温
会社帰りの真夜中だった。
激務により疲労が溜まり、帰り道を夢遊病者の様にふらふらと辿ったものだから何回か躓き転倒しそうになるのを綱渡りの如く耐えていた。先程まで雨が降っていたのだが幸運にも帰る頃にはやんではいたため無駄に雨宿りをせずに済んだのだけは唯一の救いであったかもしれない。
ここら一帯は街灯の灯りが少ないせいか水溜まりを避けながら歩いていると転がっている空き缶を上手いこと照らしておらず気がつくことができなかった。 足を踏み込んだ瞬間カシャンと地面に擦れる音と共に「えっ」と素っ頓狂な声を上げ私の体は後ろへと傾きそのまま後ろからすっ転んだ。本能的に不味いと思い手を伸ばしたが体は重力に抗うこともできず空を切った手は宛もなく彷徨い、頭から地面に思いっきり叩きつけた。
自分の血溜まりなのか水溜まりなのか分からないが段々と朦朧として視界が暗くなっていきそこでプツリと意識が途切れた。
「はッ!!」
ガバッと起きる。目覚めてすぐに恐る恐る打ち付けた頭をぺたぺたと触り何も傷も無く痛みも感じないことに安堵した、がここはどうやら知らない天井すらない星空の下らしい。下は天然石を使ったようなタイルで水気を孕んでいる為にスーツは水分を吸いどっしりと重くなっていた。
「どこよここ……」
もくもくと立ち込める煙のようなもののせいで見通しは悪く薄らとしか物の輪郭を捉えることしかできないけれど、目を細めてみると私の目の前に木製の引き戸、後ろのほうにはでかい水溜まりから大量の湯気……ここは温泉であろうか。
「頭打ち付けてそれから……それからどうなったんだっけ」
思い出すと苛立ちが湧いてきた。ポイ捨てに対してあまり関心を寄せたことは無いのだが、あんな激痛を引き起こした原因に溜飲を下げれるやつ聖人君子位なもの。誰だあんな所に空き缶捨てた奴。
しかし本当にここは何処だろうか。幻覚でも見ない限りこんなところで寝そべってなんていないしそんな暇がある程余裕は無い。明日も早朝に家を出なければならないので腕時計を確認しようとしたが会社に忘れたのを思い出し仕方なくスーツのポケットに手を入れスマホを取り出そうとした。
「なにこれ? 」
スマホの代わりに出てきたのはほぼ同じ大きさの番号が振ってある鍵付きの木製ストラップ。多分ロッカーの鍵だろう。
「いよいよここは温泉らしいけど」
スーツ姿でいつまでも浴場にいるのも戴けないので引き戸の方に行く。開けると脱衣室となっており古めかしい木製のロッカーがずらりと並んでいた。
「ストラップの番号はと、102番」
誰もいないのかほとんどロッカーは使われておらず鍵が刺しっぱであった。ここが何処かも分からないしせっかくの温泉である。楽しまなきゃ損であると思い私は結んだ髪を解いた。ロングヘアは手入れが面倒なので先日切ろうと思ったが増えゆく膨大な量のタスクを処理することに追われ結局放置したままであった。
終電を逃すことが多く結局近場のネットカフェを仮宿として使う毎日だったのもあり髪は随分と傷んでいる。
日常を忘れ、くたびれたスーツとスカートを脱ぎブラのホックを外した時、浴場とは反対のドアががららと響いた。
人が入ってくると思わず私は急いで備え付けのバスタオルで身を包んで隠した。まずここが女湯かどうかを確認していないのだ、万が一男湯だったら貞操の危機である。失礼かもしれないが男性が女性の裸を前に理性のある生き物として振る舞えるとは思えないのだ。
ぺたぺたと近ずいてくる足音に警戒しながら身を構えていると、ロッカーの間から見えたのは金髪のウェーブがかかった女性だった。
「あぁよかったぁ」
思っていることが口に出てしまい女の人はびっくりしたようにこちらを見ていた。
「あれ? お客さんがもういるとは、でもまだ開店してないはずでは?……」
浴衣を纏った女性は口ぶりからしてここの従業員だのだろう。顔立ちがスっとしてシャープで恐らく白人とのハーフの方みたいだが和を醸し出したこの空間では浮いて見える。
「あっ、その、色々事情がありましていつの間にかここにいたんです。悪気があって勝手に入った訳ではなく、お代は後ほど払いますので警察には……」
弁明をすると不思議そうな顔で私をまじまじと見る。
「いつの間にか入っていた? うーん、良く分からないけど脱ぎちらさずちゃんと服は畳んで入れた方が。シワになってしまいますよ」
ぱぱっと早脱ぎしバスタオルに身を包んだ女性は態々私の方に来て服を畳んでカゴに入れてくれた。
「あ、どうもご丁寧に」
「申し遅れました、わたくしこの地獄旅館の女将をしております、鑊湯 御霊です。どうぞ宜しくお願い致します」
営業スマイルの欠けらも無い機械的な紹介である。
「私は花芽 咲です。不法侵入したみたいで本当に申し訳ないです」
「いえいえ故意に侵入したわけではなさそうですし事情がありそうなので構いませんよ。是非ゆっくり浸かっていってください」
反面、丁寧にお辞儀をする女将さんは優美でミスマッチと思っていたのを良い意味で裏切りついつい「ほんまもんや……」と思わず呟いていた。
しかし地獄旅館など私の住んでいる付近にあっただろうか、珍しく終電を逃すことなく捕まえた電車に乗り、降りて家路に着く途中だったが、寄れるような銭湯などはなかった気がするし住宅街に建てるスペースはあっただろうか。
でも実家に帰る頻度は少ないし地域の情報など家族経由以外で入ってこないので気が付けば新しい店かオープンしてたりなんてこともあるのかもしれない。悩んでいると女将さんが急に私の手を取り近付いてきた。
まつ毛長っ。そんなことを考えながら女将さんの行動に目を丸くした。
「え、な、なんでしょうか女将さん」
「いえ、ちょっと気になることがありまして、それと私のことは御霊でよいですよ」
ほぼゼロ距離で体をぴったりとくっつけられ胸と胸がバスタオル越しあたる。
ジロジロと見られ顔や腕、肩、背中、しまいには胸を触ってこようとしたので私は慌てて引き剥がした。
「ち、近いです! しかも今変なところ触ろうとしませんでしたか……」
「あぁ、これは失礼を、ただ私とは異なる種族がここにいたものだなと思い少々好奇心を擽られてしまいました。しかし人間がこんなところにいるとは驚きですね」
意味不明なことを言い始めた電波系女将さんに私は警戒度を上げた。この人ヤバい人もしくは痛い人だ、関わったら面倒なことになる。後退りをして距離を取ると女将さんは眉を下げて表情らしい表情を顕にした。
「まあそう身構えないでください、ってなんだか哀れみの目も感じるのですがなんですか、私は別に痛い鬼ではありませんよ」
「いや、自覚ない人はだいたいそう言います。私の兄もそんな感じでしたから。というか痛い鬼ってなんですか」
「私は鬼神族の子鬼ですよ」
「へぇーそうなんですか」
「その顔信じてないですよね。信じて貰えないなら見せた方が早いですね」
そっと額の髪を掻き分けて私に見せてきた。なんの変哲もないニキビひとつない真っ白な肌が晒されている。
「綺麗ですね。で、一体なんなんですか」
「少しお待ちを、ふんっぬぬぬぬぬぬぬ……」
突然踏ん張り始めた女将さんを無視して浴場に足を運んだ。
「えっ、ちょっと待ってくだ」
開けた瞬間湯煙が私の肌を包む。久々に入る温泉というものに興奮を覚えた。今まで休みという休みをもらえない会社だった、世間一般で言う所謂ブラック、だけれで今はそんなことを忘れて羽休めができることに感動している。
流れる涙を疲れとともに流すべく湯椅子に腰をかけ、桶に湯を貯める。ツマミでシャワーからお湯を出し顔から浴びるのはワイルドで気持ちがいい。
「あぁぁー、この熱さちょうどいいわ……」
まさに私服の瞬間、ゾンビと変わらない亡者の私に生気が吹き込まれ人間へと返り咲いてゆく。
「満喫なさってるようで」
隣にはバスタオルを巻いた女将さんが腰掛けてきた。ウェーブのかかった髪が邪魔なのかゴムで一纏めにしている。
「温泉に来たのがもう何年ぶりだかってぐらいですから」
「それはご苦労様ですね。疲れを癒す絶好の機会でしょう。ここの温泉は滋養効果のある成分が多分に含まれていますので貴方のような方にはぴったりな温泉ですよ」
「それは楽しみですねぇ」
そうでしょう、そうでしょうと嬉しそうにうなずく女将さん、今思ったが相当若く見える方なのだがいくつなのだろうか、女将さんと言うと大体歳を召したイメージではあるのだが、まだ20代前半に見える、私と大して変わらなそうだ。
「おかみ……御魂さんはここの女将になってどのくらいなんですか」
「どのくらい? うーん、どのくらいでしょうね。まだ数百年ほどだと思いますが」
「あははー。真面目な顔して冗談言うとは中々茶目っ気あって面白いですねぇ」
「いえ……冗談ではないのですが。定命のものからすると長いのでしょうね」
そういうコンセプトの旅館なのかなと聞き流しながらシャンプーを手に取る。
「地獄シャンプー……ね」
ノズルの上を押すと赤黒い得体のしれない液体が出てきた。客が見たら悲鳴を挙げそうな色をしてるが苦情は来なかったのだろうか。
「うわっなんだこれ……あの、御霊さん」
読んでも返事をしてくれないので一旦洗い流して御霊さんの方を向く。
「しかしながらこの旅館に流れ着くのは些か不信ではありますね。なんせここには地獄の大王達の結界が貼ってあるはずですし……」
何やらまだなりきりをしているのかブツブツと意味不明なことを口走っているのでお湯のたまった桶に手をつっこみ鉄砲水を飛ばした。
「けれどそれを敗れるのは上位の妖怪くらいであって唯の人間の娘がどうこう、きゃあっ!」
バシャッと顔に直撃し慌てふためいている。
「あはははははははは。きゃあって、可愛い声出るもんですね。あはははは」
「貴方一体何をしているんです。子供じゃあるまいしマナーをきっちり守っていただけないと温泉には浸からせませんよ」
ジト目の御霊さんにイタズラっぽい笑みでニシシと笑う。
「ごめんなさいってばー。あっ、それよりなんですけどこの赤黒い液体ってなんなんですか。まさかシャンプーだとは思いませんけど」
洗い流した液体をもう一度出して見せる。
「いえ、察しの通り洗髪液ですよ」
「えぇぇー……これ頭に着けて洗うんですか」
「嫌なら別に結構ですがその代わり湯船には」
「わかりましたよぉー」
渋々この未詳不可思議な液体を頭につけて洗う。御霊さんも同じく洗っている。時折頭からつぅーっと流れる赤い液体はまるで出血しているようで打ち付けた頭を思い出し本当に何も無いのか再度確認してしまう。
「ん?……」
髪を洗っている御霊さんの頭に変なものが着いているのが見えた。
「どうかしました?……あの、ずっと見られていると恥ずかしいのですが。あ、いえ、私は別に見られるのは全然構わないというか……」
ちらりちらりと顔を赤らめこちらを伺っているのも気になるが彼女の額に付いている物が気になってしょうがない。
「それって角ですか?」
「これですか? ええ、そうですよ」
コツコツと爪で叩くとプラスチック製とも言えず樹脂製とも言えない音が返ってきた。
「コスプレ?」
「いえ、本物です」
「モノホン?」
「いや、本物です。モノホンってなんですか」
「本物と同義だから気にしないで、ってコスプレですよね、それ」
「違いますって、信用出来ないのでしたら触ってみてください」
「はぁ。じゃあ」
触ってみると手触りがよくツルツルとしていた。先端はそこまで尖っておらず丸みを帯びていて刺さる心配は無さそうだ。御霊さんの額に張り付いた髪をどかし角の付け根を見るとまるで生えているように見える。糸などで固定しているわけでもなく特殊メイクの類だろうか。
グイグイと引っ張るとしたから「いたたた……もっと優しく扱って貰えませんか」と抗議の声が上がる。
「本物?……」
「だから言ってるじゃありませんか。私は正真正銘の鬼です。泣く子も食べる鬼です」
「食べちゃ行かんでしょって鬼だから別にいいのか」
「鬼だからといって肉食なわけではないのですけれどね」
鬼の食性についてはよく知らないけれど人を喰らいそうなイメージはある。寧ろ積極的に人間を食べる側なのでは? もしかして結構まずい状況だったりするのかもしれない。青い顔をしている私を哀れに思ったのか御霊さんは私に主に何を食べているのかを教えてくれた。
「私達地獄に住まう鬼は基本的に地獄で育てている農作物や家畜等を食べているんです。下界の方たちと変わらないと思いますよ」
「その家畜が人間だったり?……」
「その通り、って何信じてるんですか、嘘に決まってるじゃないですか。あの、地味に距離取るのやめて下さい。傷つきます」
「そう言えばさっきブツブツ痛いことを言って時の内容は嘘では無かったんですか?……ここ地獄旅館とか言ってましたよね。もしかしなくても私死んでいるんですかね」
「痛い事……死んでいるかどうかは私には預かり知らぬ事です。地獄の大王達が仕事をサボっていなければ貴方は何らかの罪を裁かれ今頃地獄観光ツアーで阿鼻叫喚のはずなんですけど」
舌引っこ抜かれたり、灼熱の地獄釜でグツグツと煮込まれたりと悲惨なツアーなのだろう。
「私何か悪いことしましたかね……そりゃ多少は会社の上司の悪口とか位なら言ったりしてますけど」
「その程度では此方側では無くあちら側に飛ばされますよ」
指が指されたのは上であるが何も見えない。あるのは地獄に似合わない綺麗な夜空だ。
「天国ですか?」
「ええ、無駄な殺生や他人の人生をドン底に落としたりでもしなければこんなところに貴方はいませんよ」
尚更心当たりが無い。もしかしたら無駄な殺生の許容範囲がかなり狭いのかも? 等と悩んでいると御霊さんに背後を取られた。
「いつまでも頭に泡をつけっぱなしなのは良くないですよ」
頭に御霊さんの指が置かれ優しく丁寧に泡が流される。母親以外にこんなことされた事がなく少し気恥ずかしくなるけど心地が良い。ぐいっぐいっと指圧をされカチコチの頭が和らぐ。顔は見えないが心做しか楽しそうなのがマッサージする指のリズムで何となくわかった。
「やはり人の頭とさして変わらないようですね」
「中身は違うんじゃないんですかぁー、ぁあそこ良いですぅ」
「変わりませんよ。わたくしにも食欲や睡眠欲だってあります」
「性欲も?」
「……」
指の腹が当たっていたはずだが爪を立てられぎゅぅーっと刺される。
「いたっ、痛たたたたたたっ、ごめ、ごめんなさいぃ」
ため息をついた御霊さんは頭から手を離し私の頬っぺたを揉み始めた。
「あっても相手がいませんからね。中々もちもち……」
「そうなんですか? すっごい美人だから一人や二人とは言わず殆どの人を魅了してそうだと思いましたよ。一応スキンケアはしてます」
「……ゔゔんっ、お酒でも入ってるかのように煽ててきますね。生憎気に入るような鬼が居ないのですよ」
「ここ鬼しか居ないんですか」
「鬼以外は牛頭馬頭だったり火車だったり」
「顔を気にするんだったら同族のほうが良いですよね……ましてや火車って人形でも無いじゃないですか」
でもいい人たちなんですよと今度は首を指でなぞり肩へと手を持っていった。くすぐったいのを堪えるより恥ずかしさに押しつぶされそうになる。
「なんか手付きいやらしくないですか」
「それは貴方の頭の中が煩悩だらけだからですよ」
肩を揉みほぐす技量はプロの施術師に劣らないくらいであるが時たま脇に手を入れて胸の横を摘むのは意味があるのだろうか。すすすすっとバスタオルで胸を纏っている部分の隙間に手を入れてきた。
「そこのマッサージは旅館のサービスか何かですかね」
「お望みとあれば致しますが。ふむ、良い感触ですね……」
「横乳揉むのは別にいいので身体洗わせてくださいよ」
「洗って差し上げましょうか」
「変なところ触られそうなので自分でやります」
ハンドタオルに石鹸を擦り泡立て身体をゴシゴシ擦る。痛いくらいが丁度良いのだ。でないと垢が取れている気がしなく湯船に浸かれない。
「そんなに強くこすったら肌が傷ついてしまいますよ」
ムスッとした顔でヒョイッとタオルを取り上げられた。
「だって垢が取れないじゃないですか」
「垢なんて全部取らなくても問題ないですよ。問題なのは皮膚が削れて肌荒れや炎症を起こしてしまい綺麗な柔肌に触れられなくなってしまう。その時は責任とって貰いますからね」
「嫌に私の肌に執着しますね。御霊さんの方が綺麗じゃないですか、というか触らせるか触らせないかは私の許可次第ですし、そもそも責任ってなんですか……」
はぁ、とため息をついた御霊さんはもしゃもしゃと泡立て私の背中をこすり始める。
「不可侵領域を決めましょう」
「なんですかそれ」
「私がタオルで擦って良いラインです」
じゃあ行きますよと言っていきなり私の胸に手を持っていこうとしたので手を掴んで止めた。
「はて、もしやここは不可侵ですか」
「だめに決まってるじゃない」
「ではここはどうでしょう」
下乳を触られモニモニ揉まれる。
「そこも駄目です」
ぺちっと彼女の手を叩く。
「え?……何故です? 下の方ですよ。ポッチを触らなければ大丈夫だと思ったのですが」
「胸の周り全般は触ったらはたきますから」
「ケチくさいですね」
「ケチくさいって……そんなに揉みたいなら自分のを揉めばいいじゃないですか。立派なものが2つ付いてるくせに」
ゆさゆさとバスタオル越しでも揺れる2つの双丘は見事なものだ。絶対にDカップはある。張り合える場所がないのが悔しい。
「自分のを触って何が楽しいんですか。一人でする時以外触りませんよ」
「いきなりカミングアウトされても反応返し辛いんですけど」
真面目な顔でそこそこな下ネタをぶっこんでくるこの鬼こそ煩悩の塊である。
「ちゃっちゃと洗わないと開店の時間になってしまうので文句はナシです。それっ」
有無を言わさず素早く身体の隅々を洗われ抗えず結局全部触られてしまった。
「お粗末さまでした」
「はぁ…はぁ……何この変態女将」
「先に入っていてください。私も後から入りますから」
ツルツルとスッキリした顔で彼女は自分の身体を流し始めた。
ひーこら言いながら温泉の縁にたどり着く。縁はヒノキで作られており、座っても痛くないように角が丸くなっていてさわり心地はとても満足行く。足先を湯につけるとちょっぴり熱いが徐々に沈めていくと身体の芯まで熱が伝わりこれぞ温泉と言う感想が出る。
「うああぁぁぁぁぁ……生き返るぅぅ」
「童顔からおっさんみたいな声を出すのやめてもらえませんか。それに生き返られたら困ります」
私の横に腰掛け御霊さんも「はふぅ」と心地良さそうに目を瞑って堪能している。
「ふへっ、これでも私26歳なんですよぉ、まあ同僚以外からはしょっちゅう新卒に間違われますけど」
「下界のことはよくわからないのですが、そこら辺の若い衆より可愛らしい顔をしていると私は思いますよ」
御霊さんは顔には出ないがよく私の容姿を褒めちぎってくるのだ。けれどそれは私に対してだけなのかはたまた誰に対してもこんな接し方なのか。後者ならかなりの人垂らし、いやここでは鬼垂らしである。さっきも身体を触ったり揉んだりとしてきたのでもしやとは思うが。
「思ったんですけど、うーん……」
「なんですか? 鬼のタブーはそんなに無いので何言っても怒りませんよ」
「なにその鬼のタブーって、犯したらどうなるの」
「それは鬼のみぞ知る、です。まあ悪口言われたら言い返す位には怒りますよ」
タブーがなんやらどうでも良いし口喧嘩になればイメージ的には彼女の方が私をコテンパンに叩きのめすだろう。
「不毛だしそんなこと言いませんよ。そんなことより言わせてもらいます、ずばり、御霊さんは同性が好きなんですか?」
「違う……と思います」
「ありゃ? 思っていた解答とは違った」
否定されると少し残念だ。いやいや残念って私別にノーマルだし、御霊さんの身体見ても全然……ぜ、全然欲情なんて出来ないはず。
顎に指を当て思案している姿は様になる。なんかもう本当に顔が良いな。
「うぅむ、私は同性が好きというより貴方に興味が湧いたと言ったほうが正しいですね。脱衣所で咲さんを見た時何だか心に窮屈さを感じたのです」
両手を胸の前にきゅっと手を丸める。とても愛おしそうな目をしているがこれは私に対しての想いなんだよなと考えると熱い湯より身体が煮え滾りそうなくらいだ。
「それは熱烈な告白と捉えてよろしいのかな御霊さんや」
「別に告白では……もしかしなくても告白になってますか、これ」
「そうなるんじゃないんですか。鬼の求愛の仕方は知らないですけど」
「ふむ……しかし私と貴方とでは生きる時間が違いすぎるので不幸な恋愛に終わることは間違いないでしょうね。。人間の寿命は平均で80から90だと聞いていますが、鬼の寿命は3000年近くでありますからね」
「はー、すごい長生きじゃないですか。ちなみに御霊さんはおいくつなんですか」
「600歳です。人の年齢に換算すればだいたい20代前半くらいですかね」
「じゃあ私より年下じゃん」
「経験の差がでかいですよ」
「大人の魅力は確かに御霊ちゃんの方が強いですけど、恋愛の面だったら負ける気はしないね」
「急にちゃん付けは気に入りませんね。おっぱい揉みますよ」
わなわなと手を蠢かせ迫ってくる手をぺちぺちと叩きながらぷかーっと浮かぶ胸を見て自分と彼女の胸囲の差に真顔になるが天から与えられたものは仕方がない。
「恋愛面の差って言ってましたけど……交際したことがあるんですか」
先程の発言に引っ掛かりを覚えたのか血気迫る様子で抱きついて顔を見てくる。当たってるのは無意識なんだろうけど告白した手前こちらの心境を考えずに大胆な事をするのはやめて欲しい。ドキドキしちゃうじゃん。
「……ひゃ、百戦錬磨に決まってるじゃん! 来る男をちぎっては投げちぎっては投げ、最終的にトゥルーエンドを掴み取っていたわ!………恋愛シュミレーションだけどさ」
「じゃあ処女なんですか」
「……み、御霊さんはどうなんですか!」
「私はまだ誰にも捧げていないですよ」
「おやおや、なら私達は同レベルではないですか」
「同レベルでも貴方が先にステップアップすることになるので良いですよ」
片腕に抱きついていた手を解き私の膝の上に馬乗りになる。
「ん?」
そして片手を股の間に差し込まれた。
「えいっ」
「やっ、ちょっと御霊さん!?」
遠慮なくぐいぐいと刺激を与えてくるので目が白黒して抵抗しようにも頭がバグったかのように適当な動きをする。
「えい、えい」
「待って、くすぐったいって、んぅ!」
「ほれほれー」
「やば、ちょっ、これ以上はぁ!」
ひっきりなしに責められ落ちそうになった瞬間扉がバシーンと開かれ浴衣を着た小さな小学生くらいの子供が叫んだ。
「これぇ!!! 何をやっているみたまぁ!!!」
情事が済む前に手が止められぐったりと温泉の縁に首を預ける。
「チッ、どうしました千歳さん」
「はぁはぁ……助かった」
一瞬御霊さんから黒いオーラが見えたのは気の所為。
「どうしましたもこうしましたももう開店の時間だろう! 客が押し寄せてきとるわ! あと舌打ちは聞こえないように打て!」
「なんと、これは失敬、この方の初体験を貰ってからすぐに行きます」
「そんなの業務が終わってからにしろ!」
「えぇ!? 止めてくださいよぉ!」
「知るか! というか誰だお前は! 新しい従業員か?」
従業員と勘違いされるのは流石にと思ったが人間とバレたら地獄巡りの旅に連れて行かれる可能性も否めないので誤魔化す策を考えていると目の前にいる女は余計なことを口走った。
「こちらは花芽 咲さんです。私の許嫁でございます」
「何ぃ!? 御霊は許嫁がおったのか!? 聞いとらんぞ! しかもおなごと来た。これはスクープであるな」
「いつから私は許嫁になったんですか!」
「号外だぁー号外だァー! 御霊に許嫁が現れたぞぉー!」
千歳と呼ばれたロリっ子はおもちゃを貰ったかのようにはしゃいで何処かへ誤解の種を撒きに行った。
「ちょっと待って下さああい!!」
声を上げるがもうこの場にはおらず項垂れると肩をぽんぽんと御霊さんに叩かれた。
「忙しない鬼ですね。あんなのほっといて続きを」
「誤解を招く発言しないでくださいよ!」
「誤解? 妻となるのですから誤解も何も、あ、いやグーは、やめてください。後生です。あぶぅっ……中々なストレートビンタですね。もっと惚れ込みました。ぜひ私の伴侶となっていただきたい」
ついイラっとして叩いたが静かになるどころか余計に興奮させてしまい頭を抱えたくなる。すると雷を落としたような声が遠くから響いてきた。ビリビリと肌を震わせる声はまさにこの世の地獄を体現してるかの様だ。
「風呂はまだかああぁぁぁ!!!!!」
「み、耳が……」
「うるさい閻魔ですね。この温泉は旅館の端に位置しているはずなんですがどうしてここまで響くのか」
どうやら叫んでいるのは現世で良く物語に出てくる地獄の裁判官こと閻魔大王らしい。
やれやれと私の上から退いた彼女は渋々湯船から出ていき業務に戻るそうだ。やっと寛げる、変態女将の所為で何かを奪われかけ一ミリ程度しか味わえなかった湯で癒そうとした時御霊さんはキョトンとした顔で言った。
「貴方も上がるんですよ」
「え、なんで」
「閻魔に会いに行くんです。罪状が重ければ地獄巡りですね」
「勘弁してよ……」
嘘を吐けば確実にすぐバレて舌を引っこ抜かれるのだろうか。再生するなら問題ないが下が無かったら喋ることが出来ないんじゃないのか。無益な事を考え現実逃避を試み空を仰いだ。
「安心してください。地獄は慣れれば快適です」
「もっと伴侶らしく私を命に変えても守るとか言いなさいよ」
「罪状によりますかね」
先程必死に求愛してきたことを忘れたのだろうかこの鬼は。
「薄情者め」
温泉入りたいなぁ。