思い出の真相を探ってはいけないよ
薄暗い堂内で木像と向き合った男は、問答を繰り返していた。次なる一手は、その大義は、と目の前の木像に問うていた。しかし、木像は何も語らない。
その木像は、唐風の革甲冑を身に着けた武将姿の毘沙門天。毘沙門天は宝棒を持ち邪鬼を踏みつけるだけで言葉を発することはない。ただ、覚悟を問うているかのような表情で目の前の男を睨んでいる。男は、毘沙門天からの視線を真っ向に受けとめ、この戦国の世で義を果たすための戦いを思考する。
その男の名は、上杉謙信。
関東管領にして上杉家の当主。越後を本拠地として北陸を統べる男だ。
天正四年(1576年)、形ばかりの将軍であった足利義昭の求めに応じ、これまで同盟関係にあった織田信長と手を切り、信長包囲網に加わった。長年の敵対者である一向一揆を指図する大坂本願寺と和解しての選択だった。
結果、大坂本願寺、毛利、宇喜多、武田、そして、上杉。織田信長を取り囲む名だたる大名によって第三次信長包囲網が敷かれることになった。
この状況に応じ、信長に伏していた者たちも次々に離反。大和の松永久秀、丹波の波多野秀治、但馬の山名祐豊らである。
そして、天正五年(1577年)九月、ついに上杉軍と織田軍は、加賀の国を南北に分けるように流れる手取川で激突した。
世に言う手取川の戦いだ。
それは、上杉軍に攻められた能登の七尾城からの救援依頼に織田信長が応じたのが切掛けだった。
柴田勝家率いる織田軍は、意見の合わない羽柴秀吉が途中で離軍するなど足並みは揃わず、七尾城がすでに上杉軍に下ったことも知らない状況で手取川を渡河。その後、七尾城の落城と上杉謙信率いる上杉軍が南下してきていることを知り、慌てて退却しようとしたところを上杉軍に捕捉され撃破された。
加賀、能登、越中は上杉謙信の支配下となった。
「次なる一手は」と、いつものように御堂にこもり毘沙門天と語り会っていたのだが、外から聞こえる賑やかな声に謙信の思考は止められた。そして、外にいるのは何者かと耳を澄ませることになった。
「…様、宝珠を回収したらお家に帰りますわよ」
「えー、もっとこっちを見て回りたいんだけど」
「もちろん、この卯野は姫様が大事でございますわ。姫様がやりたいとおっしゃることは、全て実現させてあげたいとは思っております。ですが、今回は上の方々が許してくれるとは思えませんわ。ですから残念ですが諦めましょうね」
「諦めるなんて、そんなー。今回諦めたら次はいつになることやら。ねえ、鵺部もこっちで遊びたいよね」
「私は、このような汚らわしい地に刹那も居たくはありません」
「うー、深狐ー」
「はい姫様。深狐が考えるに、主上は面白がって黙認してくださると思いますね。ですが、周りの年寄り方は口うるさく反対しますね。これは、間違いありませんね」
「ずるいよ。お母様がこの地にいらしたときは随分と楽しんだと聞いていたのに。妾は、あっという間に帰らないといけないなんて。グレるよ、もう」
「まあまあ、姫様、そう口を尖らせなくても。可愛いお顔が残念顔になっていますわよ。深狐、何か良い知恵はなくて?」
「ふっ、ふっ、ふっ」
「深狐、余計なことは言うなよ」
「もう、鵺部は、この地が嫌で早く帰りたいだけなんだよ。深狐、鵺部のことは放って置いて、いい考えがあったら言っていいぞ」
「はい、姫様。深狐が考えるに、それは人助けですね」
「人助け?」
「そう、人助けですね。年寄り方はとても信心深いですね。人の願いや祈りが自分たちの力の根源になっているのだと考える年寄り方はとても多いですね。だから、人の困っていることを解決する替わりに祈らせるのですね。当然、人助けの問題を解決するには、あちらこちらを巡って状況をよく見極める必要があるので、時間がとってもとってもかかりますね」
「人助けして祈りがもらえるんだったら文句はでない。そんで簡単に解決する問題でもあちこち巡って時間をかければいいってことか。なーるほどね、さすが深狐、知恵者だね」
「ふっ、ふっ、ふっ、それほどでもありませんね。でも、この深狐が思うに姫様のお褒めを授かり光栄ですね」
「よしっ、その案、採用」
「余計なことを…」
「まあまあ、鵺部、そう言わずに。姫様の喜ぶ顔が見られるから良しとしましょう」
「…」
「そうと決まれば早速困った人を探すよ、みんな」
「あらあら、姫様、まずは主上の課題が先ですわよ。宝珠を先に回収しませんと」
「おっ、そうだった。忘れてた」
「まあ、姫様ったら」
「早く出てこないかなー、まずは宝珠、宝珠と」
堂内の謙信は困っていた。
御堂の外にいる者たちは、命を狙ってきた者でも、他国の密使でも、はたまた上杉家臣たちでもない。外の者たちは、謙信が御堂から出てくるのを待っている女たちであることが分かったからだ。
かしましい女たちの相手をするのは避けたい、かと言って女たちが御堂から離れる気配も感じられない。謙信は、仕方なく毘沙門堂の扉を開いた。
目の前に眩しい白銀の世界が広がった。
三月が近いとは言え、越後の春はまだ先。そして、ここは春日山山中、春日山城の残雪はまだまだ融けそうもない。
謙信を待っていたのは、十二単のような古い時代の着物に薄く透ける羽衣を纏った少女たち。
雪のように白い肌、鴉のように黒々とした髪、二重瞼に日の光の加減で瑠璃色に見える瞳、小さな形の良い口、皆が均整のとれた美しい顔立ち。そして、揃えたように頭半分づつ背の高さが異なる少女たちが、御堂から出た謙信に視線を集めた。
「何者だ」
謙信は、不機嫌さを滲ませた視線を少女たちに巡らせた。
「無礼な」
鵺部と呼ばれていた少女は二番に背が低い。その鵺部が一番低い少女の前に出て謙信を睨みつけた。
「いいよ、鵺部」
「…」
声がかかると鵺部は謙信を睨んだまま渋々の表情でもとの位置まで下がった。謙信の視線が、一番背の低い少女と合う。
「妾は、◯香%*よ。そなたは?」
謙信に少女の発する声は明瞭に聞こえた。しかし、それを名前として理解することができなかった。
もう一度、名を問おうと思ったが止めた。
鵺部と呼ばれた少女が、勝ち誇った顔で謙信を見ていた。「お前ごときに、理解できるはずもない」といった表情でだ。
「儂は、上杉謙信だ。儂に用か」
「うん、そなたに会いたくてこの地に来た。宝珠を返しにもらいに来たよ」
さあ、返してと言わんばかりに少女は右手を差し出した。
「宝珠…」
「持ってるでしょ」
手を伸ばした少女と謙信が見つめ合う。
しばらく見つめ合っていた二人だが、おもむろに謙信が動いた。懐から組紐で結ばれた石を取り出して少女に見せた。
「これか?」
謙信に握られた組紐の先で赤い勾玉が揺れる。それは、珍しい赤い翡翠の勾玉。
「それそれ」と少女は勾玉を指差す。
「返して」
「それは、できぬ」
「えー、困るな。宝珠を回収しないとお母様に認めてもらえないんだよ。お母様お得意の難課題なんだから」
「儂には、まだ、やらねばならぬ事がある。今、これを返す訳にはいかぬ」
「宝珠を使って?」
「そうだ」
「命を削っても?」
「無論」
「困ったな」
少女が、うーんと首を傾げた。
「姫様、問答無用で回収しましょう」
鵺部が手を振ると、その手には自分の背丈もある大太刀が握られていた。そして、大の大人でも扱い辛いほど重量のある大太刀を軽々と振ってみせる。
「仕方ないな…」
「姫様、姫様、深狐が考えるに、これは姫様がこの地に留まるための千載一遇の機会ですね」
二番目に背の高い少女が、深狐。深狐は、姫様と呼ぶ少女に耳打ちするように囁いた。
「鵺部、ちょっと待った。深狐、どういうことか説明よろ」
謙信に向かって歩み始めていた鵺部が舌打ちして下がる。そして、再び手を振ると大太刀など最初からなかったかのように消えた。
「深狐が考えるに、この人間は鳥瞰の宝珠を使って、合戦をしていたに違いないですね。戦場を鳥のように高い位置から見ることができれば敗けることは無いですからね」
「うんうん、続けて」
「それに、宝珠を使ったら、それに見合う分の命が削られることも分かっているですね。それが、さっきの姫様の問いへの応え。そして、死ぬまで戦いを続けなければならない理由があるですね」
「そりゃ、大変だな」
「そこで、姫様が、この人間の問題を解決してあげますね。争い事の解決は当事者だけでなく、その周辺の状況をよく調べてじっくりと解決する必要がありますね。とっても時間がかかることになりますね。姫様が、この地をあまねく観光、もとい、あまねく調査しなければいけないですからね」
「そっか、これか。よっ、深狐、天才!」
「いや、それほどでも、ありますね」
ふっ、ふっ、ふっと笑い、両手を腰に当てて仰け反る深狐。鵺部の迷惑そうな視線には気がつかない。
「卯野、この者の余命は?」
「はい、姫様」
四人の中で最も背の高いのが卯野。背が高いせいもあるが、一番の年長者に見える。その卯野が、謙信の全身を見つめる。
卯野の瞳が、虹色に一巡した。
謙信は、その様子を見て出かかった言葉を飲み込む。
「姫様、この者は、あと十日程度で命の糸が途切れそうですわ。宝珠は、日頃から持ち主の生気を吸っておりますから」
「そうか。じゃあ、今、宝珠を手放したら」
「それでも、三ヶ月程度と言うところですわね」
自分の余命の話を聞いて、謙信は目を閉じた。
少女たちの話を別にしても、己の余命が少ないであろうことには予感めいたものがあった。しかし、想像以上に短い、残った刻が少な過ぎると思った。まだまだ、やらねばならぬことは多く残っているとの思いとともに。
「宝珠から生気を戻してあげたら」
「宝珠に貯まっている力によりますが、五年から十年。後は、本人次第でございますわね」
「そっか」と少女は頷く。そして、言いにくそうに続けた。
「えーと、そなた、妾たちの話を聞いていたな。そういうことだから、宝珠は返してくれるか。その代わりに、妾がそなたの問題を片付けてやろう。どうだ?」
謙信は、目を開けた。
「よかろう」
「はやっ、即答。それは諾と言うこと?」
「そうだ」
「あのさ、普通、即答しないよね。見ず知らずの者に問題を預けるなんてさ」
「声をかけたその方が、そのように言っていかがする」
「そりゃ、そうなんだけど。もっと、良く考えてからでも遅くないよ。考える刻が必要でしょう」
「不要」
そう言って謙信は口をつぐみ、少女を見つめる。しばし、少女は謙信の眼差しを受け止めた。
「うん、分かった。引き受けた」
謙信は、御堂を出て歩み、少女の目の前で止まった。
「その方も、儂の問題も知らぬのに随分と返事が早いではないか」
「まあね。言い出したのはこっちだしね」
謙信を見上げる少女が右手を差し出す。
「では、頼む」
謙信は、少女の手のひらに赤い勾玉を落とした。
「うん、頼まれた」
勾玉を握った少女は、謙信を見上げて満面の笑みを見せた。
兄が長尾家を継いだため寺に入れられた少年期。
水を求めて寺に立ち寄った娘に白湯を出したら、礼だと言われてもらった赤い勾玉。
あれから四十年。
勾玉を通していくつもの戦場を天から見てきた。お陰で劣勢であった合戦にも敗けることはなかった。この戦乱の世で義を通すことができた。
いくつもの合戦を、ともに過ごした勾玉はすでに自分の体の一部と言ってよい代物。勾玉は、自分の眼であり、善き相談相手だった。
その勾玉のせいで天命が尽きる。
だが、それに不満などない。
心残りがあるとすれば、それは、頼られて果たせなかったこと。
関東管領としての関東制覇。
北信濃の奪還。
第三次信長包囲網。
そして、足利幕府の守護。
いずれも、義将としての自分、上杉謙信に頼ってきた者たちの願い。
冬の冷たく澄みきった空気。
木々の間からは鳥たちの囀ずる声。
見上げた青い空には、白い月。
そして、目の前には満面の笑みの少女。
笑っている少女の瑠璃色の瞳と鈴の転がるような声には既視感があった。
少女の瞳と声は、懐かしさを思い出させる。
それは、少年期の風景だったかも知れない。
謙信は遠い昔に思いを馳せ、何年も忘れていた笑みを浮かべた。
【不定期な観光案内】
越後国(新潟県):翡翠
上杉謙信が合戦に強かった理由を、鳥瞰の宝珠を持っていたからとしました。
その宝珠は、赤い翡翠の勾玉。赤い翡翠といっても、透明度のある淡いピンクのイメージです。
そんな翡翠を新潟県から富山県にかけての青海、親不知、市振の海岸で拾うことができるかもしれません。
興味ありましたら、「翡翠拾い」で検索、検索。
なお、拾得できるのは海岸のみ、河川や山中では厳禁。また、専用道具を持って探している翡翠ハンターを見かけたら声をかけて、お話を聞くのも楽しいですよ。w
それでは、次回は「なんだよ、結局、見た目か!」をお送りします。