第150話 悪女と万能薬~sideクラリス~
私の名はクラリス=シャーレット。
約半年ぶりに王都に戻ってきたわ。
あんなに賑わっていた都が、今は死んだように静かで、所々破壊されている場所もあった。
都全体が破壊されなかったのは、清浄魔術の効き目が大きかったのと、軍勢の大部分をイヴァンたち率いる実行第一部隊が食い止めていたお陰ね。
住人達は強力な清浄魔術がかかっている教会に避難しているみたい。
教会は普段、神官がジュリ神の教えを説く場であり、冠婚葬祭場の役割も果たしているけれど、災害の時には住人の避難場所にもなる。
そういった教会施設は地域ごとに一つは建っているの。
王城に隣接した訓練所の広場にドラゴン達を着地させ、城内に入るとロビーには負傷者である兵士たちや使用人達が床に寝かされ、魔術師や薬師の手当をうけていた。
城内で負傷した者だけではなく、城外で怪我した人間も運び込まれているようで、魔物の攻撃を受けたであろう爪痕や噛み痕の傷を負っている者も多数いる。
「ご……ごめんなさい。私に力があったら」
「君はまだ宮廷魔術師になったばかりだろう? 俺の方こそ敵にあっさりやられてこのザマだ」
懸命に手当をする宮廷魔術師だけど、魔力が足りないのか、傷口を完全に塞ぐことができずにいた。
無力に苛まれる幼い少女を怪我人である兵士が励ましている。
怪我人の数に対して、圧倒的に魔術師と薬師の数が足りない。恐らく薬をつくる材料も不足しているのか、新たな薬をもって来る気配もないわね。
治療が思うように捗らない現場に、エディアルド様は溜息をついてから、そばにいる薬師である少年に声をかけた。
「王城の地下倉庫にある回復薬のストックは切れたのか?」
「……はい。第三、第四実行部隊の方々が全部持って行ってしまいました」
「……」
今王城に残っている実行部隊の騎士たちの中には、自分のことしか考えていない人もいるでしょうね。怪我人に回す分の薬も、自分のものにしてしまったのかもしれない。それで、戦ってくれればまだいいのだけど、そのまま逃げていった可能性もある。
エディアルド様はややさび付いた銀色の鍵を薬師の少年に渡す。
「エディアルド閣下、この鍵は?」
「開かずの間になっている第五倉庫があるだろう? そこの鍵だ。クラリスとデイジーがこの日の為に作っておいた上回復薬がある。そいつをこの場にいる全員にのませておけ」
「デイジー公爵令嬢はともかく、あ、あのクラリス侯爵令嬢が?」
「まだ、俺の婚約者を悪しき者だと思っているのか?」
「で、でも聖女様がそう仰せになって……」
そう言いかけた少年だけど、エディアルド様の冷ややかな眼差しに思わず口をつぐんだ。
聖女様ともあろうお方が、随分と私の悪口を城内に触れ回っていたみたいね。
少年はミミリアの言うことを素直に信じたのだろう。
私は気にするのをやめて、そばにいる魔術師の少女の元に歩み寄った。
彼女は恐れたようにビクついたけど、私はかまわずエメラルド色に輝く小瓶を少女に渡す。
「こ……これは……」
小瓶を受け取り、信じがたい表情を浮かべる少女。そばに居る薬師の少年も彼女のことが心配だったのか、少女の元に歩み寄り、輝く液体の小瓶を凝視する。
「ま、まさか万能薬! しかも何て綺麗な」
薬師の少年の声に、その場にいた薬師見習いの若者達も慌てて駆け寄る。
上質な万能薬を見たことがないのか、キラキラ輝く澄んだエメラルド色の液体に驚きが隠せないみたい。
「飲んでみてください」
少女は頷くと、恐る恐る輝く液体を一口、二口と飲む。
そして三口で薬を飲みきった瞬間、それまで青白かった少女の顔色に朱が差して肌の色艶がよくなり、髪の毛も艶やかに、足の擦り傷や、手のひび割れも綺麗になり、貧相な印象だった少女は、まばゆい美少女に変貌した。
本当は綺麗な娘だったのだろうけど、極度の疲労により顔はすっかり痩せこけてしまっていたのね。
「すごい……魔力が戻って……あ、ありがとうございます!」
少女は何度も頭をさげてから、先ほど治せなかった兵士の傷を治し始めた。微弱だった治癒の光は強い光に変わり、兵士の傷をみるみる塞いだ。
私は薬師の少年に手に持っていた緑のジュエリーバッグを渡す。
前世のアイテムで例えるとB4サイズ書類や書籍が入るサイズのバッグだ。中身を開くと宝石ではなく、万能薬が入った小瓶がびっしりと入っている。
「今はこれしか運べませんでしたが、すぐにクロノム家から追加が来るはずです。それまで、どうか持ちこたえてください」
「じゅ、十分すぎます!! 本当に、本当にありがとうございます!! 僕は……愚かすぎることを言ってしまった自分が恥ずかしい!!」
薬師の少年は目に涙をにじませ、何度も何度も頭を下げていた。
本当に素直な子だわ。だからこそ、聖女様の言葉をそのまんま信じてしまったのね。
とにかく城内の魔術師たちに万能薬も支給できた。第五倉庫を開放したので、回復薬も行き渡る筈だから、城内を守る兵士たちもじきに完全回復するだろう。
クロノム家から薬の材料も届くはずだから、宮廷薬師たちも新しい薬を作ることができるはず。
コーネット先輩は手に包帯を巻いて壁に凭れている貴族の子供に治癒魔術をかけていた。
私も側に倒れている女性が、あまりにも酷い怪我なので治療することにした。
胸から腹にかけて切り裂かれた傷、顔も額から顎にかけて切り裂かれて、包帯でぐるぐる巻にされていた。腕にも浅い切り傷があり、先ほどの兵士の傷とは違い、その傷口は黒い。
魔術師の少女が辛そうに目を伏せる。
「その傷は私の治癒魔術でも治すことができませんでした。黒い傷を負った人は殆ど亡くなってしまいました」
「魔族の剣によって傷つけられたせいね。膨大な瘴気を内包した剣の傷は、治癒魔術だけじゃ治らないの」
多分、この娘はカーティスによって傷つけられたのだろう。
少々瘴気をまとった魔物に傷つけられたのとは訳が違う。闇黒の勇者が手に持つ黒い剣、闇黒剣は瘴気と毒素があり傷つけた人間を蝕む性質を持つ。
「闇の魔力は不浄と毒素が混ざった成分のようなものだから、治癒魔術だけでは効き目がないの。だから浄化の魔術と解毒の魔術、それから治癒魔術を同時に注がないといけない」
「ですが浄化と解毒と回復をどうやって」
少女の問いかけに今は答えず、私は女性の前に跪いた。
そして包帯から血が滲み出ている顔の傷口に手を当てる。
エディアルド様から頂いた紫魔石の指輪が輝きはじめた。魔力の消費を半分にするレアアイテムが早速役にたつわね。
「クリア・ヒール・デトリクス」
私が呪文を唱えると、薄い紫がかった白い光が彼女の顔を照らす。
この魔術は三つの魔術を混合したもので、私が考え出したの。
いかに聖女様の力に近づくか、私だって研究していたんだから。
幸い、彼女の傷は見た目ほど深くはなかった。
紫魔石の結晶の効力もあり、魔力の消耗が激しい混合魔術でも、わずかな消費ですんだわ。
傷が完全に治ったので、顔の包帯をとった私は、女性の顔を見て息を飲んだ。
「あ……あなたは……」
震える声で私の名を呼ぼうとする女性。
だけど私は彼女の顔を見ないよう目を伏せ、極力穏やかな声で言った。
「顔の傷、治って良かったです」
それから何かを言おうとする彼女に背を向け、その場から離れた。
彼女はミミリアの信者だった女性だ。
名前はエディアルド様から聞いた話ではワンザ=ナーバリンという名前だったと思う。
私は以前、彼女に殺されかけた。聖女の熱狂的な信者だったワンザは、私のことを敵視していたのだ。
『あなたの存在自体が悪なのよ!!』
ワンザを助けたことは後悔していない。
だけど、その顔を見た瞬間、彼女が言い放った言葉を思い出してしまった。
「ご……ごめんなさい……こめんなさい……」
背中越し、掠れる声が聞こえた。
振り返るとワンザの目から止めどなく涙がながれている。
精神的なショックもあり、うまく声が出せずにいるようだ。
それでも何とか口を開き、私に謝罪の言葉を伝えようとしていた。
彼女のしたことは許されることじゃないし、私を憎む信者たちのあの眼差しを思い出すと、今でも恐怖を覚える。
もう関わりたくはないけど……少し気持ちは楽になったかな。
その時エディアルド様がワンザに近づき、何かを言っているように見えた。
何を言っているのかは分からない。
ただ、ワンザは酷くショックを受けたような顔をしてから、茫然と天を見上げていた。
一体、彼女に何を言ったのかしら?