16.噂の冷酷王太子16歳の夏(初恋)
初めての気持ちだった。
胸が締め付けられて食事が喉を通らない。
侍女たちの立ち話や、図書館でたまたま手にした小説を読んで知識としてはあった。
(そうか・・・これが恋というやつか・・・)
早朝、ウィリアムは避暑で訪れている別邸の自室から森を眺めていた。正確にはその向こうにある教会を―――。
「はぁ・・・」
溜息が漏れる。
王太子のウィリアムにとって恋は一生無縁のものと思っていた。
妃となる女性は国の為、国民の為、王族の繁栄の為に合理的に選出される。そこに己の意思はない。自我を殺し、生涯、政に尽くすのだ―――そう、自分に言い聞かせていたのに・・・。
「カレン・・・」
「カレンって誰?」
(!!!)
驚いて声の方へ振り向くと、閉めたはずの扉の内側に弟のグランヴィルが立っていた。
「ノックしろ!」
「したよ。何度も」
いつも落ち着いていて、何事もそつなくこなす兄ウィリアム。そんな兄が顔を赤くして声を荒げた。グランヴィルは驚きと好奇心、少しの不安を感じていた。
ここ数日、森を散策と言っては何処かへ出掛けている。その頃からあまり食事を摂らなくなった。“カレン”と呟いた、その名の人物?が関係しているのは間違いなさそうだ。
「何か用か、グランヴィル」
ウィリアムが尋ねると同時に扉をノックする音が響く。
コンコンコン
「入るぞー」
入室してきたのはウィリアムによく似た男だった。
「カミーユ!お前まで・・・一体何なんだ?」
カミーユと呼ばれた少年は、現王妃の姉、フット公爵家の嫡男、カミーユ・フット。ウィリアムと同い年の幼馴染みである。互いに母親譲りの風貌をしていた。
「兄上。そんな態度でいいの?僕達コレを届けに来たんだけど」
グランヴィルは悪戯っぽく笑いながら、カミーユの手にあるトレイを指差した。焼き菓子など数種類が載せられている。
「?」
「料理長に頼んだよね?」
「!!!」
ウィリアムは料理長に、森にある赤い木の実でお菓子を作って欲しいと頼んでいた。料理長も食事を摂らなくなった王太子を心配し、少しでも食べてくれればと急いで試作を作り、グランヴィルとカミーユに託したのだ。
「もう出来たのか!」
トレイへと駆け寄るウィリアムの前にグランヴィルが立ちはだかり、もう一度問い質した。
「カレンって誰?」
14歳と思えない策士ぶりにウィリアムは観念した。
「え?カレンって子に食べさせたい・・・?」
顔を真っ赤にしたウィリアムを目の前に、グランヴィルとカミーユはポカンとしていた。
「~~~もういいだろ!それよこせよ!」
「あ」
隙をつきウィリアムはカミーユから菓子を載せたトレイを奪った。カミーユはそれを取り返そうとは思わない。グランヴィルも同じだ。変化の理由が分かったのだから、まずは食事を摂って欲しかった。
「兄上はカレンに恋をしてるんだね」
グランヴィルの言葉にカミーユは目を見開き驚いた。
「グランヴィル、お前、直球過ぎるだろ・・・」
視線をウィリアムへ向けると、顔が見た事のない赤へと染まっていく。それを見て二人は再びポカンとした。ウィリアム自身、初めての感情で制御出来ず戸惑っていた。
「兄上はカレンを王太子妃にするの?」
「―――え?」
その言葉にウィリアムは面食らった。好きな人を妃にするなど、考えた事もなかったからだ。
「カレンを・・妃に・・・」
そう口にするだけで胸が高鳴った。
「自分が王太子だって言ってあるんだろ?妃候補になるかもって思うんじゃないか?」
カミーユに言われ、顔色が白くなる。
「・・・言ってない・・・」
「え?」
「カミーユって・・・名乗った・・・」
王太子の行動としては正解である。外で名乗るのは危険過ぎるからだ。護衛がいない状況で、何時、命を狙われるかわからない。
そして、カミーユと名乗った事も正解である。彼は大切な親族であり、幼馴染みであるが、ウィリアムの身に公に出来ない何かが起きた時、代わりとなる男だからだ。
「間違っちゃいないんだけどなぁ・・・っ」
やるせない気持ちに、カミーユは頭を雑にかいた。ウィリアムの身についた王太子としての立ち居振る舞いが今回は障壁となったのだ。
うなだれる兄にグランヴィルが声を掛ける。
「言えばいいと思うよ」
「え?」
トレイから菓子を一つ取り、口へ運んだ。
「もぐ・・・だいたいこの実を使う時点で兄上は言うつもりだ、って分かるよ。」
赤い木の実―――リカの実と呼ばれ、実をつける木はベントにある王室の別邸に密生している珍しい薬木だ。その昔、臣下の一人が謀反を企てた。飲物に毒を入れられた国王は生死を彷徨った。苦しみもがいた先に手にしたリカの実を食べ、生還したとされる。その後、リカの薬木は毒消しの実としてベントの地で王族が管理している。
「こんな色の木の実、国内じゃそうそうないし」
ハドリー国内で流通している商品の中に、赤い木の実はない。
「頭の良い子なら、兄上の一言で全てを察してくれるかもね」
ウィリアムの表情が真剣になった。
そう、カレンは聡明だ。ここ数日の会話の中で、唸る程に引き込まれる話術と計算されたかのような巧みなロジックにウィリアムも驚いていた。かと思えば頬を染めて視線を逸らしたり、口も隠さず思い切り笑ったり―――。カミーユがタルトを頬張りながらウィリアムの顔を覗き込んできた。
「百面相?気持ち悪いぞ、お前・・・」
「ん゛ん゛っ!」
無理やり咳ばらいをしてみた。
「ん!兄上、タルトがいいよ!」
「ウィリアムも食べてもろよ、ほら」
差し出された皿から1ピース手に取り、そのまま一口。
甘酸っぱさが口いっぱいに広がる。鼻から抜ける風味に目を閉じるとカレンの笑顔が思い浮かんだ。
「うん、これがいい」
ウィリアムは柔らかく微笑んだ。
翌日、ウィリアムは自室のキャビネットから一枚のスカーフを出した。
シルクの生地一面に施されたカサブランカの刺繍。
王家の紋章だ。
公的な行事の際、身分を証明する物の一つとして身につける。
それを左の胸ポケットへと差した。
料理長からタルトの入ったバスケットを貰い、邸を出て空を見上げる。
その夏、ベントで見た初めての曇り空だった。




