7.一縷の望み
王宮では新しい婚約者の登城に合わせて“婚約の儀”の準備が速急に進められていた。
この10年間、幾度となく行われてきた事で城仕えの者達の慣れた手つきに、その苦労が垣間見えた。最早恒例行事のようになりつつあったが、婚約の儀といっても内容は双方親族の顔合わせと会食のみ。国の司教立会いの下、口頭で述べて終わりである。ハドリー王国では婚前に書式的な契約はなく、婚姻式にて交わす事となっている。
そんな簡素な婚約の儀の準備に何故王宮が慌ただしいのか。
毎回、登城の三日前に通達されるからである。
「今回ばかりは婚約の儀に間に合わないかと思ったぞ」
視察先から帰城したばかりの国王陛下が自室で侍従に着替えを委ねていた。
部屋の扉の内側にはウィリアム王太子と、三歩後方に男の側近が立っていた。父と息子とはいえ、国王陛下の許可なく近づく事は出来ない。
ウィリアムはその場で謝罪を述べた。
「申し訳ありません、陛下」
その言葉とは裏腹に表情はピクリとも動かない。
陛下は横目でウィリアムを見ると、侍従達に下がるよう指示をした。
扉が閉まり、二人きりになった部屋で父は息子を手招きしてソファで語り始めた。
「ウィリアム、今回の縁談で何人目だ?」
「11人目です」
「21人目だ」
「・・・・」
微動だにしない息子を見て陛下は深く溜息をついた。
「先程、王妃が私に耳打ちしてきたぞ。今度の令嬢は貴族間の話題に上がる程の才女だそうだ。そろそろ潮時だと思わんか?」
「善処します」
その返答に陛下は更に深く溜息をついた。
ウィリアムが一礼し、退室すると、その扉を見つめポツリと呟いた。
「10年か・・・」
国王陛下の自室から少し離れた廊下で待機していた男の側近が、ウィリアムの歩く姿を確認し合流した。
「陛下は何て?」
やけに砕けた口調の男はウィリアムと一緒に部屋に入った側近だ。
「今回で決めろだと。母上が気に入ったらしい。随分と頭がいいらしいな。名前は?」
「・・・っ、調査書見てないのかよ・・・はぁ・・」
手にしていた書類の中からファイルを一冊広げると、読み上げ始めた。
「ソフィー・ニコル伯爵令嬢 25歳、ニコル伯爵の長女」
ウィリアムは廊下を歩きながらその名の記憶を辿る。
「知らないな」
「本気か!?俺でも噂で知ってるぞ!」
露骨に言われ、少しムッとする。男は気にせず続けた。
「過去の名簿を色々調べたが、同じ舞踏会へ参加した記録がないな。初めてお会いする令嬢だ」
(聡明な令嬢にはいつもと違う断り方をした方がいいのだろうか?)
ウィリアムは男の説明を軽く聞き流しながら、会う前から婚約破棄の方法を考えていた。
「だ、が、」
男が発する接続詞に『やけに押してくるな』と疑問を抱きながら大人しく話の続きを聞いた。
「東のベントにある王族の別荘、あの辺りにあるタイナー伯爵領は親族のようだよ」
「――――何?」
その言葉にウィリアムの足が止まった。
17歳になったウィリアムの婚約者探しの騒動はベント地区から始まった。
片っ端から15歳のデビュタントを終えた貴族の令嬢と婚約の儀の場を設けたが、お目当ての令嬢には会えず終い、ベント地区からは早々に手を引いた。
(親族・・・盲点だった!)
「その調査書、目を通そう」
手を差し出した主に側近の男はニヤリと笑うと、広げていたファイルを一旦閉じ、ウィリアムへ渡した。
「ご確認お願いします」
受け取るとその場ですぐ様広げ、内容を一文字も零さぬよう指で文章をなぞりながら読んでいく。
「!!!」
ある箇所で指が止まった。
――弟 エリック・ニコル 23歳――
「エリック・・・・」
ウィリアムの指が微かに震えた。