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第2章 薄幸のふたり-1

第2章です。予定では3~5万字くらい書くと思うんですが、時間空けてまとめて投げても読んでもらいにくいかなって思った(フォロワーの天才なろう小説家さんがそう言ってた)ので小分けにしてあまり時間を空けずに投稿していく方針に決めました。

ということで、第2章その1って感じです。

7/28 眠かったのか投稿してから意味不な文章が見つかる法則ッフゥ(修正の音)

 少女と目を合わせ続けて、もうどれくらい経っただろうか。

 本当のことを言えばものの数十秒といったところだろうが、そう考えを導き出しておきながら確信が持てないくらい、彼女の青い瞳には時を止めてしまっているかのような強い力があった。

 なぜなら、彼女の見てくれが異質すぎるからだろう。

 振り向いてくれたおかげでその全身像がより露わとなったが、その身には本当にワンピース一枚を除いて衣装を身に纏っているようには見えなかった。

 服だけならまだしも、靴すら履いていない。

 外国人であると仮定しても露出した肌は白すぎるし、四肢は病人のように細い。

 しかし、夕日を反射させて輝く銀髪と、その中から覗かせる顔立ちはまるで絵画を見ているかのように美しく、それだけで神秘的にすら思える、未知の異質さ。

 そんな彼女は、瞬き一つすらせず、ただ長髪をそよ風に靡かせながら、俺の視線を真っ直ぐ返してくるばかり。

 このままでは埒が明かない。

 対人コミュニケーションが下手なくせに話しかけてしまったことを後悔し……かけたところで、彼女が俺の言葉に対して微動だにしない理由が思い浮かんだ。

「君、日本語は話せるか?」

 先ほどは冷静さを欠いてわけのわからないことを口走ってしまったが、今度こそは落ち着きを取り戻して、ゆっくり明瞭に、窓から外へ向かって話しかける。

 ……ものの、反応はナシ。

 日本人離れした綺麗な顔立ちをしているのだ。つまり、そういうことなのだろう。

 ならば、俺も一肌脱ぐしかない。

「Who are you? What are you doing?」

 脱ぐほどでもなかった。

 そもそも英語の授業なんて、まともに受けていたのは中学二年生の半ば頃くらいまでだ。それ以降は毎日のように、教科書の絵を消しゴムで薄めては落書きを重ねていた思い出しかない。

 クラスに一人か二人、あるいは三人くらいはいるよな。教科書のイラストの前に魔法陣描き始める奴。しかも妙に上手いから腹立つ。多分その中の一人は俺。

 チクショウ、義務教育の大切さを痛感したよ。

 当時、褒められたのなんてちょっとした発音くらいだ。

「……」

「…………」

 俺のなけなしの努力も苦悩も水の泡へ、彼女からの返答は相変わらず無のまま。

 外国人相手に中学レベルの英文をドヤ顔で披露するという新たな黒歴史を生み出してしまったが、『流暢な英文で返されて聞き取れず慌てふためく』という事象には至らなかったのでまだマシだと信じよう。

 対話はもう諦めたが、だからどうしていいのかに戸惑う。

 急に庭に変な女の子が降ってきて、つい話しかけてしまった。

 ここで何事もなかったことにして窓を閉めても神様は許してくださるだろうか。

 あ、ダメな気がする。だってあの子、天使っぽくない? 部下のことは庇うでしょ。天界までブラック企業だったらこんな世なんてやっていられない。

 また意味のわからない思考に走り始めた自分に呆れ、右手でこめかみを抑えながら嘆息する。

 と。

 数分間、人形のようにじっとしていた少女が、右足を曲げて前に出したかと思うと、その足裏で地を捕らえた。

 落下した際に小石で軽く切りでもしたのか、くるぶし辺りから薄く血を滴らせた右足に力を込め、次に左足で支えながら上半身を持ち上げる。

 立ち上がったその背丈は、想像以上に小さい。目測だが、恐らく150センチもないだろう。

 まるでファンタジーに登場する妖精であるかのような、そんな姿が彼女を幻想的に彩りかけて――初めて瞬きの瞬間を見せた彼女は、唐突に、しかしゆっくりとした動作で、腰を45度ほど折って、こう告げた。


「やしなってください」


 姿に似合って天使の囁きのように透き通った綺麗な第一声が、最長記録更新中だった沈黙を突き破る。ところで天使と妖精ってどっちも小柄で飛んでるイメージあるよね。

 言い終えた彼女は、夕日を背に長髪を揺らしながら上半身を起こすと、やはり表情は一切変えずにじっとこちらの瞳を見つめてきた。

 そう、これは夢でなければ、聞き間違いでもない。

 幻想的であっても、あくまでリアルの世界。

 俺は確かに、空から降ってきた超絶可愛い初対面の女の子に、ヒモにさせろと請われたのだった。


 ……っていうか、日本語、話せたのかよ。


 *     *     *


「ま、こんなもんだろ。あとはほっときゃ治る。道具一式はその棚の下に置いておくから、不快になったら勝手に交換でもしてくれ」

 救急箱に消毒剤、ガーゼ、包帯等を戻しながら、向かいに座る少女に対して言う。

 白を基調として中心に大きく赤い十字が描かれた簡素なデザインの救急箱は、いつかの母親が勝手に置いていったものだが、役に立ったのは今回が初めてだった。備えあれば患いなし、というのはこういうことを言うのだろう。

「……ん」

 声が小さくて聞き取れないが、恐らくは肯定の意を示した彼女の頬には、小さめに切られた湿布が貼られている。

 先ほどは逆光が照り、距離も少し離れていたために気付かなかったが、彼女の左頬は赤く腫れていた。可愛い女の子の顔の怪我は見ていて気持ちいいものでもないため早々に処置を施したが……驚くべきことに、彼女の怪我はこの程度に収まらなかった。

 最初に発見した右くるぶしの切傷に続き、左膝には擦過傷、左脚の脛と右腕に打撲傷。

 運動に不向きな華奢すぎる体つきをしているのに加え、実際に受け身も全く取れていなかったので、ここまでなら俺の前で落下してきた際にできた傷と言われても百歩譲って納得できるのだが。

 その模範的解答に異論を唱えられる決定的な証拠が、あちこちにできた火傷痕だ。

 腫れが引いていないのでまだ傷を負ってから時間はそう経っていないと考えられる。程度も軽く、痕が残りそうでないのも幸いなところだとはいえ。

 ここまでの傷を、あの一瞬で負えるとは思えない。ましてや、火傷なんて超高速で摩擦を起こさなきゃ無理だ。そんなことをしようものならその前に擦過傷になるはずである。想像しただけで痛い。

 それに、あまりにこの少女が非現実的な見た目をしているからつい考えることを放棄してしまっていたけれども、そもそも空から女の子が降ってくること自体おかしいのだ。この周辺の上空に天空の城があるという話は聞いたことがない。

 だから、直球に質問する。

「お前、どこから来た」

「……」

 彼女は、答えない。

「何があってそんな姿になって、どこからどうしてこんなところに落ちてきた。俺はこう見えても優しい男なんでな、丁寧にお前を被害者として警察まで連れて行ってやるぜ。あ、やっぱ無理、その姿だと俺が加害者に思われかねない」

「……」

 とぼけてみせても、反応は変わらない。なのに、目だけはずっと合わせてくる。

 彼女と話していると気が狂ってしまうのではなかろうか。タルパにでも話しかけているような気分になってくる。作ったことないけど。

 なので、どうにか彼女が答えてくれそうな質問を考えて……少しおいてから、口にする。

「余計なことを話したくないってのはわかった。だが、せめて名前は教えろ。養えと言っておいて、主が同居人の名前を知らないのは問題だろ」

 至極まっとうなことを言ったつもりだが、その内容はこの上なくくだらなかった。俺は悪くないよな。むしろ俺が養われたいくらいだってのに。

 すると、彼女は青い目を伏せ、控えめに呟く。

「……リリア」

 口にされた名前とは、恐らく片仮名。

 やはり、日本人ではなさそうか。いや、予想はしていたのだけれども。

 最近流行りのキラキラネームだとか、あるいは外国人とのハーフであるという線も捨て難いが、その可能性は低いと見た。

 そもそも普通の日本人は、幼い子供でもない限り、初対面の他人に名前を訊かれて下の名前で答えることなどそうそうないのだから。

 であるならば、だ。

「そうか。リリア、さっき見てわかったと思うが、俺は英語ができない。お前の第一言語が何なのかもお前の日本語力の程度も知らんが、俺は日本語で話させてもらうぜ。いいな」

 そう忠告すると、今度は声も発さずに、こくり、と頷いた。物分かりが早い子で助かる。

 意味を理解せずに適当に頷いているわけでもなさそうだしな。

「今は何も言わずにここにいさせてやるが、いずれは事情を話せ。俺は全く理解が追いついていない。ちょうど一人暮らしも暇だったから付き合ってやるけど、感謝しろよ」

 また、こくり。

 少しキツめの口調で話を進めたが、本当に状況への理解が追いついていないし、理解しようもない。

 なぜなら、これは現実だ。ファンタジーじゃない。アニメじゃない。本当のことなのだ。

 突如空から女の子が降ってきたなんて場面に遭遇して、しかもそれが軽傷で済むほどの高さから文字通り『出現した』という事実を、一般人にも納得のいくよう説明できる人などいるだろうか。もしいるのなら友達になりたい。

 何にせよ不可解なことが多すぎるが……今は様子を見よう。

 応急処置の際、脚に触れた時の反応でわかったが、恐らくは捻挫もしている。その上この身体だし、金も持ってはいなそうだから、この家を出ても遠くへは行けないだろう。

 こう考えるなら、彼女が何もないところから『出現した』という事実には目を瞑らなければならないが。

 何はともあれ。

 まずは彼女の服もどうにかしてやらなければならないだろう。

 元は純白だったワンピースも、血痕が染みついてしまっていた。洗えば落とせるかもしれないが、そもそも洗濯している間に着せる服がない。この家は男子高校生が一人で暮らしているのだから。

 ということで、一度考えに蹴りをつけて、まずは彼女に着せる服をどうするか考えよう――そう考えて席を立ち、踵を返した時。

「あなたの、名前は?」

 背筋に突き刺さるというよりは、突き抜けるとでも形容すべきかのような幼げで綺麗な声に――

 無難に、こう返しておくことにした。


神代(かみしろ)悠久(はるき)。高校生だ。よろしくな」


 *     *     *


 痛々しい姿の少女の服をどうするか――。

 もう日も暮れてしまったが、何も考えなしに悩み詰める俺じゃない。

 持ち歩きパソコン状態のスマホを取り出し、久しぶりに電話画面を起動すると、指を走らせる先は唯一アプリの電話帳に登録してある携帯番号。

 数回のコール音を経て聞こえた声は、

『もしもし、ハルくん? どうしたの、ハルくんからかけてくるなんて珍しいね』

「ついさっき別れたばかりなのに悪いな。用がある。今から家に行ってもいいか?」

『え!? あの、ちょっと待って、今何も準備してないし……!』

 京花にしてはテンションの高めな声で通話に応じてくれたと思ったら、今度は慌てふためき始めた。忙しい女だな。

 いや、協調性という名の圧力に影響されやすい女性は、いつだって忙しい生き物なのかもしれない。人類の歴史に鑑みるに、女性は本心を偽ってでも周囲に同調していかないとあっという間に爪弾きにされて生きにくくなるらしいからな。

 特に、京花のような性格の人気者はその傾向が顕著に現れているのだ。

 今、隣の部屋に放置している銀髪の少女は、その女性の内にカウントされるのかわからないが。

 そんなことはさておき。

 今の俺には、誰より協調性というステータスに長けた心優しい彼女の救いの手が必要なのだ。

 引き下がるわけにはいかないので、人によっては卑怯だとも感じられる手で攻めてみる。

「別に大した用じゃない。でも急いでるんだ。ダメか?」

 一歩引きさがって発するのは、彼女のデリケートな良心を針でつつくような言葉。

 もし俺だったら速攻で切り捨てるが、大天使京花さんはそうもいかない。

『だ、ダメっていうわけじゃないけど、えっと……!』

「頼れるのがお前しかいないんだ。無理だったらさっぱり諦めるからはっきりしてくれ」

『う……』

 あまりにもチョロい。

 幼馴染みのよしみとして、悪人に騙されないか心配になってくるね。

 マイクとスピーカー越しでも答えがほぼ確定している葛藤の様子が丸見えなチョロ花さんは数秒おいてから、

「わ……わかった! でも、ゆっくりでいいから! 具体的には30分くらい? かけてゆっくり来てね! じゃあ!』

「30分って。お前俺が何年間ご近所さんの幼馴染みやってると思っ……」

 言い切らないうちに、ツー、ツー……。

 既に通話が終了していることを表す電子音を聞きながらため息をつき、こちらも電話を切ってスマホをポケットに突っ込んだ。まだこっちの要件を話していないというのに。

 京花の声は、何やら焦っているようにも聞こえた。普段はいつも落ち着いているクラスの癒しキャラ的存在なので、ああいったレアな様子に立ち会えたのはラッキーだと思うべきなのだろうか。女とは本当にわからない生き物だ。

 と、言っても。

 京花から与えられた作戦実行までの猶予は30分。そして、彼女の家までは数分とかからずに着く。余裕を持って、25分を自由時間として捉えよう。

 さて、何をするかだが。

 まず、洗濯は後回しだ。理由は後ほど説明する。

 夕飯を作っておくのもよいが、どうせなら出来立てを食べたいのに加え、本日は久方ぶりの来客もいるから、これも却下。

 まあ、あれこれ考えなくとも、我々現代人にはスマートフォンという万能な文明の利器があるのだ。これを使えば暇潰しなどどうとでもなるし、暇潰しがメインになりすぎてむしろ暇な時間という定義が崩れてしまったりもするほどである。

 だから、考えることに時間を費やすまでもない。

 と、いつもの俺なら速攻で決めつけてしまっていることだろうが、今日ばかりは事情が違うのだ。

 なんとなく、リビングに置いてきた少女の様子が気になった。特に何もモノを与えていなかったが、何をしているのだろう。一応、テレビくらいなら置いてあるが、そういった映像情報に興味がありそうな子ではなかったし。

 タルパとか作っていたらどうしよう。もしそんなことがあったらお近づきにはなりたくない。

 多少の不安はあるが、様子を見に行くついでに、もう一度対話を試みてみようか。

 人間関係は焦って構築するものではない。相手から有益な情報を引き出すためには、まず相手のことをよく知り、信頼を得ることが重要なのだ。

 いきなり見ず知らずの男の家に抵抗なく上がった彼女に警戒心というものが存在しているのか疑えるが、過度な慢心は確実に身を滅ぼす。

 慎重に、彼女と関わる上で最適な距離感を探らねばならない。


 *     *     *


 俺が電話を終えてリビングに戻った時、リリアはちょこんとソファの上に体育座りで縮こまっていた。

 その透き通った瞳も虚空をじっと見つめていて、まるでお人形さんのようだ。ヨーロッパ系っぽい外見だから、フランス人形とか、そのへんの。

 でも、怖くなるから何もないはずの部屋の隅を見つめるのだけはやめてほしかった。こちとらずっと一人暮らしを続けてきた身だっていうのに。


 そんな一風変わったというどころか奇妙とすら言い表せてしまうお人形少女リリアちゃんは、俺がリビングに入ってきたことに気付くと、軽く視線をこちらに投げかけてから、再び元の場所を見つめるだけの簡単なお仕事に戻った。だから何見てるの君。

「あー、この後だけど、用があるから少し出かける。時間はかからないからすぐ戻る。留守番できるか?」

 不気味な雰囲気を打開すべく、まずはこの後の行動について確認を取ると、やはり彼女はこくり。

 意思疎通ができるだけいいけど、あの美声は稀にしか聞かせてくれないのかしら。気分が悪いのかね。そういえばトイレの場所も教えてなかった、反省。

「喋ることは嫌いなのか?」

 頑なに声を発しようとしないリリアに対して、直球に質問すると。

 なんと今度は、ふるふる。目を閉じて首を横に振り、初めて否定の意を示した。じゃあ喋ってくれないかな。

「じゃあ喋ってくれないかな」

「……わかった」

 何ということでしょう。

 思ったことをそのまま口にしたら、こちらの目を見つめ返しながらきちんと喋ってくれました。よくできましたね。言うことを聞ける子はいい子。昔の俺にも言い聞かせたい。

 ほっと一息ついて、近くまで歩み寄り、見下ろす形も絵面的にあれなので一人分ほどのスペースを空けて同じソファに腰かけた。

 横目で彼女を見やると、今度は正面やや斜め下に目を這わせている。こっちが会話を持ち掛けようとしていることも伝わらないのだろうか。

 こいつ、結構俺に似てるのかもな。人の心はなんとなく読めるのに、重要な周りの空気は読めないぼっちって感じが。

「なあ。出かける前に、少しだけ訊きたいことがある。いいか」

 考えるより先にそう話しかけると、首を少しこちら側に回してから、こくり。

 いやわかってねえじゃん。喋ってくれるんじゃなかったのか。お前はクソ上司に脅されて肯定せざるを得なくなった部下かよ。

 俺もバイト中でやられたことあるわ、『わからないことは訊け』って言っておきながらこちらがわからないって正直に答えると『なぜわからないのか』と理不尽に叱ってくる上司。

 みんな怒られたくないから、揃いも揃ってわかったふりを通すようになってかえってミス多発するんだよな、あれ。確実にあの一人の上司のせいで生産性落ちてると思う。

 そいつがウザくてとっくの昔にバックレたからどうでもいいけど。

「お前、実家はいいのか。複雑な家庭事情はあると思うが、誰かしら心配してると思うんだ。こんな家に来てよかったのか」

 なんだか一年生の夏休みのアルバイト経験を思い出して苛立ってきたので、気持ちを落ち着かせようと穏やかな声音で話しかける。

 内容としてはまあ、本心半分、冗談半分といったところだ。

 複雑な家庭事情があって、こんなボロボロな姿にされたとしても、俺の庭に落ちてきたことだけは絶対に関連付けて説明できない。必ず、深い闇がある。

 内心色々な可能性を考慮しながらポーカーフェイスを突き通す俺を上目遣いで見たリリアは、

「……大丈夫。ここが一番、安全だから」

 消え入るような声で、呟くように言った。

 この『大丈夫』は誤魔化しでしかないだろうが……安全、とはどういうことなのだろう。

 まだ中学生くらいに見える女の子が、思春期真っ盛りの男子高校生の家に上がってくるなど、飛んで火にいる夏の虫にも程がある。

 ジャニーズの話じゃないけど、もし俺じゃなかったら、などと考えるとぞっとするよ。

 と、そのくらい紳士な俺だが、正直なところ、今のはちょっとクラッときた。その可愛い顔で上目遣いは反則だと思うの。

「なるほどね。それじゃあだ。お前は安全なこの場所に、いつまでいるつもりだ?」

 なんだか恥ずかしくなって、誤魔化すようにそう返す。

 すると、彼女からの返事はなかった。

 隣に目をやると、変わらない様子で床を見つめているようだが、その視線は行き場を探して彷徨っているようにも見えた。


 ――動揺、しているのだろう。


 ボロボロな体でうちに来た少女……リリアは、一見平気そうな無表情を貫き通しているが――恐らくは心身共に相当参っている。

 その原因は、彼女の身体に付けられた傷と深く関係するはずだ。

 人間の精神は通常、極度の悲しいことや辛いことがあると、涙を流し、『泣く』ことで気持ちの整理をつけることができる。

 だが、彼女は既にその先に至っている危険性があるのだ。

 例えばこれは極端な例だが、虐待を受け続けた子供は、ダメージを受けた脳の防衛本能により、その聴覚野や視覚野が変形させられるらしい。

 それらが招く悪影響具体的に挙げるなら、会話を上手く聞き取れなくなって正常なコミュニケーションが困難になったり、他人の表情が読み取れなくなって対人関係が不得意になってしまったり、などなど。

 そして他の悪影響にも、感情を司る前頭葉が縮小する、なんてのもある。

 すると、どうなるか。

 目の前で体育座りを続ける少女の傷痕を見やりながら……今ばかりは、ネガティブな感情に蓋をする。

 後ろ向きになったところで何も解決はしない。

 彼女を引き入れてしまったからには、放り出すことも俺の良心が許さない。

 余計な人間関係を避けたい俺としたことが――まだ幼げなリリアに、とある人物の影を重ねてしまっているのだろうか……なんだか放っておけないのだ。

 ならば、大雑把な希望的観測に身を任せるのではなく、今彼女のためにできることを探す方が賢明な判断と言える。

 なので、そろそろ頃合いか、とスマホを取り出して時間を確認し。

「……もう時間だ、出かけてくる。自由にしてていいから、留守番は頼んだぜ」

 予め用意しておいた修学旅行専用の空のボストンバッグを肩に下げ、リビングを後にした。

 これが、リリアちゃん状態改善政策の第一歩なのである。

 失敗は許されない。

 ……ぶっちゃけ、そこまで背負うリスクのあるディスアドバンテージが致命的なわけでもないから、代替案は苦労せずに思いつくんだけど。

 できるだけ俺が楽をしたい故の作戦である。責めないでいただきたい。

 あ、そういえば。

「……トイレは、廊下を進んで左手側にあるから」

 女の子に対して言うのは少し恥ずかしかったので、振り向かずにそう告げて、後ろ手でリビングの扉を閉めた。


 *     *     *

リリア

空(地上2~3メートル)から降ってきた謎の少女。

おそらくヨーロッパ圏出身っぽい容姿。


神代悠久(かみしろ はるき)

本作の主人公。高校二年生。

平穏な日常を送りたいだけのどこにでもいるごく普通でありたい少年。

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