第3章 ゼロから始める共同生活-3
日常シーンはまだ続く!!!
* * *
早く帰りたい、早く帰りたいと星に願い神に祈るほど時間の流れは遅く感じるもので、俺がこれだけ全力を尽くしたというのに時刻はまだ昼休み時。
お星様や神様は天邪鬼なのだ。この理論を『星神天邪鬼論』と名付けてレポートにまとめて提出しよう。大分疲れている。
俺が新学期早々こんなにも疲れている原因は、情報処理科二年生のカリキュラムにある。
まず、コミュニケーション英語。
単に英語でいいだろと思うが、『コミュニケーション英語』まで含めて単元名なのだ。
その名に恥じぬよう、やたらとコミュニケーションを求めてくる教科で、やたら隣の生徒との英会話を求められる。
俺はコミュニケーションが得意じゃないし、隣の生徒はあからさまに俺に対して苦手意識を抱いていそうな女子だし、最早英会話以前の問題だ。
例えば、授業が始まった直後、生徒全員が起立し、英語教師がとあるお題を半分の生徒に提示して、彼ら彼女らがお題の名前には直接触れずに英語を用いて相方に説明、お題を当ててもらえたら両者着席、などというお遊びが行われる。
ただ机に向かい、ひたすら鉛筆でノートに英文を書き殴るより、実際に自分で英文を組んで発音し、他人と交わし合った方が勉強になるということなのだろう。
確かにそれは理に適っているのかもしれないが、俺のような人間にとっては苦痛だ。苦痛でしかない。
俺がいくら愛想笑いを浮かべて対話を試みようとしても、相手の女子は応じるどころか全く俺と目を合わせようとしないし、半分ほどの生徒がお遊びに正解して着席したあたりで、「もういいでしょ」と小声で呟いて座ってしまう。
これが意外と傷付くのだ。俺のハートはガラスのハート。こう見えて結構デリケートなの。
この英語の授業中が最たる地獄の時間であるわけだが、これと比べれば微々たるものとはいえ、ストレスの原因となる教科はいくらでも思い浮かぶ。
国語総合。
作者の気持ちを考えて書き出せ。
俺は重要事項を箇条書きにまとめ上げ、それから一切着飾ることのない、最も合理的且つ人間的な作者の気持ちとやらを導き出す。
結果、笑われる。
なんで。
社会科、世界史。
俺は、歴史ものは結構好きだ。
大半はゲームから得た知識だが、そこから興味を抱いてググって取り込んだ知識は本物と成り得る。
だから、どうせわからないだろうという前提で、その答えから勉強になる話を広げていこうという目的で生徒に投げかける世界史教師の歴史に関する質問も、自然と最適に答えられてしまう。
結果、気持ち悪がられる。
なんで。
情報処理科専門科目、プログラミング。
これまでの学生生活で見たことのなかった教科だが、情報処理というその名に相応しく、ここではC言語を学んでいくらしい。
とはいえ、初めはサルでもわかる簡単なプログラムから。
ちなみに『サルでもわかる』というのは教科書の題に付け加えてあるキャッチコピーなのだけれど、絶対サルにはわからないと思う。
事実、底辺からギリギリ進学してきたサルみたいな山田は全く理解できていないらしいし。
しかし彼と頭の構造が異なる俺は、さっさと必要な変数の型や汎用性の高い簡単な関数を覚えてしまい、教科書に記載された課題を次々と完成させていく。
結果。
みんなパソコンに触れることをいいことに好き勝手遊んでいるから全く相手にされない。
なんでなの。
最後はたまにくらい褒められたい俺の愚痴に等しかったが、まあこんな感じだ。
情報処理科なのだから、普通科において主要な五教科にあたる科目だけでも排除してくれれば、俺のストレスも軽減するというのに。
特に英語。
ここで気付いたけど、パソコンが好きだからという単純明快すぎる理由で情報処理科に進学してきた俺、よく考えなくても文系なのでは?
どうしてこんなところにいるんだろう。主要五科目なくなったらほぼ目立てないじゃん。目立たなくてよかったわ。
考えれば考えるほど憂鬱な気分が増してくる気がするので、ひとまず昼食を取ってリフレッシュしよう。
そう決めて、鞄から弁当箱を取り出すと。
「ハルくん、お昼、一緒に食べない?」
重い気分も和らいでいきそうな優しい声の主は、やはり京花だ。
「お前、いつものあの、……あいつはどうした?」
朝のあいつである。名前はまだ知らない。
「えっと、麗奈ちゃんのこと? 麗奈ちゃんなら今日は用事があるって言ってどこか行っちゃった。他の子と一緒に」
「そんで優先順位次点の俺のところに来たと」
「優先順位って何さ……。もしかして、迷惑だった?」
本人に自覚はなかったらしく、ただ申し訳なさそうにする京花を見ていられなくなって、俺はとっさに許諾する。
「別に。座れよ」
隣の席の英語の授業中いつもそっけないちゃん(命名:俺)が不在らしく彼女の椅子が空いていたので、俺は勝手ながらその椅子を指差して言う。
すると、京花はぱあっと顔を明るくして、その椅子をこちらの机に寄せてきた。
机ごと借りればいいのに。俺の机が狭くなるだろ。なんとか弁当置けるスペースはあるからいいけど。
俺の机で弁当の包みを広げる彼女を見ながらそんなことを思うが、それより俺は腹が減っているのだ。
彼女にならって、俺も白米用とおかず用に分けられた二つの弁当箱を机に置く。
それから手を合わせ、
「「いただきます」」
優等生二人は食べ物に対する礼儀だって忘れない。
しっかりとそう口にしてから、それぞれの弁当箱をつつき始める。
まさか、リリアに次いで二日連続で誰かと食事を共にするなんて思いもよらなかった。
話題が思い浮かばないのもそのせいなのだ。俺はただ黙々と冷たい卵焼きを口の中へ放り込むのみ。
「その卵焼き、一つちょうだい?」
沈黙を突き破ったのは、京花の声だった。
彼女はこちらの弁当箱を物欲しげに見つめているが、残る卵焼きは2切れ。
元が4切れだったから、これはピノ以上、雪見だいふく以下の重要度を持つ選択だ。
「やらん。俺は腹が減っている」
「私の卵焼きと交換しよ? ダメ?」
「よかろう」
高速掌返しを決めて等価交換を成立させ、彼女の弁当箱に目をやると。
うわあ。
一瞬で語彙力を失った。
彼女が指し示す卵焼きの他に、鶏の唐揚げ、ほうれん草の胡麻和え、エビとブロッコリーの塩炒めに、パプリカのマリネか……?
彩りも綺麗で、自然と食欲がそそられる。
しかも、ご飯まで海苔で可愛らしく顔が描かれている。凝っているな。
それと比べて、冷凍食品に頼りっぱなしの俺の手抜き弁当と言ったら。
「ん、おいしい。でも、しょっぱい?」
俺が呆然としている間に俺特製の卵焼きを食していた京花は、そう感想を漏らす。
「母さんが昔から醤油メインのしょっぱい卵焼き作っててさ。俺も母さんから習ってこの味付けで作ってる」
「そういえばハルくん、自分で作ってるんだもんね」
「一人暮らしだからな、しょうがないさ」
毎日コンビニで買っていたら食費がかさむからな。
適当に言い訳して、今度は俺が京花の卵焼きを頂く。
「甘い卵焼きは久しぶりに食った気がするな」
「あ、甘いのは嫌い?」
「いや。断然アリだ」
「そ、そっか。よかった」
心配性らしい京花は、こんなことにもいちいち胸を撫で下ろす。
食べ慣れていない味というのも、なかなか新鮮で、これからの俺の料理の腕を上達させる糧となるだろう。
つまるところ、俺は京花の啄む美しい弁当の作り方をご教授願いたいわけだが。
「お前の弁当、すげえ凝ってるみたいだけど。母さんが作ってるのか?」
「ううん、お母さんが作ってくれることもあるけど、普段は自分で作ってるよ。自分でできることは自分でやりたいし、もっと上達したいから」
うわーマジかー。
いや、京花が料理上手なのは知っていたことだけれど。
こうも差を見せつけられると、なんだか対抗心が湧いてくる前に打ちのめされちゃうね。
「……お前、すごいな」
「そ、そうかな……?」
はにかむ彼女を見ているとこちらまで恥ずかしくなってきたので、無言で白米をかき込む。
そして、お互い黙り込んで初めて気付く、周囲のヒソヒソ話。
どうしてかって、理由は言われるまでもなくわかるのに、解決できないのが悔しい。
クラスのマドンナ橘さんと根暗ぼっち神代君という男女の組み合わせが仲睦まじく食事なんてしていれば、こうなることくらい誰だって予想できたはずだ。
ただ、京花の方から寄って来られると、俺の良心が断れない。
俺は悪くねえ。俺なんかに女の子の幼馴染みを寄越した神様が悪いんだ。
冷凍食品のエビフライを一尾丸ごと口の中へ放り込みながら京花の方を見ると、彼女も周囲の状況には勘付いているらしく、焦って唐揚げを口に突っ込んでは喉に詰まらせている。何してんの。
そんなこんなで二人して慌ただしく昼食を終えて。
席を立った京花は席を立ちあがり、そのまま自分の席へ戻るかと思いきや。
「……ねえ。今日、ハルくんの家に行ってもいい?」
京花が切り出した言葉に反応して、どこからかふおおっ、という奇声が聞こえた。しかも女子の声。誰だよ。
同時に、静まりかけていたヒソヒソがまた騒がしくなってきた気がする。
よくない傾向ですよ。これ。
「……そりゃまたどうして」
「き、昨日はハルくんがうちに来たでしょ? その反対ということで……」
平静を装って問うと、理屈の通っていない答えが返ってきた。
こうしている間にも周囲の男子からの視線が痛い痛い。
早く終わってくれないかな。
「まあ、別に構わ――」
早くこの場から逃れたい一心でOKしかけた、が……。
そういえば今、家にはリリアを住まわせているのだ。
リリアが来たのは昨日の今日だから、まだ誰にも話していない。話せるような友人自体いないけど。
もし京花をうちに招待したとしたら、男の一人暮らしの家から、見知らぬ中学生くらいの幼げな美少女が出てきてご対面、なんてことになってしまう。
これって結構まずくないですか。唯一の友人喪失案件になってしまう。
俺は内心焦燥感に駆られながらも、表面上は得意のポーカーフェイス。
「――なくもないな。悪いが今日は勘弁してくれ」
「ええっ、そんな……」
しゅんとして目を伏せる京花に罪悪感を覚えながらも、俺はじっと我慢の子。
あれ、今度は別の意味で周りからの視線が強くなった気がする。見世物じゃないんだ、散ってくれ。
そんな周囲の状況もあってか、今にも泣き出しそうな京花にかける言葉に迷っていると――、
「神代。あんた一人暮らしでしょ。何がダメなの?」
出、出た~~~~!
2-Fの女王、麗奈さん! 苗字はまだ知らない。
「いや、なんでお前が首突っ込んでくるんだよ……用事とやらは済んだのか」
「あ?」
「なんでもないです」
本当に怖い。この人の前世、金剛力士像か何かなの?
像が前世って何だよ。
「言ったでしょ。京花を悲しませたらあたしが許さないって」
「その点に関しましては大変申し訳ございませんが、私めにも私情がございまして」
「何それ。キモ」
うっ。
威嚇と精神攻撃のダブルパンチ、百獣の王は伊達じゃない……!
「どうせあんたの事情なんてロクなことじゃないんだから、京花が行くくらいいいでしょ。見られたくないものでもあるわけ?」
こいつ、見かけによらず鋭いぞ……!
だが、俺も人間としての尊厳が懸かっているのだ。かつてない強敵の猛攻を前にしたって、引き下がるわけにはいかない。
「あのな、俺にだって事情はあるんだ、察してくれ。お前だって、呼んでもいない上友達とも言えないクラスメイトがいきなりずかずか部屋に踏み込んで来たら嫌だろ?」
ソースは俺の体験談。
親は子供の友達だと信じ切っていて加勢してくれないのをいいことに、無垢な小学生はやりたい放題に部屋を荒らして帰っていく。木村くん一生許さない。
だが、暗い思い出に浸る俺の前で、猛攻一辺倒と思われた獅子は、防御面では予想外の鉄壁を展開した。
「別に? あたしクラスメイトはみんな友達だと思ってるし、何かあってもとりあえず遊び優先だし? あんたは違うけど。キモ」
うっそだろ。
その友達って、『部下』とか『手下』みたいなルビ振られてない? 大丈夫?
あとごく自然に語尾にキモい言うのやめろ。泣いちゃうぞ。
「麗奈ちゃん、私は大丈夫だからその辺で……」
「京花は黙ってて。あんたはいちいち押しが弱いから見てらんないんだってば」
割り込むように前へ出た京花を手で制し、麗奈さんはきっと俺を睨め付けた。
「いい? 明日、あたしは京花から本当のことを訊く。もし、その内容が、京花を悲しませるようなことだったら――」
長い瞬きをして、一拍、おいてから。
「――その時は、覚えてなさいよ」
反論を許さない、あまりに重量感のありすぎる一言に、椅子に腰かけているはずなのに一歩後ずさりそうになる。
俺はこの時、社会的に死すか、猛獣に食い殺されるかという最悪の選択を迫られていたのだった。
* * *
テンポ悪いと感じたらごめんなさい
直すつもりはないです