39.遭遇②
「ハァ、ハァ、」
ソフィーの右手を握る大きな手の男は、何度も躓きそうになった彼女を支え、薄暗い路地裏から救い出してくれる光となっていた。
「もうすぐだ!頑張れ!」
体力の限界に俯き始めたソフィーに、男は力強い言葉を掛けた。
「ハァ、ハァ、ハァ!」
力を振り絞り、顔を上げると目の前の景色はいつしか表通りに変わっていた。
「!!・・・・ハァ、ハァ・・・」
安堵した途端、ソフィーの足は動かなくなった。精神と共に身体も限界を超えていたのだ。
「頑張ったね」
そう笑った若い男のハニーブラウンの髪色は、光が当たりオレンジ色が強く出ていた。ヘーゼルの瞳が瞬きを一つ、ソフィーから視線を逸らし、後方の薄暗い路地を凝視する。走る途中で追っ手の気配は粗方消えていたが、これ以上追って来ないという確証はない。
「・・・・」
男は少し考えると、脚を震わせながら立つソフィーの肩を引き寄せた。
「失礼」
一声掛け、抱え上げる。
「!!?」
体力を消耗していたソフィーは、突然の出来事に声も上げられず成すがままの状態だった。
男は一歩を踏み出そうとした所で背後から肩を強く掴まれた。
「その手を離せ・・・っ!!」
低い声を怒りで震わせた――――カミーユだった。
「本っ当に申し訳ない!!」
「この状況では誤解されても仕方ないですよ」
頭を深く下げるカミーユに男は右手を差し出し、横目でソフィーをチラリと見て苦笑した。
「私も人目を憚らずレディに失礼をしました」
男が咄嗟にとった行動で、通りを行き交う人々から注目を集めてしまった。しかしそれは最良の選択だったのでは?と、カミーユは思う。表通りへ辿り着いたとはいえ、背後は薄暗い路地裏。ソフィーの立つ位置は、手を伸ばせば引き摺り込める距離だった。その場から早く離れる必要性を考えると、動けないソフィーを抱え上げる事は勿論、貴族が多く行き交う通りで目立つ事も一つの策だ。何事かが起これば必ず衛兵が駆け付ける。身を守る術を知らなければ思いつかない。
そして驚くべきは、ソフィーから恐怖心を払拭した事。カミーユの隣に立つ彼女の表情は穏やかだった。
「・・・・本当に失礼をした」
カミーユは謝罪を伝えながら、男が差し出した右手を握り返した―――。
「!」
「!」
お互いにピクリと反応するも、そのまま流した。
「是非とも礼をさせてくれないか?」
カミーユは右手を離すと、すぐ様、男に声を掛けた。男を引き止めようとするカミーユをソフィーは不思議に思ったが、自身も同じく礼がしたかった。
「ぜひ、お礼をさせて下さい」
ソフィーがニコリと微笑むと男が目を丸くした。暫くソフィーを見つめ、そして口を開く。
「―――実は懇意にしてもらっている貴族の邸へ向かうところなのですが、手土産をと急遽訪れた地で迷子になってしまいました」
男の少し抜けた話に三人から笑みがこぼれた。
手土産にと立ち寄った、表通りの一等地に建つ高級店はフット公爵家御用達の菓子専門店だった。
「本当にいいのですか?」
男はカミーユから商品を受け取ると、二度三度と申し訳なさそうに訊ねた。
「ああ、気にしないでくれ。・・・それより、見た所ハドリーの方ではないようだけど?」
「はい、ウィンバリー王国から来ました」
「――――良ければ目的の邸まで案内させてくれないかな?」
その提案にソフィーは微笑んでいたが、カミーユには別の思惑があった。
「・・・御厚意に感謝します」
男の返答にカミーユは頷き、公爵家の紋章が入った馬車へと案内した。
車内へ乗り込み、三人が腰を下ろしたところでカミーユが口を開く。
「訪問予定の邸はどちらの?」
「ニコル伯爵の邸です」
「――――」
「・・・え?」
目の前で固まる二人に男は問う。
「ご存知ですか?高級家具が有名な伯爵家です」
ソフィーはカミーユをちらりと見た後、男に伝えた。
「ニコル伯爵は私の父です。私は長女のソフィー・ニコルと申します」
その名に男は満面の笑みを見せた。
「あなたの表情や仕草に目が奪われた理由が分かりました!話に聞いていた通り、美しい女性だ!」
「あ、あの・・・っ」
突然の称美に戸惑うソフィーの横でカミーユは警戒心を露わにし、二人の会話に強引に割って入った。
「申し遅れた。私はハドリー王国の公爵位、カミーユ・フット。貴殿の名前を伺ってもよろしいか?」
日頃穏やかなカミーユからは想像もつかない強張った表情と強い口調に、隣に座るソフィーは驚いていた。しかし男は臆する事無くヘーゼルの瞳を真っ直ぐカミーユへと向けた。
「―――初めまして。私はアーサー・ブランソンと申します」
「・・・ブランソン・・?」
「はい、アーサー・ブランソンです」
男の名を耳にしたカミーユの全身に緊張が走った。頬には知らぬ間に冷や汗がつたう。
「・・・・」
ソフィーはカミーユの異変に気付いたが、何に過剰に反応しているのか分からなかった。しかし正面に座る、アーサーと名乗った男は、父ニコル伯爵をウィンバリー王国からはるばる訪ねてきたと言う。来客の予定は聞いていないが、「高級家具」が目的ならば仕事関係だろう。失礼が無いようにしなければ、とソフィーは気を引き締めた。
ニコル伯爵邸へ向かう馬車の中、カミーユはソフィーを助けて貰った事に改めて感謝を述べた。
「本当に助かりました。貴殿には感謝を申し上げ―――」
「アーサー・ブランソンです。ウィンバリーでは公爵位を賜っています」
カミーユから急に堅苦しい言葉を聞かされたアーサーは念を押すように自分の名を復唱した。
「・・・ブランソン公爵、彼女を助けてくれて、ありがとうございます」
「困っている女性を助けない男などいませんよ」
「・・・ええ、そうですね」
ぎこちない二人のやり取りにソフィーは不安を隠せなかったが、カミーユの隣で黙視する他なかった。アーサーはそんなソフィーに気付いて優しく声を掛けた。
「エリックは元気ですか?」
「!!」
「!!」
アーサーの口から出たその名に、ソフィーは好意的に、カミーユは真逆の反応を示した。
「公爵様はエリックをご存知なのですか!?」
初対面で危機を救われ、父ニコル伯爵を訪ねてウィンバリーから足を運んだ男は弟のエリックも知っている。その偶然にソフィーは瞳を輝かせた。
「ふふっ。エリックから聞いていたより、ずっと可愛らしい方ですね。邸に着いたら詳しくお話します」
アーサーに反応を笑われ、ソフィーは真っ赤になった顔を両手で隠した。隣に座るカミーユの想いには気付くはずも無く――――。
「ソフィー・・・」
暫くして公爵家の馬車がニコル伯爵邸の門をくぐった。窓から見えた白い馬車にカミーユは青ざめる・・・。




