第15話 悪役令嬢、薬師に弟子入りする③~sideクラリス~
「月謝はこれで」
一本指を立てるヴィネに私は首を傾げて尋ねる。
「千ジーロですか?」
「一万ジーロだよ。これでもお友達価格さ」
「……っっ!?」
た、高い……っっ!!
い、いやでも手に職をつけると思えば。材料費もかかるだろうし、お友達価格なのは本当なのかも知れない。
ま、まぁ、お母様の遺産があるし、払えるには払えるけど、ここはちょっと値切ってみることにする。
「せ、せめてその半額で」
「駄目」
「じゃあ六千ジーロで」
「まだ安い」
「七千」
「まだまだ」
「八千」
「あのね……」
「八千百ジーロ」
「細かく値上げしてんじゃないよ! わかった。八千ジーロで手を打ってやるよ」
……ふう、二千ジーロは負けて貰うことができた。
ヴィネはそんな私を呆れた目で見ている。
「まさか授業料値切られるとは思わなかったね。貴族の娘がやることじゃないだろ」
「ははは……」
前世ではよく近所の朝市で野菜や魚を値切っていたからなあ。
考えてみたら、店を構えているとはいえ、子供を抱える身だ。ヴィネとしても出来るだけ収入を確保したいことは確かだろう。
でもこっちとしても先が分からない未来が待っている以上、出費は抑えたいところ。
一応、報酬のことは言われると思っていたので、一万ジーロは手元に持っていた。財布から八枚のお札を手に取って彼女に渡した。
「即払いとは、さすがシャーレット家のお嬢様だね」
「お母様の遺産があるので何とか……でも、いずれは尽きてしまうことを考えると、出来るだけ自分で収入が得られるよう、あらゆるスキルをものにしたいのです」
「ちょっと……父親はどうしているんだい?」
「父は当てになりません。家の資産もほとんど継母とその娘につぎ込んでいるので」
「ああ、成る程ねぇ」
私の話を聞き、家庭の状況を察してくれたヴィネはそれ以上何も言ってこなかった。
そして隣の部屋へ来るように言った。
さっきジン君が出てきた部屋だ。
その部屋には乾燥した薬草が入った籠や、木の実が入った瓶。見たこともないくらい真っ赤な木の枝や真っ黒な花。トカゲのホルマリン漬け……ホルマリン漬けかどうかは分からないけど、そんな感じのものが置かれていて、コンロの上には得体の知れない液体がぐつぐつ煮込まれている。
絵に描いたような魔女の部屋だ。
ヴィネが人差し指を軽く回すと、弱火だったコンロの火がポンッと消えた。当然こっちの世界はガスも電気もないからね、火は魔術でおこすのだ。
魔術が使えない人用に、火の魔術が込められた魔石を使って火をおこすコンロもあって、ほとんどの平民はそれを使っているみたいだけど。
「じゃ、まずは回復薬の作り方から教えるよ。ジン、そこにある薬草とエゴマの実を持ってきて」
エゴマ?
前世にあるエゴマと一緒?
見た目も小さな黒い粒。あのエゴマそっくり。
エゴマは身体にいいのよねぇ。そういう意味では回復薬の材料になり得るのかな……いや前世のエゴマとこっちのエゴマは成分が違うかもしれないし、何とも言えないな。
ジン君が用意してくれた材料、そして手渡されたのは乳鉢と乳棒。
「ただ材料をそろえりゃいいってもんじゃないからね。調合の量によって出来不出来が変わるんだからね」
ヴィネの言葉に私は頷いた。
しかも原料になる実の大きさや、薬草の育ち方によっても調合量が変わるらしく、正しく重さを量ればいいというものでもないらしい。
難しそうだけど、凄く面白そうだ。
「私が調合するから、よく見てな」
乳鉢の中にエゴマや薬草、花びらを乾燥させたものを入れて、素早くすりつぶす。ある程度混ざったら、浄水を加え今度は少しずつ回復の魔術を唱えながらゆっくりと混ぜる。
すると濁っていた水がだんだん澄んできて、綺麗な緑色の液体ができあがる。
「こいつを小瓶につめて……はい、回復薬のできあがり」
す、すごい。あっという間に。
感激する気持ちが見事に表情に出ていたのだろう。私に見詰められたヴィネは気恥ずかしいのか、人差し指で頬を掻いて視線を横に反らす。
「そんなにキラキラした目でこっちを見るんじゃないよ」
「あ……っ、し、失礼しました! あまりの神業に本当に感激しちゃって」
「大袈裟な子だねぇ、これくらいのことで」
ヴィネの白い頬に朱が差す。内心かなり照れているみたい。その表情、ちょっと可愛い。何だか親しみが湧いてきたかも。
「味見するのも大事だからね。飲んでみな」
私は出来たての回復薬を受け取ると、蓋をあけてこくんと飲んだ。
味は無味だ。特に怪我や病気はしていないけれど、のし掛かっていた疲労感が消え失せ、肩凝りや首凝りもなくなって身体が軽くなる。
「凄い……凄いっ!!これが回復薬の力っっっ」
心なしか気分も良くなって、嬉しさに頬を上気させる私をヴィネは眩しそうに見詰める。
どうしてそんな目で私を見るのかな?
そう疑問に思っていたら、ヴィネはこちらの心を読んだかのように答えた。
「私の薬を飲む度に感激する笑顔は母親そっくりだね」
「そうなのですか?」
「あんたの母親の笑顔、大好きだったよ」
そう言って嬉しそうに笑うヴィネ。本当にお母様と親友だったんだなぁ。
侯爵夫人として気を抜くことが出来ない中、愛称で呼び合うような気の置ける友達がお母様にもいて良かった。
「じゃ、今度はあんたも作ってみな」
亡くなったお母様の話で少ししんみりしてしまったけれど、ヴィネは気を取り直すかのように言った。
私は頷いてから、さっき見た通りに薬を作ることに。
混ぜたものに浄水を入れて、回復魔術の呪文を唱えながらかき混ぜる。
すると薄緑色の澄んだ液体ができあがった……ヴィネの薬より、色が薄いなぁ。
「ああ……少し魔力を多く注ぎすぎたね。これじゃ薬草の効き目が薄れてしまう。今の半分……いや微量の魔力を加えながら混ぜてみな。薬草や薬実の分量はそれでいいから」
私は頷いて、微量の魔力を加えながら薬を混ぜる。するとだんだん液体が透明になってゆく。
さきほどよりは濃いめの澄んだ薬品が出来上がった……でも、今度はヴィネのより濃くなっちゃったような気がする。
ヴィネは感嘆の息をついて言った。
「驚いたねぇ。いきなり上回復薬を作るとは」
「上回復薬?」
「回復薬にもランクがあるのさ。今、私が見本で作った回復薬は平均的なもので、体力を半回復する作用があるんだよ。上回復薬は体力を全回復できる。特上回復薬となると体力全回復にくわえ、魔力も回復する。それに大きな怪我や風邪程度の病気なら、一瞬で治してしまうんだよ。ま、一般的には特上回復薬じゃなくて、万能薬って呼んでいるけどね」
「万能薬?」
「ああ、魔力と体力の完全回復ができる万能薬が作れるのは、私と前の宮廷薬師長しかいないよ。今、城にある万能薬のストックは宮廷薬師が作ったものだけど、品質は今ひとつみたいだからね」
ヴィネはそう言って部屋を出て行くと、店の棚から取ってきたのか一つの小さな瓶を私に見せてみせた。
うわ、宝石のエメラルドみたいな輝き!
確か前世でやっていたゲームでは、こういうのをエリクサーって言っていたような気がする。
「綺麗……」
「そうだろ。かなり魔力を消費するから、私でも一日一個しか作れないんだ。しかも高すぎるからなかなか買い手もいなくてね。殆ど店のオブジェと化しているけど、売れたら三十万ジーロはくだらない代物だ」
「さ、三十万!? ……な、何でそんなにするんですか?」
「作り手が少なすぎるのと、作るのに魔力の消費が激しいことと、とにかく手間が掛かるのと理由は色々だ。体力や傷の回復薬を作るのは簡単なのに対し、魔力を回復させる薬を作るのはその数倍難しい。ましてや体力回復と魔力回復を同時に行う薬はさらに難しくなる」
「す……すごい。私も万能薬作りたい」
多分、今の私の目はキラキラどころか、メラメラと炎が燃え盛っているんじゃないかと思う。
だって万能薬を作る事ができるなんて夢みたいじゃない。身体が回復するだけじゃなくて、魔力も回復するなんて便利すぎる。
しかも高値で売ることができるようになれば、実家が没落してもお金に困ることはないだろう。
ヴィネは私の肩を叩いてにこやかに笑って言った。
「万能薬は上級薬師でも作るのは難しいけれど、あんたなら出来ると思うよ。それだけの実力と、あと尋常じゃないやる気があるからね」
やる気も何も、切実なのよ、私は。
何しろ今後の人生が掛かっているんだからね。
魔術だけじゃない。薬学だって絶対に極めてやるんだから。
こうして私は万能薬が作れる上級薬師を目指すべく、屋敷を抜け出しては、ヴィネから薬学を教わる日々を送ることになるのだった。
家の人間は私のことを完全無視しているから、今の所問題ない。
だからカーラが夕食を持って来るまでには帰ることにしているの。
最近はね、おやつも食事も嫌がらせのネタがなくなったのか、一日一回、夕食しか持って来なくなった。
夕食も良くて残飯、大体は腐ったものが多いわ。
もちろん食べることはないけどね。ヴィネの弟子になってから、彼女の家で夕食を頂くようになったから。
「あんた、侯爵令嬢にしちゃ細すぎるよね? 碌なもの食べてないんじゃないのかい?」
ヴィネに問われたので、私は正直に今置かれた状況を彼女に話した。
思った以上に酷い扱いに同情してくれたのか、ヴィネは自分の事のように怒って「あの屋敷、燃やしてやろうかしら」と物騒なことを言っていた。
「今日からご飯食べてから帰りな。食べるのも授業の内だ」
と言って有無を言わさずにパンと野菜炒め、そしてスープを出してきた。
ナタリーたちが食べているような豪華な食事ではないけど、あつあつで栄養バランスもあり、美味しそうな食事だ。
湯気が立った温かいおかずが目の前に来た時には、本当に泣きたくなったよ。
しかも味も美味しくて、涙ぐみながら味を噛みしめる私の肩をヴィネは優しく叩いてくれた。
「そんな嬉しそうに食べてくれたら、こっちも作りがいがあるってもんだよ」
ヴィネの作ってくれる夕飯は絶品で、特にミルクシチューが最高だ。鶏肉もやわらかくて季節の野菜もたっぷり入っていて。
家に帰る時、いつもジン君が寂しそうな表情を浮かべ私を引き止めてきた。
「ねぇ、あんなお家帰らないでさ、一緒に暮らそう? 僕のお姉ちゃんになってよ」
「コラ、ジン。クラリスを困らせるんじゃないよ」
ヴィネはジン君を諫めるけど、彼女自身も少し辛そうな表情で家に戻る私を見送ってくれる。別れ際はいつも後ろ髪を引かれる思いに駆られた。
いっそのことヴィネの妹になりたい。
あんな家に帰りたくないよ。
それくらいヴィネ=アリアナの家は私にとって居心地の良い場所になっていた。