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待て待て、その理由は良く分からん


 新たな上杉家当主である竹姫の命により、織田征伐が決まった。ちなみに、評定の場で北条征伐か織田征伐かをかけてさいが振られたと言われているが、それは噂に過ぎない。


 雪融けが進む中、上杉軍は手取川の北にある松任まっとう城に集結した後、加賀国と越前国との境にある織田方の大聖寺だいしょうじ城を攻め、数日で落として入城を果たした。「謙信、越後から動かず」の報で織田方が油断し援軍が間に合わなかったことと、大聖寺城をよく知る一向宗門徒の手引きがあったことが落城を早めた要因だった。


 その城中で、鵺部は濃い親父たちに取り囲まれていた。


 武闘派の多い上杉家臣団には、敵味方問わず武勇ある者を認める気質がある。竹姫が上杉家の家督を継いだ評定の日、館の庭で鵺部に倒された者たちは鵺部を強者と認めた。


「先に打たせてやろう、ほら打ってみろ」と言って腹を出し鵺部の正拳一撃で沈んだ本庄繁長を筆頭にして、鵺部は我も我もと挑んでくる上杉武将たちを次々と拳や太刀の背で沈めまくったためだ。さらに、越後からの行軍中に代わる代わる勝負を挑んでくる武将たちに土をつけたことも拍車をかけた。


 そんな勝負を挑んでくる武将たちの中には、本庄繁長ら阿賀北衆の武将たちの姿もあった。阿賀北衆は、越後の守りのために織田征伐の不参加を許されたにも関わらずだ。子供にしか見えない鵺部に伸されたのがそれほど悔しかったのか、阿賀北衆の武将たちは己の跡継ぎたちや家臣たちを言い含め、鵺部の警護役だ、目付役だと勝手に役目を作り単身で軍団についてきた。


 暇さえあれば鵺部の都合関係なく大勢の者たちが途切れなく勝負を挑んで来る。そして、勝負に負けても「もう一度、もう一度」としつこく次の勝負を求めた。しかし、それが煩わしくなった鵺部がついに切れ「敗けた者は、半年間は挑んで来るな。弱い奴の相手など時間の無駄だ」という下達(かたつ)を出した。

 だが、そう言われた武将たちもめげない。鵺部に挑戦できなくなった分、今度は「養女になれ」「息子(俺)の嫁になれ」としつこく付きまとった。そんな武闘派の武将たちに囲まれる鵺部は少しも嬉しそうでなく、蝿にでも寄られたように鬱陶しがっていた。




 落城から数日過ぎた大聖寺城、評定の間。

 上杉景勝の小姓が、本願寺の坊官が到着したことを告げた。


 ほどなく評定の間に現れたのが、下間頼純しもつまらいじゅん。頼純は、大坂本願寺より加賀に派遣された坊官で、一向衆とも言われる加賀一向一揆勢を五千の兵力にまとめ、大聖寺城に参陣した。本願寺の坊官とはいえ、実質的な武将だ。


 その頼純は、上座に座る上杉方の三人に向かって、訝しげに思いながらも頭を下げた。


「大坂本願寺坊官、下間頼純であります。この度、参陣が遅れたこと、上杉家の皆様方に申し訳なく。しかし、上杉家の織田征伐に合力できることに感謝申し上げます」


「下間殿、我ら上杉家としても大坂本願寺の合力、頼もしく思っております」


 頼純は、てっきり上座の誰からか言葉があるかと思っていたが、言葉を発したのは上座の三人とは別に左手に並んでいる上杉家臣の一人だった。

 頼純は、発言した若者に顔を向けると眉をひそめた。


「これは、申し訳ない。某、樋口兼続と申します。大将、参謀、軍監に代わり口上を述べさせて頂きます」


 益々、頼純の眉は寄る。

 長年の敵対者である本願寺の坊官とは、口も聞きたくないと言うことなのかと考えた。

 そもそも、上座に座るのが三人と言うのも解せない。上手かみてにあたる向かい右には、子供にしか見えない娘。しかし、とても美しい娘、ひょっとしたら上杉家の姫。中と左には、お互いに競い合う意志が感じられる若者が二人。おそらく、ここに上杉家の当主、上杉謙信はいない。上杉家に何かがあったのだと想像させる。


「管領様がおられないようですが」

「大殿は、家督を譲られ越後におります」

「ほう、家督を。では、どなた様が上杉軍を」

「この征伐の上杉軍総大将は、上杉景勝様です。そして、参謀が鵺部殿、軍監が上杉景虎様となります」


「では、景勝様が家督を」

「いえ、新たな上杉家当主、御実城様も越後におられます」


「上杉軍には、管領様も、新たな当主様もおられない…」

「何かご不満でも?」

「いえ、そのような訳では」


 まだまだ盛りの当主が、家督を嫡男に譲ることは珍しい話ではない。若い当主を育てるために広く行われていることで、そこに驚きはない。


 だがしかし、上杉謙信に嫡子はいない。


 一門衆筆頭でかつ、謙信の養子でもある上杉景勝に家督を譲った訳でもない。「では、一体、誰に当主を譲ったのか?」との疑問が湧いてくる。それに、一番分からないのは、謙信も新当主も上杉遠征軍を指揮していないことだ。

 上杉謙信が、織田征伐や関東進出に専念するために家督を譲ったというのが一番納得できる話だが従軍していない。そうではないのだと伺い知れる。上杉家には、謙信、新当主ともに動けない理由がある。だが、このような大軍での遠征を行える状況ではある。上杉家で何かが起こっている。


 下間頼純は思考を巡らせてみたが、すぐにはその理由を想像できなかった。


 今、織田信長という巨大な敵が目の前にいるため大坂本願寺と越後上杉家は手を握っているが、本質的に上杉家は本願寺の敵だ。

 このことを法主顕如けんにょ様に知らせねばと頼純は心に留めた。


「下間殿、それでは早速、軍議に移りましょう」

「樋口殿、しばし。某は、上杉軍には疎く。大将、軍監は分かりますが、参謀とはいかなるお役目でございましょうか」


 先ほどは上杉当主のことに頭が行き、目の前の娘の確認を怠った。この上座にいる娘の正体も知らねばならない。ことによっては、これも顕如様に報告せねばならない話となる。


「参謀とは、他家の軍師のことでございます」

「軍師ですか」


 軍師であるならば、なぜ、参謀となどと聞き慣れぬ役名としているのだろう。御実城などと同じで上杉家での呼び名であろうかと頼純は思案するが分からない。考えていると「下間殿、他には?」と樋口兼続から声をかけられ「ありませぬ」としか答えられなかった。娘については、行軍中に調べることにした。


「ではまず、出立についてですが、明日の辰の刻となります。第一陣は…」


 織田征伐の手順について話す兼続の声が、評定の間に淡々と流れ始めた。


 上杉軍は、次の陣容だ。

 越後衆、斎藤朝信を主将として兵力六千。

 越中衆、河田長親を主将として兵力一万。

 能登加賀衆、須田満親を主将として兵力七千。

 総兵力二万三千の大軍を、上杉景勝が采配する。


 越後衆が少ないのは、留守役として阿賀北衆と古志長尾衆を越後に残しているためだ。


 続いて、織田方の動向について話があった。

 織田方は、信長より越前を任されている柴田勝家のもとに続々と兵が集まっていた。忍びによってもたらされている知らせから、織田方の陣容は、ほぼ前回と同じ顔ぶれ。丹羽長秀、斎藤利治、安藤守就、稲葉良通、不破光治、前田利家、佐々成政、堀秀政らだった。

 前回、柴田勝家と意見対立し途中で離軍した羽柴秀吉は参加していない。これは手取川合戦の敗戦の一因として考えられたため、前回の轍を踏まないための処置と捉えられた。また、滝川一益率いる伊勢衆も不参加であった。こちらは、大坂本願寺包囲から抜けた兵力の穴埋めに伊勢衆を当てたためと考えられた。


 そして、織田方の総大将は、昨年の手取川敗戦の汚名を注ぐために柴田勝家となるだろうと予測された。

 

 

 柴田勝家の手駒は、次の通りだ。


 越前若狭の兵が、一万五千。

 近江より一万。

 美濃より一万。

 合計、三万五千が北ノ庄城に集結した。


 最後に、樋口兼続は言った。決戦の場は、九頭竜川であると。




 一方、ここは、大湯温泉。

 奈良時代の僧である行基ぎょうきによって養老二年(716年)に開湯されたと言われるほど古くからある温泉地だ。ここは、越後国魚沼郡との立地も手伝い、越後の諸武将もよく訪れる馴染みの温泉となっている。

 史実、直江家に婿入りした兼続とお船の夫婦もこの温泉地に訪れたと伝わっている。泉質は単純温泉で、泉温は適温。効能は、胃腸病等に効くらしい。


 残雪の残る山々に四方を囲われた湯量豊富な温泉。そこで、男女四人が思い思いに露天の湯を楽しんでいた。


 竹姫は、大の字で漂うように湯に浮かんで。

 卯野は、髪を結い上げ、うなじに汗を流して艶やかに。

 深狐は、真っ裸で縁石に座り、足だけ湯に入れてばしゃばしゃと。

 謙信は、目を閉じ背筋を伸ばして、湯を味わうように。


「行基は良い温泉を開いてくれた」

「姫様、深狐が考えるに、この地に行基は来ていないかもと思われますね」


「へー、なんで」


「行基によって開湯された温泉は、日の本全国に二十箇所以上あると卯野に聞きましたね。ですが、その行基が活動していたのは主に畿内とのこと。遠い越後のそのまた山奥で温泉を見つけている暇はないと思いますね」


「行基は、熱い温泉まにあだったかも知れないじゃん」


「おや、姫様、熱心と温泉の熱いをかけました?」

「さすが、深狐は、わかってくれるねえ」


 竹姫が、深狐に向かって湯の中から親指を立てると、深狐も「それほどですね」と同じく親指を立て返す。


「はー、姫様も、深狐も。ここは行基が開湯した温泉で良いのですわ。行基は、民衆のために尽くした。民衆は、そんな行基を敬った。そのえにしがこの地にもあった。それだけで良いのですわ」

 卯野が、首筋に流れる汗を手拭いで拭く。


「ほうだねぇ。ふへー」

「姫様、お行儀が悪いですわよ。結っているとは言え、髪を湯に入れるなんて」


「ふぁい、ふぁい」


「お主ら、ゆったりと湯を楽しんでおるが、気にならぬのか?」

 謙信が、ゆっくりと目を開けた。


「ふへ? 養父上ちちうえといっしょに湯に入って恥ずかしくないのかってこと? 別にーだよ。人が猿や鹿と一緒に温泉に入っても恥ずかしいとは思わないでしょう。それと同じこと。むしろ、いい体験だなって思うだけ」


「猿や鹿…、いや、その話ではない。織田征伐の話だ」


「そっちか。大丈夫、大丈夫、養父上が育てた無敵の上杉軍団と鵺部がいれば何とかなるっしょ。心配ない、大丈夫だよー。ふへー」


 竹姫が上杉家臣たちに実力を見せると宣言したが、征伐軍には加わらず魚沼の山中で温泉を楽しんでいる。そして、その征伐結果を全く気にもしていない。


「うむ」


 口をへの字にした謙信は、再び湯を味わうために目を閉じた。


「姫様、そろそろ、上がりますわよ」

「早くね」


「小さな体には、熱が溜まり易いのですわ。気持ちいいからと言って長湯すると湯あたりしますわよ」


「大丈夫だって、ほらって、うえー」


 竹姫は湯船に立ち上がるも、そのまま立っていることができず湯船にしゃがみ込んだ。


「あらあら」

「うのー、きもちわるー、目が回るー」


「姫様、あちらの東屋で横になりましょう。卯野に掴まってくださいませ」


 卯野が、竹姫を抱えるように湯船から出て少し離れた東屋に連れて行く。

 その様子から目を離さない深狐が、口を開いた。


「謙信殿」


「うむ」

「深狐が考えるに、謙信殿が姫様に上杉家を託したのは深謀ですね」


「…」

「景勝、景虎、他の者、誰を後継者に選んでも上杉家は揉めたですね。そして、内紛ともなれば、これまで築いた上杉家は崩壊し他家に飲み込まれてしまいますね。それは、何も決めず謙信殿が亡くなってもいっしょですね」


「…」

「それで、故事にならって女子を立てた。女子を立てると争いが静まることがありますね。謙信殿は賭けに出たのですね」


「…」

「ですが、それは賭けにはなりませんね」


「…」

 謙信は、目を開けて深狐を見る。

 深狐は、竹姫がいる東屋から視線を外し謙信に向けると笑顔になった。


「なぜなら、姫様は、無敵ですからね」







【不定期な観光案内】

越後国(新潟県) 温泉


新潟県は、宿泊施設のある温泉地数は144件あり全国で第3位です。(新潟県のホームページより)


そうです、実は、新潟県は温泉県なのです。

この文を執筆しているのは10月。

これからの紅葉を眺めての温泉。

冬となったら雪が舞い散る中での温泉。

そして、日本酒を味わいながらの温泉。


いい季節となったものです。


あー、温泉行きてー。


よろしければ新潟県の温泉を味わってくださいませ。なお、感染症対策はしっかりと!


それでは、次回は「すれ違いは不幸の始まりっぽい」をお送りします。



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