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しの開き:めをひらいたとき見えるもの

吐いて泣いて疲れて失神するように寝落ちたセリアが額の濡れタオルを交換されて冷えタオルになった感触に意識を持ち上げられた時、そこにはかみさまがいた。


うっすら開いた目に、ぼうっと映るかみさまは、暗い天蓋布の内側でほの光る石をかざし、輸液パックの残量確認をしている。

セリアが裂いたはずの天蓋布は、傷ひとつなく、ひかりからセリアを守っていた。


(かみさまが直したのかな)


かみさまは相変わらず顔に大きな湿布を貼っていたが、雨に濡れていないからだろうか、初めて会った時より、顔の痛々しさが癒えて見える。


「ごめん。起こした。まだ寝てていいから」


かみさまはヒビだらけの硝子板みたいなひどい声で、セリアを見もせずに言った。

かみさまだから、見なくてもセリアの寝起きはわかるのかも知れない。


(見なくてもわかるなら、輸液残量を目で確認して、メモに何か書きつけているのは何故だろう)


ひかりをかざして、光源を必要とするのは何故だろう。かみさまの角膜も、ひかりがなければものの形を把握できないのだろうか。


(把握するのは脳だっけ? 脳のどこだっけ)


視神経はなんのためにひかりが必要で、目からひかりを受け取ることと、皮膚でひかりを浴びることの、セロトニン分泌機能における違いはなんだっけ。見えるということはなんだっけ。ひかりが必要ということははなんだっけ。視覚が完全暗視対応にならないことの、生物学的意義はなんだっけ。


「……眩しい?」


セリアは小さく首を振った。

かみさまは輸液の落ちる速度を確かめた。


「水飲む?」


セリアは少し考えて頷いた。

かみさまは天蓋布に腕を突っ込み、突っ込んだ腕が戻って来た時には、手にストローのついた吸い飲みを持っていた。あの天蓋布の向こうから、かみさまはなんでも取り出せるのだろうか。

セリアに差し出された吸い飲みは、やたらめったら凝ったグラスカット装飾で胴の部分は螺旋型にねじれていた。セリアが研究所で見知っていたものとは随分違う。取っ手の妖精の装飾なんて、いるんだろうか。取っ手だから、手で握ってしまえば、妖精は姿を消す。こんなの、重量が増すだけなんじゃないだろうか。

しかしセリアが震える手で受け取った吸い飲みは、空気しか入っていない注射器みたいに軽かった。液体の重みすらない。魔法道具だ。多分、装飾に紛れて、魔法陣が刻まれている。

水は適度に冷えて、よく見ると吸い飲みのなかでゆったり回転して、鮮度を保とうとしている。凝ったカット面とさらに凝った目盛り表示が水に映って、なんだか無駄に幻想的だ。

かみさまの手からは、埃と土のにおいがした。

ありがと、かみさま、と吸い飲みを返すと、かみさまは少し驚いたように瞬いた。きみひとです、と返される。かみさまにも名前があるんだ。

きみひとが吸い飲みを持った手を天蓋布に突っ込むと、やっぱり腕を引いた時に、手から吸い飲みは消えている。


「きみーと」声に出して言ってみる。ひ、の発音がうまくいかなかったけれど、きみひとはふわっと照れたように笑って、うん、と言ったから、間違いではないんだと思った。間違えたら、かみさまでもぶってくるんだろうか。

試しにまた「かみさま」と言ってみると、「人間だよ」と笑われたので、セリアは一瞬間違えたのかそうでないのかわからなかった。

きみひとは、アキレス腱を切られたり足首を砕かれたり足を釘で縫いとめられたり脛を腫瘍だらけにされたりした被験体や実験動物がしていたみたいに、ゆっくり膝を折って、セリアと目線の高さを合わせた。


「息苦しさはある?」

セリアは首を振った。枕が頰に心地よく擦れた。


「悪寒は?」

セリアは首を振った。


「痛みは?」

「魔法使い、黙らせた」

「回復魔法」

「レンは?」

「風呂」

「友達?」

「うん。友達になった?」

「なった。レンいい人」

「うん」

「あの、かみさま」

「人間」

「きみぃと」

「うん」

「セリアです」

「いい名前。よろしくね」


セリアはきみひとと握手をした。かみさまの手は、魔法使いと違って、ごつごつと硬く、ひんやりしていた。

その温度が気持ちよくて、セリアは放すのを忘れた。


「何か欲しいものある?」

「情報」

「おお、へぇ。そら興味深い」


きみひとの目が、波がひかるみたいにきらっとした。

セリアは緊張が緩むのを感じて、自分が緊張していた事を知った。リラックスは一瞬。

緩んでしまうと、疲労が、どっと押し寄せて来る。

疲労が押し寄せると、感情を制御していたなにもかもが一度に働かなくなった。

セリアは急速に視界がぼやけていくのがわかった。

破裂寸前まで砂を詰められたみたいに胸が苦しくなって、炙られたみたいに喉がひりついた。

首から胸から手首から口から四肢の切断面から刺突された内臓から軽々に扱われた命から言わずにいられなかったんだろう何体も何体もの被験体の自分のじんせいは何だったんだから動脈血が噴き出るみたいに、感情としか呼びようのないものが真っ赤に溢れ出す。


その中で、きみひとが握りっぱの手に、くっと少しだけ力を込めて来た。


あらゆる輪郭が散漫になっていく中で、その感覚だけ、白くひかって拡散しない。動じずにそこにある。ただ在る。星のない夜、薄い雲の向こうから優しく存在証明する皓い月みたいなそれに、セリアは追いすがった。

感情に溺れる前に。


「貴方の、事も。覚えてる」

「そう見える」

「ここに連れて来た?」

「そう。話したいけど、今は寝た方がいいみたい」

「どうして?」

「どっか苦しい?」

「パパを助けなくちゃ」

「わかった。その事は後で考えよう。一緒に考える」

「ありがとう」

「いいっす」

「ありがとう」

「もう寝よう」

「ありがとう」

「泣くと疲れるから」


『お前はなにを女の子泣かせてるんだろうね』


天蓋布がさっと捲られて、眩しさと目を守ろうとする本能が感情を押し出した。


恐る恐る目を開くと、布に遮られて見えなかった世界と、一変した布の中の世界の境界に夕景を背負って魔法使いが立っていた。


天蓋の内と外が拡がって繋がる。

テイストが散漫でよくわからなかった室内装飾が、夕日の橙と紅と桃の混ざった光に統一されている。

天蓋布の内側まで、オレンジとピンクに照らされて、影の部分にやさしいパープルが生まれる。

セリアは何にかくされる事なく、ここもただ世界の一点だという事を思い出す。


魔法使いの腕の向こうに、天蓋もなにもないシンプルなベッドがあって、そこにこんもり、布が積んである。

セリアはそれに見覚えがあった。

セリアが裂いた天蓋布だ。

魔法使いはよくわからない言葉でかみさまを追い払うと、よくわからない言葉でセリアに笑いかけ、そのまま天蓋布を支柱にまとめた。


ドレープを描く天蓋布の向こう、シンプルなベッドと天蓋付きベッドの間にキャビネットがあった。

キャビネットの上で、吸い飲みの取っ手にほどこされた妖精が飛んでいる。

正確には、まとめられた天蓋布に隠れて、吸い飲みのその部分だけが見えていた。


「C'est beau!!」


魔法使いが怪しい発音で自信満々に窓を指し、遠慮も屈託もなくドカっとセリアのベッドに腰掛けたので、スプリングがわんわん弾んで、セリアは「にぇえ」と悲鳴とも苦情とも言えない声をもらした。魔法使いは悲鳴も苦情も笑い飛ばして、ジェスチャーで謝る仕草をした。


「C'est beau.」


魔法使いは窓を指して、怪しい発音を繰り出す。


セリアの位置からは、窓の向こうには空しか見えない。


それでもレンの言うとおりではあるので、セリアは「そうだね」と頷いた。

魔法使いはそれから延々、よくわからない言葉で喋り続け、たまにセリアに相槌か意見を求めた。


セリアはヒアリングを頑張るうち、疲れがピークに達して、うとうとしている自分に気づいた。


気づいたところでどうする気も起きず、カラスの行水もいいとこなかみさまが濡れた頭で戻ってきて、慌てて窓を閉める背中を眺めたのを最後に、セリアは夢もみない眠りにかえって行った。


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