だからあなたも幸せに④~side結唯~
私は柱の壁時計の方へ目をやる。
時計は五時十五分、五時半に最寄り駅で待ち合わせなのに。
内山さんはニヤッと笑って私に言った。
「架空の彼氏を理由に遠慮する必要はないよ」
架空じゃないし、遠慮なんかしていない。
本当にお断りしているのに。
こんな空気が読めない人も珍しい。
私だけじゃ説得できそうもないから、他の人にも一緒に説得してもらおう。
周囲を見回し、味方になってくれそうな先輩か同僚がいないか探してみる。
あ、受付の菊池さん……だ、駄目だ。
今、お客さんの応対をしているから、こっちのSOSには気づいてくれそうもない。
顔見知りの人は何人かいるけど、興味深そうにこっちを見ているだけだ。
こうなったら瑛吾さんに電話をかけて、電話越しに瑛吾さんに説得してもらうことにしょうか……と、私が思いかけた時。
「勝手に架空の人物にするな。僕がその先約だ」
そう言ってロビーの入り口の方からこっちに歩み寄ってくる人物がいた。
私は目を見張る。
瑛吾さんだ。
てっきり駅の改札で待っているって思っていたのに何故、ここに?
彼は私と目が合うと嬉しそうに顔を綻ばせて言った。
「今日は早めに終わったから、会社まで迎えに来たんだ」
「え……」
「迎えに来て正解だったみたいだ」
瑛吾さんは内山さんの前に立ちはだかった。
改めてみると瑛吾さんの背中って大きい。
内山さんは、決して背が低いわけでもないし、貧相なわけでもないけれど、向かい合うと体格差は歴然としていた。
斜め後ろから見た瑛吾さんの横顔はいつになく強面だ。彼は内山先輩をキッとにらみつけていた。
ビクッと内山さんの身体が震える。
「これで信じていただけましたか? 彼女には先約がありますので諦めていただきたいのですが」
「お宅は彼女の何なのですか?」
なおも諦めがつかないのか、問い詰めてくる内山先輩に瑛吾さんは、威嚇の表情から、にこやかな笑みに切り替えた。
「恋人ですが、何か?」
い、今、恋人って言った!?
ちょ、ちょっと! 私たちいつから恋人に!?
ものすごいスピードで心臓が早鐘を打っている……お、落ち着け私。
今、瑛吾さんは機転を利かせ、このしつこい人を追い払う為に、とっさに私の恋人の振りをしてくれているのだ。
それくらいしないと、内山さんも引き下がらないよね。
頑なに私に先約がいないって思い込んでいた人だもの。曖昧な関係を匂わせたらつけ込まれると思ったのだろう。
内山さんはやや引きつった声音で瑛吾さんに尋ねた。
「ふ……ふん、恋人ね。どこの企業にお勤めで」
「企業には勤めていませんよ。公務員ですから」
「公務員……そうやって職場をはっきり言わずに濁す人いるんですよね。そもそも本当に公務員なのですか?」
「れっきとした公務員ですよ。警視庁に勤めています」
敬礼のポーズをとって軽く答える瑛吾さんに、内山先輩はぎょっとした顔になる。
何とか余裕の笑顔を取り戻したものの、内山さんはやや上ずった声でさらに言う。
「警察官でしたら警察手帳、持ってますよね? 見せて頂けますか?」
警察手帳を見せろって……あんた別に職質受けているわけじゃないでしょ!?
内山さんって、何でも疑ってかかる人なんだな。
いきなり警察官だって言ったら、相手に威圧感を与えてしまうから、わざわざ公務員って濁したんだと思うんだけど。
瑛吾さんはため息をついてから胸ポケットから警察手帳を見せた。
「職務執行の時にしか見せないものなのですけどね。偽警官として通報されてもこまりますので」
内山さんはじーっと警察手帳を見る。
本物かどうか見分けようとしているのかな?
どこからどう見ても本物と判断したのか、内山さんは顔を蒼白にして頭を下げた。
「疑ってすいませんでした。え……っと、その……山本君。食事の件はまたの機会にするよ」
瑛吾さんが本物の警察と分かった以上、これ以上迂闊なことは言えないと思ったのかな。
ここに来てようやく内山さんは引き下がってくれた。
またの機会があったとしてもお断りですけどね。
そそくさと立ち去る内山先輩に、私は心の中で呟いた。
瑛吾さんが来てくれたお陰で、内山先輩からは逃れられたけど。
『聞いた?山本さんの彼氏だって』
『ありゃ内山じゃ勝てんな』
『真面目そうだし、山本さんと似合ってるし、いいじゃない』
……な、なんか、誤解されている。
瑛吾さん、ロビーのど真ん中で恋人宣言してしまったからなぁ。
お客さんの応対を終え、一部始終を見ていたらしい菊池さんは、親指立てて片目を閉じているし。
私は慌てて瑛吾さんの腕を引いてオフィスから出ることにした。
◇◆◇
「そ、そんなに慌てなくても」
瑛吾さんに声を掛けられ、私はハッと我に返った。気づいたら、近くの公園まで足早に歩いて来ていた。
クスクス笑う瑛吾さんに私は慌てて腕を離し、顔を真っ赤にして声を上げた。
「い、いいの!? だ、だって会社の人たち、絶対勘違いしたと思う。私たちが恋人同士だって」
「誤解されたままじゃ困るな」
「そうよね。後でちゃんと訳を話して……」
「いや、誤解じゃなくて、事実にしたい」
「え……?」
目を瞠る私に、瑛吾さんは真剣な眼差しを向けてきた。
「なかなか言い出せなかったけど、この際だから俺の気持ちを伝えるよ」
「え……瑛吾さん」
「いつの間にか君に会うのが楽しみになっていた。今日も早く君に会いたくて、君の会社まで迎えに来てしまったんだ」
「……っっ!」
こ……こんな格好いい人が私に会いたい?
夢、見ているんじゃないの?
思わず頬をつねる……痛い……夢じゃない。
「だけど……私は……地味だし、そんな面白くもないでしょう?」
不意に内山先輩から、地味だと陰口を叩かれていたことを思い出した。地味で都合がいい女、と内山先輩は私をそう評していた。
瑛吾さんはとんでもない、と首を横に振る。
「何故、そんな風に思うんだ? 君は凄く可愛いよ。さっきの奴だって、君をしつこく口説いていただろ」
「……何故、あの人が私を食事に誘ってきたのか分からないのです。私のことを地味だって同僚の人と陰で言っていたくせに」
「ああ、成る程ね」
瑛吾さんは顎に手を当て思案するように空の方を見た。
そして苦笑交じりに言った。
「その陰口は多分本心じゃない。君が地味であることを強調することで、同僚が君に興味を抱かないようにしていたんじゃないかと思うよ」
「でも穂香姉さんのことも口うるさいとか言ってて……」
「もしかしたら、そいつ、本当は穂香義姉さんのことが好きだったのかもしれないな」
「え……?」
「いるんだよなぁ。本当は好きなのについついその人を悪く言ってしまうタイプ。他の男たちに興味を持たせないようにするためでもあるんだけど、かなり拗らせているのかもしれないな」
内山先輩が、穂香姉さんのことが好きだった?
いやいや、ちょっと拗らせすぎのような気がするんだけど?
「なかなか引き下がらなかったのは、何としても君を自分のものにしたい、と思っていたからだと思うよ」
「……」
確かにあの時の内山先輩はなかなか諦めてくれなくて困ったけれど。
でも私のこと地味だって鼻で笑っていたような人だよ!?
何であんなにしつこく迫るのか訳が分からなかったけど……私を通して穂香姉さんのことを見ていたのかな?
私を穂香姉さんの代わりにしようとしていた、としたら、それはそれで嫌だけど。
内山さん、顔はいいんだしモテるのだから、すぐに恋人が出来ると思う。何も姉さんにこだわらなくていいんじゃないのかな。
瑛吾さんは真剣な眼差しを向け私に言った。
「君をそれだけ欲しがっている人間がいるって分かった時、俺もグズグズしたらいけないと思ったんだ」
「……」
こっちを見詰める瑛吾さんの目は綺麗な一重の切れ長だ。
胸がドキドキする……今にも破裂しそう。
瑛吾さんは気を付けをして、深々と私に向かって頭を下げた。
「俺の恋人になってください。山本結唯さん」
今、生まれて初めて男性に告白されている。
どうしよう?
どう答えたら良いの?
緊張が最高潮に達して、頭が真っ白になる。
何か言わなきゃいけないのに。
その時だった 。
『結唯、今度はあなたが幸せになって』
不意に穂香姉さんの声が聞こえたような気がした。
そして姉さんが背中を押してくれたような気がして、私は一歩、瑛吾さんに近づいた。
目から涙があふれそうになる。
告白が嬉しかったのか、後押しをしてくれた姉さんの声が嬉しかったのか、どっちか分からない。両方なのかもしれない。
私は涙を堪えながら、笑顔を浮かべる。
瑛吾さんだって今、勇気を出して告白をしてくれているんだ。
だから私も勇気を振り絞ってそれに応えなきゃいけない。
一度呼吸をしてから、私ははっきりとした口調で瑛吾さんに言った。
「私も瑛吾さんが好きです。私で良かったら、どうぞよろしくお願いします」