第166話 めまぐるしい日々~sideクラリス~
快気祝いの宴は夜中まで続いた。
けれども翌日からは、めまぐるしい日常が戻って来た。
エディアルド様は王都の被害状況の確認や、魔族に滅ぼされた村や集落の把握、それから諸外国の対応など、クロノム公爵やアドニス先輩、ロバート将軍と打ち合わせをしていることが多く、またアーノルド陛下もエディアルド様に何かと意見を仰ぐなど、かなり頼りにされているようだった。
王位はまだアーノルド陛下のものであるものの、城内は既にエディアルド様中心に動いていた。
私も、宴の翌日から忙しい日々を迎えることになる。
幸いデイジーが愛情を込めてつくった万能薬を飲んだお陰で、身体は漲るほど元気だ。
城内や王都には、まだ治療を受けることができていない怪我人も多く、地域によっては薬も不足している。
そういった人の治療や、薬の手配をはじめ、仮設住宅や避難施設の慰問、時には外交を行うこともあり、一日、一日が瞬く間に過ぎていった。
◇◆◇
魔族との戦いが終わって一週間後のこと。
アーノルド国王は、王位を兄であるエディアルド=ハーディンに譲渡する意向を明らかにした。
ハーディン王国の王室にて、弟が兄に王位を譲るという事例は特に珍しいことではないらしい。
何代か前の国王は病弱だったため、異母兄に王位を譲った時もあったようだし、姉や叔母に王位を渡したという事例もあるらしいの。
魔族との戦いで、エディアルド様の活躍が国民の間に知れ渡っていたようで、国内は反対の声どころか歓迎一色みたい。
もちろん反対の声もあったわ。
エディアルド様のことを散々馬鹿王子と陰口をたたいていた、テレス妃側の貴族たちだ。
大半は魔族の手に寄って殺されてしまったし、中心人物であるテレスがいないから、その勢力はかなり弱まっているのだけど、本人達はその自覚がまだないみたいね。
四守護士の一人、ガイヴはアーノルドが王位を辞すことを受け入れられなかったらしく、ハーディン王国騎士団を辞めてしまったわ。
「アーノルド陛下が王様じゃなくなっても、立派な主であることには変わりは無いのだから、そのまま仕えればいいのに。あいつはホント馬鹿なんですよ」
私の爪に色を塗りながらブツブツ呟くのはエルダだ。
明日、外国要人の夫人たちとの会合が控えているので、彼に爪のカラーリングをしてもらうことにしたのだ。
「それだけアーノルド陛下を慕っていたってことでしょう?」
私が言うと、エルダは首を横に振る。
そして溜息交じりに言った。
「慕ってたというより、依存していたって感じですね。 ガイヴは元々、そこまで気が強い性格ではありませんでしたから。アーノルド陛下の威光があって、初めて大きな顔が出来たのです。だから今、その威光がなくなるのが不安でしょうがないんですよ」
言いながらも丁寧に爪を塗ってくれるエルダ。
綺麗に整えられた爪には淡いピンクのカラーが塗られる。
塗料は当然、前世で使われているものとは違うのだけど、前世のネイルと遜色ない出来映えだ。
「あいつ冒険者になるって言っていましたから、陛下の威光がない場所でしばらく頑張ればいいのですよ。そうしたら、自分がいかに脆いものに縋っていたのかよく分かると思いますし」
何だかエルダ、ガイヴのお母さんみたいね。家出した息子を、しょうがないな……という感じで語っているわ。
エルダが言うには、イヴァンやゲルドはアーノルド殿下と一緒に、神殿の再建に力をいれているみたい。
魔族との戦いを経て、ゲルドはエディアルド様に敬意の念を抱くようになった。今ではガイヴと共にエディアルド様を馬鹿にしていた過去の自分を恥じているみたいなの。
そして意外にも神殿の再建に人一倍熱心だ。まだ幼い弟が神官見習いらしいので、彼の将来の為にも一刻も早く再建させたいみたいなの。
「出来ればもう少し華やかに仕上げたかったのですが……」
「今日は時間が無いからまた次の時におねがいするわ」
「はい、いつでも駆けつけますので!」
嬉しそうに顔を綻ばせるエルダに私もまた嬉しくなって大きくうなずいた。
そして彼に問いかける。
「ねぇ、エルダ。いっそのこと、爪を塗ること――ネイルアートを本業にしたらどう?」
「え……でも、これが本業として成り立つのかどうか。それに我が家は代々騎士ですし」
「代々騎士の家でも、魔術師になった人もいるわ。それにあなたはお兄さんもいるんだから、家を継がなくて良いのでしょ?」
「まぁ、そうなのですけど。でも需要がそこまでないですし」
「流行るように私も協力する。もし、ネイルアートが本当に好きだったら私に言って」
「……」
エルダは、その時曖昧な笑みを浮かべた。
まぁ、すぐに決断はできないわよね。今まで立派な騎士になるために鍛錬してきたから、騎士の道を完全に捨てることはできないだろうし。
でも、このネイルアートの才能が埋もれるのはあまりにも勿体ないわ。
何とかしてあげたいな。
私がそんなことを考えていた時、ノックの音が聞こえてきた。私がどうぞと促すと、エディアルド様が入って来た。
「それでは、私はこれにて」
道具を片付けたエルダは、席から立ち上がり、私とエディアルド様に一礼して部屋を立ち去った。
「エルダに爪を塗って貰っていたのか」
「ええ。ほら見て」
「へぇ、前世のネイルと変わらないな」
淡いピンク色の光沢のある爪をしげしげと見て、エディアルド様は感心したように言った。
「今回は色を塗って貰っただけだけど、時間がある時には絵も描いて貰おうと思うの」
「いいじゃないか。俺も爪を整えてもらおうかな……そうだ、仮設住宅や教会施設で、簡易のネイルサロンを開くのもいいかもしれないな」
「ああ、そういえば前世でもありましたね。自然災害で被災した人たちの為にハンドマッサージやネイルのカラーリングをするボランティアが」
そんな話をしながら、エディアルド様は長ソファーに腰掛ける私の隣に座ると、そのままコロンと横になる。
最近エディアルド様の中で私の膝を枕代わりにするのが流行りみたい。
「今日も疲れた……」
「お疲れ様、エディー」
「クラリスもお疲れ様。今日はちょっと君に甘えたくなった」
クールな口調で、臆面もなくそんなことを言うエディアルド様。この人、無意識に女心をくすぐっているわね。
だけど、そんな彼が可愛いと思っている自分も、結構単純なのかもしれない。思わず頭を撫で撫でしてしまう。
だけど額の上に手の甲を置いて、息をつく彼は、いつになく疲れているみたいだった。
「どうかしたの? エディー」
「……テレスが見つかった。愛人と逃げる途中で、盗賊に襲撃されたらしく、身ぐるみを剥がされた状態で、愛人とともに木に縛られていたそうだ」
「……」
少し前まで栄華を極めていた女性なのに、随分と惨めな姿で見つかったのね。
「あの女は裁かれることになる。息子の手によって」
「……!」
私は息を飲んだ。
確かにこの国の法律では、王族は国王しか裁く事が出来ないことになっている。
アーノルド陛下は母親を断罪しなければならないのだ。
「あまりにも酷だからな。俺が王になってから、テレスを断罪しても良いのではないか、と提案した。だけどあいつはそれを断った。自分の母親を罰することが、国王としての最後の仕事だと言って」
「……」
アーノルド陛下は、自分の手で母親を断罪することこそが、けじめだと思っているのね。
母親の大罪によって王の地位に就いた自分自身が許せず、そんな自分自身を罰する為に母親を断罪するという苦しみを背負うことを選んだ。
「ははは……随分もめたけどな。生まれて初めて派手な兄弟喧嘩をしたよ。だけどあいつの決心は変わらなかった。女神様があいつに植え付けたゆるがない正義が悪い方に働いてしまったな」
エディアルド様はそこまでの業をアーノルド陛下に背負わせたくはなかったのね。でもアーノルド陛下自身はそれでは納得しなかった。
今の私には何と言っていいか分からない。
黙ってエディアルド様の頭をなで続けることしかできなかった。
アーノルド国王が、兄であるエディアルド様に王位を譲渡する声明を出してから三日後。
魔族との戦いの時に、愛人とともに真っ先に逃げたテレス妃が、王城に戻ってきた――戻って来たというよりは、連行されて来たというのが正しいかもしれないわね。
盗賊によって身包みを剥がされていた彼女は、囚人の女性が着る灰色のワンピースを身に纏い、両手を前に縛られた状態で王城の門をくぐることになる。