6.噂の冷酷王太子の真実
『待ってて、必ず戻ってくる』
コンコンコン
「お嬢様、お目覚めでしょうか」
侍女のリゼのノックで夢から覚めたソフィーは、まだまどろみの中にいた。
(11年前のあの時の様な感覚だわ・・・)
嵐の中、古い教会で飛び立つ小鳥の姿を見た後の記憶がソフィーには無かった。小鳥の次に目にしたのはタイナー邸で使っていた部屋の天井。
あの時、記憶を辿る様にエリックに経緯を訊ねたが、
『父上と馬車で教会へ迎えに行ったんだ。天井が崩れていて、姉上は巻き込まれたみたいで・・・』
少し間が空く。
『姉上は一人、倒れていた。本当に無事で良かった・・っ』
言葉を選ぶように説明するエリックに問い質したい事があったが、涙ぐむ姿を見ると出来なかった。
(私・・・一人・・・)
(いいえ。耳に残る彼の声、彼の言葉は夢ではないわ)
―――コンコンコン
二度目のノックにソフィーは慌てて起き上がる。
「大丈夫よ、起きてるわ」
その返答に侍女のリゼは部屋へと入ったが、ソフィーの顔を見るなり挨拶もそこそこに駆け寄った。
「ご気分が優れませんか?縁談の話でお悩みなのでしょうか?」
「ふふっ。リゼは私の事、何でも気付いてくれるのね、嬉しい」
いつもより少し早口で喋る彼女が、心配してくれているのだと解り心がとても温かくなった。
「お嬢様・・・」
王家から書状が届いてから10日が過ぎていた。
もう覚悟は出来ている。たとえ王太子のお気に召されなくとも、十分な相手と縁談が進むだろう。それで伯爵家の体裁は守られる。
「リゼ。・・・11年前の事を夢に見たの」
「11年前・・・タイナー伯爵様の邸での事でございますね」
ソフィーより五つ年上のリゼは、11年前のベント地区での避暑の際、ソフィーの身の回りの世話係として同行していた。
「あの頃までお嬢様は毎日難しい本をお読みになって、旦那様に領地の質問をたくさんしておいででした」
リゼは語りながら手際よく洗顔の準備をする。
ソフィーはベッドから降りると用意された洗面台で洗顔を始めた。
「聡明で落ち着いたお嬢様の瞳が日に日にキラキラ輝いて、それはもう、本当に素敵でした」
クローゼットから外出用のドレスを選び、ソフィーの前へ差し出した。ソフィーが頷くと、リゼはソフィーの着替えを始めながら目を潤ませた。
「本当に・・・ご無事で良かった・・・っ」
滑らかな肌からスルリと布が落ち、ソフィーの胸元が部屋の空気に晒された。
傷一つない、綺麗な、白い肌だった。
その日、ソフィーは両親であるニコル伯爵夫妻と馬車でバーグマン伯爵家へと向かっていた。
ニコル伯爵家と同じく、王家からの書状が届き、その後すぐに公爵家との縁談が決まった令嬢の家である。
彼女は王太子との顔合わせから破談までの経緯を、誰にも、両親であるバーグマン伯爵夫妻にも何一つ話していなかった。ニコル伯爵はソフィーの登城前に何とか打開策をと、令嬢二人だけのお茶会を提案した。同じ歳な事もあり『二人だけならば・・・』とバーグマン伯爵令嬢の承諾を貰い、本日バーグマン伯爵家にて開かれる事となった。
到着すると、ニコル伯爵夫妻は邸の中へ、ソフィーは温室へと案内された。
季節を問わず咲き誇る花々の奥に、小さなテラスが設けられていた。周りはラタンのパーティションで囲まれ、涼しげな見た目とは反対に、他言してはならない内容の話なのだと緊張で手が汗ばんできた。
「お待たせしてしまったかしら」
突然背後で声を掛けられ驚いたが、その声色は明るく、ソフィーは安堵した。
「初めまして。バーグマン伯爵家長女、セリーヌよ」
セリーヌの綺麗な挨拶にソフィーは暫し見惚れた。
二人の使用人がお茶のセッティングを終えると、セリーヌは人払いをした。温室の扉が閉まる音を確認するとゆっくり話し始めた。
「―――王家から書状が届いたそうね」
「・・・・ええ」
いきなりの本題にソフィーの身体が強張る。
「何から伝えれば良いのかしら・・・そうね、まず王太子殿下は噂のような冷酷な方ではないわ」
「・・・ドレスの胸元を裂かれると耳にしました」
「自分で広げたわ」
「ええ!?」
ソフィーは思わず声を上げ、慌てて手で口元を隠した。セリーヌはニコニコしながらソフィーにお茶を勧め、自らもティーカップに口を付けた。
「殿下はね―――」
「・・・」
「初恋の方を探していらっしゃるのよ」
「―――――――――」
その言葉にソフィーの胸がトクンと動いた。
「胸元を見たかったのは、その方か確認するため。ここに何があるのかはお話になられなかったけれども」
セリーヌは自身の胸元に手を置き、何故か頬を少し赤らめた。
「私の胸元には“ソレ”がなくて婚約破棄になったのだけど、そのあと殿下に、貴女には想う相手はいるのか?って訊かれて、オーツー公爵家のルーカス様です!と答えたの。フフ・・・」
「え・・その方・・」
「私の旦那様になる方よ」
ソフィーは恥ずかしくなった。噂を真に受け、家格が上の相手との婚約を息子の不祥事の尻拭いだなどと・・・。殿下は婚約破棄で傷付けた令嬢に手を差し伸べていたのだ。
「でも不思議だわ」
セリーヌの声に、俯いていたソフィーは顔を少し上げた。彼女は頬に手を添え、首を少し傾げていた。
「あの噂・・・王族に対して誹るなんて、自身がどうなるかわからないのに」
“冷酷王太子―――”
「殿下は恋を実らせてくれる天使様なのにね」
微笑みながら一層頬を赤らめるセリーヌを、ソフィーは穏やかな笑顔で見ていた。
石畳をガラガラと走る帰りの馬車の中、ソフィーは外を眺める振りをしてセリーヌの言葉を思い出していた。
『王族に対して誹るなんて、自身がどうなるかわからないのに』
その通りだ。
セリーヌの話から、他の婚約破棄された令嬢達も恋のキューピッドをして貰っていると思われる。ならば噂の出所が彼女達とは考えにくい。だが噂は風化しない。消えかかると広がる。誰かが噂を故意に流し直しているのだ。きっと王家は既に犯人を把握しているだろう。意図的に泳がせているのか、それとも手を出せない相手なのか―――。
「ソフィー?」
無表情で外を眺める娘を心配してか、夫人が名を呼んだ。我に返り車内へ顔を向けると父であるニコル伯爵と目が合った。
「どうだった?セリーヌ嬢とのお茶会は?ん?」
心配そうに二人揃って眉毛をハの字にして見つめてくる。
ソフィーは笑顔で答えた。
「王太子殿下にお会いするのが楽しみです」
「え!!?」
両親は驚いていたが、ソフィーは本当に楽しみだった。
(私の初恋、殿下は叶えてくれますか?)