21世紀の夕食2 許す 学校なるもの
「21世紀の夕食2」 7.2.18
神に祈りを捧げた後
慎ましくも楽しい夕食が始まる
その時
天井で
ミサイルが炸裂し
娘は肉片と化し
妻も息絶えた
僕の左手と左足も消滅し
意識は少しずつ薄れている
穴のあいた天井から夕暮れの空が見える
小さく輝く星は一番星だろうか・・・・・・
いったいこれは何なのだろうか?
この世界に残る最後の思考・・・・・・
そうか
これがいわゆる
彼らの「自由と民主主義そして正義」なのだ
この世界における最後の問いかけに
僕は答えた
「許す」 7.2.19
モーツァルトやムイシュキン公爵のように
イエス・キリストや仏陀のように
人はどこまで許すことができるのか
憎しみはたやすく
憎み続けることはつらく
憎しみとともに生き続けることは
体の中に黒い石を持つということ
すべてを許すことは
救いなのか
悲劇は繰り返されるが
人々は許し続けている
それは人が神になるための道なのか?
僕らは
最終的に
許すことが
できるだろうか?
「学校なるもの」 7.3.4
学校では人が殺される
生徒がプールに落ちて死ぬ
真夏に走らされて熱中症で死ぬ
部活動でリンチにあい意識はもどらない
先生は学校が恐くて足がすくむ
子どもたちは頑張りすぎて息切れする
校長先生は教育委員会の動向に反応し
教頭先生は学校を隅々まで見て回る
親たちはにこやかに腹の探りあいをし
子どもたちは笑いながら消耗していく
そこは戦場だ!
酸素欠乏症の子どもたち
彼らに注がれた視線の冷たさに呆然とする
そこは軍隊のような規律で
一人ひとりの個性を伸ばす
明るく、さわやかに、元気よく、素直に云々
どす黒い血だまりは毎日そうじされて消えてしまう
本当は誰がまともで
誰がまともでないかなんて
たいした問題じゃあない
学校はもうすっかり
見捨てられてしまっている
もちろん学校に通っている子どもたちも
学校を見限っている
見限ったうえで
楽しそうに通っているだけ
楽しそうに・・・・・・