」


「くっそ、思い出したらどうにもならなくなってきた。ちょっと走ってくるわ!」


「おう、行ってきなさいな」


 笑いながら手を振る姉に片手をあげて、サンダルで地面を蹴った。

以前友人たちと遊びでお題をランダム生成して即興で短編を書く、みたいなのをやった時の産物です。2年前とかの。


たしか「夏」「靴」「犬」「姉」でした。


ノープランで即興なので、短い上に内容恥ずかしいですけど供養で。

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