8.登城
登城の日を迎えた。城へ続くレンガの坂道を目指し、馬車がガラガラと街中を走る。
天高く澄み渡る青い空を馬車の中から見上げ、ソフィーはふと思った。
(今年はベントへ避暑に行きたいってお願いしてみようかしら)
あと一ヶ月程で夏がやって来る。
早々にウィリアム王太子殿下に婚約破棄されれば“傷心”を理由にすぐにでも出立できるかもしれない。
(カミーユ・・・)
だが、ベントへ行ったからと彼に会える事はない。
11年前の嵐で崩れたあの教会は、翌年取り壊されたからだ。
ソフィーが知っているカミーユはあの場所にしかいない。
毎日後悔する。何故住んでいる所を訊かなかったのか、家の名前を訊かなかったのか、―――婚約者は・・・?
そして想いは募り、11年が経ってしまった。
「はぁ・・・」
思わず出た溜め息に、一緒に馬車に乗っていたニコル伯爵夫妻が心配そうにソフィーに声を掛けた。
「やはり不安だろう?バーグマン伯爵家からの帰りに、楽しみだなどと言ってはいたが・・・」
ソフィーはきょとんとした。楽しみなのは確かなのだ。
セリーヌ嬢の話を聞いた後“王太子殿下にカミーユを探して貰おう”と心に決めた。国の権限を行使して捜索するのだ。期待しかない。
ソフィーは笑ってみせた。
「本当に楽しみよ!」
馬車は街の中を抜け、王城へ続く緩やかなレンガ道に入った。途端、馬の蹄は軽やかに鳴り響いた。
大きな城門をくぐると、馬車は速度を落としゆっくりと止まった。
馬車の扉が開き、エスコートされる。両足が馬車から降りた所で顔を上げると、城仕えがズラリと並び盛大に出迎えられた。
「お待ちしておりました」
今回の取り仕切りを任せられているだろうと思われる、ロマンスグレーの侍従長らしき人物がニコル伯爵一家へ一礼した。
「ご案内致します」
侍従長の後ろに付いて右へ左へ。どこを歩いているのかわからない程、広く煌びやかな城内にソフィーは見惚れた。
暫く進むと、一目で特別だと分かる豪奢な扉の部屋へ通された。
広い部屋の中央には見た事のない美しい張地のソファ、枠に金が使われたローテーブル、壁の絵画や他の家具も一級品と思われる品が備えてあった。
(賓客用のお部屋かしら・・・)
「こちらで暫くお待ちください」
そう言い残し、侍従長は部屋を出て行った。
既にソファに掛けていたニコル伯爵夫妻は、未だ立ったまま部屋を見回す我が娘を笑顔で見つめていた。
「お父様、お母様、このキャビネット見て!この蝶番の細工、見事だわ!この家具、産地はどこかしら?うちの領地でも出来ないかしら?自慢の木材と併せて―――ブツブツ・・」
こんな時まで家の事を・・・と、ニコル伯爵の笑顔は複雑な表情になっていた。
山に囲まれたニコル伯爵領は、これといった特産品がなく、他の領地との卸売業を主に運営していた。が、7年前、目まぐるしく変わる流行、物価上昇により先が見通せなくなり、厳しい状態に陥っていた。一部の使用人に暇を出したり、貴金属の購入やドレスの仕立て回数を減らしてみたがその場しのぎにしかならない。
ある日、
『お父様、少し見晴らしを良くしませんか?』
と、当時18歳のソフィーは手付かずの荒れた山林の整備を父に提案した。資金繰りに頭を悩ませてはいたが、実のところ領地の半分が山地のため、他の領地との移動や運搬に煩わしさがあった。
試しに山の一画に手を付けたところ、伐採した全ての木材が高級木材だった事が判り、特産品として取り扱う様になった。
それから徐々に経営は良くなり、良質な木材が口コミで広がった事もあってニコル伯爵領は高い評価を得る様になっていった。
実質、ソフィーが立て直した事になるが、自ら経営に参画する事はなかった。只、これを機にニコル伯爵は娘にアイデアを求める様になった。
『家の為に縁談を断り続けているのだろうか・・・』
ソフィーが21歳を迎える頃、ニコル伯爵は自責の念に駆られるようになっていた。
「エリックも来れると良かったですね、お父様」
「あ、あぁ・・・」
ふいに娘に話を振られ、返事をしたものの続く言葉が見つからない。
扉を3回ノックする音にニコル伯爵は安堵した。