縁の切れ目
家に帰ると家のお手伝いさんに父のいる書斎に行くようにと声を掛けられる。要件は分かっている。許嫁の事についてだろう。俺はすぐに父のいる書斎へと向かう。
「星野家から婚約を解消して欲しいとの連絡が来た」
「そうですか」
「これでは新川家の面目も丸潰れだ! お前は新川家の恥だ! 二度と私の前にその顔を見せてくれるな!」
やはり、俺は家族の縁を切られるらしい。父の顔にドロを塗ったのだ。このプライドの高い父ならば当然といえば当然の結果だ。だが、周りからの目にも敏感な父のだ。俺を家から追い出してそれでお終わりということもないだろう。
「お前には新しい家を用意した。家具や生活用品も揃えてある。だから、今日からお前はそこに一人で住め。金も毎月口座に振り込む。だから……これ以上は言わなくても分かるな?」
「はい。分かっています」
「ふん。ならばいい」
父からはこれ以上は俺に迷惑をかけるなといった、無言の圧を感じるが迷惑をかけるつもりもないのでここは素直に応じておく。やはり、父は周りの目を気にしているようで親としての最低限のことはしてくれるようだ。
「それでは、失礼します」
「あぁ。さっさとこの家から出ていけ」
俺の新しい家についてはお手伝いさんに聞けば連れていってくれるだろう。なので、自分の部屋から必要なものだけ持って行こうと思ったのだが……
「見事に何も無いな」
俺の部屋……いや、部屋だった場所には何も無かった。文字通りホコリひとつ落ちていない。どうやら、星野家から連絡が来た時点で俺の私物も全て新しい家へと送ったようだ。
コンコン。
「どうぞ」
「失礼します……兄さん」
控えめなノックをして部屋に入ってきたのは妹の朱音だった。真っ青な顔をして、目には今にも零れてしまいそうなほど涙を溜めているのがここからでも見て取れる。
「朱音か。悪いな俺のせいに迷惑をかけることになりそうだ」
「いえ……そんなこと……」
「父さんの会社は朱音が継ぐことになるのか?」
「……はい。……先ほど父様にそう言われました」
朱音はまだ中学三年生だ。今年は受験も控えているというのに、急に会社を継ぐようになんて言われてもとんでもない話だと思う。
父としても自分の会社は家族の誰かに継いで欲しいと思うのは普通だ。長男である俺に失望したなら、妹である朱音に白羽の矢が立つのも当然の流れだ。
「本当に申し訳ない。不出来な兄のせいで迷惑をかける」
「そんな! 兄さんは不出来な兄などではありません! 兄さんは私にとって最高の兄さんです!」
我慢の限界だったのだろう。朱音は目に溜めていた涙を溢れさせて、俺の胸へと飛び込んでくる。胸に飛び込んできた朱音を優しく受け止めると、朱音は声にならない悲鳴を上げながら俺の胸の中で泣き続ける。
朱音が落ち着くまで俺は優しく頭を撫で続けていた。どれくらいの時間が経過したかは分からないが、朱音が落ち着くまでかなり時間が必要だった。だが、厳しい父のことだ。朱音には俺に二度と会わないようにと厳しく言ったのだろう。そう考えれば、この長く感じた時間でさえ短いくらいなのかもしれない。
「落ち着いたか?」
「……はい。見苦しいものを見せてしまってごめんなさい」
「いや、そんなことはない。朱音にここまで思ってもらえていて嬉しかったよ」
「当然です! 兄さんより素敵な兄は地球上のどこを探しても絶対にいません!」
「そうか」
実の妹にここまで言ってもらえたのだ。それなら、この家にはもう未練なんてものは全くない。父の言いなりになって生きてきた今までの人生だったが、最後に少し報われた気さえする。
「決めました! 私は父の会社を継ぎます! そうしたら、すぐに兄さんを連れ戻します! だから、待っていてください!」
「朱音にそう言ってもらえただけで俺はもう十分だよ。だから、朱音も自分のために頑張ってくれ」
「分かりました。それなら、私は私のために兄さんを連れ戻します! 絶対にです! だから……だから……少しの間だけ辛抱していてください!」
それだけ言うと、朱音はまた涙を零してしまう。だけど、さっきとは違って俺の胸に飛び込んで来たりはしない。涙を零しながらも俺の目をまっすぐに見ている。その目からは、これが私の決意ですと口にしなくても伝わってくる。
「分かった。待ってるよ」
「はい! 待っていてください!」
「それじゃあ、俺はもう行くから」
俺は最後に朱音とすれ違う時に軽く頭を撫でてから、部屋の扉を開けて部屋の外にでる。扉を閉めると直ぐに朱音の泣き声が聞こえてくるが、俺がこれ以上いても仕方の無いことだ。朱音は俺とは違って優秀なので、きっと上手くやっていくのだと思う。
「あっ、彼女が出来たって伝えた方が良かったか?」
そんなことを言っても、今更なので俺はお手伝いさんに声を掛けて新しい家へと連れて行ってもらう。朱音は俺を連れ戻すと言ってくれたのだ。なら、これで最後ではない。また会った時にでも、彼女のことは言えばいいだろう。次に朱音に会う時まで詩音と別れていなければの話ではあるのだが。