三の開き、太陽の往くみち
蓮李=大飛は眠るセリアに顔を寄せて、幸福を噛み締めていた。
「んふふふふふふふお手てちいちゃい。可愛い」
「小さいっていうか単に骨と皮しかない感じだけど。可愛いかコレ?」
後ろから声をかけられて、蓮李はすかさず相手の右すねに踵を送った。
「いって! ちょっ、患部なんだから気ぃ遣ってくんない」
「しゃがみこんでんじゃねぇパーティ会議だきみ仁くん。作戦前に不注意で怪我して戦力減らしたクソ阿呆が、お子様への言葉は選びな」
蓮李が室内に据えられたティーテーブルに移動すると、きみ仁が唇を噛みながらひょこひょこついてきた。
「いい加減吐きな。どうしたのその足」
きみ仁は困ったように眉を寄せながら、涼しげに笑った。「何度も言ったろ。屋根から落ちた。俺だって足くらい滑らせる」顔がずたぼろでなかったら、何人か魅了できそうな笑い方だった。蓮李の胸には吹雪が吹いた。
「お前ひと欺こうとする時笑う癖やめなさいね。サムいから。今日は何人その笑みで騙してきたの?」
きみ仁の目から笑みが消えた。口元だけ吊り上がったまま、挑戦的な目で「窓、閉めてくる」と立ちあがる。蓮李は反抗期について考えながら、ティーテーブルの横に設えられたランプに火を入れた。天蓋があるとはいえ寝ている人がいるので、シャンデリアは灯したくない。
火ぃついたよ、ときみ仁の方を向くと、窓の外で、夕日が沈もうとしていた。時は逢う魔が時。逢禍ツ時。逢真月時。いずれ月が昇る。
きみ仁は警戒するように、周囲の気配を探ってから、窓を閉めた。木製の窓が閉じられると、室内に光源はランプしかなくなる。足をひきずって、きみ仁が着席する。
丸くて小さいティーテーブルに着くと、囁き声でも会話できる距離になる。パーティ会議にはうってつけだった。
きみ仁が懐から議事録代わりの帳面を取り出して、会議は始まった。街に入って、別れてからの事を報告し合う。
きみ仁の帳面に、必要な情報が書き出される。同時にきみ仁の疑問点も書き綴られていく。
蓮李が研究員から聞き出した、技研の情報。研究員十二名。内一名が支所長、セリアの父、オーム・セルウズ・クテシフォン。
そして一名はきみ仁が連れ帰り、蓮李が尋問した男性。
「尋問して、その後は?」
「黄道会送りに」
蓮李がにこにこ答えると、きみ仁は頷いて書き加えた。ずっと、帳面から目を離さない。
「黄道会に送った奴は、魔法陣については?」
蓮李は首を振った。勿論きみ仁は見ていないが、気配は感じられる距離だ。
「知らなかった。元々科学者だからな。上から渡された魔法陣の出処云々より、渡された魔法陣をどう応用するかに時間を割きたいだろ。技研の上層部にしたって、知らせてなければ外に漏れるリスクもひとつ減る。つまり確信犯的行動。まったく、三枝のみっちゃんは本当昔から変わらない……」
蓮李の口からため息とも嗤いともとれない息が漏れた。慌てて、こほ、と咳払いに替える。
蓮李がこの街に来たのは、蓮李の所属する魔法士ギルド・黄道会の依頼を受けたからだった。表向きは。
魔法師ギルドは、所謂魔法使い専用の労働組合だ。組合員が金を払って所属する代わりに、組織は組合員の発見や発明をほかの組合員に提供したり、研究に有益な組合員同士を結びつけたり、安価に利用可能な施設を作ったりして、組合員を保護し、新たな発明や発見を引き出し、それを組織外に売ったり貸したりして、影響力や経済効果を拡大する。
魔法士ギルドは世界中にいくつもあるが、中でもとりわけ組合員が多いのが黄道会だった。
黄道会の歴史は長く、言語がばらばらだった時代から存在し、有力な魔法使いが数多く所属してきた。今では、世界議会という、世界中の国々から成る政治会議の場にも、議席を持つ。
そんな黄道会の中で、蓮李は大幹部っていうか広報員じゃないかと思われる程度には、その筋のひとに名を知られている。
蓮李が、「魔法は先天的な素質がなければ使えない」という通説を覆し、誰でも魔法使いになれるメソッドを確立したからだ。
この発見のおかげで、世界は現在、魔法社会になりつつある。
魔法陣を道具に組み込み、科学と併用して、より便利な世の中にするとともに、世界に蔓延る魔物に対し、より安全性の高い、遠隔攻撃が可能になった。魔法による発見と開発が進み、世界の発展は加速しつつある。
その加速にまかせて人道というレールを外れることも、残念ながらままある。
今回の黄道会からの依頼はその典型だった。
黄道会は、三枝生命技術研究所とも取引がある。
黄道会が管理する魔法陣のいくつかについて、技研に使用許諾を与えたところ、利用規定および権利協定を逸脱した使用をされた疑いがある、というものだった。
黄道会が差し出した平和利用を大前提とした知技が、非人道的技術開発に利用されちゃったかも、と、上層部は危惧している。
黄道会は、この疑惑の解明を大幹部クラスの仕事とした。組織内にも階級のようなものがあって、一定のクラス以上からは、ただの組合員として組合費を払って組織に守ってもらうだけではいられない。組織に献金する一方で、組織から運営に関わる仕事を任され、報酬を得ることもある。
そして報酬は金銭とは限らない。
ひきこもって研究に勤しみがちな大幹部陣の中で、世界中ふらふらし、組合員の権利を使い倒している蓮李に白羽の矢がぶち当たったのは、当然といえば当然だった。
蓮李からしたら「どう考えても悪用は今に始まったことじゃないし、黄道会はそれくらい承知してる。悪用される可能性くらい考えて悪どい利用料とってる。黄道会ならそれくらいやってる。だって黄道会だから」というところだ。
黄道会が、歴史が長く、有力な魔法使いを多く所属させられたのは、倫理規定がゆるいからだ(少なくとも蓮李はそう理解している)。ときに行き過ぎるきらいのある魔法使いという生き物は、加減を無視する輩が多いゆえに、労働組合に所属するにもそれなりの倫理規定をクリアし、遵守しなければならない。
そこから逸脱し、組織に放逐された魔法使いをこつこつ拾って支えてきたのが、黄道会だった。蓮李もご多聞にもれず、魔法使いになる方法を編み出す一方で、長く禁じられてきた古い魔法を現代に甦らせた。黄道会はそれを高く評価し、大幹部に迎えた。モチツモタレツは蓮李にとってとてもいい言葉だ。
今回の報酬は、蓮李がどうしても欲しい欲しいと前から言ってきたものだ。
きみ仁が質問を続ける。
「魔法陣や取引について知ってそうなやつとか、吐いた?」
蓮李は再度、首を振った。
「それも知らないって。今支所にいる研究員だけなら、あと六人なんだけどねぇ……知ってるひとがいるのかどうか」
「六人? 十二人じゃなく?」
「いない分は三枝のみっちゃんのお迎えに出てるって」
「じゃあ制圧するなら今がチャンスではあるな。六人の構成は」
「おっさん4、女性2、うち少女がひとり。て言うと攻略も簡単そうなんだけどさー……」
技研には働いている地元民がざっと50人はいる。
その地元民が昼食や仕事明けの食事・買い物をするのに、技研の周りには飲食店や商店が連なり、そうした店には卸業者がいる。尋問された研究員が言うには、「技研に手を出してみろ! 流通が止まるぞ。何人の人間が職を失うと思う!」
きみ仁のものを書く手が一瞬だけ止まって、またはしりだす。蓮李は深くため息をついた。
「実に技研らしい根の張り方だよ。住民を肉の盾に倫理の矛をかざす。どうせこの街も選ばれたんだろ、貧しくて内向きでアカデミックな組織から遠い。いかにも技研の好きそうな街だ」
「賛成。技研は街に周到に根を張ってる」
きみ仁は、街を見た所見、街人の見た燈籠町を話し出した。
蓮李は聞いているうちに胃がむかついてきた。
きみ仁の会った街人が言うに、三枝生命技術研究所は、誘致決定後は地元から激しい反発にあったが、浄化湖の研究をするからには、と、上下水道を整えたうえに水道施設の管理まで引き受けているいという。技研の施設にあるまあるい巨塔が当該施設であると。
そして無料で浄水タンクをばら撒き、今や一家に一タンク。アフターフォローもしてくれるという。
水は、生存にとって必要なだけではない。
ものを作るのにも必要なものだ。
ましてこの街の名物は、灯篭。
木枠に張る紙を作るには、木片を溶かす水が要る。木組みを作るにもまず木を洗う水が要る。細かい彫刻の木をなめすのは、小回りのきかない金やすりでなく、紙やすりだろう。
紙一枚染め抜くにも水に晒すし、筆で絵を描くなら顔料を一度水に溶かす。
蓮李は錬金術師志望なので、用水量(ものを作るのに必要な水の量)の切実さは容易に想像がついた。
ものを作る水だって、勿論、泥や水銀などの汚染物が混じっていたら、浄水から始めなければならない。汚染された水でものを作れば、製作者にも使用者にも被害が及び、最悪風評被害でまったく関係ないところまで波紋が拡がる。
とはいえ製作者にとって、水の濾過は省略したい間接労働だ。
技研の浄水タンクは、さぞかし工房や職人の生産コストを下げたことだろう。
そのコストの一つ一つは、そんなに豊かでないこの街の工房と、その職工を、職工の家庭を、どれだけ助けただろう。
技研が徹底しているのは、技研誘致以前に使っていた井戸や水路のほとんどを下水道設備にかえてしまったことだ。きみ仁の会った街人は、それがまた便利でな、と無邪気なものだったそうだが、一度汚染された井戸は数年使い物にならない。そこを水のゆく路ごと潰して、汚し続けて、まるで良いことをしたように見せる。
三枝生命技術研究所は表向き、ひとがより良く生きるための生命技術を! の先端研究所だ。
(ああ、俺の知ってる三枝だ)
李は頭を抱えた。
「ひきょう。さいてい。ひどすぎるけど一番ひどいのは俺の豊富な語彙を枯渇させたこと」
「カスィルークス共和国の暗部をうまく利用したんじゃない。国は原住民を扱いあぐねてる。こういう村なら技研被害で潰れても構わないか、その方が都合が良い。為政者と、移民て呼ばれてる大多数の国民の皆さんにとって」
蓮李は意外な方向からの意見に、瞬いた。
「……? なにそれ? 国が絡んでくるの? 国が自治体ごと売った、てこと?」
「憶測と邪推に過ぎないけど。グローバル企業を誘致するのに、暁市だけ頑張ればどうこうなるってものでもないから」
きみ仁はざっくりと暁市や燈籠町を抱くカスィルークス共和国と、移民の歴史を語った。
蓮李の眉間は、ブラックホールに吸われるようにぎゅうっと寄った。
「…………………………………………一億の国民のために少数民族といたいけなセリアちゃんに人生明け渡せってんなら、そんなの政治じゃないし治世じゃない。一億の無知な悪魔を生み出してるだけだよ」
蓮李は、声が震えないように細心の注意を払った。きみ仁は「この国一億も人口いない」と淡々と正しただけで、蓮李の努力には気づかなかった。
「俺たちだって技研と似たようなもんだ。俺とレンが技研の機能を止めたら、結局この街は困窮する」
「違うもん! 俺はなにやったって黄道会が尻拭いしてくれるもん、技研がいなくなったら水道技師とか別の研究者とか呼んでもらうもん。建物や設備はなるべく無傷で残すもん! でもこの国がやろうとしてんのは、歴史の尻拭いを一部の国民になすりつける行為でしょ」
「あっそ。色々つっこみたいとこはあるけど、まずもんはやめろ。それと、俺の聞きたいのはそこじゃない」
きみ仁が初めて帳面から顔を上げた。
視線が真正面からぶつかる。
「被験者の子どもは保護した。それでも手は引かず、このまま支所を潰すか?」
「引きません。こういう子どもが所内に一人だなんて誰も言ってない」
即答だった。
ふぅん、ときみ仁の視線がふたたび帳面に戻る。
さらさら、と、しばらくきみ仁が議事をとる音だけが流れた。
(しまった今こいつ黄道会に一切触れなかった。そして俺も黄道会に一切触れなかった。くっそ回答を間違えた。感づかれたか?)
蓮李は背中に嫌な汗をかいた。
黄道会の依頼は、この街に来た表向きの理由だ。表向きとは言っても技研のお膝元で吹聴できる話でもない。冒険者ギルド及びきみ仁向き、と言ってもいい。
「……研究員に尋問した時点で被験者は一人だって言われたなら、ひとりなんじゃないの」
きみ仁がマッチについた火みたいに、ぽちんと言った。
「わ、わかんないだろ、相手は集落まるっと騙す組織だぞ。もしかしたら国も騙されてて、実際技研が燈籠町にとってすげー良いと思ってるかも知れない。大統領は良い事したつもりかも知れない」
「ふぅん」
「……あ、それに今引いたら黄道会が黙ってないもん」
「もんはやめろ」
「とにかく俺は黄道会の正式な依頼で来てるの! あいつらは黄道会との協定を破って、提供した魔法陣を悪用した可能性が有る。事が発覚したら、黄道会の看板に傷がつくの。俺は大幹部として! 断固そういうのを見過ごすわけにはいかない! 七日後に三枝所長が来る、取っ捕まえて問い質すもしくは黄道会の査問委員会に直送する、いいチャンスなんだ!」
「レンくらいになれば、黄道会がなんと言おうと断れるんじゃないの」
「放置してー、俺の所属元に傷がついたらー、俺の名声にも傷がつくんですぅー。これだからガキは、読みが浅くって」
「はいはい」
「はいは一回!」
「はい。で。その協定違反された魔法陣なんだけど。協定違反の証拠が見つかった。それさえ黄道会に持ち帰れば三枝を直接捕まえる理由もない。今なら技研側に感づかれる前に出て行ける」
蓮李は再度瞬いた。重要事項過ぎてあごも落ちた。
「それっ……、それ、それ、は??? え??? なんで今まで黙ってたの?」
「個人のプライバシーに関わるから」
「プライバシぃ?? 個人って、誰の」
きみ仁は顔を上げ、幼子が眠る天蓋を見た。
蓮李も勢い良く振り向き、天蓋を凝視した。
「六歳児にもプライバシーはある」
「そりゃあね!!!!? 逆に、なんでお前はそんなプライバシー知ってんの⁉︎」
「拾った時に蝿蛆症を浄化した。その時に見えた。浄化は、基本的にプライバシーの侵害」
「いや、いいよお前の能力はもう知ってるから。え、で、なんで今言う気になったの」
きみ仁は少し考えてから、蓮李を見て言った。
「プライバシーに関しては親権者か本人に確認を取るべきだとは思う。とはいえ、本件に関しては本人も知らない可能性がある、と思った。
自分の内側がどうで、腹の底に何抱えてるかなんて、本人だってわからないんじゃないかって」
いやに真剣で、少し早口だった。
蓮李は口にするべきか少し迷ったが、ここは会議の場だ。話し合わなければどうにもならない。
「腹の底……つまり内臓関係なのか」
きみ仁は静かに蓮李を見据えて、やがて頷いた。
「セリアちゃんは、魔法陣を刻んだチップが二箇所に埋められてる。胃と脳。彼女が言語統一以前の言葉を話すのは、魔法陣が当時の言語で組まれてるせい。
チップの埋められた位置が脳の運動性言語中枢と聴覚性言語中枢の間にあるせいで、俺たちと同じ言語を話しているのに全くの別物に聞こえるし、話す言語が魔法陣と同じものになる」
「脳のふァー?」
蓮李は三秒以上耳慣れない言葉を話されたので、思考回路が焼き切れた。
「質問なのバカにしてんの? こっちはプライバシー侵害しながら話してんだけど。
あのね、脳の、言語に関わる部位は三箇所。物凄くざっくり言うと、運動性言語中枢は発話、聴覚性言語中枢は聞こえる話の理解、視覚性言語中枢は文字を理解する部位。位置は運動性が前頭葉、聴覚性が側頭葉、視覚性が頭頂葉」
きみ仁は、順に額、頭の横、つむじの少し後ろを指差した。
「セリアちゃんのチップがあるのはココ。運動性言語中枢と聴覚性言語中枢の間」
左耳と額の間あたりを指差す。
「逆に言えば、視覚性言語中枢に影響がない。視覚による情報交換である筆談は、可能性が高い。セリアちゃんが文字を読めればの話だけど」
蓮李が小さく挙手して言い切る。
「それは俺が喜んで解明する。証拠っていうからには、使われてる魔法陣の特定はできてんだな?」
きみ仁は頷くと、帳面をめくって魔法陣を描き出した。
文字と記号の羅列が複雑に絡み合い、ラナンキュラスの花のような模様を描く。
慣れたように描きあげると、その横に、黄道会の署名の入った資料を懐から取り出して広げた。
「チップに黄道会提供の魔法陣が使われてんのはほぼ間違いない。
黄道会開発の陣との類似点が、七十八見つかった。複数を複雑に掛け合わせてある」
蓮李はしげしげと魔法陣を眺めた。
「ふうん。目で見てないのに、こんな詳細にわかるんだ。浄化能力って便利ね」
「浄化は生体異物に反応して起こる。生体異物を感知する過程で生体のスキャニングができるようなもの。
その陣は魔法粒子の配列から予想した大体の形に過ぎない。実際はもっと細かい仕掛けがあるかも知れない」
「これで大体なのか……」
蓮李は改めて魔法陣を見た。とても細かい。
「よく予想とかできるよね。俺ムリそういうの退屈過ぎて。で、チップの浄化はできないのか」
「健康な状態であれば、それも悪くない。胃の方は特に、難しくないだろう。
問題は脳に埋められてる方。チップがいつ組み込まれたのかも、どう作用してるかもわからない。見つけた時点では、陣が発動している様子も、悪さしてる様子もなかったけど、浄化は医療行為ではない。
脳は神経の塊だ。もしも体が適応したりしていれば、チップの消失が脳の神経系及びコネクトームにどう障るか。人コネクトームはまだ仮定の段階で、解明されきったわけではない。胃のチップとどう連動しているのかもわからない以上、胃だけ先に浄化する事も出来ない。
……何より、チップが摘出できれば、黄道会は技研に対して不正行為の証拠を握れる事になる」
「最後のは聞かなかった事にする。黄道会に対して、そこまで義理立てする必要はない。
こねくとーむが何かは知んないけど、今は健康に障るかも知れない、てのはわかった。いいだろう、チップの件は保留。セリアちゃんが元気になるまでは」
「それで? 証拠は掴んだ。手は引かないの?」
「引かない。チップは浄化の方向で考えろ。これ以上子どもの体を裂くなんてありえない。三枝を捕まえればいいだけだ」
蓮李の即答に、きみ仁は見返すことで応えた。
蓮李がなんかまずい事言っただろうか、と胸に手を当てたくなるほど、真摯な眼差しだった。
「……この街は技研がなければもう生きていけない」
ランプの炎が揺れて、きみ仁のずたぼろの顔の陰影を濃くする。
蓮李は引っ掛かった。
(なんだろう、嫌なら嫌だってはっきり言えばいいのに。言ってくれりゃこっちも出方があるのに、妙にこっちを……なんだろ、誘導しようとしてる?)
そんな子だったかなぁ、とはいえ反抗期だしなぁ? と考えだけが巡る。
「きみ仁。俺たちにはやらなきゃないことがある。それをするだけだ。街とか国とか、そこまで考えるのは傲慢だ。わかるな。もうお前は神じゃない。俺たちは、小さい。救えないものもある」
「救いたいわけじゃない」
「じゃなんでそんなに拘るの。言いたいことははっきり言いなさい」
蓮李はわざといらついたように応えてみた。ポーズだけで、聞きたいことは単純そのものなのだが、こういうことはきみ仁が長じるにつれて、言えなくなってきている。
本当は、ひとことこれさえ問いかけられれば気が済むのだ。母親が、むずがる赤ん坊の目を覗き込んでするみたいに。
(どうしたの)
その点きみ仁は直球だった。
「じゃ言うけど。三枝に会えば貴方は傷つくよ。それでも会うの?」
「……………………………、」
蓮李は目をむいた。鼻穴も広がった気がする。きみ仁は表情を読んで「わかった。であれば会議は終了」と真顔で立ち上がった。そして間抜けにも普通に右足を使ったため、痛みで傾く。蓮李は慌てて支えた。いいから、セリアちゃんについててやれ、と振りほどいて、きみ仁は「月を浴びる」と出て行った。
残された蓮李は、呆然と、きみ仁が出て行った扉を見つめた。
(自分の内側がどうで、腹の底に何抱えてるかなんて、わからない………………。
自分だって、わからない………………)
蓮李は思考がまとまらないまま、よたよたと、セリアのベッド脇に向かう。
(なんだ、今のは…………。
も。もしかして。いっちょうまえに、心配を、してくれたのか………………お、大きくなって………)
心配されてこんなに困惑するのは初めてだ。
混乱で視界まで歪んできそうだ。
だけど悪い気はしない。
セリアを見下ろす。その寝顔は、安らかとはほど遠かった。蓮李が少し目を離している間に、悪夢が始まったみたいだ。
痩せて削げた頬に手を添えて、なんとなく回復魔法をかける。浄化能力者が隣にいないと、なんと魔法の自由に使えることか。
「………それでも手は引かない。子どもを守るためなら、三枝程度の傷は許容範囲だよ、それが大人だから。………おとな、だからさぁ……」
同意を求めるようにセリアのかさかさした頬を撫でると、すこしだけ、表情が和らいだきがした。
さりげなく確認したきみ仁の手元の帳面を思い出す。
「桃」の一文字はどこにもなかった。




