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一の結び:砥親の巻 黎明の成り果て

「白篭族向けって、それって違法じゃないんですかぁ? 差別じゃん。気分悪い。前時代的〜」


蓮李があからさまに口をとがらせると、砥親は胸にあたたかい清水が湧き出るような気持ちになった。


「そうですね、冒険者さんや、国外からのお客様はよくそうおっしゃって下さいます」

(それにね、そんなに憂うことでもないんですよ。ローンは、必ず無効になります)

砥親は、そう打ち明けて蓮李の不快を除きたい衝動を飲み込んだ。あたたかい言葉をくれる外部の人間には、いつもそう打ち明けたくなる。

あなたが悲しんだり、怒ったりする必要はないんですよ。と。

昨夜、冒険者酒場で義憤に駆られて騒動の発端を作った冒険者にも、本当はそう言いたかった。

(じきに、この国は変わります。この街も。技研が、風穴を開けてくれる。必ず。そして期限さえ決まっていれば、耐え難きは耐えられる)

砥親が宿の扉を開けると、蓮李は「へぇきれい」と率直な感想をくれた。素直なひとだ。砥親は口角が上がるのを抑えられなかった。

一階は十席ほどの小さな食堂になっている。料理上手な少女を料理人として雇い、ランチタイムとディナータイムに酒や食事を提供する。採光を効かせた店内は、自然素材を活かした壁紙や調度と随所に配したカラフルな幾何学模様の織物が調和し、空間を楽しめる作りにした。内装は、とにかく光に劣化しにくい素材に拘った。砥親のお気に入りだ。

入り口脇の記帳台で蓮李に利用客名簿への記入を頼むと、

「随分、早起きなんですね。ご家族の方」

蓮李の背後に控えていたきみ仁が、脈絡なくこぼした。砥親が驚いてなんの事かと彼を見ると、きみ仁はそれを読んだように、

「すみません、突然、不躾でした。夜が明けたばかりなのにカーテンが開いていたもので、開けた方がいらっしゃるんだなと」

抑揚なく答える。一連のことがあまりに突拍子もなくて、砥親はいうべき言葉を見つけられずに口の形を迷わせ、結局営業用の笑顔を刷いた。

「うん、ん、か、かぞく。家族……そうだね、今の時間なら、多分」

きみ仁が突然、東南の塔を振り向いて、砥親は続く言葉を失った。獲物を捕らえる猫のように、俊敏な動きだった。きみ仁の視線の先、東南の塔とその向かい、東北の塔は、砥親の家族の居住棟だ。

「ああ……お客様がいらしてたの。いらっしゃいませ。こんな格好で申し訳ありません」

東南塔へ続く扉から出てきたのは、生後半年のむずがる娘を抱えた寝間着の妻だった。

(今、きみ仁君が振り返ったのは、彼女が出てくる前だった)

さわ、と冷たい何かが肋骨の内側を撫ぜるようによぎったが、蓮李が驚愕した表情で羽ペンを取り落としたため、砥親はその正体を見抜きそこなった。客の前だと気を取り直して、慌てて紹介する。

「妻のアコラと娘のリンです。アコラ、こちら冒険者の」

「ふぁーーーーー!!!」

蓮李が口元も声も抑えて叫んだ、と思ったら、次の瞬間には凛を間近で覗き込んでいた。

「かわいーーーー!!!!!!!

初めましっ……初めまして! れんりとゆいます! あっちはゆかいなこまづかいのきみひとくん! りんちゃん……くるっ、愛苦しい………やだー」

ふえぇえ、と凛が声をあげると、蓮李は雷に打たれた木が一瞬で裂けるように、海老反りに反った。

「ないた……! あかちゃんが、ないた………!!! 腹筋できはじめの声、とうとい……!」

砥親が客に不敬にならない引き離し方を考えあぐねていると、蓮李の隣に進んでいったきみ仁が、連れが申し訳ありません、と、泣いた赤子をあやすのも忘れて棒立ちになったアコラに、45度の大変姿勢の良いお辞儀をした。彼が軍属だったと言っていたのを思い出した。姿勢がいいのは軍隊仕込みか。

「連れに害意はありません。子どもが好きなだけで」

「そうです! 愛しています!!! 凛ちゃんは夜泣きかな? もう朝ですよ。怖いものはないないですよ」

「蓮李。わきまえて」

「うっさいお兄ちゃんですね〜」

蓮李が娘に話しかける声は甘さを一周して鳥肌の立つ高さだったが、アコラはくまの浮きがちな目で、ふふっと微笑んで、娘をあやしながら、小声で二人と会話し始めた。砥親は、あ、と思った。


妻の笑顔を見たのは、何ヶ月振りだろうか。


生後5か月を過ぎて、夜泣きが閃火の鋭さを帯びてくるにつれ、妻は塞ぎがちになっていった。

最初は「夜泣きかぁ」と夫婦揃って新鮮に迎えていた事態だったが、毎日きっちり続くそれに、最初に音をあげたのは砥親だった。


理不尽に妻を責めて、まるで娘の夜泣きが妻のせいであるかのような言い方をした。


以降、料理人のはずの少女に接客を頼み込み、給金に色をつけて、集客のためと宿をあけるようになった。

暁市より遠い街に何度行って、何日泊まっても、アコラは何も言ってこなかった。


蓮李は半刻後にはアコラとすっかり打ち解けて、窓際のテーブルにつき、冒険者トークを始めていた。

「へぇ、アコラさんも冒険者だったんですかぁ凛ちゃんぬくい」

断続的にむずがる凛を抱えてゆっくり背中を叩いているのは、今や蓮李だった。

「そ。剣士でね、技研に雇われてたの。技研は冒険者ギルドに依頼して、研究材料の調達クエストとかね、結構やってくれるから。出入りしてたらその内顔覚えてもらえて、直接依頼がくるようになって」

「えーすごーい凛ちゃんぬくい。じゃあ中の様子とか教えて下さいよ〜凛ちゃんぬくい。俺錬金術師志望なんで、最先端科学とか超興味あってぇ凛ちゃんぬくい」

「錬金術ぅ。錬金術って魔法とどう違うの?」

二つ離れた卓で、母の井戸端会議を待つ子どもよろしく待っているきみ仁の分も含め、砥親は奥のバーカウンターで茶の用意をしていた。とっておきの茶葉で、うまく淹れるときれいな紅で目に活気をくれる。アコラの好きな色だ。

アコラの顔からは疲れが払われ、実に楽しそうだ。

二人の客を早く部屋に案内して、夜通し馬車を預かってくれたきみ仁くんを休ませるべき、を建前に妻の笑顔を引き出す他人を見えないところにしまいこみたい、という思いと、妻の楽しい時間を邪魔したくない思いが相克して、結局客の好意に甘える形になってしまった。きみ仁は卓で船を漕ぎ始めた。

(あああ……彼には昨日、酒場で酒瓶から守ってもらった恩もあるのに。

今はそれより、自分ができなかった事を簡単にやってのける蓮李=大飛が疎ましい。さっきは素直ないい人だと思ったくせに、彼を疎ましいと思う自分が疎ましい。情けない。でもこんなの、悔しがるばかりでアコラの事を、なんにも考えていない……)

しゅう、と薬缶が音をたてて、黙らせるように火を止める。


すると突然、弾かれたようにきみ仁が立ち上がった。ばん、と彼の椅子が音を立てて倒れる。


凛以外の動きが止まり、アコラと砥親に驚愕と緊張が走る。薬缶からのぼる煙の自由さが場違いなほど、空気がキッと張り詰めた。

数秒間、きみ仁は天井から吊られた人形のように顔を上向け、狼が人間の不可聴音域の仲間の声を探るように、かすかに首を揺らした。


「……今、呼ばれた」


きみ仁はぽとんと呟き、俊敏な動きで蓮李を見た。砥親の位置からは、フードに覆われてその表情は見えない。


「蓮李。呼ばれた。行って来る。荷を頼む」

「いーけどどこに?」

蓮李が聞き終わる頃には、彼の姿はなかった。蓮李もまた、了解したような諦めたような顔で、玄関を見ていた。いつの間にか玄関の戸は開いていた。

(いつ開いた⁉︎)

砥親が驚いて玄関に駆け寄って外を見たのは、客への気遣いや好奇心ではなく、生物としての反射だった。得体の知れない生き物を、見極めなければ。

命を守るために。

みちのどこにもきみ仁の姿はなかった。

たん、という彼の特異な履物が、固いものにぶつかる時の音が、上から聞こえた気がした。


ひゅう、という口笛の音がして中を見ると、アコラが窓に張り付くようにして外を見ていた。

「はや〜。あの子今すっごい飛んだねどこ消えたの」

「屋根です。バカとにゃんこは高いとこが好きっていいますから。この街の建物は、きみ仁が走りやすい屋根してますよね。平たくて。まったく俺より目立ちやがって」

「や〜、あれは動体視力的に誰も見えてないでしょ〜」

あたしも着地の一回しか見えなかった、と言いながら、アコラは席に戻った。頰が上気して瞳は輝き、幾分興奮気味だ。砥親は、砂嵐が胃の中で起こるのを感じた。

「いいねぇ〜、あたしの現役時代とか思い出すな〜、私も動体視力とか鍛え直そっかな、そしたらあの速さでも見えるようになる?」

「これだから俺より目立つなつってんですけどね〜。凛ちゃんは俺だけ見てればいいからね〜」

「え、ちょっと人生初ナンパだよ凛、どうする? お父さーん、どうする〜?」

アコラが向けてきた笑顔に、砥親は無理矢理笑い返した。

アコラは怪訝そうに首を傾げた。元冒険者である彼女は、表情を読むのに長けている。その理由を、かつてアコラは「戦闘中、声が届かない事も多いのに、仲間の行動が読めなければ死ぬだけだからね。冒険者はちょっとした変化に敏感なもんだよ」と説明した。


確かに、アコラに限らず宿泊する冒険者は大体そうだ。ほんの些細なことから、情報を見逃すまいとする。

その情報を有利に活かす機会にも鼻がきく。魔物との戦いで勝利するため、磨かれていく感覚なのだそうだ。


こんな事があった。

宿を開店して数ヶ月した頃、砥親が接客スマイルで敵意のなさと利用への感謝を表したら、冒険者側も笑顔で、無茶な値切り交渉をしてきた。砥親の提示額の半分以下だった。砥親が礼儀と戸惑いの中であたふたしていたら、相手側は申し訳なさそうな顔で、しかしとどめとばかりに「ありあとざすぅ」と言い値をカルトンに叩きつけて頭を下げた(三人組だったが、全員訓練したようにぴったりシンクロしたお辞儀だった)。

その時はアコラが割って入って事なきを得たが、「あのテの連中は、足元見ると思った。気をつけてね、砥親くん」と冷たく言い放った彼女の声を、砥親は未だに忘れられない。砥親にはあのテがどのテかわからなかった。彼らはそれまで泊めた数組の冒険者たち--外の価値観で白篭族に義憤を燃やしてくれたり、内装を褒めてくれたり、灯籠に感動してくれた冒険者たちと、何も変わらないように見えた。


アコラの「気をつけてね」は、「あなたにはそんな事も見抜けないんだから」気をつけてよね、という意味に思えた。

それが勝手な自己批判でしかないと、わかってはいる。だからこそたまらなかった。


砥親は妻の卓を可能な限り遠回りする形で、バーカウンターに戻った。

彼女はきみ仁の膂力の話を興奮気味に蓮李に尋ねており、蓮李は幾分テンション低めに回答していた。


(きみ仁くんの。あの動きが、速いとか遅いとか、目立つとか目立たないとか、そういう程度でしか気にとまらないのか)


動きが見えないんだぞ、足音もたてないんだぞ、刃物や魔法を扱えるんだぞ。それって化物と変わりないんじゃないのか。大体何に呼ばれたっていうんだ。


砥親は湯をポットに移して茶を注ぐと、妻のためにミルクを用意した。


(どうせ俺には、見えないよ)


動体視力というものは、遺伝したりするのだろうか。アコラの動体視力が遺伝して、見通せるものや見抜けるものや単純に見えるものが、娘と砥親でずれてくる日がくるのだろうか?


(その時でも、妻や娘は俺を置いて行かずに共に歩いてくれるだろうか)


ミルクを注ぎ、マドラーで混ぜる。

カップの底まで見通せた茶の表層で、ミルクはぐるぐると渦を描き、間もまく完膚なきまでにくれないを濁した。


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