その感嘆音ってどうよ
安土城落城の知らせは、瞬く間に全国へと広まった。
北近江で上杉と織田が争い、上杉が勝ち織田が敗けた。ただそれだけのことであったが、それは世を動かすだけの価値があった。実際は、本願寺東播磨連合軍が安土城を落としたのであるが、世間ではそれも上杉の勝ちの一部として捉えていた。
二回目の姉川合戦から一ヶ月後。
上杉軍は、主将の斎藤朝信に与力として須田満親をつけ再編成した兵二万を近江に残し、遠征三役と越後衆越中衆は帰郷させた。一方、遠征軍が帰郷するまでの間、竹姫のもとに山のように送られて来た文が積まれていた。それは、上杉が織田に勝ったからこそ、各地の国主たちから送られてきた手紙。しかし、竹姫にとって、それは有象無象の代物であった。
「だからといって、このような評定を開くなぞ聞いたことがないぞ。あちっ」
「先が見えている竹姫様には、他国からの文など、どうでも良いことなのでしょう。それゆえに、我らにもこのような場に参加するよう達しがあったと愚考します。景勝様、これは焼けました」
「景勝、お前はどう思う、あちっ」
「…」
「景勝様は、海老が旨いと」
「ええい、焼いた海老の話ではないわ!」
串に刺さった焼き烏賊が、熱くて食べられない上杉景虎が吠えた。
だが、眉間に皺を寄せて、ちまちまと焼き海老の皮を剥く上杉景勝に景虎の非難は届かない。
「…」
「焼き烏賊も旨かった。と」
「食い物から離れんか!」
景勝、景虎、兼続たちがいるのは海岸に近い寺の境内。初夏の強い日射しをさけるために雑木林の内に陣幕を張り、床几を並べて上杉家の重臣たちが座っている。
室内ではなく野外での評定である。
野外での評定は、合戦時の陣中ではよくある話だが、普通とは一つだけ違うところがあった。
陣幕には盾を並べた簡易机の代わりに、炭火が焚かれ、そこに特注の鉄板や網がかけられて色々な物が焼かれていた。近海で獲れた魚や烏賊に蛸、栄螺や鮑などの海産物。近郊で育てられた野菜や山でとれた茸などの農産物。それらの焼ける匂いと音が評定を賑わせていた。
「景虎様。竹姫様は、重臣の皆様方に先に食しているよう伝えて大殿とともに下がったままです。我らとは少し思考が異なる竹姫様の考えを詮索するよりは、この浜焼きというものを楽しんだほうが良いかと」
「ふん、分かっておるわ。あちっ。まだ熱いな。ふー、ふー」
陣幕の中に竹姫はいなかった。竹姫の女官である卯野たち三人と謙信を連れだっていなくなっていた。
竹姫に評定をするからと呼ばれたは良いが、当の本人は皆に食事をしているようにと言い残して、そそくさと陣幕から姿を消した。何もする事がない重臣たちは、仕方なく焼けた海産物や農産物に舌鼓を打っていたという次第である。
「これで、酒でもあったら言うことないのだがな」
串に刺さった蛸足を一口で食った本庄繁長が、碗に入った水を見て恨めしそうにつぶやく。
「繁長殿、それだ。某も何か足らぬと思っていたところ。酒だ、酒。そこの小姓、酒はあるか?」
重臣の一人が、忙しそうな小姓の一人に声をかけた。
小姓は、海産物や野菜を焼いては皿に盛り付け、どこかに運んでいるところ。それはきっと竹姫のところ。竹姫と女官たちが、家臣たちから離れ、別の場所で食べているのだろうと思わせた。
「ありますが…」
焼いたばかりの海鮮を盛り付けた大皿を持った小姓が、急ぐのにといった迷惑そうな顔を重臣に向けた。
「では、持ってこい」
「申し訳ありません。竹姫様付の女官から酒を持ち込んではならぬと言われております」
小姓は、足踏みをしながら重臣に答える。
「女官? それは、鵺部殿か」
「いえ、卯野様です」
「鵺部殿ではない、か。だが、少々ならば良いのでは?」
「いや、これでも一様は、評定の場。さすがに酒は不味かろう」
「小姓、竹姫様はいつ戻る」
「申し訳ありません。私には皆目見当もつきません。では、これにて」
これ以上、料理を冷ますことはできないと早口で返答した小姓が逃げるように陣幕から出ていった。
「どうする、やるか?」
「すぐに戻らぬのであれば…」
「少しだけ…」
繁長たち阿賀北衆の重臣たちが、顔を見合わせる。
「くっ、鵺部殿が命じていたならば、すぐにも酒を煽っているものを」
「確かに。さすれば鵺部殿に叩きのめさ…もとい、命に従わぬと指導されるかも知れんのに」
「まさに、まさに」
鵺部と勝負した者たちは、鵺部に倒されることに快楽を感じていた。
鵺部にとって勝負とは単に勝ちと負けを決めるもの。圧倒的な強者である鵺部は、相手をいたぶることも苦痛を与えることもしない。鵺部は、竹姫から過度な殺生を禁じられていたため、虫を追い払うかのように一撃で仕留めているだけだった。しかし、その一撃を浴びた者は、意識だけでなく悩みや不満もいっしょに吹き飛ばされ、清々しい目覚めを体験する。また、小さな鵺部が体の大きな武将たちの力押しや巧みな技をひらりとかわし、相手をたった一撃で地に沈めていく様はまるで神楽舞のようでとても美しかった。
鵺部にあるのは他者を優美に圧倒する力。だから、彼らの鵺部賛美が止まない。
「小姓、酒だ。酒を持ってこい」
焼いた海鮮を乗せた皿を持ったまま陣幕に戻ってきた小姓に阿賀北衆の武将が声をかけた。
「それは…」
「どうした。早ようせ。何、嗜む程度よ」
「ですが…」
小姓は、陣幕の入口へ視線を向けて言葉を濁した。
「はっきりせん奴だな。いいから早よう持ってこんか」
「そなたら、酒は後だぞ。まずは、評定からだ。酔うのは評定の後にしろ」
涼やかな声が陣幕の入口から聞こえたと同時に、竹姫が深狐と鵺部を従えて陣幕の内に入ってきた。
竹姫の後を歩く鵺部の頬はほんのり紅く染まり、いつも眠たそうな瞳は潤んでいる。いつもより三割増しの美少女鵺部に、阿賀北衆の視線は釘付け。口も手も止まってその姿を追った。
その阿賀北衆の絡みから逃れた小姓が安心した顔になり、地に膝をつけて竹姫たちに頭を垂れた。竹姫に気づいた武将たちも箸を止めて座ったまま頭を下げた。皆が頭を垂れる中、竹姫は上座に行って腰を下ろす。
「皆、待たせたな。食事はそのまま続けて耳だけ向けてくれればいいよ。皆の意見を聞きたいだけだからな」
「竹姫様」
「ん、何、兼続」
「大殿は、どうされたのですか?」
「うん、残念だが、養父上は不参加だ。さっき倒れたからな」
「「「ぶぶー」」」
重臣たちが、一斉に吹き出した。
それを見た竹姫が眉をひそめる。
「汚いなー。妾は、今焼いている物は食べんぞ。そなたらが食べろよ。残すのは許さないぞ。妾は、食べ物を粗末にする奴は好かん」
「た、竹姫様、大殿が倒れたというのは真ですか?」
「うん、今、卯野が面倒を見ている」
「大丈夫なのでしょうか?」
「大丈夫じゃね」
「いやいや、そのようないい加減なものではなく」
「鵺部との飲み比べで酔っただけだし、養父上の身体に異常はないって卯野が言ってたから、大丈夫だよ」
「そうですか、それならば…」と兼続が納得したように引き下がる。逆に、飲み比べとの言葉に反応した阿賀北衆の重臣が竹姫に尋ねた。
「酒の、飲み比べでございますか?」
「ん、酒の飲み比べだよ」
「鵺部殿と?」
「ん、養父上と鵺部が」
竹姫が、後ろに立つほろ酔いの鵺部に指を向ける。竹姫のその言葉を聞いた阿賀北衆の重臣たちが、うつ向いて震え出した。
「ん? どしたの」
「「「呼んでくださいよー」」」
「へ」
「「「我らもいっしょに飲みたかった」」」
阿賀北衆の重臣たちが声を揃えて言い、泣きそうな目を竹姫に向けた。
「鬱陶しい」
鵺部が、ぼそりと溢す。
「はい、はい、分かった、分かった。その件は、評定が終わったらな。後で直接、鵺部に頼め」
「「「はっ」」」
「断るがな」
鵺部が、再びぼそりと溢した。
「じゃあ、評定を始めるぞ。まずは、この文から」
竹姫が、深狐が差し出した手紙の束から一番目を受けとり頭上にかかげた。
「将軍の足利義昭からの文だ。どうやら将軍は京に戻ったらしいぞ」
「「「おおー」」」
「そいで、養父上に上洛しろってさ」
「「「おおー」」」
「もちろん、却下だ」
「「「ええー」」」
「だってさ、養父上は隠居だよ。今の当主は妾だよ。将軍が何だかよく分からないけど、失礼だろ。だから却下ね」
「…」
「竹姫様、それでは将軍の意向を無視することになるのでは、と景勝様が」
「聞いた話だけどさ、将軍に味方された方が敗けるって言うじゃない。んで、朝倉、浅井、本願寺、武田は織田に負けたよね。そんな奴に会いたくないよ。きっと会ったら、妾のつきが落ちるよ。それで、お母様から帰れとか言われたら暴れるぞ」
「…」
「実は、将軍って疫病神だとかありえね」
「いえ、さすが将軍が疫病神ではなく結果的にそう見えるだけの話では、と景勝様が」
「とにかく、そもそも妾には上洛要請は届いていないし、養父上はさっき倒れた。それに上杉軍が京に入って支配している訳でもない。だから、上洛はしない。京への旅は後に取っておく」
「…」
「はあ、と景勝様が」
景勝も兼続も他の重臣たちも、竹姫の考えにあえて反対する者はいない。これまでも将軍からの上洛要請に応えられないことが多々あった。二度の上洛を実現した謙信ではあったが、義昭が将軍になった頃には、武田、北条、一向宗と争っていたため上洛どころではなかった。
それに、誰もが将軍の力など信じていない。
京より逃げて越前朝倉に身を寄せ、尾張織田を頼って上洛、そして、織田の用済みとなって京から追い出された。今さら避難先の毛利から京に舞い戻っても誰も傅かない。
「景勝、しゃべらずとも手を動かせば文は書けるぞ。返事は、そなたに任せるからな、よろだ」
竹姫は、深狐を経由して将軍からの文を景勝に渡した。
「…」
文を受け取った景勝が、竹姫に頭を下げる。
「よし、次」
竹姫が、深狐から次の文を受け取ってかかげた。
「これは、九条兼孝って奴からの文だ。てか、九条兼孝って誰だよ? はいっ、知ってる人」
竹姫が右手を上げて、知っている人がいたら同じように手を上げろと視線を重臣たちに投げると、樋口兼続が肩まで手を上げた。
「はい、兼続」
「はっ、九条兼孝様は摂関家の方かと」
「摂関家って?」
竹姫が首を傾げる。
「朝廷とも繋がり深い公家です。たしか、九条兼孝様は、関白二条晴良様のご子息だったかと」
「公家で関白の息子ねえ」
「内容は、いかなるものなのですか?」
「上杉軍が京に入って治安を守ってくれと言ってきたよ。将軍が京に戻ったとは言え、今まで治安警備に当たっていた織田軍が撤退して物騒なんだってさ。どう思う、兼続」
兼続が、考えるように顎をさする。
「今だ、近江にいる上杉軍は、美濃方面に向かって展開しております。今、上杉軍が京に入った場合、反織田に立ち上がった畿内の国主たちが、どのような反応をするか読めません。下手に京に入って対応を誤れば、対織田同盟が対上杉同盟となるやも知れません」
「京を押さえるのは反対か?」
「はい、時期尚早かと」
竹姫の問いに、兼続は頷いた。
「妾は、それでも良いのだがな。よし、この文の返事は、兼続に任す」
「はっ」
「京の治安は、将軍に頼むのが筋。それに織田軍が退いたとは言え、他の領主が京に入って占領した訳じゃない。今まで通り織田軍に治安を頼めばいいよ」
「なるほど、さすが竹姫様、面白ろき考えです。返事の件、承知いたしました」
「うん、よろしく。じゃあ、次だね。えっと次は、大坂本願寺からだ」
さすがに、三通目ともなると竹姫の対処に慣れた重臣たちが、箸を焼き物に伸ばし始めた。箸を止めて竹姫の話を聞いているのは兼続ぐらいである。
「本願寺は何と」
「まず、領地境の件は合意するとさ」
「では、近江での上杉領は、淡海の西岸全てと東岸は観音寺城まで、本願寺は安土城から南となるのですね」
「本願寺としては伊勢までの道を確保できたし、今さら上杉とは揉めたくないんだろ。これで揉めたら織田の巻き返しに遭うからな。本願寺も坊主の癖に利に聡いからな」
「織田信長に鍛えられましたし、加賀一向衆が合流したのが大きいのではないでしょうか。では、例の移民の件も」
「北伊勢の国人衆も信長から離反したのを利用して伊勢長島を取り戻せるかどうかの瀬戸際だしな。少しでも兵力を伊勢に持っていきたいんだろ。費用を上杉が出すのであればと返事が来た。それでいいんだろ」
「では、早速、河田長親殿、須田満親殿に知らせを送ります」
「うん、本願寺の方もよろしく」
「承知しました」
伊勢長島には、一向衆の拠点である願証寺があった。その願証寺は、信長と対立していた大坂本願寺に呼応して決起。美濃を盗られた斎藤龍興など信長に敵対する者たちを保護して敵対した。対する信長は、すぐに長島に侵攻。しかし、二度も親族や重臣に犠牲を出して撤退。
諦めない信長は、天正二年(1574年)夏、数万の軍勢で三度目の長島攻めを行った。
陸と海から攻められた一向衆は、食糧弾薬が不足し、ついには降伏。その時、数万の信者が殺されたと伝わる。
そのやり方は、その後に起きた比叡山延暦寺や朝倉なき後の越前を占拠した一向衆への対処と同じだ。織田信長によって指導層のみならず信者まで皆殺しにされた。
大坂本願寺は、己を守るために越中、加賀、能登、越前に残る一向衆の民衆を南近江に移すことを上杉と決めた。それは、一向衆の分散した兵力を集めることに繋がる。また、上杉にとっても潜在的な敵が領国からいなくなる。
取り決めは両者に利があった。
上杉と織田の合戦後、大坂本願寺の一向宗門徒は南近江から伊勢長島を目指して侵攻。勝ち馬に乗らんとばかり、北伊勢国人衆は織田方から離反。また、織田軍からは近江や伊勢出身の兵たちが日々夜逃げしていた。
上杉軍が関ヶ原から美濃を狙っているように見える織田勢は伊勢に大規模の援軍を送ることができず、大坂本願寺率いる一向衆軍は順調に伊勢長島を取り戻そうとしていた。
「さてと、次は織田信長からの文だな」
「「「ぼぼー」」」
「そなたら、食べるか話すかどちらかにしろ。汚いだろ」
【不定期な観光案内】
伊勢(三重県) 伊勢長島
伊勢長島。
戦国時代、伊勢長島には一向衆の拠点である願証寺があった。その地は濃尾平野を流れる揖斐川と木曽川の河口州にあり、織田家の経済を支えた津島の喉元に突きつけたナイフでもあった。信長は、戦略的重要拠点だった長島を是が非でも押さえる必要があり、三度の激戦のすえ攻略することに成功する。
と言うのが、戦国時代の話。
現在の伊勢長島といえば、ナガシマリゾート。
温泉あり、遊園地あり、の争いとは無縁の地となりました。たまには、いっぱい遊んで温泉でゆったりするのもいいですね。
昔も今も、伊勢長島は極楽を目指していたのかも知れません。
それでは、次回は「景虎陥落」をお送りします。




