第165話 目が覚めてから……~sideクラリス~
三人が部屋を出て、扉が完全に閉まったと同時に、エディアルド様はこっちに駆け寄って来て私の身体をきつく抱きしめてきた。
しかも……あ、そんな、いきなりキスだなんて。
最初は軽く触れあうように、だけど次第に深く濃厚なキスに変わる。
挨拶のキスとは違う。私の存在を確認するかのように、少しでも私の温度を感じ取ろうとしている切実なキスだ。
長いキスが終わると、今度は顔中に唇が触れてくる。
首筋や鎖骨にも触れてきて、身体中キスされそうな勢いだ。
だけどもう一度、唇に軽くキスをしてから、エディアルド様は、私を抱きしめ、長い安堵の息をつく。
「君が生きていて良かった……」
その呟きを聞いて私もまた、エディアルド様の背中に手を回し抱きしめた。
私もまったく同じ気持ちだったから。
エディアルド様が生きていて本当に良かった。
「クラリス……俺も大好きだ」
「エディー?」
「ディノとの戦いで君が気を失う寸前、俺に告白してくれただろ? その返事だ」
エディアルド様に言われて私は思い出す。
“エディー……大好き……”
そ、そうだった! ディノとの戦いで死ぬかと思った私はエディアルド様に「大好き」って告白したんだ。
生き残るって分かっていたら、あんなどストレートな告白しなかったわよ!!
は、恥ずかしいっっっ。
「あれから俺も気を失って、女神様の元に呼ばれたから、なかなか言えずにいたけど、凄く嬉しかったんだ。だから俺も自分の気持ちを伝える。大好きだ、クラリス! 君は俺にとって、この世で一番大切な人だよ」
「エディー……」
私はエディアルド様の腕に抱きしめられたまま、こくりと頷いた。
本当は何か言ってから頷きたかったのに、何も言葉が浮かんで来ない。
もう頭が一杯一杯だった。戦いが終わって安堵した気持ち、エディアルド様が無事だったことの喜び、まっすぐに自分の気持ちを伝えてくれたことも嬉しくて。
頷くのが精一杯だった。
それでもエディアルド様は十分だったみたいで、もう一度私の唇にキスをしてきた。
触れ合う唇の温度が先ほどよりも熱く感じられた。
◇◆◇
翌日、私はエディアルド様と共に他の皆の様子を見に行くことにした。
まずはアドニス先輩とクロノム公爵がいる宰相の執務室へ。
そこには書類を持ったコーネット先輩もいた。
「ちょうど良かった。コーネットにも会いに行こうと思っていたんだ。クラリスが心配していたから」
「ありがとうございます。丁度、新製品の販売許可を頂きにきていたので」
「新製品の販売の許可? わざわざ宰相がする必要ないんじゃないのか?」
首を傾げるエディアルド様に、クロノム公爵が説明をする。
「魔石を使った特殊な発明品は、僕の許可がいるの。魔石はデリケートだからね。ちゃんと安全性を確認してからじゃないと許可できないの。安全性の確認は宮廷魔術師の方でやってもらっているから、僕は印鑑を押すだけなんだけどね」
クロノム公爵は、魔族の戦いが終わった後、再び宰相の座に就いた。
とはいっても、次期宰相のアドニス先輩への引き継ぎが済んだらすぐ辞めるらしいけれど。
アドニス先輩はエディアルド様の顔を見るなり、苦言を呈した。
「婚約者が心配なのは分かりますけど、会議を投げ出していきなり飛び出さないでください」
「す、すまない……」
エディアルド様は、それまでずっとクロノム公爵とロバート将軍、それとアドニス先輩と一緒に会議をしていたみたいなの。
だけど私が目を覚ましたと聞いて、会議をほっぽり出してこっちに駆けつけてきたみたい。
それに対してクロノム公爵は可笑しそうに笑う。
「それだけクラリスちゃんのことを愛しているんだから仕方がないよ。僕だって愛しい娘のデイジーが三日間も寝ていたら、心配で心配で、いても立ってもいられなくなるもん」
「……父上、一応僕もあなたの子供なんですけどね」
「お前は可愛くないし、殺しても死なないでしょ」
「ひどい言い草ですね……決めました。僕は全力でデイジーの結婚を応援することにします」
ちらっとコーネット先輩の方を見てから満面の笑顔で言うアドニス先輩に、クロノム公爵の顔は真っ青になる。
「は!?……いいいいいい、今、何て言ったの!? で、デイジーが結婚って何のこと!?」
「さぁ、何のことでしょうね」
涙目になって問い詰めようとする父親に対し、ぷいっとそっぽ向くアドニス先輩。
実はちょっと拗ねているのかな?
そんな父子の様子を複雑な表情で見守るコーネット先輩。
デイジーの結婚、アドニス先輩が味方になってくれて心強いけれど、前途多難になりそうね。
アドニス先輩がふと思い出したように言った。
「お借りしていたクリア・フレムとクリア・ライトニングの書をお返ししますね」
「王室用に複製本を作るのだろう? もういいのか?」
「はい、内容は全て魔石に記憶させましたから」
エディアルド様はアドニス先輩から二冊の本をうけとった。
執務室を退室した後、城内にある魔術研究室の地下二階へと向かう。トールマン先生にお礼を言う為だ。
魔族襲来の間も、ずっと地下二階の自室にいた先生。幸いカーティスやナタリーに目を付けられることもなく、無事にやり過ごすことができたらしい。
カーティスとナタリーが去った後は、城内に設置されている浄化魔石の一部が破壊されていたので、その修復にあたっていたみたい。
エディアルド様はクリア・フレムの書とクリア・ライトニングの書をトールマン先生のデスクの上に置いた。
改めて見ると、二冊とも百五十年前のものとは思えない程、色褪せていない。一冊は厳重な宝箱の中に、一冊はトールマン先生の手によって大切に保管されていたからね。
私は先生にお礼を言った。
「トールマン先生、本当にありがとうございました」
「うむ……」
「クリア・ライトニングとクリア・フレムがあったおかげで、魔族との戦いに勝利することができました」
「まぁ、最終的には聖女様の力があってこそじゃったがの」
「いいえ、あの二つの魔術がなければ、聖女の力が発動する前に魔族に殺されていたと思います。セイラ様が考え出した魔術は、もう禁止魔術ではありません。後世に伝えるべき、素晴らしい魔術ですよ」
「うむ……」
トールマン先生は一つ頷いてから、嬉しそうに笑った。一言しか発せ無かったのは、泣きたい気持ちを堪えていたからだろう。
クリア・ライトニングの書とクリア・フレムの書は再びトールマン先生の元に置いて貰うことにした。
クリア・フレムの書を愛しそうに抱きしめるトールマン先生の姿が印象的だった。
王城を後にしてエミリア宮殿に戻ろうとした時、前の庭がなにやら賑やかになっていた。
いつくかの丸テーブルと椅子がセッティングされている。メイドだけじゃなく、ソニアやウィストも椅子やテーブルのセッティングを手伝っているみたいだ。
ヴィネがテーブルクロスを敷くと、オードブルがのった皿が次々と並ぶ。
「お二人ともこちらへ。クラリス様とエディアルド様の快気をお祝いしますわよ」
テーブルの上にナイフとフォークをセットしていたデイジーが、手を振って呼び寄せる。
そこにはテーブルの上にワインを置くジョルジュや、お皿を並べているジン君の姿もあった。
ジン君は私たちの姿を認めると、ぱっと目を輝かせ、こっちに駆け寄って来た。
「エディー! クラリスー!!」
ジン君、エディアルド様をすりぬけて私に抱きついてきた。ジン君を抱き留める気でいたエディアルド様、少し寂しそう。
「会いたかったよぉぉぉ。うぇえぇぇぇぇん」
私の腕の中で大泣きするジン君。
魔族との戦いで、ヴィネとジョルジュが王都へ向かう時は、毅然としていたのに、今は年相応の子供みたいに泣きじゃくって甘えている。
本当は不安で仕方がなかったのね。
私はジン君の頭をよしよしと撫でた。
一方ジョルジュは片目を閉じて、ドヤ顔で胸を反らす。
「どうだ? 生き残ってやったぞ。王都も場所によっては魔物が巣くっていたから、退治すんのに骨が折れたな」
「ジョルジュも大変だったんだな」
「俺とペコリンと、あと飲み友達とで魔物退治に挑んだんだけどな。飲み友達は腕力だけで自分よりデカい魔物をぶっ飛ばして、器物破壊するし、ペコリンは売り物の爆弾を全部使って建物ごと魔物を全滅させるし、もう少し控えめな攻撃をするよう指導すんの大変だったんだぜ」
「大変って、そっちの大変?」
ジョルジュの飲み友達って何者!? 腕力のみで魔物をねじ伏せちゃうなんて。ペコリンも結構危なっかしいことしていたのね
ま、まぁ、何にしても無事で良かったわ。
快気祝いのパーティー会場となった白薔薇の庭園を見回しながら、私はふと既視感を覚える。
「そういえば、ここは俺と君が初めて会った場所だったな」
エディアルド様の言葉に、既視感の理由が分かった。
そうだ、ここは王妃様が主催していたお茶会の場所で、初めてエディアルド様と出会った場所でもあったんだ。
最初にここでお茶会をした時は緊張していたから、何を話していたかも良く覚えていなかったけれど。
“はじめまして。顔を上げてくれるかな?”
“俺はエディアルド=ハーディン。今日は気楽にお茶会を楽しんでくれたらいいから”
あの時、冷ややかな視線に囲まれていた私に、あなただけは優しく笑いかけてくれた。
もちろん優しくしてくれたことは嬉しかったけれど、今にして思うとあなたの笑顔に私も一目惚れしていたのかもしれない。
だって今でもあの時のあなたの微笑みを覚えているから。
「「「カンパーイ!」」」
その日私たちは、ささやかだけど快気祝いと、戦いが平定した祝杯をあげることにした。
まだまだ難題はやまほどあるし、忙しい日々が続くことは分かっているけどね。
だけど今日だけは素直に楽しむことにした。
楽しそうに笑う皆の顔を見て、私は思う。
これからもこの笑顔を守りたい、と。
魔族の戦いが終わり、小説だったら、もうすぐ物語の終わりを迎えることになるけれど、私たちが生きる世界はまだ終わりじゃない。
これからは私たちが物語をつくりあげる番。
皆が幸せな日々を迎えられるように、これからもがんばらなきゃね。