一、黎明を待つ:セリアの巻
明けない夜がないのは、夜明けが暴力だからだ。
常に一方的で、こちらの事情を斟酌しない。だから「まいにち」なんて、傲慢なものをつくれる。
つくって投げてぶつけてくる。
(それじゃあわたしはたいようになりたい)
(そしたら、ちからをふるうがわだ)
強く思った時、寂光に眼裏を舐められた。はっと上体を起こす。蝿の羽音が四方に散った。
つんとした臭いが鼻に飛び込んで、今いる場所を思い出す。
袋小路になった杣道の奥、煤けた日干し煉瓦の建物同士の隙間。染みだらけの絨毯が立てかけられ、すっぱい臭いの野菜や、みどりがかった肉片の覗く麻袋が、被験の果てに力尽きた友人達の末路のように折り重なる。
要らないものを置いて、立ち去っていい場所。ごみ捨て場。
夜は全ての軒先に吊り灯籠が灯るこの街で、臭いものに蓋のごとく、わざと灯りから隔絶された場所だった。だからセリアはここを選んだ。
その杣道の先から、朝陽が浸食してくる。セリアにはそれは、捕まったら二度と解放されない澱のように思えた。
もう夜はセリアを匿ってくれない。
体が小刻みに震える。歯が、カチカチ音をたてて弱った歯肉をいたぶった。(ママ。ママ。ママ。おかあさん)
ひかりがセリアの肢体をさらしものにする。
傷と泥と垢と、麻袋からしみだした何か、べとついた液体にまみれた身体。しぶとく残る、吐瀉物の臭い。
骨に皮を被せたような手足は、「研究所」で見ていた骨格標本と同じ形をしていた。元が真っ白だった服は端が破れ、所々で擦り切れ、穴も開いて、受難の果てに、白くいることを諦めた。裸足の足はくるぶしまで灰色で、傷口の赤だけが自己主張している。
これらの傷をほおっておけば、化膿して黄色くなって、最後にはみどりの肉片と同じになる。
だからそうなるまえにいかなければ。
(かみさまにあって、おねがいして、ママをかえしてもらうんだ)
(ママにはパパを、おこってもらう)
(パパは、きっと、ママのいうことならきいてくれる)
太陽に追い詰められた夜が、ひかりにセリアを明け渡した。
ひかりはあたたかく、ゆっくりと身体の震えを黙らせる。してもしょうがない恐怖は、無駄だからやめようね、と、言われているみたいだ。
「無駄だからやめようね」
さも親切気に、ラボの職員がセリア達によく言ってきた。
ちからをふるうがわのことばだ。
明けゆく世界を見て、また今日が始まるんだと思った。
目頭に熱いものが溜まって、たまりかねた根性なしの一部が落っこちた。
セリアは拭わなかった。擦り傷でぐちゃぐちゃの膝の方が、立ち上がるセリアにはおおごとだった。
『………ママ』
うまく音にはならなかった。転んでもぶつけてもいない箇所なのに、喉の奥がすりむいたように痛かった。
明るい熱を受けて、むおりと悪臭が勢力を増す。
セリアはそれから逃れるように、ずるずると進み出した。
壁にもたれて、強くまえを睨み据える。
奥歯に力を入れた。歯茎まで痛くなった。
(だいじょうぶ、だいじょうぶ。だいじょうぶ。だってセリアはジーニアだから。
ジーニアだから。ジーニアは。ジーニアだもん。パパをたすけられるよ)
身体が重い。
内側は熱いのに、肌の表面だけ妙に寒くて、温まりきっていない空気に過敏だ。
『かみさま』
呼気が熱い。
『か、み、かみさま』
歯の根はいまだ、少しだけ合わない。
『かみさ、………』
舌がもつれる。
『か み さ ………………ま』
細切れの声も、太陽にはひとごとだ。
『かみさまぁ………』
一方的に「今日」が始まる。