一、黎明を待つ:蓮李の巻:1-い
明け方の太陽のもと、風化の脅威に怯えるように、練り石造りの建物が、寄り添い合って連なっている。屋根は平たく、多くは二階建て、高いところで四階建て。
壁材は所々穴が開き、牢獄を思わせる骨組みが見えている。その骨組みも、錆びたり欠けたりと、無理やり立たされた敗残兵が大将の輿を担がされているようにくたびれている。
窓や出入り口には、サンルーフの毛織り物が張ってある。毛織り物は、かつてはエキゾチックでカラフルな模様を描いていたのだろうが、今は退色し、くたびれ、砂にまみれて、雑巾さながらだった。
整備されていないむき出しの路面には、使命を果たした様々な道具や何かの部品・破片が、合戦場の屍体のように、点々と散らばっている。
けれども、色彩が。
あらゆるものに、色彩があった。
練り石造りの壁にも、壁と同じ色をした地面にも、堅牢そうな出入り口にも、砂まみれの毛織り物にさえ。
それは、出入り口脇に吊るされた吊り灯籠を透過した、小さな灯りによるものだった。
灯籠は、みな縦に長い長方形で、一様に蓮李の前腕くらいの長さがある。とりどりに着彩され、不思議な文様を描き、ステンドグラスのように色を映す。
映された色はしかし、ステンドグラスほどに輪郭が強くなく、隣り合った模様とのあわいでとけ合い、多様に広がり、どこかで終わっていた。
そんな光が、やわらかく慈母のように、視界中を染め上げていた。
「ええ……きれい」
蓮李は知らず、つぶやいていた。
いちように白い朝日が、今にも色をならそうとして、無粋に思える。
ここはひかりの天国だった。
「そうでしょう、きれいでしょう! 朝日が昇りきる前で良かった。このメインストリートは、夜だともっときれいなんですよ!」
知らない声がして、蓮李は我に返った。
声は、自分より幾分歳上の、垢抜けない男からだった。
素朴な身なりと短く刈った髪は蓮李と同じ藤がかった銀色、日焼けした肌は清潔そうで、防塵マントで旅装はしているが、武器鎧の類はつけていない。つけても重さで動けなさそうだ。それなりに筋肉はついているが、戦うためのつき方ではない。ひとの顔色を伺うような目は髪と同じ色で、木のうろのように瞳が大きく、両目の間隔がせまい。ぺしゃんとした鼻は横に広く、どこか憎めない、愛嬌のある顔だった。丸まりがちな背に疲労の色は見えるが、死線をくぐってきた人間特有の諦めに似た落ち着きは見当たらない。
魔法の匂いはーーしない。
冒険者ではなさそうだった。
蓮李は眉間にしわを寄せた。
「誰あんた」
頭上にきみ仁の手刀が振り下ろされた。
「いっっっっっっっっっった!」
「こちらは抹元砥親親分。これからお世話になる宿屋のオーナー様」
「いえあの親分なんて大層なもんじゃ、従業員は妻くらいですし、ああああの大丈夫ですか」
抹元が気遣わしげに、頭をおさえてうずくまった蓮李に合わせて、身をかがめた。
「あいででこれは失礼を……俺は蓮李=大飛。
世界一の魔法使いで世界一巨大な魔法師ギルド黄道会の大幹部で世界最大の同業者組合・冒険者ギルドでも指折りの有名人でベストセラー『猿でもなれる魔法使い』の著者にして素質がなければ魔法使いになれないという魔法使い先天性説を覆えしました天才研究者であとはまぁ付き合ってくうちに偉大さがわかると評判の、駆け出しの錬金術師です。
これからお世話になります。ところでここはどこかな? 暁市とは随分様子が違うけども」
抹元は、なぜか戸惑い気味に、差し出された蓮李の手を握り返して答えた。
「え、えぇっと、すみませんつまり魔法使いなのか錬金術師なのか作家さんなのか研究者さんなのかわかりかねるんですが、あの、改めまして、抹元と申します。
ここは燈籠町。浄化湖・灯湖と浄化木・黒檀の守り手、白篭族の小さな街です。名物は魔物除けにもなる吊り灯篭。伝統芸能っていうんですかね。
あの灯篭ひとつが一戸をあらわします」
抹元が、誇らしげにメインストリートを指し示した。
「一戸……てことはここは全部、ひとが住んでる通りなんですか。てっきり寂れた倉庫街かとぁいっってぇ!」
きみ仁の手刀が先ほどと寸分違わぬところに入った。立ち上がりかけていた蓮李は、抹元との握手を振り切る形で両腕で患部をおさえてうずくまる。
「すみません抹元さん。こいつメインストリートの意味がわかってないんです」
「いいいえ、大丈夫です、あまり綺麗な街じゃないですから、そう思われるのも無理ない……ていうか……」
言いつつも、抹元の営業スマイルは声とともにすぼんでいった。
「これでも……十年前より綺麗になったんですよ……排水機構とか充実して……医療だって……暁市よりずうっと進んだ総合病院があるんですからぁ………」
「総合病院。三枝生命技術研究所のことですね」
きみ仁の静かな口調に、蓮李は勢い良く彼を見上げた。
蓮李の真剣な視線を受けて、きみ仁が顎で巨大な白い建物を示す。
いかにも堅牢そうで、街のどこからでもおがめる高さの建物だった。
塔のような建物を中心に、両翼に翼を広げるような形をしている。
気づくと蓮李は立ち上がって、何かを見つけ出そうとするように白い建物を見つめていた。
「ああ、お二方はあそこに用事があって、この街に来られたんですよね」
蓮李の背後で抹元が少し嬉しそうに話し始めた。
「あそこがこの街の新たなシンボルにして、救世主です。
三枝生命技術研究所。俺たちは技研と呼んでます」
「医療やなんかは研究のついでとはいいますけどね、あっこれきみ仁くんには馬車の中で話したんですけど蓮李先生寝てたから、まず十年前にあの研究所ができてから……」
抹元の滔々とした説明は、蓮李の耳にはほどんど入らなかった。
抹元の技研トークをBGMに、灯籠の映すとりどりの色彩が、陽光にかきけされて失われていった。