昭和
作者の子供の頃の話が混じっています。
昭和50年代後半、スマホもネットも携帯電話さえ無い時代に、俺達は生を満喫していた。
南河内、プロ野球のホームグラウンドがあり、駅前には飲食店と飲み屋。
パチンコ屋が何店舗も建つ駅前商店街、そこからほど近い国道沿いにスーパージャスコがあった。
4階建てのスーパーは、当時は高層階のビルの様に巨大に見える。
なにせ学校ですら3階建てで、周りは2階建ての建物ばかり。
年に一度、十万発の花火が上がる花火大会の日には、屋上の遊園地に人が集まり満員電車並みの混雑になる。
その3階にある玩具屋、ニシダヤには入り口のショーウィンドウに高額商品のラジコンと共に、モデルガンが飾られていた。
金色に光る金属タイプのモデルから黒いプラスチックのモデルまで、リボルバーからオートマチックまで飾られたガラスケースの前には。
憧れの目で見る悪ガキ達が、途切れる事なく、入れ替わり立ち替わり、目を輝かせて見ていた。
「ゴリちゃ〜ん!早よ行こうぜぇ〜!」
自転車に乗ってゴリの前を走るのは同級生の杉本やんだ、前カゴには鞄に詰めたモデルガンが入っている。
「ちょ!まってえなぁ〜w」
ゴリは買って貰ったばかりのモデルガンが壊れないかヒヤヒヤしながら自転車を漕ぐ。
やがて2人は御陵さんと近所の大人達が言う古墳の前に着いた。
古墳は宮内庁の管轄下にあり侵入禁止になっている。
しかし子供達の目から見れば広い遊び場にしか見えない。
侵入禁止のフェンスに穴が開いているのも、中で遊びたい悪ガキが開けた後だ、そこには見つかれば怒られるとか言う考えは無い。
むしろ近所の大人達も見て見ぬふりをしている、自身が子供の頃も同じ事をしていたからである。
フェンスから入ると下りの傾斜になっており、1番低い所は雨水が溜まった池になっており、亀や蛙が住み着いている。
池の側には自然と育った木がまばらに生えており、銃撃戦の遮蔽物にはもってこいだ。
「はよ、用意しようや」
そう言うと杉本やんは鞄の中から銀色のモデルガンを取り出した。
コルトM 1911A1、米軍の拳銃のモデルガンは塗装工の叔父に薬品を塗られて銀色に光っている、違法なのだが子供の頃はそれすら知らずにただ。
カッコいい!、ただそう思って見ていた。
カートと呼ばれる空薬莢に5ミリの火薬を詰めると、弾倉に補充する。
パチンッと音を立てながら弾倉をグリップに入れると、スライドを引く。
ガシャン!っと音を立てて薬室にカートが入ると安全装置を掛ける。
「いっくでぇ〜w」
そう言うと杉本やんは、いつもの場所に駆け寄った。
木の横に拾ったブルーシートを縛り付けた専用射撃場でガバメントを撃つと、火薬の爆ぜる音と共にカートがブルーシートに飛んで行く。
ポンッ!ポンッとカートを受け止めるブルーシートの下の地面にカートが落ちていく。
ゴリも一緒になってリボルバーを撃つと辺りに火薬の匂いが漂い始めた。
小学生時代、思い返せばこの頃が1番幸せな時間を過ごしていた。
ジャスコのニシダヤ
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