約束は小指一つで事足りるという話。
季節外れ、というほどでもないのだが入学式より十日ほど経ってから同級生が増えた。
「二階堂、大地。です」
率直に言えば教室よりも病室にいるべき怪我人だった。
左腕は骨折したのかギプス固定し三角巾で吊るし、右手は辛うじて三本の指が包帯から飛び出ている。カッターシャツの襟から覗くのは血が滲んだ包帯で、左足は膝から足首にかけて割とハイテクな固定器具が装着中。では右足は無事かというと制服のスラックスが不自然に膨らんでいるあたり、どう考えても尋常な状態ではない。
顔は左半分がガーゼと眼帯によって覆われており、右目も眉毛が無く腫れ上がっていた。頭髪は限りなくスキンヘッドに近い短さで、やはりガーゼと保護用のネットが装着されている。
血の匂いはしない。
腐臭もない。
あまりにも現実離れした姿に手の込んだ仮装と勘違いしそうだが、
「……来週にはきちんと登校できる予定です。よろしく、お願いし」
「はい撤収!」
ぎこちない笑顔で怪我人が頭を下げようとした直後、教室の扉が勢いよく開き、白衣姿の女性と救急隊員らしい男たちが手早く怪我人を柔道の投げ技で担架の上へと叩き落して固定し搬出してしまった。
「──あれ、一週間で治るの?」
同級生の誰かが、そんなことを呟いて、他の生徒達が一斉に首を傾げた。
朝のHRということでその場を仕切っていたはずの担任教師は怪我人が搬出された後をしばし見つめていたが、何事もなかったように教室に振り返る。
「来週には出席できるという本人の意思を尊重する。その上で席替えを帰りのHRで行うから、そのつもりでいてほしい」
現実逃避なのか、担任はいつも通りであった。
ちなみに一週間後。
本人の予告通り、二階堂大地は松葉杖をつきつつ登校してきた。自己紹介の時よりも明らかに回復した状態で、一年四組の教室はスクールカースト以前の緊張感あふれる学生生活を再開することになった。
▽▽▽
怪我の深刻さとそれを凌駕する回復の早さを除けば、二階堂大地という少年は真面目という言葉が相応しい男子生徒である。
右手の怪我が完治していないため文字はひどく歪んでいるけど宿題の提出は欠かさないし、授業中も一生懸命にノートをとっている。登校初日の惨状を知らない他学級にいる不良気取りなどは仮病の類と疑って絡むこともあったが、前歯が全て折れ奥歯も左側が砕けている二階堂大地の口中を目撃してしまったため以後はとても静かなものだ。
さすがに体育の授業は完治するまでは見学に徹して欲しいとクラスメイト一同が必死に説得する事態となったが、それを踏まえた上でも二階堂大地という少年は陰キャでも陽キャでもない不可思議な立ち位置をキープすることに成功していた。
「ニカイドーって理系志望なんだっけ?」
「現代文と古文が壊滅的で、それを理由に最初の進路志望で理系と記入した。後日それで保護者にこっぴどく叱られてしまい、場合によっては次の進路調査では文転するかもしれない」
「わはははははは」
二階堂大地はとにかく国語を苦手としている。
枕草子の作者名を清少ダゴンと回答欄に記入するくらいには。
作者の気持ちを書けという定番の記述問題では「編集は一度〇ね」「原稿料あげてほしい」「締め切りなんて大嫌いだ」「ライバルの文豪を蹴落としたい」「この小説実は盗作だけどバレなきゃセーフ」「金のために推理小説書いてるけど俺様が本当にやりたいのは重厚な空想科学小説なんですけどー」といった珍回答を連発するため、中間試験どころか小テストの度に職員室まで連行されている。
当人は至って大真面目である。
比較的新しい時代の作家などは回顧録の中で執筆中の愚痴や恨み言などを赤裸々に綴っていることも珍しくなく、そういう点では二階堂大地の回答は間違ってはいない。間違ってはいないのだが、出題者が望んでいる回答でもない。そして近代の文豪というのは様々な意味で人間失格エピソードが満載であるからして、今の内に二階堂大地の国語能力を矯正しないと大変なことになるのだ。
「学習塾のセンセーが言うには、ああいう【作者の気持ち】ってのは要するに【出題者が誘導したい意見】だから」
「最初からそう書けばいいのに」
「ですよねー」
と、まあ。
このような感じで二階堂大地の扱い方もとい適切な距離の取り方を同級生たちが(そして同じ学年の生徒や教職員たちも)理解した頃、不意打ち気味に爆弾が投下された。
「二階堂大地という男子生徒に会いに来た」
凛とした声が教室内に響き渡ったのは、期末試験を終えて緩い空気になった放課後だった。
ポニーテールにしてなお腰まで届く艶やかな黒髪に、イマドキにしては丈の長いスカート。剣道部なのか竹刀袋を手に教室に現れたのは、二年生の襟章をつけた女生徒だ。少子化が叫ばれて幾久しいが他学年の顔ぶれまで把握している者は滅多におらず、記号的に上級生と判断するものが殆どである。一年四組の生徒達も突然の上級生訪問、それも外国人が見たらオー・サムライガール!と驚喜しそうな出で立ちの美少女なのだ。ムードメーカーを自認する連中すら唖然としているのを一瞥し黙認されたと勝手に判断した上級生の少女は、然程迷わずに二階堂大地の席まで移動する。当の本人は返却された答案用紙を穴が空くほど凝視していたが、自らの名を口にする見知らぬ少女の出現に顔を上げた。
視線が交差すること十数秒。
最初は無表情だった二階堂大地であるが、少女の面立ちや立ち居振る舞いに何かを感じ取ったのか答案用紙を手放す。その空いた手を包み込むように少女は両手でそっと握る。膝を落とし床について、椅子に座ったままの二階堂大地よりも視線は低くなり、入室してきた時と同じ表情のまま告げる。
「来年の五月に十八となります。入籍してください」
「俺と?」
「七年、待ちました。一緒なら、もう少し待てます」
「はい」
有無を言わせぬ上級生の態度に二階堂大地のみならず周囲のクラスメイトも固まったまま。そんな空気も無視して上級生の少女は二階堂大地の右手小指に己の小指を絡ませる。
「指きりげんまん、嘘ついたら」
「ら?」
「待つのをやめて事実婚します」
ゆっくりと、名残惜しそうに小指を解き、上級生は立ち上がると教室内の生徒達に頭を下げて退室する。その所作は優雅かつ華麗であり、数秒前までの出来事がゆめ幻の類ではと勘違いするほどだ。
そんな一年四組の生徒一同が我に返った時、ちゃっかりと二階堂大地の姿も消えていたことで彼らは発狂じみた叫び声をあげてしまい、生徒指導の教諭たちに怒鳴られることになる。
そんな騒ぎから一か月と少々。
すっかり傷も癒えて髪も眉毛も生え戻った二階堂大地は、夏休み前の騒動など無かったかのように自然体で登校していた。
「いや。現国と古典と漢文の補習があったので、夏休み中も頻繁に学校に来ていたんだ」
休み明けの小テストでもやはり結果が芳しくなく国語科の教師に呼び出された二階堂大地は、あいかわらずトンチキな回答を記入した答案用紙を手に同級生たちの質問に答えた。夏休み明け最初の週末授業であり、昼前には授業終了である。委員会や部活動に所属するものは忙しいが、色々あって無所属帰宅部の二階堂大地は追試と補習以外は暇そうに見える。
「それじゃあ、さ。ニカイドー、今度ヒマな時にみんなで──」
カラオケとかどう、とムードメーカーの男子生徒が続けようとした時である。
教室の扉が勢いよく開き、小さな女の子が飛び込んできた。
「おとうさーん!」
と、二階堂大地の胸に抱き着いて、嬉しそうに頬ずりする。
五歳くらいの女の子である。
同級生たちはまたもや硬直し、女の子を抱き上げた二階堂大地は彼らに無言で一礼すると教室を出て行った。
後年の話。
学年が進み十八歳となった日から一週間ほど二階堂大地は学校を休んだ。
期末試験の真っ最中だったが級友たちはとくに何も言わず、国語科の教師たちは補習スケジュールを組み立てた。




