婚約者とヒロインがしもべになりまして
煌びやかに彩られた、学校の終業式パーティー会場。誰もかれもがこの日ばかりはと浮かれている最中、私ことレイア・アンドレアは一人青ざめていた。
(お、思い出した…)
まずい、まずい。何がまずいって、この終業式パーティーは、私が今までやらかした事を断罪される場である、ということを、よりにもよって今、おそらく罪を暴かれるだろう直前に、気づいてしまったからだ。
(待ちなさい、レイア・アンドレア。少し頭を整理するのよ。ひっひっふーひっひっふー)
横を通り過ぎようとしたウェイターが盆に乗せていた葡萄酒をぐいっと一飲みして、慌てて礼を言うとウェイターは目を白黒させた。急いだ様子で去っていくウェイターを不思議がりつつも、私は遅すぎる今思い出したことを数えていく。
(私はレイア・アンドレア、17歳。王権を支える三大公爵家の一つ、アンドレア家の娘で、上に兄が一人いる。黒髪ロング、赤い色をしたツリ目で、性格は…高飛車でワガママで、気に入らないことがあればすぐ脅しをかけるような、本当に嫌な女!)
客観的に今までの自分を見ると、改めて「これは酷い」と頷いてしまいそうだ。だが問題は、
(私自身が、私が前世でやった「ノーブルゲート」の悪役令嬢キャラまんまってことなのよね…)
「ノーブルゲート」は、平民ながら実は王族の落とし胤だった主人公、リリスが身分を隠して貴族の学校に入学し、様々な困難を乗り越えながら愛する人と結ばれる、という、王道な乙女ゲームである。別世界で生まれた前世の私は、そのゲームが大好きで、何かにつけてはリリスを虐める鼻持ちならない公爵令嬢、レイアが、学院の終業式の場で今までのイジメを告発され、王族に手をかけたとして、婚約破棄後に平民に落とされる浮き目にあう、というシーンがスカッとしてお気に入りだった。よりにもよって、私はゲームの最後の最後で、前世の記憶を取り戻してしまったことになる。
(何これ、神様から私に向けての虐め?こんなこと一気に思い出させられる身にもなりなさいよ、倒れてないのが奇跡よ)と思わず恨みを向けてしまいそうだ。
しかも、だ。私はヒロインをゲーム通りに虐めてしまっている。「あら、平民がいるのかしら?なんだか空気が臭く感じるわ」などの陰口を叩くのは日常茶飯事、物を隠したり、バケツの水を取り巻きたちに上からかけさせたり、頰をひっぱたいたり…正直「私は無実です」などとはとても言えないレベルでリリスに嫌がらせをしているのだ。
それというのも、リリスが、レイアの婚約者であり、ゲームの攻略対象でもあり、この国の第一王子であるミヒャエル殿下と最近仲がいい、なんて聞いてしまったからである。ミヒャエル殿下は小さな頃に政略上の婚約を結んだ以来、仲は良好とは言えない。手紙や贈り物を受け取ってはくれるものの、返事など来た試しがなく、会ってもほとんど話しかけられないし、すぐに目をそらされる。言葉少なに嫌われているのだろうと察しつつも、どうしても諦めきれなくて媚を売ってる最中の、リリスとミヒャエル殿下の熱愛疑惑だ。ぽっと出の平民に奪われる訳には、と排除しようとしたのだが、結局は二人を遮ることもできずにここまで来てしまった。
(まあ、平民に落ちるのもいいかしら。正直あの父と母と兄の砂糖30杯くらいぶち込んだような甘さは、昔を思い出した今となってはきついわ。前世は平民だったようだもの、なんとかするしかないわね。えーと、ぽじてぃぶ?というのかしら、ぽじてぃぶに考えていきましょう)
つい先ほどまでの私ならば金切り声を上げて喚いていただろう事実を、私は、冷静に受け止めることができた。正直に言って、前世のゲームからすると、もう私が平民落ちエンドを迎えることは確定している。そして、目の前に広がる光景は、前世の私が何度も画面で見たもので。
何かが起こるだろうと察知して静かになっていく会場。目の前に設けられた真紅の絨毯が敷かれた壇上には、宰相の息子などの錚々たる面子で構成された学院生徒会が並び、今まさにその中から二人の男女が歩み寄ろうとしていた。
輝く黄金を結い上げ、碧の瞳で前を見つめるヒロイン、リリス。王族の証である十字のイヤリングがきらりと光っている。そして、腰まである銀髪をなびかせ、切れ長の美しい目をこちらへと見据える、私の婚約者、だった、第一王子、ミヒャエル。
見るからにお似合いで、自分が入り込む隙なんてなかった、と、今初めて気付かされた。もう遅いけれど。
きっと彼らが、「レイア」の傲慢さを打ち砕いてくれるのだろう。私は諦めて、その時を待った。
「レイア・アンドレア公爵令嬢、前へ」
「レイア、君がこの少女、リリスに向けた行為は、全て確認が取れている」
そうでしょうね。勉強が出来ずに貴方を追って生徒会入りが出来なかった私がする事ですから、証拠ぐらいすぐに集まるでしょう。
「君の友人たちも、君に命ぜられてやったと」
そうでしょうね。友人とは名ばかりの取り巻き。私の地位だけが目的なのですもの、没落するとあればすぐに私を売るでしょう。
「リリスも、君に頰を張られたり、教科書を破られたりしたと」
ええ、ええ。全て事実ですわ。だからまどろっこしい事を言わず、早く断罪してくれないかしら。貴方も随分と私のことを嫌がっていたもの、本望でしょう。
「君がそこまで私のことを愛おしく思ってくれることを、私は嬉しく思う」
「私は、そんな君のしもべとなりたい」
…はい?
何か理解できない文言がくっついていた気がしますが、まあ気のせいでしょう。気のせい気のせい。気のせいったら気のせい。
「ようやっと、ようやっとだ。『アンドレア家の権力を強めてしまうのでは』と渋る父上を説得し、その父上を椅子にする母上から『よくここまで成長しました。今までに培ってきたものを全て活かし、貴方のご主人様であるレイア嬢に仕えるのですよ。』と背中を押されたのは、今日の朝だ。…本当に遅くなってしまってすまない、レイア。
初めて君を見たときは、衝撃が走った。こんな、夜を切り取ったような美しい女性がいたのだと。このような女性に仕えたい、いや私は君に仕える為に生まれて来たのだ。そう感じたよ。」
うーん、言っていることはこの国の言語だが、理解できない。というか、すごく理解したくない。一国の王子がしもべって。
「す、少しお待ちくださいまし。色々と聞きたいことはございますが、それならば何故、私にあのような態度を?」
「…すまない。未熟な私は、君に話しかけるだけで緊張で言葉が出なかったし、目を数秒足りとも合わせるだけで君を見ることが出来なくなった。返事を書く手は震えてしまって…紙を幾百枚も無駄にして初めて、首輪をつけた父上に乗った母上に『精神を鍛錬し、レイア嬢にふさわしき王子になるまで最低限の接触のみ』を言い渡されたのだ。
だが母上のお墨付きを得た私はもう、あの頃の私ではない。君の考えは瞳で読み取れるし、欲しいものならばすぐに用意してみせよう。君はもうそこのリリスなどという女に嫉妬しなくてもいい。これからは私が誠心誠意君を支え、君が苛立った時は君の全てを受け止めよう。具体的には私を机にしたりしてくれて構わないんだ」
あぁ分かりました、これは夢です夢。まずあのお淑やか代表の王妃様が、威厳ある王様をちょくちょく乗り物にしてるなんていうことが事実な訳がありません。さらに、あの口数少ないミヒャエル殿下がこんな長文をノンブレスで喋るわけないですし。ましてや苛立ったときは自分を机にしろという、ドMが5割くらい入ってる召使い志願をしてくるわけがないですわよおほほほほ。
「いや召使いではなくしもべだ」
「心を読まないでくださいまし!!!!!」
不敬だなんだと考える前に怒鳴ってしまう。というか召使いもしもべも似たようなものでしょう。流石にまずいと思ったものの、顔を赤らめる殿下を見て、いやまずくないわと思い直しました。
第一、いくら王族に近い権力を持っているとは言え、たかが公爵家に仕える王なんて周囲に示しがつかないでしょう。ふと声が漏れると、
「レイアが王妃になるのだ、王が王妃に仕えるならば問題ない。周囲の国々は我が王家の【かかあ天下】なる事情を実によく理解している。それでも何かあるのなら、生徒会の仕事とついでに弟に引き継いでおけばいいだろう」とは殿下の言。
それはついでなんですか。ちなみに第二王子殿下であるエドワード殿下、後ろの生徒会の方々と共に「僕を巻き込まないでいただけませんか!?」って顔してますわよミヒャエル殿下。周囲の国々も物分り良すぎでしょう。【かかあ天下】で何とかなるレベルではないですわよ、これ。
そんなカオスを引き起こしている現場に一喝を入れたのは、ヒロインことリリスさんです。
「な、なんてことを仰っているんですか!」
目尻をきりりと釣り上げ、ミヒャエル殿下に怒鳴ります。私には女神のように見えました。そうです、このような方がこの場に必要なんです。生徒会の方々は口をぽかんと開けて役に立ちそうにありませんし、一般生徒は同じくぽかんとしている方やら「よっ、いいぞーミヒャエル殿下!」などと煽る方がいる始末。そんな中一言で場をまとめてしまうとは、さすが王族であり、ヒロインでもあります。
本当そうですよ、もっと言ってやってくださ「お姉様にお仕えするのは、この私です!」
あぁ、神はどこにもいないのでしょうね。
思わず天を見上げた私に、リリスさんはさらに追い打ちをかけてきます。あの、うっとりした瞳でこちらを見てくるのはやめていただけませんか。
「お姉様は私に、光を与えてくださいました。学院に入学し、驕り高ぶっていた私に、『平民が』と刃のような鋭い声と同時に私の頰に打ち据えられた細い指の感触、こちらを見下げた真紅の瞳…私はこの方にお仕えするのだと、はっきり分かりました。」
要するに、私が一番最初にしたイジメで、ヒロインをドMとしもべ属性に目覚めさせてしまったと。なんてこった。
「私に触れてくださったきっかけが、ミヒャエル殿下の『どうだ私のレイアは、美しいだろう』という唐突な絵姿自慢話に付き合わされたことでレイアお姉様が勘違いされたからと言うのは、ちょっとだけ腹が立ちますが、まあ目をつぶりましょう。ミヒャエル殿下と私のレイアお姉様討論会や、どっちがより美しきレイアお姉様に仕えられるか選手権を変に勘違いして、こいつと私が付き合ってるなんていう頭の腐った噂をしたやつは叩き潰しましたが」
かーっ、ぺっ、とでも言いそうな、ヒロインらしからぬ顔をしてリリスさんは言います。というか討論会とか選手権ってなんですか。あと叩き潰したってなんですか。道理でさっきからちょくちょくリリスさんの顔を見て震え上がってる生徒がいるわけですよ。
「それでも、レイアお姉様と触れ合う機会が増えたのは僥倖でした。お姉様が私に関わってくださる、それだけでも天にも昇る心地なのに、まさかお声や御手まで触れてくださるなんて…!リリスは感無量でした。お陰でレイア様の生活周期を把握することが出来たので、さりげなく靴を磨いたり、冷めたものを温かい紅茶に取り替えたりと、よりスムーズにお仕えすることができました!」
キラキラとした笑顔でリリスさんは言っておりますけれど、あなたそれ前世の言葉で言うなら「ストーカー」というものではなくて?正直に言って、全くリリスさんに気付きませんでしたわよ、私。ああ、ストーカーというよりは「忍者」と言ったほうがピッタリかしら。え、現実逃避ですって?この立場になってみなさいよ、現実逃避だってしたくなるでしょ!
「レイア」
「レイアお姉様」
「私は誓おう。君を、いやご主人様を一生幸せにすると」
「お姉様、こんな顔だけのボンクラはお姉様に相応しくないです。こんな足拭きマットにもふさわしくないような奴より、私の方がお姉様の役に立ちますわ」
「ふん、レイアに好かれてもいない人間がよくそこまで言えるな」
「はん、これからレイアお姉様の好感度を上げていくんだから、あんたなんてお呼びじゃないのよ」
「言ったな貴様。やるか?」
「はぁ?泣きべそかくのがオチでしょあんた」
「泣きべそなぞかいていない!違うんだレイア、この女の濡れ衣なんだ」
仲良いなあんたら。
必死で殿下がこちらになにかを言い募っているが、私はもう限界だった。
前世の記憶を思い出したこと。
平民落ちすることを予想していたこと。
私に冷たかった王子がしもべ志望なこと。
ヒロインもしもべ志望なこと。
ていうかしもべってなんだ。普通の関係ではダメなのか、なんでしもべなんだ、これ只のドMの集まりじゃないの?
至極もっともな疑問が頭のなかでぐるぐるしていた私は、さてどうなったか。
「も、もう、わけわかんない…」
ふらりと、淑女らしくもなく、気絶してしまったのだった。
意識を失う直前、「大丈夫か!」「大丈夫ですか!」という声と共に受け止められたような気がしたけれど、はいはい気のせい気のせい。
「ん…」
ゆっくりと意識が浮上して、私は目を開けた。見慣れた天蓋、お気に入りの羽毛布団。いつもの朝、いつもの私のベッド。そして昨夜の悪夢。
うん、きっとあれは私の夢だったのでしょう。そう、しもべな王子もヒロインもいなかったのです。
ちょっと安心して、もう少しだけと自分に言い聞かせてもう一度ベッドに潜り込もうとした、その時。
「レイア、朝だよ。君の寝顔も愛らしいけれど、今日はお義父様にご挨拶を差し上げなければならない。機嫌を損ねてしまったかな?それではこの鞭で私を叩くといい、さあ!」
「何朝っぱらから自分の欲望全開にしてるのかしら、この王子は。さあ、お姉様。どうかその黒檀のような美しい黒髪をこのリリスに束ねさせてはいただけないでしょうか。」
ぎぎぎ、と横を見ると、輝くような笑顔を浮かべたミヒャエル殿下とリリスさんが、それぞれ鞭と盆に載せた髪結い紐を捧げ持っていた。その姿で、私は分かってしまった。
昨日のアレは、夢じゃなかったんだ、と。
これからどうしよう、という諦めに似た笑みと共に、(「おいレイアが私に微笑んでくれた!まるで女神のような美しさだ…」「いいえ私によ!あんたにじゃないわ!」という声が聞こえた)私はもう一度気絶することにしたのだった。
レイア・アンドレア:高飛車系お嬢様。前世の記憶を取り戻した後は不憫系ツッコミ役になる。
ミヒャエル・フォン・ノーブルレージュ:ノーブルレージュ王国第一王子。普段は有能だが、レイアの事になるとネジが数本外れる。
リリス・フォン・ノーブルレージュ:現国王の落胤。実は前世の記憶あり。電波系ヒロインになりそうな所をレイアにある意味救われる。
国王と王妃:結婚当初は仲が悪かったが、今では元気にプレイを楽しんでいる。
エドワード・フォン・ノーブルレージュ:第二王子。不憫枠その2。まとも。
アストレア家:ミヒャエルとリリスの闇討ちの準備は出来ている。