だからあなたも幸せに①~side結唯~
夢を見た。
紅い髪の毛、澄んだピンクゴールドの瞳、まるで女優さんのような綺麗な女の人が、真っ白い花嫁衣装を着ていた。
そしてまばゆい金色の髪、空色の目をした綺麗な男の人がその手をとっている。
二人は教会のような場所でキスをして、幸せそうに笑い合っていた。
……何故だろう?
私にはその女性が、穂香姉さんであることがすぐに分かった。
顔も目の色も、髪の色も、何もかも違うのに。
紅い髪の毛の女性は私に言った。
「結唯、私、大知君と結婚するの」
「タイチ君?」
「この人とならお互いに助け合って生きていける……とても、とても大事な人なの」
「ホントに? 姉さん、今、幸せなの?」
「とても幸せよ。だから結唯、今度はあなたが幸せになって」
そう言って嬉しそうに笑う姉さんに私の目から涙があふれ出た。
今度は素敵な人に巡り会えたんだ。
姉さん、私、姉さんのこと大好きだった!
ずっと後悔していたんだ。
穂香姉さんが婚約破棄されたと聞いた時、あんな話見せるんじゃなかったって。
『運命の愛~平民の少女が王妃になるまで~』
平民の少女だけど、聖女の力があった為に男爵家の養女となったミミリアは、貴族の学校へ入学することになる。
そこで出会ったアーノルド王子と恋に落ちた。
アーノルド王子の婚約者であるクラリス=シャーレットはそれを知り、ミミリアに嫌がらせをするようになる。
だけど障害に立ち向かう度に、身分違いの二人の恋はますます深まることになる。
嫉妬に怒り狂ったクラリスは、ついにミミリアの命まで狙うようになる。
結局悪事が露見したクラリスは追い詰められて自害。
様々な困難を乗り越えてアーノルドとミミリアは結ばれる。
本当に面白くて大好きな話だったから、穂香姉さんにも勧めたんだ。
だけど――
穂香姉さんが婚約破棄された。
父とは年が離れていた叔母である山本穂香は私と年が近く、頼りになる姉のような存在だった。
だからいつも穂香姉さんと呼んでいた。
幼い頃はよく遊んでくれて、今でも悩みがあった時には相談に乗ってくれて。
そんな姉さんが婚約破棄になった、というのが信じられなかった。しかも男の方が別の女に走り姉さんを捨てたのだ。
穂香姉さんは悪女クラリスと違って何の落ち度もないのに!!
何の不満があったわけ!?
穂香姉さんはクラリスのように悪女になんか走らず、元彼よりももっと素敵な人と結婚してほしい。
今、お祖父ちゃんとお祖母ちゃんがたくさんの見合い写真や釣書を穂香姉さんの元に送っているみたいだから。
お見合い写真って……なんか古典的だけど、どんな形であれ、良い出会いがあればいいなと願っていた。
その願いも虚しく、程なくして穂香姉さんの訃報が来た。
階段から落ちて亡くなったって聞いている。
何で、何で、婚約破棄された直後に姉さんが死なないといけないの!?
神様、あんまりだよ。こんなのあんまりだよ!!
それ以来私は“運命の愛~平民の少女が王妃になるまで~”を読まなくなった。
◇◆◇
穂香姉さんが亡くなってから十年後。
何の縁があってか、私は姉さんが勤めていた会社と同じ会社に就職することになった。
「君が山本君の姪っ子か」
「君の叔母さんには凄くお世話になった」
「おお、山本君によく似ているな。あまり頑張りすぎるなよ。分からない所があったら遠慮なく聞いてくれ」
幸い、先輩や上司の人にはとても気に入られている。その人達はかつて姉さんのことを慕っていた人たちだ。ちゃんと感謝の気持ちを伝えられなかったことを今も悔やんでいるみたい。
社内では慕われていた一方、姉さんの悪口を言っていた人たちもいたらしいけど、その人達の多くは辞めてしまったみたい。
他の新人社員からは口うるさいと言われている女性の先輩、池口先輩にも気に入られている。なかなかの美人だけど、険しい目つきのせいか、少し近寄りがたい雰囲気の人だ。
以前はもう少しおっとりしていた、と池口先輩の同僚の人は口々に言っているけど、新人社員の人たちは殆ど信じていない。
池口先輩も昔姉さんから色々指導してもらっていたみたいなの。
「私はね、ずっと穂香先輩にフォローしてもらっていたのに、そのことにも気づいていなかった大馬鹿だったの。ただ、ただ、余計な事をするな、大きなお世話だって思っていた。ちゃんとアドバイスしてくれていたのに」
穂香姉さんはちょっとお母さん気質なところがあったのよね。
頼りない人をみると放っておけない所があるというか。でも、きっと姉さんはこの先輩のことは評価していたんだろうな。言っても駄目な人には、言わない人だったから。
「穂香先輩が亡くなってから、自分がいかに助けられてきたか思い知らされたの。それからは先輩のアドバイスを一つ一つ思い出しながら、仕事に取り組んできたわ。お陰で評価されることも多くなった」
先輩は次期係長の昇進が決まっているらしい。
今は結婚して子育てをしながら仕事をしている。この職場に託児所が出来たのはこの人のお陰だと言われている。
「山本先輩は昔、一部の人たちからお局さんって陰で呼ばれていたけど、今は私もBBAって呼ばれているんだから、ウケるしかないよね」
池口先輩は姉さんに懺悔したい気持ちで、自分の恥ずかしい過去を私に話して聞かせたのかもしれない。
昔の先輩がどうだったか私は知らないけれど、部長が言うには、今の先輩は姉さんそっくりになってきているらしい。
池口先輩は確かに口うるさいようには聞こえるけど、言っていることは的確だ。必ず私の糧になることをアドバイスしてくれる。
「そういえば、内山があなたのこと凄く気になっているみたいよ? 彼の事どう思う?」
内山とは同じ企画課の先輩。とてもイケメンではある。
同僚の子も何人か彼を狙っているみたいだけど。
「あ……あの、まだ会社に入ってそんなに経っていないので、恋愛はまだ」
「そう言っている内に婚期を逃すのよ? でもまぁ、そうね。もう少し仕事が慣れてからの方がいいか」
池口先輩は、多分、私があまりにも恋愛に疎いから、ちょっとは異性を意識しなさい、と言いたいのだろう。
心配してくれる先輩の気持ちは嬉しいけれど、内山さんはあんまり好きになれない。
この前、ミーティングルームの前を通った時、たまたまドアが少し空いていて、内山さんと経理課の枝さんが話しているのが聞こえた。
内山さんは缶コーヒーを飲みながら、枝さんに尋ねていた。
『今回の新人だったら誰が当たりだと思う?』
『うーん、山本じゃないかな? 真面目で一生懸命じゃないか』
え、枝さん。ありがとうございます。
何だか照れるな……と思ったのもつかの間。
内山さんはそんな枝さんを鼻で笑った。
『まぁ、そうだな。新人の中ならあの子が一番だけど……なーんか地味じゃない?』
『確かに華やかな感じじゃないけどな』
『死んだ山本先輩みたいに口うるさいかもしれないぞ?』
『う……口うるさいのは嫌だな。あの人、先輩としては凄く尊敬していたけど、彼女としては微妙かな』
穂香姉さんのこともあざ笑っているみたいでカチンときた。
何が口うるさいよ! 姉さんはいつだって相手のことを思って、色々言ってきた筈だ。
枝先輩も人を見る目がないわね。
先輩としては尊敬するけど、彼女にするには微妙って……姉さんの魅力が全然分かってない人だ。
姉さんは綺麗だし、女子力高いし、優しいときはすごく優しいし、包容力もあって、私が男性だったら絶対に結婚したいぐらいなんだから!!
私のことを真面目で一生懸命だと評してくれたことは有り難いけど、なんか素直に喜べなくなった。
池口先輩は内山先輩が私の事を気にしているみたいな事言ってたけど、あれは単に穂香姉さんに似ている私の働きぶりが気になっているだけだ、きっと。
私もあの人達から見たら、真面目で一生懸命だとは思うけど恋人にするには微妙なんだろうな。
まぁ、こっちもお二人のことは何とも思っていないから、別にいいんだけど。
姉さんのことを悪く言われるのがとにかく嫌だった。
イライラモヤモヤする……何だか男嫌いになりそう。
恋愛なんかまだする気にはなれない。
まずは今の仕事に慣れるのが精一杯だし、姉さんの事もあってか恋愛するのが怖い自分もいる。
もちろん、いつかは素敵な人と出会えたら……とは思っているけれど。
だけど今は、恋愛のことは考えたくなかった。
◇◆◇
昔から本を読むのが好きで、実家にある私の部屋は本棚に囲まれた状態だ。
現在はアパートで一人暮らしだけど、あの部屋が本だらけになるのも時間の問題だろう。
電子書籍も便利でいいけれど、やっぱり紙の本が読みたい時もある。
文字を読むこと自体好きな私は、ジャンル問わず興味がある本はすぐに手を出してしまう。
……たけど、中には読みたくない本もある。
棚に置いてある一冊の本を手に取ってみる。
表紙を見てみると主役はクラリスとエディアルドのようだ。
帯には『悪役二人は破滅の運命に立ち向かう』と書かれている。
何を今更クラリスにスポットを当てているんだか。
こんなの書いたって、姉さんが生き返るわけじゃない。
姉さんが幸せじゃないと、こんな本、読む気になれない。
もちろん作者である綾小路樹理が悪いわけじゃないのは分かっている。
本当にタイミングが悪かっただけ。
それでも私は後悔している。
あんな話、姉さんに見せるんじゃ無かったって。
あんなに大好きな話だったのに、今ではあの話を読もうとすると、独りでに涙がこぼれ落ちてしまう。
…………姉さんに会いたい。
平積みにされたその本の表紙をじっと見ながら私は思う。
表紙に描かれた紅い髪の毛の女性はとても幸せそうな笑顔を浮かべていた。そして金髪と空色の瞳が綺麗な男性が優雅に彼女の手を取っている。
私は息をついてから本を元に戻した。
でも、綾小路樹理の作品は好きだから、悪役令嬢とは関係ない話を買おうかな。確かスローライフの話も書いていた筈。
仕事で疲れた時はスローライフものを読むと癒されるんだ。
私は『異世界転移したけど、役立たずとして追放されたので無人島で葡萄農家をはじめます』と書かれたタイトルの本を手に取った。
その時、一人の男性が私の横に立った。
思わずそちらへ顔を向けた私はドキッとする。
わ……格好いい人だ。
パッと見た目が地味だけど、横顔が凄く整っている。銀縁眼鏡を押し上げてから一冊の本を手に取る。
あ、私がさっき元に戻した本だ。
彼はその本をじっと見たかと思うと、どこか嬉しそうな笑みを浮かべた。
か、可愛い。
笑うと可愛いな、この人。
しばらくの間、呆けたようにその人の横顔に見入っていた。
視線を感じたのか、彼は私の方を見た。
うわ、目が合った!
いやいやいや、何をやってんの!? 私は!?
何をぶしつけに知らない人の顔を見詰めているのよ!!
慌てて本棚の方に視線を戻す。
その人はすぐに何事もなかったかのように本を片手にレジへ向かった。
あーあ、変な女だって思われただろうなぁ。
いや、だって、すごく堅そうなスーツ姿の男性がふっと見せた笑顔って、結構な破壊力があるよ?
まだ心臓がドキドキしている。
なかなかあの横顔は忘れられないな。
ちょっとクラリスとエディアルドを主人公にした話、気になってきたけど……やっぱり今は読む気になれない。
私は首を横に振った。
……まだ、胸がドキドキしている。
あの人は知らない人だ。
もうこれっきりの縁だろうし、早く忘れないと。