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一、黎明を待つ:砥親の巻

ギルド酒場は危険な場所ではない。

冒険者ギルドの支部が併設されている以外は、普通の酒場と変わらない。

客の八割は地元の人間だし、二割は旅装だが非武装の冒険者だ。


「てめぇ盗人部族に肩入れすんのかよ!」

「冒険者はどの国にも属さぬ、誇り高き渡り鳥! 貴殿らの凝った価値観など、ははん、とらわれぬわ!」


どん、と硬いバトルブーツが木製テーブルに乗せられて、顔の赤い冒険者が口上を述べ、店の真ん中、隣り合った卓の間で口論が始まる。

酔っ払い同士、喧嘩に発展するところも、酒場なら珍しくはない。


「渡り泥の間違いだろ生まれ育った社会に適応できなかったドロップアウトゴロツキ集団が」

「あんたもう一回言ってみなさいよ! 誰さまのおかげで魔物除け技術が広まって! 今の世の中ができたときゃあ」


壁際で女性冒険者に酒がかけられる。

酒場にセクハラはつきもの、に思われがちだが、暴行罪に問われるので絶対にやってはいけない。


「ああいう発想が頭悪いのですよ。滞在先の文化ひとつ尊重できないなら、出て行けばいいのです」

「なんだてめぇ、ココでは冒険者がギルドに収める金があっから安酒飲めてんだよ!」

「数百円しか変わんねぇじゃぶふぁ!」


反対側の壁際三卓間で、乱闘が始まった。

間もなく店中に広まる。


「あわ………あわわわ、あばばばばばば」

騒動の発端を作った抹元砥親まつもととちかは、酔客に突き飛ばされてついた尻餅をひきずって騒ぎの中心を離れた。

宿の営業で冒険者に声をかけていた抹元に、侮辱的な言葉をかける地元の客がいた。それはいつもの事だった。抹元はこの国の先住民、白篭族はくろうぞく。移民の街であるここ、暁市あかつきしでは不当な侮蔑の対象だ。無視を決め込んだら、突き飛ばされた。

抹元が笑って流そうとしたところに、一部始終を見ていた冒険者が抗議の声をあげた。

その時はありがたさに胸がふるえたが、あれよあれよという間にこうなった。

酔っ払いの正義感は、粉塵爆発の火種に近い。


カウンターで高みの見物を決め込んでいる冒険者らのひとりが、ほうほうの体で逃げてくる抹元に手を差し伸べてくれた。抹元は一も二もなくその手を取ったが、

「あのありがとうございま、ふぃっ」

取った手の先は、ミイラのように顔中包帯だらけのフードの男だった。目元まで深く被ったフードと包帯で片目しか見えず、表情は判然としない。度胸試しのように耳を貫くいくつものピアスが、目の後方、フードとの間でちらちら光る。

「大丈夫です?」

ミイラ男は、軋むような声で問うて隣のスツールに抹元を引き上げる。

抹元は、がくがく頷きながら

(この声、風邪? 冒険者でも風邪ひくのか?? 手が、随分硬いけど指が華奢だ。大人の大きさでもない。肉も薄い……。子ども……多分十代の、子どもだ。子ども相手にびびる事ないじゃないか)

少しだけ冷静さを取り戻せた。「どうぞ。炭酸水ですけど」デスボイスのミイラ少年がグラスを流してくれる。反射的に受け取って、うっかり飲み干した。

しゅああ、と喉で広がるように、炭酸がはじける。よく冷えている。

「ああ……ああ、ごめん、全部飲んじゃった」

「いえ。七織ななおりさん。炭酸水二つお願いします。ひとつはお兄さんに」

肉感的なバーテンダー、七織が、はぁいと応えた。

「悪いね……」

そつのない少年だ、と思いながら、抹元は顔を覆うように頬杖をついて、深いため息をついた。起こった騒ぎと、踏みにじられた自尊心と、向けられた気遣いに感情が追いつかない。

とん、と音がして、冷気を感じた。炭酸水だ。

「七織さん……、すみません、うちの宿の営業をやらせていただいたのに、こんな、恩を仇で返すような」合わせる顔もない。

「茶飯事よ、白篭族のお兄さん。もっとも、ギルド酒場はどなたの安全も保証しませんけれど……すぐおさまりますわ」

「そうでしょうか……」

抹元は丸めた背中越しに背後の騒乱に目をやった。地元の客が多い店内で、戦況は数対技になっている。

「大丈夫ですよ。こう言っては失礼ですけれど……一般の方が冒険者に敵うと思って?」

七織の声にどこか愉しむ響きを感じて、抹元は顔を上げた。

恍惚と乱闘を眺める美しい女性の顔があった。

「ここには人外の化け物と戦って生き残ってきた冒険者しかいませんのよ……やだ、現役の頃思い出しちゃう」

「七織さん、顔に混ざりたいって書いてあります」

ミイラ少年に笑う気配があったが、フードに隠れて表情は見えない。

次の瞬間、ミイラ少年は振り返って抹元の方に突っ込んできた。笑っていない蒼い両目が見え、その色合いがやけに印象的で、一瞬、時間が止まって感じられるほど惹きつけられる。

ひ、と息を飲んだ時には、少年の手が飛んできた酒瓶を受け止めていた。彼がいなかったら、背中に直撃していたと気づいて、ぞっとする。その寒気が凄まじい反射速度のミイラ少年に対してなのか、未然に防がれた事故に対してなのかは、わからなかった。

「怪我は」

抹元は、それが自分に向けられた質問だと理解するまで数秒かかった。慌てて首を振る。

(子どもに見えても、彼は冒険者なんだ……)

少年は酒瓶を覗き込んで、「七織さん。これ中身入ってますけど、俺が注文したんじゃないからいいですよね? 俺地元では成人してるんで。地元では飲酒可能年齢なんで」

七織はちら、と天井から下がるトイレの案内表示を確認して、「別にギルドの律には触れないけど……カウンターのお客様は急な突風にお気をつけくださぁい」と言うと奥に引っ込んで行った。カウンターのそこここから忍び笑いとともに、「祭りも終わりか」「そろそろ戻って来るさなぁ」「おい、結界張ってくれ」と囁き声があがる。

ミイラ少年は憮然と、「うまくやるのに」と酒瓶を口元に持って行った。


その酒瓶が、きゃんと音をたてて真っ二つに割れる。


ミイラ少年が飛び退いたのと、一瞬前まで彼のいた場所の宙空で、瓶の中身が火柱と化したのは同時だった。

割れた酒瓶の落ちる重い音と突然の小火に、カウンター付近の騒乱が鎮まる。酒はすぐに燃え尽き、水蒸気が舞う。


(魔法!? でも詠唱がなかっ)


驚く抹元を親切な誰かがカウンター下に引きずり込んだ。


「未成年に酒与えたのはぁ、誰れすかあああ!!!」


トイレから、猛風が店内を駆けた。

破壊音と怒号と悲鳴があがり、全ての窓が割れる。

賞金首ポスター、新メンバー募集掲示板、参加者募集クエスト一覧、営業許可証、探し人の張り紙、情報募集掲示板、時計、地図、ほか壁に飾られていたあらゆるものが吹き飛び、冒険者にも地元客にも平等に体当たりした。ほとんどの椅子は倒れ、多くの客が転がり、全てのグラスが落下したが、グラスの底で魔法陣が光って、割れはしない。その分、グラスにぶつかった客は痛い思いをした。何人かは昏倒し、割れた酒瓶で皮膚を裂く。

埃が舞い、抹元は、カウンター下一帯に張られた結界に、ヒビが入るのを確かに見た。

ごん、と重い音をたて、トイレの案内板が天井から落下する。


そして静寂が店内を埋め、


「うっ……お、おぉえええええぇぇぇ」


嘔吐の音と悪臭が後を継いだ。れんり、とミイラ少年が臆する事なく風の生まれたところに駆け寄る。

腰から水筒を外し、膝をついて嘔吐する酔っ払いに差し出し、背中をさする。


(あれ? 今、彼、どこにいたんだ。結界の外じゃなかったか? 大丈夫だったのか?)


抹元がミイラ少年を案じた時、耐えかねたように、結界が瓦解した。

「だぁいじょうぶでしてー? お客様ー?」

上から七織の声がして、カウンター下の冒険者達がやれやれと這い出した。

そんな中、魔法使いのローブをまとった冒険者が数人、倒れ伏して動かない。仲間らしい面々が気づいて、彼らを助け起こし始める。

「大丈夫か」「あいつの魔法受けて大丈夫な魔法使いなんかいない……」

苦悶の声が聞こえる。

(魔法!? 今のはやっぱり魔法だったのか、今の結界は数人がかりなのか、それなのにあんなヒビが入ったのか!? 魔法って、そういうのが普通なのか、いや、でも今)

抹元が、状況を把握しかねてキョロキョロしていると、七織が顔を覗き込んできた。

「だぁいじょうぶです?」

「今、何が」

七織は金の巻き毛を艶に揺らして笑うと、「紹介しますね」とミイラ少年の方を指し示した。


「嘔吐してる方が、力を持たせちゃいけないひとに力を持たせた典型例。世界一強くてはた迷惑な魔法使い。今までトイレでゲロってました、

 蓮李=大飛」


「れんり……たーふぇい……」

抹元は、確かめるように繰り返して、ミイラ少年の向こうに見え隠れする魔法使いを眺めた。

藤色めいたミドルロングをハーフアップに、団子を作って簪を挿した姿は粋というよりただの格好つけだが、酔って嘔吐する姿は微塵も格好がついていない。

(どこかで……聞いたことがあるような……?)

魔法使いのローブに羽織った、金糸の縫い取りが鮮やかなマントも、どこかで見た覚えがあった。


「彼が白篭族の郷、燈籠町とうろうちょうに向かう旨、冒険者ギルドは伺っています。

当ギルドとしては、彼みたいな暴れ熊の動向は把握しておきたいんですけれども……、いかがかしら? お兄さんのお宿、燈籠町ですよねぇ。刺激しなければそこまで迷惑でもありませんのよ、ただちょっと振るえる力がひとより大きくて、手加減の素晴らしさを過小評価してるだけ。

ね、泊めてあげて下さらない?」


嫌かなぁ……という感想を、抹元は妻子の顔を思い出す事で押しこめた。

迷惑物件と紹介しといて押し付ける、七織女史の胆力を見習うんだ、と経営者精神を奮い起こす。


「それで、あっちのフードの子が……

あっ、いやだ私ったら、こういう時こそ酒場保険の売り込みをしなくっちゃ。成約報酬とってもいいんですのよ」


七織は突如、ビラと拡声器を取ってカウンターを飛び出すと、売り込みを始めた。


「酒場での突然の怪我に! 事故に! 死亡に備えて! ギルド開発、酒場保険はいかがですかぁ!?

賭博と喧嘩は酒場の華! でも賭博で破産してしまったら、いろんな意味で酒場で動けなくなってしまったら……残されたご家族お仲間、あなたはどうしますか!?」


抹元は、経営者でなく冒険者のたくましさを、そこに見た。

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