1 ニーナ
ユーエラニア王国、パルニア公爵家の次女、ニーナ・パルニアは、生まれる前から母親に嫌われていた。母親のアマリリス・パルニアがニーナを嫌がったのには、理由があった。
アマリリスがニーナを身籠った頃の事だった。
「アレッサンドロ様はまだ別邸ですって。アマリリス様のご懐妊にはご興味ないらしいわ。」
「別邸の奥様にはサンドリアン様という男の子がいるそうよ。いずれ本邸に来るんじゃないか、って別邸勤めの友だちから聞いたわ。」
「リリアン様はご長女なのにサンドリアン様より魔力量が少ないかもしれないんですって。今度生まれる子どもの魔力量が多かったら形勢逆転できるとも聞いたわよ?」
「どうかしら。ドリアーヌ様はアマリリス様よりお若いし、次の子どもを、ってなるんじゃない?王様も妻の数を制限してくだされば良いのに子ども関連の義務ばかり課して。余分な仕事が増えるわ。」
図書室の閲覧机を掃除しながら愚痴を言っていた侍女は、本棚の間にアマリリスが居る事に気付いていなかった。
その場から動けなかったアマリリスは、キオニア公爵家の令嬢だった頃からの侍女、プリムが迎えにくるまでそのまま立ち尽くしていた。プリムは今はパルニア家の侍女頭で忙しく、アマリリスが居ないと気付くのが遅れた。
「プリム、どうしましょう。アレッサンドロ様には別に妻子が居るって。私この子を妊娠したから家に居つかなくなったと思っていたけど、前から愛人が居たのね。」
「お嬢様、お聞きになったのですね。あちらがなんと言おうとお嬢様が正妻です。堂々となさいませ。今はお腹の子を第一に、」
「私、お腹の子が怖いの。日に日に威圧感が増している気がする。私より魔力量が多いのかもしれないわ。この子を産んだらアレッサンドロ様も変わるかしら。」
「お嬢様はキオニアで魔力量が一番多かったので、初めてのことに戸惑われても仕方ありません。」
「私、キオニアで周りの人たちがなぜ私を敬遠していたのか、分かったような気がするわ。」
「代々キオニア公爵家の方々は魔力を感知できることで苦しまれていました。お嬢様の苦しみ、おいたわしいです。」
「私、どうしたらいいの?育てる自信がないわ。」
「公爵家には使用人がおります。十歳まではなんとか頑張りましょう。」
プリムはなんとかアマリリスを宥めて部屋へ連れ帰った。
「おめでとうございます。可愛らしい女の子ですよ。」
あっという間に臨月を迎え、不安が解消する前にお腹の子は生まれてしまった。本能的な恐怖。生まれたての赤ちゃんから威圧感を感じる。怖い。
「嫌よ!こんな子私の子じゃない!」
アマリリスは思わず叫んだ。
その時女の子の左手が光った。白い光は浮かび上がって、女の子の胸に吸い込まれていった。恐怖で固まるアマリリスと侍女たち。
「何が起きたの?」
「アマリリス様、これは吉兆ではございませんか?」
一人の侍女だけは興奮した様子で声を上げた。
「そんな!凶兆ではないの?私はあの子が恐ろしくてたまらないわ!」
「それは・・・」
「とにかく十歳になったらそれから考えるわ。妊娠届は出してしまっているもの。なんとか初乳は飲ませるわ。あとはプリムがなんとかしてちょうだい。」
ユーエラニア王国では妊娠を届け出る義務があった。先代国王が引き起こした王家の悲劇のあと、妊娠と出産の届出、魔道具装着、十歳までの養育、聖堂での魔力検査の五つが義務付けられていた。
養育義務がある反面、魔力量検査の結果次第で養育を放棄することは、親の権利として認められていた。五つの義務に違反すると断首もある。これまでに違反した者はいなかった。
出産届を出してしばらくすると、聖堂の侍従が来た。
「ご出産おめでとうございます。では早速魔道具を付けますね。」
侍従はアマリリスとニーナの耳に揃いのピアスを付けた。アマリリスにはリリアンという娘が居るので二つ目のピアス。
「魔力の発現は年齢差がありますから、十歳時の検査を忘れないようにお願いします。公爵家のお子さんは魔力量が多いと見なされ、誘拐等の危険もあります。充分お気をつけください。では、門にも登録をしますね。」
屋敷の門にピアスに反応する魔道具が設置されていた。子どもが外に出る時は、母と一緒でないと出られない。誘拐防止、子捨て防止、建前は色々あった。
先代の王の時に王宮から子どもが居なくなることが多発し、王家に連なる公爵家でも防止策を講じる事になった。門への登録はその一環だ。親子関係の確認にも使われていて、一つの魔石を割って作られるピアスは偽造できないものだった。ピアスは聖堂の魔道具でしか外せなかった。
「では出産届に記名をお願いいたします。はい。
『ニーナ』様ですね。確かに。ではこれで失礼します。」
侍従は書類を持って帰っていった。
ニーナは生まれたことを祝われるでもなく、周知されるでもなく、屋敷はそれまでとあまり変わらなかった。
その後、アマリリスは全くニーナに会おうとしなかった。義務だと分かってはいても、時間が経つと尚更恐怖心は増し、ニーナの事を考えただけで体が震えた。部屋もなるべく離してもらった。ニーナの侍女を選ぶ事もせず、使用人たちに指示することも頭になかった。
女主人が避けたからと言って、ニーナに何かあったら責任を取るのは使用人である。侍女頭のプリムはアンナにニーナの世話を任せた。
アンナはニーナが生まれた時に吉兆では、と指摘した侍女だ。彼女は信仰の一族と呼ばれる家の出身で、今では貴重な龍の愛し子の絵本を持っていた。元々は画家が多い一族だが、龍に関するあらゆる物を収集していて、龍を信仰している一族と言われている。
アンナは出産の時、その絵本の絵を思い出したのだが、それまでの周囲の反応からあまり話さない方がいいと学んでいた。
同僚の侍女はアンナにも仕事を割り振った。他の仕事の合間にニーナに会いに行っていたが、数時間置きにお世話が必要な、生まれたばかりの赤ちゃんには充分ではなかった。
恐ろしいことに、子を育てたことのない侍女やアンナは気付いてもいなかった。アンナもまさか侍女一人に世話を任せるとも思わず、他にも誰かがお世話をしていると思っていた。