第32話 ヒロインの登場~sideクラリス~
いつものようにウィストと剣の稽古をしていたエディアルド様。
予鈴が鳴ったので稽古を中断し、校舎に戻ろうとしていた所、一人の女子生徒がエディアルド様にぶつかってきた。
顔は見えないけれど、波打つピンク色の髪の毛。見るからに守ってあげたくなるような華奢な身体。
後ろ姿でも分かる可憐な容姿、目を引かずにはいられない存在感はまさにヒロインのもの。
まさか彼女がミミリア=ボルドールなの?
私は目を真ん丸くする。
驚いたのは私だけじゃない。ソニアもデイジーも目をまん丸にしていた。
ピンクの髪の女生徒は、可憐な少女であろうことは後ろ姿でも分かるけど、彼女はその容姿に似つかわしくない行動をとっていたのだ。
まるで猪のような勢いでエディアルド様に向かって突進していたのだ。
予鈴が鳴っているのに校舎とは逆の方向に走っているのも不自然だ。
よほど慌てていたのだろうか……いや、でもなんか、わざとぶつかったように私には見えた。
「い、今……わざとぶつかっていましたわよね?、あの娘」
顔を引きつらせるデイジー。
「私もわざとぶつかっているように見えました」
異様なものを見る目で女子生徒の後ろ姿を見ているソニア。
やっぱり二人の目から見ても、わざとらしくぶつかったように見えたんだ。
ぶつかって倒れ込んだピンクの髪の女子生徒を、エディアルド様は助け起こす。
「……っっ!!」
今、あの小説のシーンが現実になっている。
急いでいたミミリアがエディアルドとぶつかるシーンがあるの。
ぶつかってきた女子生徒にエディアルドは怒鳴ろうとするけど、彼女の美しさに目を奪われ言葉を失う。
エディアルドはミミリアに一目惚れをしてしまうのだ。
ズキッと胸が痛む。
「わざとエディアルド殿下にぶつかるなんて、あの娘、どういうつもり?」
苦々しいデイジーの呟きに私は平静を装いながら
「よほど慌てていたのかもしれませんね。わざとだと決めつけない方が良いのでは」
と答えてみるけど、ソニアは首を横に振る。
「予鈴が鳴っているのに校舎とは逆の方向に走っているのは、あまりにも不自然です」
「い、いや、でも家に忘れ物とかあって、取りに行こうとしたのかも?」
「校門とも反対方向ですわよ!! わざとエディアルド殿下にぶつかって接触しようとしているのですわ!!」
「王子にお近づきになりたい女性は多いですからね」
憤慨極まりない口調のデイジー。そして眉間に皺を寄せているソニア。
小説と違ってヒロインに対する二人の印象は最悪なものだった。
確かに不自然さは否めないけど、この世界が小説の通りに進んでいるのなら多少、強引な設定もあり得る。
「クラリス様、そのように暢気に構えていたら、エディアルド様を取られるかもしれませんよ?」
ソニアの言葉にデイジーもウンウンと頷く。
あ、ありがとう。二人とも私のことを心配してくれて。
私的にはエディアルド様がミミリアに一目惚れするのは、想定の範囲内だけど、二人の気持ちが今、心に染みわたる。
覚悟はしていても、やっぱり振られるのは辛い。
「……もし、私が婚約破棄になってしまったら、二人とも私のこと励ましてくれますか?」
「な、何を縁起でも無いことを!?」
目を剥くソニア。
「そんなに弱気になっていたらいけませんわ! あんなにあなたに夢中な殿下があっさり心変わりする筈ありませんもの」
拳を握りしめ力説するデイジー。
わーん、二人ともありがとう。
だけど、だけど人生って何が起こるか分からないのよ。だって前世では、結婚秒読みだったのに、突然彼氏に裏切られたのだから。
そうだ、振られたら傷心の旅に出掛けようかな。
どうせ役立たずとして家からは追放されると思うし。
しばらくの間はヴィネの所でやっかいになって、旅支度をして。
私が頭の中でぐるぐると暗い未来予想図を描いていた所、エディアルド様とウィストが教室に戻ってきた。
きっとヒロインに出会って惚けた状態なんだろうな。
小説では心ここにあらずって書いてあったもの。
怖いけど、確認するためにエディアルド様の顔を見る。
……あれ?
エディアルド様はいつも通り涼しい顔。
けれど私と目が合うと何だか心配したように顔を曇らせてこちらに近づいてきた。
「どうしたんだ? クラリス、顔色が悪そうだけど」
心ここにあらず所か、私の額にそっと手を当てて、体調を気遣ってくれている。
本当に、本当に優しい人だ。 だけど、その優しさに甘えてはいけない。
もしヒロインに一目惚れをしたのであれば、私が背中を押さなくては。
「え、エディアルド様。先ほど女子生徒とぶつかっていましたけど、大丈夫でしたか」
「ああ、大丈夫だ。俺も怪我はないし、向こうも無傷だから」
「ど、どんな女性でしたか?」
「うーん、どんな女性と言われても、今の所無礼極まりない女性としか思えないな」
不機嫌な表情を浮かべているエディアルド様に、私は目を点にする。
あれ? 一目惚れしていない? ?
彼はさらに溜息交じりに言った。
「わざと俺にぶつかってきておいて、謝罪の一つも無い。ただこっちをじーっと見詰めているかと思うと、人のことを馴れ馴れしく下の名前で呼ぶし……ああ、君の妹とよく似ているな」
――――え!?
な、何か凄く苦々しい表情を浮かべている。
エディアルド様にぶつかってきた上に、初対面の人間に対してファーストネームで呼ぶって、確かにナタリーと同じ事やらかしている。
い、いや、でも小説でも天真爛漫って書いてあったし、天然なとこもあるから、誰に対してもフレンドリーなことはあり得る。だけど、まさかそれがエディアルド様にとって悪印象を抱くことになるなんて。
考えてもみたら、今の彼は小説とはまるで違う。考え無しに行動するわけでもなく、周囲の人間の陰口に過敏になるようなこともない。もう、性格自体が違っているのだから、ミミリアに対しても違う印象を抱いても不思議じゃない。
小説と全然違う展開に戸惑う一方、私はほっとする。
エディアルド様がミミリアに一目惚れするようなことがなくて良かった。
ひとまずは安心したけれど、それでも何かのきっかけでエディアルド様がミミリアに恋をするかもしれない。
男の人は放っておけない女性の方が気になるみたいだし。
前世の彼がそうだったもの。
期待はしないようにしないと。
そうしないと、また惨めで悲しい気持ちを味わうことになってしまうのだから。
「で、でも、可愛らしい方だったでしょう? あ、あの……私との婚約はあくまで王室が決めたものですし、もしエディアルド様に好きな方が出来たら、私は潔く身を引きます。だから、気持ちが変わった時には教えてください」
「何を馬鹿な事を言っているんだ? それに君との婚約は王室が決めたんじゃなくて、俺が決めたことだよ」
「え、エディアルドさま……」
突然、私はエディアルド様に抱きしめられた。
こ、ここは教室の中なんですけど!?
彼は皆には聞こえないように耳元で囁いてきた。声優並みに綺麗な美声で。
「俺は一生、君のことを大切にする」
「え……エディアルド様」
「だから何があっても不安に思わないで。俺は日々を重ねるごとに君のことが好きになっているから」
じゅ、ジュリ神よ、これは夢なのでしょうか。
幸せすぎて泣きたくなる。
この世界は小説の世界とは違う……誰かの手によって描かれた世界じゃなくて、自分の意志で生きている世界なんだ。
不安な気持ちは拭いきれないけれど、でも今はエディアルド様の言葉を信じたい。
「エディアルド様、ありがとうございます。私もエディアルド様をお慕いしています」
私はエディアルド様の背中に手を回して、今の気持ちを正直に告げた。
するとエディアルド様の表情がぱぁぁっと明るくなり、私の身体をさらにきつく抱きしめた。
そんな私たちを祝福する拍手が二つ。デイジーとソニアだ。
他のクラスメイトもそれに吊られるように拍手を送ってくれる。
何だかとても恥ずかしかったけれど、温かい気持ちと幸せな気持ちに私は目に涙をにじませた。