懐かしい心の距離感
何事も無く平和な盆休みの夏の日、視界には同居の家族になった元同級生
ふと、出会った時の事などを思い返す。
思えば、一緒に過ごしてきた時間は今となっては遥か彼方の昔話
相手が何か言わなくても何を考えているのかが
理解できてしまうくらいに近い存在だ
私が君で、君が私で、といった感覚にすら陥る瞬間すらある。
最初、出会った頃、互いに心の距離感を縮めたいと想って
アレコレとしていた15歳頃の感覚は、今は無いので懐かしい感覚。
試しに最初の文化祭で共通の知り合いになった元同級生のアダナを口にして
「今、アイツが、どこで、どうしているんだか知ってる?」などと言ってみる
すると最近は、何、今さら、どうでもいいような事を言ってんの?
という顔をして一瞥した後
「さあ、いまだに一緒に遊んでいる人がいたら知ってんじゃないのー
もし、つきあいが続いていたら、たぶん何年も前に疎遠になって
もう、そんな昔、関わっただけのなんて、どうでもよくなってんでしょ」
そっけなく、手短に返事が返ってきて会話が終わる
以前のように、”昔は良かったねー、いい意味での初心を忘れないようにしようね”
というような言葉が返ってきて会話が広がる事も無くなった。
時は流れて、今となっては互いに縮めたいと願っていた懐かしい心の距離感は無い。
今じゃ逆に近くなりすぎて仕事などに弊害が出ないように
ほどほどな距離感を保つために互いに距離を置きたくなる時さえあるほどだ
この、”心の距離感が近いか遠いか”という若い頃の馬鹿げた感覚
それ自体が、いつのまにか出来上がった幻想に思えてきている
実際には社会人になって仕事をするようになってから抱えた利害関係とは別に
学校っていう閉鎖的な空間でだけ通用していた不思議な利害関係と
それを維持するための暴力とか脅迫とかが発生していたような気がするのだが
すでに、そんな子供の頃の感覚は忘れている
「そういえばっさー高校の頃って、どんな利害関係があったっけ?」
というような事を同じ名字になった奈々に聞いてみる
「忘れているんでしょ。なら忘れたままで、いーんじゃない。」
”また、突然、突飛に昔話
今じゃ空想上の生き物にしか思えない人々の事を言い出した”
顔に、そんな言葉が書かれているかのような表情で語る
その声に最早、子供っぽさは無い。いつ消えたのかすら忘れた。
夕食後、軽く晩酌しながら語るのは
同じ頃に同じようにカップルになったけど高校卒業と同時に別れたのやら
結婚して同居するまでには至らず仕事が忙しくなって別れたのやらと
一時期は同じように元同級生カップルだった人々の、その後についての噂話
酔いが回って元同級生づきあいで聞いた噂話交換をする内に盆休みが過ぎていく。
・・・・・
高校の入学式が終わり体育館から出席者が退出し
真新しい制服に身を包む人々が春の空気の中を教室に入っていく
男女混合出席番号順に机に座り男性教師が名前を呼び始めた
何かの番組で見た泉谷しげるの若い頃みたいなオッサンだ
黙って睨むと結構な威圧感があって怖い外見とも見える。
「・・・高田直人」
「はい!」
「お、いい返事だな」
高田直人。俺の名前だ。
大きな声で返事をしたら視線を向けられた。
「丹沢奈々(たんざわ なな)」
「はい。」
子供っぽさの残る声が後ろから聞こえた。
なんとなく振り向くと、目が合う。
「・・・」
まっすぐな視線、”ワシの娘は日本の娘の最高傑作なのだあ”
とか言う親バカな父親がいるかのような可愛い娘って感じの外見
その親馬鹿な父親の思念に囚われたかのような感覚に襲われる
セミロングの肩にかかるくらいの滑らかな黒髪が印象的
窓からの光を反射する白い肌が眼に焼きついてくる。
「高田、聞いてるか!?」
「え、あ?」
「なんすか?」
「クラスの目標を決めたいんだ。
それと、来月末にある文化祭の出し物も」
「ああ、そういうことですか」
「お前、仕切ってみるか?」
「はい?」
「さっきいい返事してたからな。ご褒美だ」
「褒美って意味わかんないすけど。まあそう言うならやりますよ」
立ち上がって黒板の前に行く。内心ではチャンスが来たと思っていた。
こういう外部からの要求でやらされたことを
上手くやって見せると、周りの評価は上がる。
仕切りなら、昔からの得意分野だし願ってもない。
「先生、終わりましたよ」
「そうか」
首を振りながら昼寝から起きる教師
俺に仕切らせたのは自分が昼寝したかったからなのか。
「とりあえず、こんな感じで、どうですか?」
「ああ、いい、いい。」
黒板に書かれている結果を見ずに教室を出て行こうとする
なんて、いいかげんな教師だ・・・ だがそれもいい
本来クラスをまとめなければならない担任があの調子なら
好きなようにクラスでの暗黙の了解を作っていけそうだ
高校生活のスタートとしては上等だ。
「あ~、忘れてた。高田、お前が委員長な」
「はい?」
「今クラスを仕切っただろ。その勢いで、委員長も、な!」
委員長ね・・・出来ればそういう役職にはならずに
影から集団を先導する黒幕、ってのがいいんだけどなあ。
そのほうが何か言われるような面倒な事が発生した時に
いや私は関係ありませんよと逃げられるから
「毎年、委員長決めは揉めるんだ。お前でいいだろ?な?」
クラス内という少ない人数だが
それらの人々の群衆心理を調整する権限を手に入れても損は無い
「そうですね・・わかりました、やります」
「よし、決まりだ!あ、一応だが、異論ある奴は?」
”よし”じゃねえよ。と突っ込みたくなった人はいるようだが
最初に目立つと面倒な事になるかもしれないからか
目立つと何かを、この先生から押し付けられるんじゃないか
と思っているのか反応がない。
みんな、クラス集団行動に関する雑務を、やりたくないようだ。
「副委員長も決めなきゃいけなかったな。誰かやりたい人?」
まあ副でもいないだろうな。めんどくさいだけだし。
「なあ、誰かいないか?
どうせ決めなきゃいけないんだから早く決めときたいんだよ」
明らかにテンションが下がる。
大体、入学式ですぐ決めるほうがおかしいんじゃないのか・・・
「わたし…やります」
子供っぽさの残る声が聞こえた。その方向を皆が一斉に振り向。
立ち上がったのは、空いている席―
つまり俺の席の後ろの女の子。丹沢奈々だった。
「おおっ、いいね!こんな早く決まるなんて
教師生活で初めてだよ。じゃよろしく!解散!」
こんな早くって早すぎだよ。入学式当日だぞ。
それにしても・・・彼女が、何でだろう・・・?
副委員長とかするタイプには見えないが。
・・・・
高校生活が始まってから1週間が経った。
そろそろ慣れてきた、なんてもうそんな次元じゃない。
委員長だからという理由で、ほぼ毎日
あの担任に呼び出されて仕事をさせられる。
ひどいときは、小テストの問題作成まで手伝わされた。
「問題作るのを生徒にさせていいんですか?」と聞けば、
「別のクラスで使うんだからいいんだよ」
どこまでやる気の無い教師なんだ。
そして、もっとわからないのが丹沢奈々だ。
今も、担任に言いつけられた書類整理をやっているのだが、
担任は俺1人に指図したのにも関わらず
彼女は自分から手伝うと言って、みんな帰った後の教室に残った。
考えてみれば、この1週間ずっとそんなだ。
問題を作ったときも、担任は俺だけでいいと言ったのだが
職員室まで来るから、担任も俺たち二人に任せてどこかへ行ってしまった。
どういうつもりなんだろう?帰っていいと言われているのに居残るなんて
何かの理由があるとしか思えない。もちろん聞くわけにもいかないが、
なんというか、こう続くと気になる。
気になって考えていると、手元が疎かになって書類を散らかしてしまう。
しかし彼女は文句の1つも言わずに落ちた紙を拾い作業を再開する。
これもまた気になってしまう。 どうにも腑に落ちないのだ。
わざわざ自分から仕事をやると言うのもそうだが、
もっと気になるのは作業をしている彼女の一連の動作。
手先が正確で動きにそつが無くミスもしない。
要領がいいというのだろうか、しかし、時々動きがスローペースになる。
まるで時間を引き延ばしているような。なぜ・・・?
家に帰りたくないのか・・・それとも俺と一緒にいたいから・・・
はは・・・まさかな。
「ねえ…」
「ん、ん?何?」 はっと意識を現実に引き戻す。
「もう少し…離れてくれる?」
「あ、ああ、ごめん・・・」
「終わった。確認して?」
「あ、ああ・・・」
受け答えがぎこちなさすぎ・・・
一枚ずつめくって内容を確かめる。途中で、彼女の方を見てみた
終わったなら帰ればいいのに椅子に座ったまま窓を眺めている
いや、窓から見える景色を見ているのだろうか
二階の教室の真ん中から見えるのは建物の屋根と曇った空だけ
この空模様が彼女の心模様を表している・・なんてことはない。
「うん、いいと思う。先生へは俺から渡しに行くよ。お疲れ様」
軽く挨拶して、カバンを取り教室を出ようとすると
「待って。わたしが行く」
「え?いや・・・」
さっと俺の手から書類の束を取り歩いていってしまった。
「お疲れ様。」
もう一言何か言いたそうな感じだったが行ってしまった
遠ざかっていく数週間前まで中学生だった後ろ姿が
何故か、とても子供っぽく見えた。
・・・・
ある日。また放課後に雑務を言われた俺・・・と丹沢奈々
内容は図書室の書籍整理の手伝い
なんか全クラスの図書委員と委員長が集まるらしい
で、彼女と二人で図書室へ向かい到着
書籍整理開始の挨拶を
だだっ広い図書室の真ん中で司書の先生が言う。
「今日は来て頂いてありがとうございます。
皆さん適当なところから始めてください。」
要領がわかっている先輩方は、
それぞれ思い思いの場所に散らかって整理を始めた
この図書館がやたらに広いのは校長が原因らしい
本好きな人で、とにかく自分が読みたい本を
図書室経由で注文しているらしい全く以って迷惑な話だ。
入学から時間が経って人間関係が固まりつつあるとはいえ
まだ日の浅く同学年の他クラスにすら知り合いなんかいない
こういうとき少しでも顔見知りと一緒に過ごそうとするものだ。
先輩たちは作業を始めているのに
まだ俺の後ろにいるということが、
奈々も同じ気持ちであることを証明していた。
「じゃあ・・・始めようか」
「…ええ。」
とりあえずこの辺から・・・
と近くの本棚から本を取り出そうとしたら、
「おっ?!」
すごい勢いで奈々に腕を引っ張られ
本棚の影で作業中な人々の視界の外へと引きずられる。
「ちょっ・・・なんだ!?」
わけも分からず引きずられて、ようやく腕を放してくれた場所は、
中央のテーブルエリアからは見えない図書室の隅っこだった。
なんでこんなところに?
「一体どうした? なんか言いたそうな顔だな・・・」
「・・・」
何だ 何だ?
この重苦しい何か思いつめた激情を投げつけてくるような空気は。
「1つ…聞いていい?」
「何?」
「あなた…わたしのこと、どう思ってる…?」
「え・・・?」
急に何を言い出すんだ。 どう思ってるって?
近くにいた先輩カップルが半分イチャこらしながら
作業していてハート・マークを発生させていたが
それに影響でもされたのだろうか?
それに比べて非常に事務的に業務連絡的に
淡々とした会話をしていただけなのが厭だったのだろうか
でも、どう思っている? 想っている? 面っている?
なんていう言葉を返すのが正解なのか、わからず
格好いい言葉も頭に浮かんでこなくて思わず黙りこんでしまう
「どう想うって・・・言われても・・・
ちなみに聞いていいかな? なんて言って欲しい
どんな言葉が聞けたら一番、嬉しいのかな?
小学校・中学校まで男子校だったし
女子なんて空想上の生き物で
今まで日常的に関わっていたのは母親くらいだったんで
こんな距離感で同じくらいの年齢の女子と会話したのって
初めてなんで、何を言えばいいのか、わからないんだよね。」
「そう・・・一番、聞きたい言葉が、わからない
なら、いいや、わかった時に口にして言って・・・」
「わかった時に…?」
「今、わかんないんでしょ・・・なら、いいって言ってんの」
「そうなんだ…」
え、いや、なんだこの、変な空気感。えーっと・・・
「と、とにかく、整理の方やろうか?
ほら、そこに脚立もあるから上の方からさ」
「うん…」
一応、書籍整理を始めないといけないので取り掛かる
二人並んで、それでも間には微妙な距離
会話の流れを切ったのがまずかったのか互いに無言。だが、
「わたしって、貴方の眼から、どう見えてるんだろなぁ・・」
真意が分からない、そのつぶやきに手が止まる。
適当に気分が丸くおさまる今は嘘にしか思えない言葉が浮かぶ
隣りでイチャこらしながら作業していたカップルの男が言った
よく、そんな歯の浮くような事を言うよなと思える言葉だ
思いついたものの、とても自分の口から言えない。ガラじゃない
沈黙が続き・・・担当した作業項目を消化して席に戻った。
「今日はお疲れ様でした。それでは解散」
簡単な終わりの挨拶が室内に響き、
皆わいわい騒ぎながら図書室を出て行く。
俺は適当に取ってきた本を読みながら座っていた
なぜ帰らないか、それは奈々が隣で眠っているから
相当疲れているのか、あるいは家でよく眠れなかったのか
なんとも表現のしようのない穏やかな表情だ
起こしちゃ悪い・・・ってのはやっぱり建前で、
自分の本心はこの寝顔をもう少し見ていたいだけだった。
「ん…む…」
「!」
・・・起きた。もうちょっと見ていたかったけど仕方ない。
「目が覚めた?」
「…ぇ?」
少し驚く奈々。寝起きで今いる場所を勘違いしているのか?
「おはよう。30分くらい眠ってたよ」
「え…あれ?あ、わたし…」
「起こすのも悪いし、放っても帰れないから待ってた」
「あ…」
「じゃあ、帰ろうか?」
読んでいた本を棚に戻しに行くのを奈々は待っていてくれた
そして二人並んで図書室を出る
時計を見ると、6時を回っていた。
「よかったら家まで送っていくけど・・・」
「それは、やめて。1人で帰れるから」
返された強い警戒心を示す言葉が胸をえぐった。
「・・・」
だが奈々は明らかに、自分の家の場所を知られる、
あるいは家まで俺を連れて行くことを嫌がっている
といった嫌悪感が丸出しな表情が示す言葉が
少しは近づけたんじゃないかと思っていた心に
カウンターパンチをくらったかのように効いた。
「・・・わかった。じゃあ、気をつけて」
落胆の感情を必死で隠して出さないように挨拶
感情のままに叫んでしまいそうなのを隠す。
「さよなら。」
一瞬にして遠い存在に見えた奈々の後ろ姿を
なんとも言いようが無い寂しい気分で見送っていた。
・・・・
夜になってもショックから立ち直れなかった。
目から何か出てくるのを必死でこらえて、
一晩寝て起きたら元に戻ると自分で自分に言い聞かせた。
翌朝、当たり前だが、結局そんなことは無かった。
「フー・・・」
登校中。どうにか頭だけは冷静だが、気分は悪い。
あのときの拒絶の理由を考えても分かるはずないのに考える。
最終的には自分がショックを受けて動揺しているのが
何故なのかを考え出して、さらに混乱した。
「おう高田、おはよう!」
「あ、おいーす」
不意を衝かれてドリフのコント開始挨拶のような奇妙な返事。
落ち込んでることを悟られたくはなかった。 教室には下を向いて入る。
後ろの席にいるはずの奈々と顔を会わせづらいから。
奈々は俺より遅く学校に来たことはない。というかクラスメイトの話によると、
みんな自分が来たときには奈々が既に教室にいるという。
「・・・あ」
奈々は昨日までと同じように、そこにいた。そして俺の方を見てくる。
目が合って、また動けなくなる。入学式のときとは違う硬直。
力を振り絞ってどうにか席にはつけた。でも背後の視線が気になってしょうがない。
放課後までそれは変わらなかった。
背中に感じる妙な違和感が授業に集中するのを邪魔する。
思い込み・・・じゃないと思う。プラスなのかマイナスなのかわからないが、
奈々からの注意が常に俺に向いていた・・・ように思う。
こんなに居心地が悪いのは初めてだ。今日は何も言われてないしウチに帰ろう。
「ねね、高田君、ちょっと」
「ん?」
声をかけてきたのは同じクラスの・・・えーと、そうそう、本村さんだ。
「今日の英語で宿題あったじゃない?あれ教えてくれる?」
「あ、ああ、いいけど・・・」
一瞬、奈々かと思った自分が情けない。
席に座りなおして、英語の教科書を取り出す。
「ほら奈々、ついでにあんたも教えてもらったら?」
「え…!?」
「机の上に出してるってことは今からやるんでしょ。1人でするより早いって」
「あ、でも…」
「ね、高田君もいいよね?」
「あ、ああ・・・」
奈々と同じく俺も戸惑っていたが、断るなどできるわけがない。
「ほら、いいってさ。その方が早く終わるんだからいいじゃない」
「あ、早く終わっちゃったら…」
「え?なに?」
「ん…何でもない…」
奈々は何を言いかけた?早く終わったら都合が悪いのか?
「えっとじゃあ・・・やろうか」
「う、うん、そうね」
変な空気になったがそこはあえてスルー。とりあえず始めよう。
「ねえ、これは?」
「えーと、ちょっと待ってね・・・」
教科書をめくって答えを探す。確かあの辺にあったはず・・・
「あ、あったあった。これだ。そこはofだね。熟語なんだ」
「じゃこれは?」
「えーと・・・文の前後からするとinかな」
「へー、さすが委員長。よくわかるわね」
「いや、授業で思いっきりやってたけど・・・」
「あ、そうなの?あたし聞いてないや」
・・・などと適当な会話もしつつ宿題を仕上げていく。
が、奈々の様子がおかしい。
「ねえ奈々、あんたさっきから黙ったままでどうしたのよ?」
「うん…なんでもないけど…」
「答えになってない?」
「うん……」
「もう、またその返事?」
本村さんが少しあきれている。彼女には奈々の反応はあまりよく映らないようだ。
机の上に広げられている教科書を見ると、問題には手が付けられていない。
俺が本村さんの話にばかり応じていたせい・・・か?
「奈々、悩みすぎるのも体に悪いわよ。それでなくてもあんたすぐ落ち込むんだから」
・・・え?それはどういう意味?本村さんは奈々がこんな調子でいる理由を知っている?
「高田君」
「え、なに?」
「あたし帰るわね」
「あ、でもまだ・・・」
「ここまで教えてもらったから後は一人で出来るわ。それより、奈々に構ってあげて」
「あ、ああ・・・」
「奈々ったらね、一日中、高田君のことばかり見てたの、気付いてたでしょ?」
「ちょっと愛美ちゃん…!?」
驚いた様子で奈々が割って入った。視線は感じていたから俺には今さらだったが、
奈々は落ち着かない素振りをしている。
「そんな、急に、変なこと言わないでよ…」
「ホントのことでしょ?別に冷やかしてるんじゃないわよ。」
「愛美ちゃん…やめて…」
「高田君なら、どうにかしてくれるかもよ?
あんたまだ話しちゃいないみたいだけど」
「そんなこと…言えないよ」
奈々の言葉には答えずに、本村さんは俺の方を向いた。
「高田君」
「・・・はい」
なぜか改まってしまった。 本村さんは俺の肩に「ポン」と手を置いて去っていった。
・・・解釈が難しいな。 なんなのだ、この空気を読んで超能力で察してくれ感は・・・
「……」
当然のごとく場は沈黙が支配する。その沈黙は、気まずさも連れてくる。
「・・・ごめん」
唐突に俺は謝った。奈々は意外そうな顔で俺を見る。
「何が…?」
「昨日、調子に乗って変なことを言い出して・・・ごめん」
理由はそれしかないと思った。奈々が悩んでいるような様子なのも、
今日ずっと俺を見ていたらしいことも、たぶん昨日のことが不快だったから。
奈々は、その気持ちをどうしらいいのかわからなくなって悩んでいるのだろう。
「ほんとごめん・・・俺、相手が、どんな気分になるか考えないで
思いついたままに言う癖があるんだ。
しかも相手が抱えた感情にも鈍くて察しが悪い。」
必死で言葉を探しながら謝罪・・・いや言い訳をする。
「勝手に思い込んで、図に乗って、相手を傷つけて後悔する。
そんな、変な癖っていうか、性格っていうか
いつのまにか、そうなって後になってから気づくんだ。ほんと、ごめん」
そう言うしか他に行動が浮かばなかった。
それで奈々の気持ちが和らぐならそうするしか。
「ほんと、そうよ」
やっぱり・・・。そりゃそうだ。
「家まで送っていくって言われたのも、
二人きりの帰り道を過ごしたのも、男子じゃ、あなたが初めて」
声の調子が今までと違う・・・こりゃもうだめかもな。
「だから……ちょっと自分でも分からない気持ちになって戸惑ってる。」
「そんな状態にさせたのは俺のせいだ。だから、ごめん・・・」
「あーもう、だから!」
大声に顔を上げると、泣きそうな表情で奈々が俺をにらんでいた。
「歩み寄ってくれたのが嫌だなんて一言も言ってない!
勘違いして後悔してるのが嫌だってぇの!」
声が大きくなっている。その声が今の俺には
怒りの感情を投げつけられたようにしか聞こえなかった。
「男のくせに、そんな事を気にして。別に謝って欲しいなんて思ってない」
「あ・・・ごめん」
「ほら、また」
「・・・あ」
とにかく謝ろうと思っていただけに、どうしていいものかわからない。
相手の気分が丸く収まる言葉が何なのかが、わからない
「えっと・・・その・・・」
言葉に詰まる俺から困惑を悟ったのか何なのか、奈々は荷物を片付け始めた。
「もう今日は帰るわ」
「あ、え、ああ・・・」
まだ口から出るのは情けない返事。こりゃ愛想つかされたかな・・・。
「……じゃあ、また明日」
そう言って、奈々は教室から出て行った。
「また明日」と、確かに奈々はそう言った。でも次の日、彼女は学校に来なかった。
・・・・・
さらに翌日も奈々は学校に来なかった。どうして・・・?
心配と不安と緊張が心に積り積って、腹のあたりに何かを食べ過ぎたかのような
何かが、おたれているような変な感覚が溜まっていく。
こんな状態で、おとなしく授業なんか聞いちゃいられない。今すぐ奈々のところへ行きたい。
だが家の場所を知っているワケじゃない。変な感覚が増幅されていく。
「高田君」
「ん・・・」
振り向いた先に立っていたのは本村さんだった。
「なんか、朝から調子悪そうだけど、どうしたの?」
「いや・・・別に」
本村さんなら何かを知ってそうだが、俺から聞くことはできない。
それが奈々の意思と一致するとは限らないのだから。
「もしかしてさ、奈々のことが気になってたり……する?」
その言葉に一瞬思考が止まった。ごまかしたいが上手く口が動かない。
「……やっぱり、そうなんだよね? それなら、頼みがあるんだけど」
「・・・頼み?」
「実はね、奈々、昨日あたしんちに来たの。……泣きながら」
言いようのない恐怖に襲われた。奈々が、泣いた?どうして?なぜ?
「付き合い長いし、あたしは事情を知ってる。
でも今、高田君にそれを教えていいのかはわからない」
普段は明るい本村さんが、ここまで声を暗くして、言葉を選びながら喋っている。
そのことが、俺の中の負の感情をさらに増大させる。
「ただ、一つだけ。あの子の家ね、親の仲が、ちょっと悪いの。
昨日うちに来たのもそのことでね」
両親の不仲・・・。それが、奈々が学校を休む理由なのだろうか。
「だから、その……行ってあげてくれない?これ、あのコの住所」
周りには見えないようにして、本村さんは小さなメモを俺に渡した。
そこには、あの時、奈々が俺に知られるのを嫌がった住所が書かれていた。
「学校が終わってからでもいいはずだから……
「本村さん」
「なに?」
「・・・具合が悪いから早退するって、先生に言っといてもらえないかな」
「え?あ、ええ、わかった、うん」
「ありがとう。それじゃ」
速攻で荷物を片付け教室を飛び出す。頭の中には奈々のことしかなかった。
「このマンションか」
メモに書かれた住所は学校から程近い、自転車で二十分くらいのところだった。
走ってきたから多少疲れてはいたが、迷わず中に入った。
「4階、7号室」
気持ちを落ち着けるためにあえて階段を使った。
4階まで上りきると、会いたかった人がいた。
まだ俺に気づいていない。ドアの前の手すりにつかまっている。あそこが7号室か。
「丹沢さん」
ビクッと体を震わせて俺を見上げる。表情は驚きで溢れていた。当然か。
「どうして……?」
「心配で、ね。2日も学校休まれたから、背中が寂しくてさ」
「……」
答えずに目をそらす奈々。ここは、多少強引にでも聞くしかないだろう。
「住所は、本村さんが教えてくれた。それと、君が学校に来ない理由も少しだけ」
「愛美ちゃん……から?何て聞いたの?」
「ほんの少しだけだよ。君の両親が、その・・・あまり仲がよくないってこと」
「ふうん……それで、何しに来たのよ」
「え、いや何って・・・」
そういえばそれを考えてなかった。本村さんの話を聞いて学校を飛び出したまではいいが、
行ってどうするのかってのは完全に頭から抜けてたな。
「えーっと・・・と、とりあえず、上がらせてもらっても、いい・・・かな?」
もうグダグダ。断られる可能性が最も高いことを言ってしまう始末。だめだ俺・・・。
「いいわよ。入って」
「え・・・」
予想に反して、あっけなく入れてくれた。戸惑いながら、恐る恐る上がる。
「・・・お邪魔します・・・」
「誰もいないから、固くならなくていいわよ」
誰もいない?なんで?両親は? とにかく奈々の後ろについて歩く。
奥のドアを開けると、キッチンと居間が一続きになっている部屋。
キッチンの方へ行った奈々は、グラスを取り出し何やら作業を始めた。
お茶を出してくれるんだろうか。いきなり押しかけてきた俺に・・・
「コーヒー、飲めるわよね?」
「あ、ああ飲めるよ」
「はい。砂糖とかは自分でやってね」
「あ、ありがとう・・・」
キッチン側のテーブルに俺の分のグラスを置き、
自分のを持って奈々は居間の方のソファーに座った。
「じゃあ、頂きます」
飲んでみる。結構美味かった。
「それで?用は何?」
ソファーに座って、俺に背を向けたまま静かに聞く奈々に、何か寂しいものを感じた。
しかしそれよりまず聞かなきゃならない事があった。
「えっと・・・御両親は、どこに?」
「……いないわよ。昨日出ていったから」
「出て行った?なんで?どこに?」
「それをあなたに言わなきゃいけない?」
何気にきつい事を・・・しかしだ。
「ああ、聞かせて欲しい。俺が来た理由はその先にあるから」
「……」
いい加減なことを、と思ったかもしれない。覚悟はしていた。
それでも、奈々は話してくれた。
2日前のあの日、学校から帰ったら両親が喧嘩していたこと。
どうにか割って入ってその場は 収めたが、
翌日、つまり奈々が初めて学校を休んだ日、朝起きると二人とも家にいなかったこと。
喧嘩の原因は、父親の以前からの遊び癖らしい。
「今御両親がどこにいるかはわからないの・・・?」
「たぶん、お母さんの実家。前にも二人していなくなったことあったし」
「じゃあ、学校休んでずっと家にいるのは・・・帰りを、待ってるから?」
「……」
イエス、ということだろうか。返事は沈黙だったが、表情が俺にそう思わせた。
「・・・隣り、座ってもいいかな?」
「どうして?」
「だって・・・涙目になってるよね」
場所を動かず、奈々の背中に向かって言った。正直確信はなかったが。
「どうして、わたしが泣いてたら隣に座るの?」
「悲しんでいる人がいたら横にいてあげたいから・・・なんて理由じゃダメかな?」
「別に、いいよ。どんな理由だって、そばにいてくれるんだったら……」
「・・・え」 いや、驚いてる場合じゃない。
「じゃあ、遠慮なく」 コーヒーを持って移動する。そして奈々の右側に腰を下ろした。
「こっち、向いて」
顔をそむけようとする奈々を制止する。ゆっくりと俺のほうに顔を向ける奈々。
二人きりだけの部屋で互いの顔を、こんな近くで見ているのは初めてだ。
その瞳が語りかけてくる「この後は、どうするの」と。
「ありがとう。・・・一つ提案があるんだけど」
「なに?」
「俺んち来ない?一人で待ってるの寂しいだろ?」
「え……」
「両親は前から不仲で、時々今みたいにいなくなってたんだよね」
「そう、だけど……」
「だったら君がずっと待つことなんてない。君がこんな状態なのは、俺は嫌だ」
自分でも、多少、何を言っているんだ俺はあー、などと思ったが
この瞬間に出てきた正直な気持ちだ。
「決まり。さ、行こう」
半分無理やりに決定。奈々を立たせて手を握る。
「よし。行こうか」
「……待って。片付けないと」
言って手を離し、流し台へ向かう。少しの流水の音の後、奈々は戻ってきた。
「戸締りとかいい?行くよ」
とにかく早く家から奈々を連れ出したい一心で「行くよ」を連発していた。
「ほんとに、もう……期待は、してたけど……」
「ん?何?」
「別に。いきなり家に連れて行くなんて、襲われそうねって思っただけよ」
「・・・でも、来るんだろ?」
「……まあ、ね……」
ちょっと何かに照れたかのような顔。見たのは図書館のあの時以来か。
横を向く奈々の手を引いて外に出た。
家路。奈々の手首をつかんだまま、俺の家へ向かっていた。
「ねえ」
少し怒ったような声が後ろから。声の主はもちろん奈々。
「早いよ、歩くの」
「あ・・・ごめん・・・」
「そんなに強く手首握って急がなくても……逃げたりしないから」
「・・・」
ちょっと嬉しかった。ほとんど強引に連れ出したのに、そう言ってくれたことが。
「それに……どうせ手を握るんなら、こっちの方が、いいんだけど?」
そう言って俺の手を振りほどき、自由になった自分の手を俺の手に重ねた。
つまりは普通に手をつないでいる格好。こ、これは・・・
「え、ちょっ、うわ、恥ずっ・・・」
「今までのお返し。どう? 気分は?」
「え、いや、お返しって・・・」
こんなことになるとは予想外だ。仕方なくそのままの状態で歩き続ける。
すると不意に奈々が手を離した。 そして何か言っているようだが聞き取れない。
「……お返しのつもりだったのに、
なんでわたしの方が恥ずかしいの……バカみたい……」
「・・・?」
どうしたんだろう。なんだか妙な空気だ。
後ろ姿をただ眺めているのも何なので、少し前から思っていた疑問を口に出してみた。
「そういえばさ、今の奈々さん、学校にいる時とちょっと雰囲気違うよね」
「……え?」
振り向いたその顔は、驚いている風ではなかった。
俺がそう思っていた事が、意外ではなかったということなのか。
「ほら、学校ではもう少し大人しかったというか寡黙というか、さ」
「……」
「こんな風に、突然手をつないでくるなんて驚いたよ」
「……学校じゃ、目立たないように演技してたの。今が本当のわたし」
演技・・・それはどういう意味だろう。
「あまり友達を作らないように、目立たないように、そういう演技をしてたの
だって目立つと面倒じゃない。ある人数の人間の視界に入ったら
その人数の分だけアレコレと言葉や感情が発生するんだから」
「それは・・・両親が離婚することになったら
転校するかもしれなかったから?
転校しないとしてもアレコレ言われるから?」
「……そういう事」
「苗字で呼ばれたくないって言ったのも
そうなった時に姓が変わるかもしれなかったから・・・」
「そう……よくわかってるじゃない」
「誰より早く学校に来てたり、放課後自分から仕事をやってたのは・・・」
「なるべく家にいたくなかったからだよ」
「やっぱり・・・そうなんだ」
「予想してたの?」
「そりゃあ・・・君のことばかり考えてたから」
そう言ったら、奈々と視線がぶつかり、見つめ合った。
今度は俺のほうが照れくさくなって目をそらす。・・・ちくしょ。
「も、もうすぐそこだから、急ごうか。ほら」
「こ、ここだよ、俺んち」
玄関を開けると、ちょうど奥から出てきた母親とばったり会った。
「あ、あれ、直くん?学校は……?」
「具合が悪くて早退した。
こちら同じクラスの丹沢奈々さん。今日うちに泊めるから」
「あ、え、はい、わかった。えーと……き、気をつけて?」
「何にだよ。もういいから、向こう行っててくれよ」
「あ、ごめんなさい」
強めの俺の言葉に、母さんはいつもよりも早い歩きで
そそくさと引っ込んでいった。
「さ、上がって。2階が俺の部屋だから」
「あ……うん……お邪魔します」
今のやり取りに驚いているのか、困惑した表情だ。無理もないか。
「ねえ、今の人は……」
「俺の母親だけど?」
「そ、そうよね。でも、なんていうか、その……」
「ああ、言いたいことは分かるよ。その前にまずは2階に」
初めて俺んちに来て、俺と母さんの会話を聞くとみんなこうなる。
言葉だけ見れば何てことない気もするが、そのときの雰囲気が多少おかしいのだ。
なぜなら、母さんは俺に対して異常なほど気を使い、機嫌を伺うから。
俺を怒らせないためにいつも一歩引いて、自分を押し殺している。
「どうして、そんなことに?」
部屋で話を聞いていた奈々がつぶやいた。
「離婚したから」
「え……」
三年前に親が離婚。俺は母親に引き取られた。
離婚した負い目があるからか、俺に対して母親は未だに態度が弱い。
要するにそれだけのことで、まあそんなことはどうでもいい。
「だから、君の両親も仲が悪いって聞いて、いてもたってもいられなくなった」
ベッドの端に座ったまま顔を上げると、奈々は、部屋の真ん中で目を伏せていた。
俺の話にどう答えたらいいのかわからないのだろうか。
「そういえばお茶くらい出した方がいいのかな。下から何か取ってくるよ」
奈々の家に押しかけた時はコーヒーを出してもらっておいて、自分が連れてきたときに
何もしないのはよくないよな、うん。
「大したもんはないと思うけど、ちょっと待ってて」
言い残して、俺は部屋を後にした。奈々の返事は聞こえなかった。
「ごめんごめん、何もなかったから買ってきたよ」
冷蔵庫は空っぽ、コーヒーも切れていたため近くのコンビにまで行ってきた。
そのせいで少し時間がかかってしまった。
戻ってくると、奈々はさっきまで俺が座っていたベッドの端にうつむいて座っていた。
買ってきたペットボトルを渡しつつ、俺もその隣りに腰を降ろす。
「ごめん、時間かかっちゃって」
「……ちょっとって言ったじゃない。こんなにかかるなんて」
「あ・・・ほんとごめん。レジが込んでてさ・・・」
やばい。怒らせた?
「怒ってるんじゃなくて、ツラかったって言ってるの」
「え・・・」
「目の前から誰もいなくなって、一人になると
これから、どうなるんだろう。どうすればいいんだろうって
漠然とした不安ばかりが心に浮かんできてツライの」
これは・・・どう返事すればいいんだろう。頭の中真っ白。
「……女が、こんなこと言ってるんだから
何かすることがあるんじゃないの!?」
「あ、いや、えっと」
すること・・・って何だ?
若い男女が二人きりで同じ部屋にいて、何かするって言ったら
とりあえず一個しか浮かばないんだが、これは、やっていいのだろうか?!
しばし、言葉は無かった。母親は仕事に出かけていって帰るのは数時間後
いきなり互いの懐に飛び込むように
距離を近づけてみれば理解できる事もあるのかもしれない
まだ高校生になったばかりのガキなりに
色んな意味で心の距離を縮めようとする内に一夜が過ぎて行った。
・・・・
二日後、放課後の学校。文化祭の準備委員会が開催される教室の前にいた。
「しつれーしまーす」 中に入って席へ向かう。
「今日は何ですか?先生」
「お、おお来たか。これを頼みたいんだよ」
指した先には結構な量の書類が。いつものこととはいえ全くこの教師は・・・
「今度の文化祭準備委員会で使う資料だ。ページを間違えないように作ってくれ。じゃ」
これもいつものごとく簡単な指示だけして席を後にする。
「はあ・・・勝手なもんだ」
とはいえ既に諦めている俺は、いつもとは違う調子で後ろを振り向き、言った。
「じゃあ奈々、やろうか」
「ええ」
あの日。俺たちは互いの距離を急速に縮めることができた。
翌朝、つまり昨日の朝、奈々とともにマンションまで戻ると両親が帰ってきていた。
妻の実家で、こってりしぼられたらしく奈々の親父さんは相当落ち込んでいた。
そのためか、俺がしたことについて特に説教などはなかった。
どうやら奈々は、俺のことを母親にだけは話していたようで、それが大きな理由なのだろう。
とにかく、奈々の両親の不和も、俺との事もとりあえず落着して心がリラックスできたのか、
ようやく今日奈々は学校に出てきたのである。
そしてこの状況だ。いつものごとく仕事を言いつけられたのだが、今までと違う俺たちには、
むしろ放課後も二人でいられることの口実であり、半分感謝さえしていた。
「ねえ、さっきから手が止まってるけど? 何ボーっとしてるの?」
「あ、ごめん」
「前からそうだったよ。紙を散らかしたり、全体的に動きが遅い」
「そりゃだって・・・」
「なに?理由があるわけ?」
「君の事が気になって仕方ないから・・・」
「……」
あれ。本当なんだけど・・・なぜそこで間が空く。
「そんなので動揺すると思った?ほら、変なこと言ってる暇に早くしなさいよ」
うう、狙ったわけじゃないのに。・・・ってあれ?
「奈々・・・」
「何よ」
「それ、逆さま・・・」
「……」
彼女がこんなミスをするとは珍しい。どうしたんだ?
「わ、わざとに決まってるでしょ。」
「今度はページが違って・・・」
「だ、だからわかってるわよ。もう、そんなに言うなら全部やって」
「うぇえ!?なんで?」
「いちいちうるさいから。わたしは後ろで眺めてるからさっさとやって」
そう言うと本当に奈々は後ろに行って座ってしまった。マジか。これだけの量を一人でやれと。
後ろを見ると、ポーカーフェイスの奈々が、じっと俺を見ていた。ううむ・・・
困ったものだが、こんな日常が心地いいのも確かだった。
好きな人とこんな風に言い合うというかじゃれあうというか。
こんな経験が出来るのは、奈々と出会ったおかげだ。
「そこのお二人さん」
「ん・・・?」
声のした方を向くと、そこにいたのは社会の坂田先生。
「仲がいいのは結構なことだが、場所と時間は考えような」
「・・・あ」
言われてみればここは放課後の文化祭実行委員会として集合している人々がいる部屋。
しかもさっきまでの会話が聞こえていたのか、
周りの先輩やら同級生やらは、みんな俺たちを見ていた。
奈々の方に目をやると、やはり驚いた様子で顔を真っ赤にしている。
「いやー若いねえ。うん、いいじゃないか」
明らかに面白がっている坂田先生。・・・この学校ろくな教師がいねえよ。
「そんな二人にこれをプレゼントしよう。ありがたく受け取りなさい」
「は、はあ・・・」
そう言って先生が取り出したのは安産祈願のお守り。
「せ、先生!?」
「ガハハハ。そのうち必要になるだろう?」
「必要になるとしても何年先の事だと思ってんですか・・・」
ありえねえ・・・ていうか独身のあんたがこんなお守り持ってるのも謎なんだが。
「まあ、何でもいいから祈っとくんだな。お守りなんだから少しは効くだろ」
言いたいことだけ言って行ってしまった。
「何なの……ほら、早く終わらせよ」
気恥ずかしさに耐えられないのか、高速で作業を再開する奈々。
さっきは俺一人でやれと言ってたが、状況が状況だけに当然か。
一方俺はその横で、ある願いと共にお守りを眺めていた。
「ねえ、何してるの?早くしてよ」
「・・・ん。ああ、ちょっと祈ってた」
「はあ?坂田先生の言うこと真に受けたの?」
「そういうわけじゃないけど、祈れるもんなら何にでも祈っておこうと思って」
「何を?」
「いや内緒だな」
「何よ、教えなさいよ!」
「おわっ、大声出すと皆様に、また見られるって」
「あ……もう、後で絶対教えてよね」
「はいはい、じゃとっとと終わらせようか」
作業を再開しても、俺はずっと心の中で願い続けていた。
それはきっと、奈々も思ってくれているだろうこと。
『多少は揺らいでしまう事があっても
こんな気持ちいい距離感が、いつまでも続きますように』




