第92話 白紫の魔女~sideエディアルド~
「こちらが王妃様よりご依頼くださったサファイアの指輪でございます」
花の形をした台座の中央、ピンクサファイアが存在感を際立たせている。
この指輪はクラリスの誕生石でもあるのだけど、目の色にも合わせて作られている。
俺は頷いてから商品を受け取ると、宝石商の女性に静かな声で問いかけた。
「それで、例のものは?」
「殿下からのご依頼品も完成しております」
「そうか……間に合って良かった」
俺は宝石商から、厳重な金属ケースに保管された注文の品を受け取った。
大袈裟すぎるくらい厳重だけど、取り扱っている材料が国宝級のものだから仕方がないか。
「クラリス様との婚約続行に、私も安堵しました」
「……」
宝石商の言葉に、俺は一つ頷く。
少し前、俺とクラリスの婚約を危ぶむ声があった。
クラリスは第一王子殺人未遂の罪に問われているシャーレット家の一員。
俺とクラリスの婚約を反対する貴族の声もあった。
もちろん、王族との姻戚関係を望む貴族達の本音も見え隠れしたりするわけだが。
けれども、王室の決断は婚約の続行。
俺と母上が強く国王陛下に訴えていたのもあるが、テレス側も“クラリスは王族の伴侶に相応しくない”という貴族達の意見には反対していた。最終的にアーノルドの妻としてクラリスを引き入れたいテレスにとって、その意見はとても都合が悪かったからだ。
さらにもう一つ、決定的な理由があった。
「クラリス=シャーレット、あなたの二つ名は白紫の魔女です」
上級魔術師の資格を得て、薬学を極めた人物は、王室より二つ名を賜ることになる。
クラリスは上級魔術師の資格をとり、さらに薬学の上級試験にも合格したので、宮廷の広間に呼ばれ、二つ名の命名式に参加することになった。
淡い紫がかった白の光を放つ、と治癒融合した魔術が得意なことから、二つ名は白紫の魔女に決まった。
二つ名は一度付いたら変更することはできない。
これでクラリスが黒炎の魔女となる可能性はなくなったのだ。
二つ名を賜ることができる魔術師は上級魔術師の中でも上位の実力があり、高度な薬を作る技術を持っていることが条件だ。
この世界において魔女という単語は、前世と違い不吉なイメージはあまりない。
どちらかというと優れた女性の魔術師を称える言葉として使われることが多い。
男の場合は二つ名を授かっても、○○の魔術師 もしくは○○の薬師なんだけどな。しかもどっちを名乗ってもOKらしい。得意な分野の方を名乗ることもあれば、ケースバイケースで薬師を名乗ったり、魔術師を名乗ったりするらしい。
ただ、男性にしろ、女性にしろ、魔術と薬学を両方極めるのはとても難しく、国に一人か二人、いるかいないかと言われるほど稀な存在。
王室としてはそんなクラリスを手放すわけにはいかなくなった。
しかも極めつけにはクロノム公爵まで手を挙げだした。
「もし、エディアルド殿下とクラリス嬢の婚約を破棄するなら、クラリス嬢はクロノム家が貰ってもいいかな?」
クロノム公爵の言葉に国王は愕然とした。
ようするに公爵は国王に、クラリスをアドニスの妻に迎えたいと言ってきたのだ。ただでさえ権力がクロノム家に集中しているのに、千の軍勢にも等しいクラリスという人材がクロノム家の一員になったら、さらに権力が傾くことになってしまう。
王室は慌ててクラリスとの婚約をこのまま進めることを発表したのだった。
後になってクロノム公爵は、アドニスとの結婚を申し出たのは、あくまで俺とクラリスの婚約を続行させるための方便だって言っていたけれど、白紫の魔女となった侯爵令嬢を、クロノム家の嫁に出来たらいいなぁ~、という気持ちもあったのではないだろうか。
いずれにしても策士だから、油断も隙もあったものじゃない。
アドニスは美形だし、優秀な男だ……ライバルになってしまったら、もの凄く手強いだろうな。
クラリスが白紫の魔女の称号を得たことで、彼女が黒炎の魔女になることは完全になくなった。
しかし闇黒の勇者はどうなのだろう。
あの時ディノは俺の目の前に現れたけれど、俺が奴に狩られることはなかった。
ナタリーを連れていくのに精一杯だったのかもしれないが、万が一そんな理由だったとしても、俺になにかしらのアクションはあってもいいはずだ。
魔族はとてつもない負の感情を抱え、その上豊かな魔力を持った人間を配下にする。
俺の場合、魔力は豊かだが、負の感情は乏しい。可愛い婚約者もいて、気の合う仲間もいる。親子関係も今まで以上に良好だし、負の感情を抱く要素が一つも無いからな。
つまり俺も闇黒の勇者に選ばれる可能性は低い、ということだ。
そうなるとディノはエディアルドに代わる闇黒の勇者を選出する筈だ。
しかし、一体誰が?
どんな人物がなるのか分からない内は、闇黒の勇者の強さは未知数だ。
ディノと同等の強さか、それ以上だと思って戦いに備えた方がいいだろうな。
◇◆◇
クラリスが白紫の魔女の名を得たその日、エミリア宮殿ではささやかながらお祝いをすることにした。
二つ名を賜ることは、叙勲と同じくらいに誉れなこと。本当だったら実家が盛大なパーティーを開くのだろうけど。
彼女は実家から虐げられた存在だったし、そもそも両親は投獄中だ。
だから大々的にお祝いはできない。しかし、お世話になっている先生、友人、あと仲の良いクラスメイトや寮生たちも招待し、パーティーを開くことにした。
ヴィネ手作りの巨大なケーキがテーブルの中央に置かれ、ジョルジュが指を鳴らすと部屋の中は白と薄紫色の薔薇、青いリボンなどで装飾される。
ジンもいそいそとテーブルの上にお皿を並べていた。
クラリスは藤色のドレスに、真っ白なフードマントを身に纏う。
マントの中央は金糸で、薬草と魔術師の杖に炎が纏った紋章が描かれていた。
魔術と薬学を極めた者だけが着ることが許されるマントだ。
エミリア宮殿に仕えるメイドたちによって、着飾られたクラリスの姿は、とても凜然としていて、さすがに声には出せないが、彼女こそ聖女に見えた。
「クラリス、綺麗だ……」
「エディアルド様」
「このまま、結婚式を挙げたいくらいだ」
俺の言葉に、クラリスは恥ずかしそうに顔を赤らめながらも、嬉しそうに笑った。
その笑顔がまた可愛すぎて、思わず抱きしめたくなる。せっかくのヘアメイクが崩れるのでひとまず我慢しておくが。
俺がクラリスの手を引いて会場に入ると、仲間達が拍手を送ってくれた。
「あんたたち、このまんま式挙げちゃいなよ」
ヴィネの言葉に、その場にいる全員が拍手と「賛成」の声が上がる。
いや、俺もそのまんま挙式したい気持ちは大いにあるけどな。立場上、さすがにそれは許されないからな。
しかし、周りは「結婚おめでとう!」「幸せにね-」とか言い出している。
いや、いや、いや。その前に俺にプロポーズをさせてくれよ!
結婚式は冗談(?)にしても、全員が心から祝福してくれるというのは居心地が良いな。
クラリスが皆にお礼の挨拶をすると、会場は拍手に包まれる。
盛大なパーティーじゃなくても、こうして仲間同士で集まってお祝いするのが一番幸せだと思う。
そんな中、デイジーとコーネットがクラリスの元に歩み寄る。
「クラリス様、こちらはお祝いの品です」
「これは?」
「回復魔術の効果が倍増するブレスレットですわ。私とコーネット先輩で作りましたのよ。デザインは私がして、魔石はコーネット先輩が加工しました」
プラチナのブレスレットは、まるで薔薇の蔦のようなデザインだ。中央のくぼみには翠色の魔石がはめ込まれていた。
「ありがとうございます。デイジー様、コーネット先輩」
「クラリス様、あなたとお友達になれたこと私はとても誇りに思っています」
「デイジー様……」
クラリスのピンクゴールドの目には涙が溢れていた。
デイジーはそんな彼女を愛しそうに抱きしめる。
悪役令嬢のクラリスとは敵対関係だったデイジー=クロノム。
だけど、現実のデイジーはクラリスにとってかけがえのない友達になっていた。
さっそく身につけたブレスレットはクラリスに良く似合っている。
その時、コーネットは思い出したかのように、俺の方を見た。
「あ、殿下の分もありますよ」
「……ついで感が半端ないな」
「まぁ、そう言わずに。クラリス嬢と色違いのおそろいですから」
「……」
手渡された箱の中には、成る程クラリスと同じ薔薇の蔦を模したデザインのブレスレットが入っている。
しかし、禍々しい程の赤い薔薇の蔦……というより炎のブレスレットと名付けたい一品だ。中央の魔石も血のようなダークレッドだ。
「ピンチになったら、攻撃魔術の威力が百倍になります」
「……俺がピンチになることで、国が滅亡するんじゃないのか?」
「そこは殿下が魔力を加減するなどして、調整してください」
「……」
自分で言うのも何だが、俺の攻撃魔術、けっこう威力があるからな? それが百倍って、最終兵器ぐらいの威力があるんじゃ。
俺はぱたん、とブレスレットが入った箱の蓋を閉じた。
「ありがとう、コーネット。こいつは《《大切》》に、《《厳重》》に保管しておくから」
「えー、出来れば、常に身に付けていただきたいんですけどね」
コーネットは拗ねたように唇を尖らせる。
そんなこと言われても、最終兵器を常に身に付けていられる程、俺のハートは強くないぞ。
俺とコーネットがそんな話をしている中、騎士の正装着に身を包んだ、ソニアがつかつかとこちらに歩み寄ってきて、クラリスの前に跪いた。
改まった友人の態度に、クラリスは戸惑う。
「ソニア様?」
「クラリス様、ソニアで結構です。これからはそうお呼びください」
「……っ!」
クラリスは目を見張った。
今までは護衛である以前に、クラスメイトであり、子爵令嬢としてソニアと接してきたので、ソニアのことは常に様という敬称を付けていた。
しかし、今日、ソニアは自分の事は名前だけで呼んで欲しい、と希望した。
それが何を意味するのか? 悟ったクラリスの表情に緊張が走った。
「入学して最初に私のことを助けてくださったのはクラリス様でした。それからも、常に優しくして頂いて、学校生活を楽しく過ごすことが出来たのは、クラリス様のお陰です」
ソニアの言葉に、クラスメイトや寮生達も同意するように頷いている。
彼女がいかに周囲から慕われていたのか、良く分かる光景だ。
「私はこれからもずっと、あなたのお側に仕えたく思います」
「私の側に?」
「はい。未来の第一王子妃となる、貴方の騎士になりたいのです」
「……!?」
ソニア=ケリーもまた小説の中のクラリスにとっては敵対関係で、ソニアが黒炎の魔女となったクラリスの腕を切りつけるシーンはとても印象的だった。そして戦いが終わった後、ソニアは聖女ミミリアに騎士の誓いを立てている。
小説ではそんな間柄だった二人が今や親友で。
しかも、ソニアはクラリスの専属騎士になることを希望していた。
だがクラリス自身は驚きが隠せないのか、首を横に振る。
「私はそんな、大したことはしていません。それにまだエディアルド様の婚約者であって正式な妃ではない……」
「もうじき正式なものになる」
クラリスの言葉を俺はすぐさま否定した。
そんな恥ずかしそうな顔するなよ。本当のことじゃないか。言っておくが、国中が反対しても俺は君を手放すつもりはないからな。
誰が何と言おうと、俺は君と結婚するつもりだ。
クラリスは恐る恐るソニアに尋ねる。
「本当に私で良いの?」
「クラリス様が良いのです。それに貴方であればきっと立派な王妃に」
「そ、そんなこと……私が王妃だなんて」
「少なくとも、ここにいる人間はエディアルド殿下こそ王に相応しい人物だと思っています。そしてクラリス様こそ、王妃に相応しい方だと」
「……!!」
クラリスは多分、自分が王妃になることは考えていなかったのだろう。
まぁ、俺もトールマン先生に言われるまで、全く考えていなかったからな。
最近になって俺の支持者が増えているとはいえ、神殿や王室、多数の貴族は、アーノルドが王になることを望んでいる。
現時点で俺が王になる可能性は低い。
しかし、例え可能性が低い未来だとしても、トールマン先生の言う通り、世の中何が起こるかは分からない。
この世界が小説の通りに動くとは限らないのだ。
だから、想定に入れておかなければならない。
自分が王になる未来を。
「私、ソニア=ケリーは、クラリス=シャーレット第一王子妃の剣となることを誓います」
ソニアがクラリスに忠誠を誓ったことで、クラリスも自分が王妃になる未来を考えるようになるだろう。
今はまだ戸惑っているみたいだけど……ははは、俺もまだ絶賛戸惑い中だ。
本当は平屋で夫婦二人きりで生活するのが夢だったんだけどな。
その夢は限りなく遠いようだ。