13.初恋の思い出
「ハァ、ハァ・・!」
王立図書館へ続く廊下に、足早に歩く靴の音が大きく鳴り響いていた。
角を曲がれば図書館の入口―――と、その角から出てきた人物と肩がぶつかった。
「兄上!?」
「グランヴィル!ハァ、ハァ・・」
兄がこの場にいる事にグランヴィルは驚きを隠せなかった。
視察は午前中に戻れるような内容ではないからだ。馬車の移動だけで片道4時間、橋の状況や今後の復旧、対策の確認にも相当の時間が割かれるはずだ。
「お前の侍従に、ここだと訊いた。ソフィー嬢は?」
「読みたい本があるとかで、司書に案内を頼んだところだよ。それより兄上、視察は―――あ、ちょっと!」
ウィリアムは訊きたい事だけ訊くと、何かを握りしめたまま受付へと歩いて行ってしまった。
兄を疑うわけではないが、視察を途中で切り上げでもしたのかと考えていると、荒い息遣いが背後に迫って来るのを感じ思わず振り向いた。
「ハァー!ハァー!王太子殿下ー!お待ちくださいぃー!ハァー!」
そこにはウィリアムと視察に向かった大臣と近衛兵二人が息を切らせながら歩いていた。
「その手にお持ちの報告書をこちらへ―――あ」
バタ!
男が一人、グランヴィルの目の前で倒れた。
「しっかりしろ!一体どうした!」
「ハァ・・・殿下、お疲れ様です、ハァ、西側の橋の視察へ向かったのですが、王太子殿下が馬車でなく、馬で走るとおっしゃいまして、ハァ、」
「なるほど。馬から降りたら自分で走ったのか」
「ゼィ、ゼィ、殿下に察して頂けるとは、ゼィ、」
ウィリアムは公務の手を抜くような事はしない。臣下や宮仕えの者達にも正面から接する。
そんな兄が一人の令嬢を追いかけて周りを振り回している。
グランヴィルは「ハハッ!」と声を出して笑うと、大臣と近衛兵達に王太子の執務室で待つよう命じた。
息を整えたウィリアムが館内を見渡しながら足を進めていると、棚と通路のその奥から男女の話声が微かに聞こえてきた。辿る様に近づき、その会話に耳を立てた。
「お探しの本はこちらでしょうか、ソフィー様」
男の口から出た名前に、ウィリアムは声を上げそうになった。
「はい、ありがとうございます」
「経済学の論文としてはかなり古いものになります。新しい論文をまとめたものをお持ちしましょうか?」
「いいえ、これがいいのです。―――11年前、読み終えないまま失くしてしまいました」
「そうでしたか。11年前ですと、当時既にこちらは絶版されていますね。一般的な流通では探すのは難しいかもしれません」
司書の言葉に、ソフィーは手にした本の表紙を撫でた。
「絶版・・・あの教会で全て終わっていたのね・・・」
その呟きは棚と通路のその奥にいたウィリアムまで届いていた。
「ソフィー様、こちらへお掛けください」
司書はすぐ近くにあった机の椅子をひき、ソフィーへ勧めた。
「王太子殿下が到着されましたら、お声掛けいたします」
そう言い残し、仕事へと戻って行った。
棚の影ではウィリアムが震える唇を震えた手で強く覆っていた。
一度深呼吸をし、周りに誰もいない事を確認すると、奥から足を進めた。一歩、一歩―――。ソフィーの後ろ姿を目にし、歩みを止めた。暫く見つめ、目に焼き付けると、ゆっくりその場をあとにした。
受付では司書達がソフィー・ニコル伯爵令嬢の話で静かに盛り上がっていた。
「(小声)あんな綺麗な方、初めて見た・・・」
「(小声)貴族のご令嬢って、図書館に来たがらないだろう?」
「(小声)今までの婚約者様と違うな」
「私もそう思う」
突然降ってきた同意の声に、全員が一斉に振り向いた。
「王太子殿下!!」
驚きに口が開いたままの司書達を見てウィリアムは少し笑った。
「一時間経ったらソフィー嬢を王宮の応接間に案内してくれ」
「か、畏まりました!!」
図書館を出て執務室へ向かうウィリアムの足は、視察先から戻ったばかりとは思えないほど軽かった。




